31.綻び
数日が過ぎた。医療センターで十分な治療を受けたことで、ヴィンセントもようやく不自然に見られることなく、少しずつ回復していけるようになった。
体内の血液を慎重に制御し、獣性を抑え、周囲に異変を悟られないよう努めながら、エリカが辺境の野営地へ到着するのを待っていた。彼女さえ来れば、問題の大半は解決できる。
壊死の大地との境界では、空の光神が次第に輝きを失い、残照の赤い霞が天を染めていた。野営地の各所から炊煙が立ち上り、炎の明かりが光神に代わって周囲を照らし始める。
少し前まで荒野に過ぎなかった場所は、今ではさまざまな喧騒と活気に満ち、誰もが明日も、そのまた明日も続く冒険のために動いていた。
夕暮れ時、ヴィンセントは一人、杖をついて辺りを歩いていた。
まだ身体の半分近くを包帯で覆ったままで、外すこともできない。それでも医師からは、近くを歩いて身体を慣らす程度なら許可されていた。
しばらく野営地を離れていたヴィンセントは、蒼藍帝国の行動力の果断さと速さに内心驚いていた。ほんの短い間に、ここは一万人以上を収容できる規模の野営地へと姿を変えている。
エリカがいつ到着するかは分からない。攻略があまりにも早く進んでしまうのではないかとヴィンセントが少し心配していたとき、背後から聞き覚えのある男の声が、親しげに大きく呼びかけてきた。
「ヴィンセント! 無事な姿を見られて本当によかった。光神のご加護だな。冒険者のみんなを送り出すたび、いつも心配で仕方がないんだ。人が無事に戻ってくる、それだけで十分だ」
振り返ると、記憶にもまだはっきり残っている、背が高く陽気な印象の美男子がこちらへ歩いてくる。その傍らには、訓練用の身体に密着した騎士服を身につけた、銀髪の清麗な女性もいた。一目見ただけでも忘れがたい容姿だった。
以前の冒険小隊の責任者に向けて軽く頷き、ヴィンセントは先ほどまでの思考を中断した。表情にはほとんど変化を見せず、何も言わない。
「本当にすまない、ヴィンセント。まだ療養中なのは分かってる。俺個人としては、完全に回復してから調査をしたかったんだが、作戦部の方々が少し焦っていてな……君も分かるだろう。この新しく見つかった迷宮城で、女皇陛下に満足していただけるだけの成果を出したいんだ」
気さくで熱のこもった態度のまま、親しげな口調で話しかける。グリフィスは得意のやり方で相手との距離を縮めていた。最後には自分の上司まで軽く茶化し、会話の小技を使ってヴィンセントとの間を近づけようとする。
「何を調査する?」
調査という言葉を聞き、ヴィンセントは内心わずかに驚いた。だが声は変わらず平静だった。
「こういうことだ。戻ってきた初日に大まかな経緯は話してもらったが、探索組としては正式な記録を残さなければならない。後の攻略隊が参考にできるよう、もう一度君と情報を照合したいんだ」
「それと、鎌蜘蛛についてさらに詳しい情報がないか、あるいは何か話し忘れていることがないかも確認したい。足りないところがあれば、こちらで補えるからな」
少し考え、ヴィンセントはわずかに怪訝そうな表情を見せた。
「何日も経っている。探索組は、まだ鎌蜘蛛を見つけていないのか?」
ちょうどよく浮かべていた笑みを少しだけ引っ込め、グリフィスは申し訳なさそうに答えた。
「見つけてはいる。だが数が少ない。君が話していたような、驚くほどの数ではなかった」
「もちろん、作戦部も君の判断を疑っているわけじゃない。ただ、鎌蜘蛛がほかの探しにくい場所へ隠れているんじゃないかと心配している」
「何しろ、あの天地を貫くような山壁はあまりにも巨大だ。空中の石道を使わなければ先へ進むのも難しい。この問題は、今後ほかの階層を攻略するときにも大きな障害になる」
今までに確認されたこの迷宮城の構造では、下方には底の見えない巨大な深淵が広がっている。垂直に降りて探索しようとする者などいない。異なる階層を行き来するには空中の石道に頼るしかなく、途中の階層を飛ばす唯一の方法は、飛行か山壁を登ることだった。
だが山壁の間を吹き抜ける風は非常に強い。
それ以前に、飛行能力を持つ知性種族や、あれほど巨大な山壁を長時間登り続けられる者自体が珍しい。そのうえ、本当に空を覆い尽くすほど大量の鎌蜘蛛が存在するのなら、空中の石道を通るだけでも極めて危険になる。
そのため作戦部は第二層の攻略を一時停止し、鎌蜘蛛の存在確認に全力を注ぐよう命じていた。
蒼藍帝国が莫大な費用を惜しまず、鋼鉄の玉座から購入した飛空艇を動員するのなら、山壁の間を自由に飛ぶことも可能かもしれない。だがこの新迷宮城について一定の情報が揃うまでは、そんな高価な切り札を簡単に投入することはない。
「鎌蜘蛛が消えた……そんなはずはない。何が起きた? 数について俺の認識が間違っていたとしても、少なくともあの超獣種らしき存在まで記憶違いということはない……世界の心を起動させたことで、何か異変が起きたのか?」
超獣種らしき鎌蜘蛛の存在について、ヴィンセントはまだ誰にも話していなかった。
一つには、あれが本当に超獣種なのか自分でも確認できていなかったからだ。そしてもう一つは、この迷宮城にいくらか切り札を残しておきたかったからだった。
仲間の命は大切だ。
だが、それ以上にエリカと自分の未来を重く見ていた。
杖をついたまま黙考しているヴィンセントを見ても、グリフィスは深く勘繰ることも、細かなことで相手を困らせることもしなかった。いつもの完璧で爽やかな笑みを浮かべ、ディアドラとともに医療センターの個室へ戻るよう気さくに促す。
そして、次々と質問しながら記録を取る作業を始めた。
「うん……今回の話も、前に聞いた内容と大体同じだな。混乱の中で記憶に食い違いが生じていたわけではなさそうだ。この状況は詳しく報告して、作戦部にもう一度鎌蜘蛛の件を確認してもらう」
そこまでで調査はひとまず終わった。グリフィスは立ち上がり、丁寧に言った。
「ヴィンセント、休んでいるところを邪魔して本当に悪かった。傷が治ったら、また一緒に帝国のために頑張ろう!」
ヴィンセントは小さく声を漏らして返事をしたが、その目は少し虚ろで、どこか心ここにあらずだった。
二人が立ち去るのを視界の端で見送っていた、そのとき。
扉の前まで来たグリフィスが突然振り返り、不意打ちのように問いかけた。
「そうだ、ヴィンセント。数日前に迷宮城で起きた天地の異変は知ってるか? あの美しい青い光だ。夜をまるで昼みたいに照らしていた」
まだ半ば思考に沈んでいたヴィンセントは、「美しい青い光」という言葉を聞いた瞬間、心臓が跳ねた。
世界の心と地下河が脳裏に浮かぶ。
身体がわずかに強張った。ヴィンセントはゆっくりと俯き、知らないという意味で首を横に振ることしかできなかった。
これまでの説明と同じだった。
その時期、鎌蜘蛛に捕らえられ、予備の餌として吊るされていた自分は、何も知らないはずなのだから。
「そうか。ゆっくり休んでくれ」
そう言うと、今度こそグリフィスは扉を閉め、銀髪の清麗な女性とともに立ち去った。
個室の中。
ベッドに腰を預けたヴィンセントの表情は険しく、眉間の皺が次第に深くなっていく。
自分が大きな間違いを犯していたことに気づいたのだ。
奇妙な部屋で一度意識を失っていたため、血族へ変わったとき、外でいったい何が起きていたのかを彼はまったく知らない。
グリフィスが口にしたあの美しい青い光。
それが、自分の嘘に生まれた綻びになるかもしれない。
医療センターの外。
調査記録のために訪れた二人は、すでにかなり離れ、後勤組の休息区を出ようとしていた。
そのとき、ディアドラが突然口を開いた。
声はひどく冷静で、硬い。
「真実もあれば、嘘もある。彼の話は、すべてが事実ではありません」
グリフィスは驚いた表情を見せた。
そんな答えが返ってくるとは思っていなかった。
いつも黙っているあの男が嘘をつくとは思わず、かなり信用できる人間だと考えていたのだ。
とはいえ、グリフィスにも理解はできる。迷宮城で余分な収穫を手に入れた冒険者が、ある程度の情報を隠すことは珍しくない。それで大きな問題が起きないのなら、皇家冒険団も多少は見て見ぬふりをしていた。
それに、わざわざ口実を作って光騎士に記録報告を手伝ってもらったのは、こんな退屈な話のためではない。
相手と親しくなり、距離を縮める絶好の機会なのだ。前にあの可愛い子のところでは少し予定外のことが起きた。今回は同じように機会を無駄にはできない。
「すまない。こんな退屈なことに付き合わせてしまって。四正教からの支援は多くないし、神官や修道女もほとんど第一層へ呼ばれている。真偽を見分けられる神術となると、双子教会のものくらいだからな。帝国の支援で正式な医療支援体制が整うまでは、しばらく君にも手伝ってもらうことになりそうだ」
実際には、この光騎士もかなり多忙だった。
だがディアドラと堂々と過ごす口実が欲しかったため、グリフィスは無理にでもこんな方法を考え出したのだ。
もう一つ理由がある。
ヴィンセントの男爵への昇爵が撤回された件は、グリフィスが陰で煽った結果と言ってもよかった。あの寡黙な男が、後から事情を整理して真相に気づき、公正な扱いを求めてくるかどうかは分からない。
今のうちに接触を増やし、相手を知っておけば、万が一への備えにもなる。
「嘘をついていたことについて、皇家冒険団は調べないのですか?」
前の社交辞令をきれいに聞き流し、澄んだ冷たい声が核心だけを尋ねた。
グリフィスは首を振った。
質素で厳しい修練ばかりを続けてきたこの光騎士は、どうやら世間の機微に疎いらしい。冒険者同士には、小さな秘密や暗黙の決まりがいくつもある。それをいちいち暴き、関係を壊す必要はない。
泥の中に水があり、水の中に泥がある。
互いの間は、そんなふうに濁って見通せないくらいのほうが、長く付き合っていくにはちょうどいい。
グリフィスは、彼女が冒険者と関わる機会そのものが少なかったのだろうと考えた。
「いや、追及はしない。たぶん些細なことだ。作戦部はすでに、ヴィンセントの報告が大筋で正しいことを確認している。迷宮城の攻略に影響しないなら、それでいい。今は鎌蜘蛛のほうが重要だ。早く片づけない限り、安心して第二層へ進めない。だから――」
「ですが、彼は嘘をつきました」
ディアドラはなおも譲らなかった。
「それでも問題ない。冒険者には誰にでも自分だけの小さな秘密がある。皇家冒険団には帝国から特別な裁量も認められている。そんなことは気にし――」
「彼は、迷宮城の異変について嘘をつきました」
「――ない。だから……今、何て言った!?」
ディアドラは足を止めた。
輝く金色の瞳は真っ直ぐで、その顔も真剣だった。
「迷宮城の異変について、嘘をつきました。あの美しい青い光についても」
些細な事柄や小さな品物でしかないなら、蒼藍帝国も気にはしない。
冒険者にも利益があったほうが、仕事に力を尽くしてくれるからだ。
だが、先にこの迷宮城で起きた驚くべき異変は、シロ大陸においてここ百年近くで唯一観測された、激しい天象変化を引き起こしている。
ほかの三大国からは何度も問い合わせが届き、長年閉ざされてきた竜と飛鳴の地でさえ慌てて人を派遣してきた。魔法師たちが集まる循律の塔も、調査への参加を求めて何度も書状を送っている。
これほどの騒ぎを、簡単に見過ごせるはずがなかった。
完璧な笑みを消し、グリフィスは真剣な表情になった。
ようやく本気で考え始め、やがて顔を上げると、申し訳なさそうに言う。
「ディアドラさん、すまない。作戦部まで一緒に来てもらうことになりそうだ」
ディアドラは頷いた。
すると清麗な光騎士は彼を待とうともせず、身軽に身体を翻し、そのまま作戦部の方向へ歩き始めた。
グリフィスも後を追う。
突然舞い込んだ思わぬ事態に、彼は密かに興奮していた。そして光騎士を無理に連れてきた自分の機転を、内心で褒めてもいた。
公務を口実にした私的な観察が、思わぬ大きな功績につながるかもしれない。
二人が作戦部へ到着し、通報を経て会議センターへ入ると、ちょうど迷宮城第二層の攻略と鎌蜘蛛への対応について話し合っている最中だった。
重要人物は全員揃っている。
副団長ドゥノ、帝国監察使ディア、臨時顧問の老バダ。それに各組の組長たちもいた。
緊急の報告を求めてきたグリフィスへ、全員の視線が集まる。
彼らが揃って将来を期待している後輩から事情を聞き、公正無私な光騎士も傍らで証言すると、皆の表情は次第に沈んだ。
事態が単純ではないことに気づき始めたのだ。
「老バダ、お前はあいつと隊を組んでいた。それに、最初にあいつを見つけたのもお前だ。どう思う?」
ドゥノが有名な冒険者へ問いかけた。
老バダはすぐには答えなかった。
しばらくしてディアドラを一度見たあと、皆へ視線を戻す。
「俺の印象では、ヴィンセントは寡黙で信頼できる隊員だった。仕事を任せても安心できる」
「だが、それだけだ。そこそこ腕の立つ二流冒険者に過ぎん。蒼藍帝国の言い方なら、せいぜい精鋭戦士という程度だろう。あいつが生きているのを見たときは、正直かなり驚いた。一人だけで生き残れるとは思えなかったからな……」
「つまり、本当に何か問題があると? 迷宮城の異変とあいつに関係があるのか?」
ドゥノが話をまとめ、そのまま核心へ踏み込んだ。
老バダはもう一度、扉の近くに立つ光騎士へ目を向けた。
それから慎重に首を振る。
「必ず問題があるとは言えん。俺たちも迷宮城の中で何が起きたのか分かっていないからな。ただ一つ言えるのは、あいつは異変の原因について、多少なりとも何か知っているはずだ」
「なら……どうすれば、知っていることを『自分から』話してもらえる?」
やや甲高い男の声が響いた。
これまで会議で自ら口を開いたことのなかった帝国監察使ディアが、突然そう尋ねた。
その問いには、少々扱いに困るところがあった。
蒼藍帝国と、世界各地から集まってきた冒険者たちは、結局のところ立場が違う。
強硬な手段を取って処理を誤れば、攻略が滞ることなどまだ小さな問題だった。
本当に困るのは、帝国の評判が傷つくことだ。
そうなれば今後、各地の攻略や任務のために冒険者を募集する際、大きな支障になる。遊騎兵ギルドに対しても説明がつかない。
何しろ遊騎兵ギルドの後ろ盾は人亜連合だ。
あの遊牧の野蛮な連中は、帝国の利益がどうなどという事情を気にしてはくれない。
さらに、かつて「血染めの薔薇事件」が起き、ようやく繁生会という毒瘤を取り除くことができて以降、四大国はずっと評判の維持に細心の注意を払ってきた。
あの女の狂人どもの組織に何か誤解され、また押しかけて騒ぎを起こされることも恐れている。
何年も前、彼女たちは数多くの種族と勢力をまとめ上げ、竜族を斬り殺し、竜と飛鳴の地を鎖国にまで追い込んだのだから。
そこまで考えると、会議にいる者たちは沈黙するしかなかった。
その沈黙の中。
内心で密かに興奮していたグリフィスが、再び完璧な笑みを浮かべた。
そして一つの提案を口にした。




