100.黒烏傭兵団
夜。
闇神の冷ややかな光が白銀のように地上へ降り注ぎ、壊死の大地の荒野を満たしていた。
周囲からは時折、遠い獣の咆哮や怪しげな鳴き声が聞こえ、さらに遠方の密林からは奇妙な虫の声も響いてくる。
広く暗い大地に一人佇み、冷たい風に吹かれていても、ディアドラは不安も心細さも感じていなかった。
今ではむしろ、この闇が静けさと安らぎを与えてくれる。
迷宮城を離れ、ようやく少し気を緩めることができた彼女は、その穏やかな気持ちに浸っていた。
だが、それも遠方から聞こえてきた騒がしい声によって破られる。
数十人ほどの小規模な傭兵団だった。
野外でかなりの収穫を得たらしく、一行は先頭を歩く大柄な男を囲みながら、興奮した様子で自分たちの手柄を次々と語り合っている。そのため声は遠くまで響き、ディアドラの耳にも届いていた。
「ゼリス兄貴、見てください。あそこに誰かいます」
普段から偵察を担当している、目のいい団員の一人が声を上げた。
傭兵団の面々はそれを聞くと、すぐさま浮かれていた気分を引き締め、警戒態勢へ移る。
荒野では何が起きてもおかしくない。
異常なことほど慎重になる必要があり、こんな時間に、こんな場所で一人きりでいる者など、どう考えても普通ではなかった。
相手は旅人用の外套ですっぽりと全身を覆っており、遠目には顔も分からない。
ゼリスと団員たちは、即座に日頃の連携を見せた。ほかの者たちは後方で警戒を保ち、剣に手をかけ、腕に盾を構え、弓に矢をつがえ、槍を強く握る。
何十もの鋭い視線が相手へ注がれる中、ゼリスだけがゆっくりと少し前へ出て、大声で呼びかけた。
「そこの人! こんな夜にまだ希望町へ戻らないのか? 何か困ってるなら手を貸そうか!」
一人佇む人影はしばらく沈黙したあと、わずかに首を横へ振った。
ゼリスは振り返り、後ろの団員たちと何度か視線を交わす。言葉を交わさずとも、互いの意図は伝わっていた。
こうした突発的な状況は、傭兵団にとって最も避けたいものの一つだ。
それでも善意から、ゼリスは距離を保ったまま、もう一度声をかけた。
「俺はゼリス。黒烏傭兵団の団長だ。助けが必要なら一声かけてくれ。何もないなら、俺たちは先に行く」
大声で名と所属を告げたものの、荒野に立つ外套姿の怪人からは、やはり何の返事もなかった。
ゼリスも団員たちを危険にさらすつもりはない。しばらく待ったあと、密かに後ろへいくつか手振りで合図を送り、一行は静かに希望町へ向かって離れ始めた。
最近は妙なことばかり起きる。
歩きながら、ゼリスは思わずそんなことを考えていた。
昨年、彼は蒼藍帝国の辺鄙な村で依頼を受け、一人の従男爵夫人を希望町まで護衛した。
任務そのものは無事に終わり、この辺りで少し小遣いを稼ぎながら、バランドへ戻る者が現れた時に護衛依頼を受け、そのまま帰ろうと考えていた。
ところが、その翌日。
黒烏傭兵団は全員、蒼藍帝国の殲滅騎士団によって強引に拘束され、あの村と従男爵夫人について何度も問い詰められた。
その物々しさに、彼らのような小さな傭兵団でさえ、すぐにまずいことになったと気づいた。
自分たちが、とんでもない厄介事に巻き込まれたのだと。
拘束は一か月にも及んだ。
同じことを繰り返し尋ねられ続け、全員が心身ともに疲れ果てた。
中でも一人の痩せた監察使は特に厳しく、黒烏が何か大事件の共犯ではないかとまで疑ってきたため、彼らは必死になって潔白を訴えるしかなかった。
最終的には遊騎兵ギルドの強い仲介によって、黒烏の面々はようやく無罪として解放された。蒼藍帝国からも相応の補償は受けたが、あんな経験は二度としたくない。
それが全員の共通認識だった。
解放されたあと、様変わりした希望町が目覚ましい勢いで発展しているのを見て、黒烏の面々は相談の末、もう少し危険を承知でこの地に残り、金貨を稼ぐことにした。
帝都バランド周辺へ戻ったところで、依頼は少なく、報酬も大したことはない。それ以上に、彼らは帝国の貴族や商人とあまり関わりたくなくなっていた。
そうして最近まで過ごしていたのだが、鋼鉄の玉座の四隻の飛空艇が到着し、遠方から大量の冒険者が希望町へ押し寄せるようになると、霧影の淵から漏れ伝わった噂も一緒に広まり始めた。
その内容に黒烏の面々は震え上がるほど驚き、同時に、何があっても口を閉ざしておこうと強く心に決めた。
彼らは本当に、もう二度とどこかの勢力から「お招き」を受けたくなかった。
そのため今では、黒烏傭兵団の行動は以前にも増して慎重になっている。
厄介事には可能な限り近づかず、受ける依頼も、自分たちだけで完遂できるものを優先する。
見知らぬ傭兵団や冒険者との接触も、できるだけ減らしていた。
数十人全員が同じ気持ちを抱きながら、慎重に外套姿の怪人から離れていく。
ところが、互いの距離が開き始め、黒烏の面々がひそかに安堵した、その時だった。前方でまた異変が起きる。
夜のため見通しの悪い先から、規則正しく車輪の転がる音が聞こえてきた。一台の獣車が、突然闇の中から姿を現す。
進んでいる方向を見る限り、先ほどの外套姿の怪人がいる場所へ向かっているようだった。
それを見たゼリスは、すぐに手を振って団員たちへ道を空けるよう示した。
獣車の御者台に座っていたのもまた、外套で体格から顔まで完全に隠した怪人だった。
しかし、この怪人は黒烏が道を譲ったのを見ると、意外にも礼儀正しくゼリスへ軽くうなずいてみせた。
ゼリスも引きつった笑みを浮かべながら、手を振って応えるしかない。
双方は何事もなくすれ違った。
獣車はすぐに、一人で待っていた怪人のもとへ到着する。
同時に、かすかな会話が遠く離れたゼリスの耳にも届いた。
「逃げる機会はあった。行かなかったのか?」
「行かない。待つと言った」
会話はひどく短い。
どうやら、どちらも話好きな人間ではないらしい。
とはいえ、それ自体は珍しくもなかった。冒険者には、さまざまな変わり者がいる。
ただ――
ゼリスにはなぜか、二人の声に聞き覚えがあるような気がした。
すでにかなり距離は離れていたが、声を耳にした瞬間、彼は反射的に振り返る。ちょうど、一人で待っていた怪人が軽やかに獣車へ飛び乗ったところだった。
その拍子に外套がわずかに揺れ、隙間から長い銀白色の髪が一筋だけ流れ落ちる。
ゼリスは雷に打たれたように、その場で固まった。
あの珍しい銀白色の髪が何を意味するのか、まだ思い出せない。それでも冒険者としての直感が狂ったように警鐘を鳴らしていた。
自分は今、とんでもないものを目にしたのではないか。
「ゼリス兄貴……ゼリス兄貴? ゼリス兄貴!」
団員たちに何度も呼びかけられ、ゼリスはようやく我に返った。
その時になって初めて、全身が冷や汗でびっしょり濡れていることに気づく。
「ゼリス兄貴、どうしたんです? 二人とももう行っちゃいましたし、別に何もなかったですよね?」
獣車が遠ざかり、闇の中へ消えていくのを見ながら、若いヴィノが不安そうに尋ねた。
「な……何でもない。俺にも分からない。ただ、ものすごく嫌な予感がする……」
夜に現れた二人の怪人。
考えれば考えるほど、ゼリスは妙な違和感を覚えた。
彼は自分の直感を信じている。
その鋭さに、黒烏傭兵団はこれまで何度も救われてきた。それこそが彼が団長を務めていられる理由の一つでもある。
ただ今は、あの二つの聞き覚えのある声が、以前どこで会った誰のものだったのか、どうしても思い出せなかった。
数十人の団員は互いに顔を見合わせた。
やがて、ゼリスと同じくらいの年齢の女性が口を開く。
「ゼリス。やっぱり早めに希望町を離れた方がいいんじゃない? こういう新興の辺境は、機会が多い分だけ危険も多い。黒烏みたいな小さな傭兵団には向いてないよ」
「ああ、一理ある。今日戻ったら、すぐバランド行きの依頼を探そう。見つからなくても構わない。輪と足跡商会の定期隊商も、そろそろ出発する頃だ。傭兵団なら同行料も交渉できる。安全が一番だ」
「そうそう、ゼリス兄貴の言う通りだ」
「早くバランドへ帰ろう」
「飛空艇が来てから、なんか空気も変わったよな」
「死亡峡谷も、もうすぐ攻略が再開されるらしいけど……あの奥方、どうも相当危ないみたいだ。皇家冒険団の精鋭が数千人も全滅したっていうし、俺たちはさっさと離れた方がいい」
一同は口々に話しながら希望町へ戻っていく。
この町は彼らにとって、希望などではなかった。
むしろ悪夢のような場所だった。
今の黒烏傭兵団にあるのは、ただ一刻も早く故郷へ戻りたいという気持ちだけだった。
翌朝早く。
光神が昇り始める頃。
ゼリスは新しく設けられた遊騎兵ギルドの支部で、バランドへ戻る依頼を探したものの、条件に合うものは見つからなかった。だが落胆することなく、すぐに輪と足跡商会へ向かい、隊商に同行する話をまとめる。
商会側はもともと護衛団を雇っており、黒烏のような小規模傭兵団の護衛を必要としていなかったため、一般の商人が隊商に同行する際の料金の半額は支払わなければならなかった。
とはいえ、前回の任務であの夫人から受け取った報酬はかなり高額だった。そこへ蒼藍帝国からの補償と最近の任務報酬も加わっている。今回の希望町滞在も、黒烏にとっては十分な稼ぎになっていた。
もうすぐバランドへ帰れる。
向こうの依頼は細かくて面倒なものばかりで、冒険とはほど遠い。
それでも、あの雄大で繁栄した帝都が与えてくれる安心感と信頼感を思えば、黒烏の面々は思わず安堵し、嬉しそうな笑みを浮かべた。
だが。
その緩んだ表情は、すぐに凍りついた。
商会の巨大な隊商へ同行する一団の中で、ゼリスと数十人の団員たちは――
昨夜、自分たちを理由も分からぬまま震え上がらせた、あの獣車を見つけてしまった。
光神の下にいる今でさえ、二人の外套姿の怪人は全身を隠し、顔も分からない。行動そのものは特に異常ではないのに、それでも妙に目を引いた。
「ゼ、ゼリス兄貴……どうする? あいつらもいる……」
団員たちは皆、ゼリスを信頼している。
彼の危機察知能力は、この小さな傭兵団を何度も危機から救ってきた。昨夜、団長があれほど強く危険を感じたのなら、あの二人には必ず何かある。
二人の怪人も、黒烏の面々から向けられる特別な視線に気づいたらしい。そろってこちらを振り返った。
双方の視線が交わった瞬間。
ゼリスは、自分が獰猛な猛獣に目をつけられたような強烈な危機感に襲われた。表情を引きつらせたまま、乾いた笑いを浮かべて手を上げ、挨拶する。
だが近くにいた団員たちは見逃さなかった。
団長の手が震えている。
すでに二人の外套姿の怪人には黒烏傭兵団の存在を気づかれてしまった。ここで突然、隊商から抜ければ、かえって不自然だ。相手に疑念を抱かせれば、さらに面倒なことになる。
「だめだ。もう逃げられない」
「でも、商会の隊商はこれだけ大きいんだ。向こうだって妙なことはできないだろう。普通に同行していれば……きっと何も起きない……」
団員たちへ振り返り、ゼリスは引きつった顔にどうにか笑みを作った。仲間を安心させるため。
そして何より、自分自身を安心させるために、そう言い聞かせた。




