39.危機
野営地の外縁、空き地脇の丸太置き場。
拳を交えるたびに血が飛び、衝撃波が立て続けに轟く野蛮人と血族の激しい力比べとは対照的に、闇に沈んだ木屋の陰では、一人の老人と一人の女が相変わらずゆっくりと煙を吐きながら話を続けていた。
「なるほど。これが逃げようとしている理由か。ヴィンセントもとんでもないことに巻き込まれたものだ。長く生きていれば、いろいろと不思議なものが見られる。今日ここから逃げ切れたら、五大国度から相当な額の賞金を懸けられるだろうな」
「心配はいらない。理由が分かったなら、今度はあなたが誠意を見せる番」
エリカの耳には、すでに遠くから人々の騒ぐ声が微かに届いていた。かなり遠くまで逃げてきたとはいえ、まだ野営地の中にいる。
最後の煙を吐き出すと、老バダはパイプを逆さにして数度叩き、中身を丁寧に掃除しながら言った。
「お前たちに追いつけたのは、年寄りの勘と、ちょっとした幸運のおかげだ」
そのとき、エリカは背中を軽く突かれる感触を覚えた。ドロシーからの警告だ。追跡部隊はすでに戦闘音の方向を特定し、こちらへ集まり始めている。
「ヴィンセントが第二層の入口に現れた時間も、場所も、状態も不自然すぎた。説明も粗末な嘘の臭いがしていた」
「だがアンダが言ったのと同じで、俺もあいつには命を一つ借りている。だからあのときは、何か秘宝を手に入れたんだろうと思っただけで、暴こうとはしなかった」
背後の妹へ密かに合図を送りながら、エリカも煙草の火を消す動作に紛れてゆっくりと立ち上がり、足を動かし始めた。
「その後、作戦部がヴィンセントと天象異変に関係があるかもしれないと突き止めた。それで、あいつが戻ってきてからの行動をもう一度見直してみたんだが……何にも執着しなくなっていた。男爵への昇爵が取り消されたことさえ気にしていない」
「あいつが欲しがっていたのはお前だけだ。ずっと、お前が壊死の大地へ来るのを待っていた」
「作戦部の判断そのものは間違っていなかった。お前たちが顔を合わせれば、必ず何か動く。だが俺は、『顔を合わせたあとなら、いつ動いてもおかしくない』と考えた。ヴィンセントはもう何にも執着していない。行くつもりならすぐ行く。わざわざ攻略隊に加わるまで待つ理由なんてないからな」
老バダは俯いたまま、相変わらず熱心にパイプを磨いている。傍らで姉妹が細かな動きを見せていることなど目に入っていないかのように、そのまま続けた。
「お前たちの宿舎には作戦部が専用の見張りをつけていた。だから俺は別の連中に各出入口を見張ってもらい、アンダと俺はドロシーを見張ることにした」
「任務中から感じていた。この娘には異常な執着と狂気がある。それに、お前たちのことをよく知っている。こいつを見ていれば、きっとお前たちの尻尾を掴む助けになると思った」
「最初、真夜中にジェットを連れてここへ来たときは、俺の見当違いかとも思ったが……まさか、お前が何もないところから突然現れるとはな。空間魔法を得意とする魔法師や、姿を消すことに長けた暗殺者でも、あそこまでやるのは難しい。あれもヴィンセントが手に入れた能力の一つなんだろう?」
そこで珍しく、経験豊富な老バダの顔に驚きが浮かんだ。感嘆したように続ける。
「道具にも環境にも頼らない完全な隠身か。鋼鉄の玉座の魔導製品でも聞いたことがない。大した能力――」
今夜もまた、言葉を最後まで言い切る前に銀光が閃いた!
だが、老バダはすでに警戒していた。瞬時にパイプを持ち上げ、横から受け止める!
「鏘!」
澄んだ音とともに軍刀が弾かれた。何の変哲もないように見えたそのパイプも、どうやら合金製らしい。
その瞬間には、ドロシーも音ひとつ立てず木屋の壁へ駆け上がっていた。身体を反転させ、頭を下、足を上にした姿勢で老バダの頭上へ躍り出ると、手の短剣をその頭頂部へ突き下ろす!
しかし老バダは身体をわずかにずらし、頭を傾けて刃の軌道から逃れた。
同時に、腰の脇からもう一方の手が現れる。
握られていたのは奇妙な形の武器だった。
前端には細長い筒が伸び、その先端に丸い漆黒の穴が開いている!
言い知れない危険を感じたドロシーは反射的に短剣を引き戻し、黒い穴が狙っている場所へ刃を差し込んだ。
「パン!」
小さな爆発音が響いた。
短剣を握る手に激痛が走り、続いて肩に焼けつくような痛みが広がる。ドロシーは思わず声を漏らし、身体の制御を失って丸太の山へ突っ込んだ。
エリカが突然斬りかかってから、ドロシーの奇襲が失敗して負傷するまで、ほんの一瞬の出来事だった。
豊富な経験でその場の変化をすべて捉えていた老バダは、両手を同時に使って反撃し、名の知れた冒険者らしい老練さを見せつけた。
妹の奇襲が失敗したと見るや、次の瞬間には黒い穴が自分へ向けられていた。
エリカは即座に軍刀で射撃武器を弾き、そのまま身を低くして一気に踏み込む。
この武器に、射撃する距離も機会も与えてはいけない!
わずか一腕ほどの間合いで刀光が連続して閃く。
削ぐ。薙ぐ。斬る。
エリカの攻撃は、速く、鋭く、正確だった!
だが致命傷になり得る攻撃は、老バダが一本のパイプで危うくもすべて防いでいく。
そのまま素早く後退して距離を開けると、彼は視界の端で、自分の手足のあちこちに血の滲む刀傷が増えていることを確認した。
これ以上、この容赦のない金髪の女を懐へ入れてはならない。
老バダは直ちに射撃武器を持ち上げ、再びエリカへ狙いを定めた!
生死が決まるのは、この一瞬。
「ごほっ!」
絶体絶命の瞬間、エリカが突然血を吐いた。
突進していた身体は意思に反して止まり、軍刀を地面に突かなければ立っていることさえできない。
「感心するしかないな。さっきまでは資料のほうが間違っているんじゃないかと思ったくらいだ。その性格、その決断力、その才能を持ちながら、こんな病んだ身体に縛られているとは。遊騎兵ギルドの冒険者ランキングにお前の名が載らないのは、実に惜しい」
老バダは心から残念そうに言った。
これほど能力のある者と一緒に冒険できれば、きっと非常に楽しいだろうと、本気でそう思っていた。
「そう。実は……」
地面へ突いていた軍刀が、突然砂埃を巻き上げた!
二人の間の視界が一気に遮られる!
エリカは胸が引き裂かれるような痛みを無理やり押さえ込み、再び技巧「身軽」と「加速」を重ね、軍刀を突き出したまま老人へ一直線に踏み込んだ!
「パン! パン! パン!」
闇夜に三発の爆発音が続けて響いた。
老バダは自分の左肩を貫いた軍刀へ目を落とした。
目に入った砂粒のせいで涙が止まらず、視界はいくつにも重なっている。
それでも、確かに見えた。
自分が感嘆したあの金髪の女が、すでに地面へ倒れている。
射撃武器から放たれた攻撃は、彼女の手、肩、そして――心臓を撃ち抜いていた!
軍用外套の下から鮮血が絶え間なく流れ出し、地面を赤く染めていく。
「お姉ちゃん!」
ドロシーが丸太の山から飛び起きた。
これまで一度も見せたことのないほど焦り、怯えた表情を浮かべ、急いでエリカのもとへ駆け寄って身体を抱き起こす。
だが目に入ったのは、胸に穿たれた丸い傷口だった。
そこから大量の血が流れ続けている。
ドロシーは反射的に、自分が唯一使える初歩的な治癒の神術を発動した。同時に顔を上げ、焦りに満ちた声で叫ぶ。
「お義兄さん!」
少し離れた場所でアンダと激しく拳を交えていたヴィンセントは、その恐慌した声を聞いて胸を突かれた。
振り返った先には、大量の血を流しているエリカがいる。
もともと吸血衝動を無理やり押し殺していた彼は、感情が大きく乱れたことで、ついに耐えきれなくなった!
アンダは相手が驚愕して動きを止めたのを見逃さなかった。
戦いの最中に気を逸らしたのは敵自身の過ちだ。
力任せの拳が怪物の頭部を直撃する!
怪物の頭が大きく横へ弾かれ、もともと陥没していた顔面はさらに潰れた。
だが、その獣爪はすでにアンダの腕をしっかり掴んでいる。
次の瞬間、大きく開いた怪物の口が、その腕へ噛みついた!
激痛が走る。
続いて血と体力が同時に失われていく感覚が襲い、アンダは自分の身体が急速に弱っていくのを感じた。
すぐさまもう一方の拳を振り抜いて怪物を止めようとしたが、それも相手のもう片方の獣爪に受け止められる。
「放しやがれ!」
怒りを爆発させ、脚へ力を込める。
強烈な蹴りが怪物をようやく弾き飛ばした!
だがアンダが吸血された腕を見ると、先ほどまで膨れ上がっていた筋肉は一回りも縮んでいた。無傷のもう片方の腕と比べれば、明らかに不釣り合いなほど細くなっている。
蹴り飛ばされたヴィンセントは、力に満ちた鮮血を補給したことで意識をいくらか取り戻した。
すぐに身体を反転させ、エリカとドロシーのもとへ走る。
「パン! パン! パン!」
再び射撃音が響いた。
だが今度は、そのすべてを骨ばった血翼が受け止めた!
「やはり弱い生命を殺すための小物にすぎんのか……。鋼鉄の玉座も循律の塔も、禁忌之地の研究はまだ足りんな……」
そんなことを考えながら、老バダは素早く後退して戦場を離れた。
老人である自分が、あの怪物と正面から戦えるはずがない。
老バダを追い払ったヴィンセントは二人のもとへ駆け寄ると、しゃがみ込んでエリカを抱き上げた。
そのまま振り返り、骨ばった血翼を羽ばたかせて飛び去ろうとする。
だが、小さな手が彼を掴んだ。
もはや余計なことを話している時間はない。
状況は一刻を争う。
凶悪な獣面と可愛らしい顔が至近距離で向かい合い、ヴィンセントはただ言った。
「後悔しないなら、乗れ」
恐ろしい人ならざる姿を前にしても、ドロシーに怯えた様子はなかった。
何も言わず怪物の背へ飛び乗り、その首に両腕を強く回す。
「やっぱり……お義兄さんの匂い……」
背中から聞こえる呟きを無視し、ヴィンセントは骨ばった血翼を動かし、今度こそ飛び立とうとした!
「怪物だ! 怪物がいるぞ!」
「翼がある! 弓隊、準備しろ!」
「警戒の煙火を上げろ! 作戦部へ知らせて、防護結界を全力で展開させろ!」
後勤部の巡回隊まで到着した。
地面に倒れているジェットの死体。
そして必死に戦って相手を足止めしている老バダとアンダ。
それらを目にした隊長は即座に状況を判断し、立て続けに命令を下した。
血族は鳥のように翼を羽ばたかせるだけで空を飛ぶわけではない。
エネルギーの運動によって飛行を成立させる天賦だった。
まず体内の血液に宿るエネルギーを爆発させ、自らを一気に空へと打ち上げる。
その後、初めて本格的な飛行へ移る。
いずれ熟練すれば、この一連の過程を短縮できるのかもしれない。
だが、まだ生まれたばかりの血族であるヴィンセントには、今はそれができなかった。
その最初の準備に入った瞬間、アンダと老バダは、骨ばった血翼に浮かぶ鮮紅の紋様が光り始めたのを見た。
二人は同時に、その隙を見抜く。
前後からの攻撃と射撃によって、ヴィンセントがエネルギーを集める流れを断ち切った!
逃げながら腕の中のエリカまで守らなければならず、ヴィンセントはさらに力を出しづらくなっていた。
しかも妻の血が自分の身体をすでに濡らしている。
背中ではドロシーが治癒の神術を使い続けているものの、このまま時間をかければ待っているのは死だけだ!
「放て! あの怪物と、背中の仲間を狙え!」
さらに遠くから、新たな矢の雨が飛来した。
ヴィンセントの動きは速く、骨ばった血翼も大半の攻撃を防いだが、背中からドロシーの呻き声が聞こえた。
何本もの矢を受けている。
治癒の神術の光まで、次第に弱まっていった。
前にはアンダと老バダが立ちはだかり、後ろからは大勢の巡回隊員が包囲を狭めてくる。
エリカは瀕死。
ドロシーも、もう長くはもたない。
そのとき――
空に、分厚い光の壁が急速に立ち上がり始めた!




