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99.出発

 光神と闇神が交互に姿を現し、光と闇の色彩が巡るように移ろう中、日々は過ぎていった。


 死亡峡谷の外では、再びいくつもの新たな前線拠点が設けられていた。それぞれ距離を置きながら互いを見張れるよう配置され、守衛の暴走が再び起きた場合に備えている。


 その後も次々と傭兵団が探索へ加わったが、絶え間なく変化し続ける罠と戦術を前に、古代宮殿の外には大量の死体と血、残骸が残されるばかりだった。


 攻防は今なお、何の決着もつかないまま続いている。


 地下深くにある美しく静謐な空間で、ヴィンセントは世界の心から意識を引き戻した。感知領域による感知を終え、今日侵入してきた傭兵団がすでに撤退したことを確認すると、振り返って尋ねる。


「俺は残らなくていいのか?」


「ああ」


 エリカの答えに迷いはなかった。


「ボーウェンから連絡が来た。今回、死亡峡谷の探索を担当する飛空艇は一隻だけ残る。ほかは時期が来れば帰還するから、大きな問題にはならない。それより、お前がこれから行う任務の方が重要だ」


「神々の国と同盟を結ぶ?」


「いや、必ずしも同盟である必要はない。神々の国も、悪魔種族と関係を持った証拠など残したくはないはずだ。私が欲しいのは、死亡峡谷だけが持つ独自の連絡経路と――可能性だ」


「可能性?」


「話し合うことさえできれば、どんな問題が起きても、あらゆる可能性が生まれる」


 エリカは真剣な表情のまま説明を続けた。


「死亡峡谷は、将来起こり得る大変革に備えなければならない。オスヴィドが話していた南方の未知の荒野で起きている変化も、クイナが話していた海外の人型異種生命体も、魔王でさえ無視できない大事件だ。私たちは勢力として成立するのが遅すぎた。動きを速める必要がある」


 少し考えたあと、ヴィンセントはうなずいた。


「できるだけ早く任務を終える」


 その約束を聞くと、エリカは微かに笑った。


 前へ歩み寄り、両腕を広げて夫を強く抱きしめる。長い間そうしてから、ようやく身体を離し、小さな声で告げた。


「行ってこい。もう待っている」


 骨と血で形作られた翼を広げ、ヴィンセントは振り返ることなく、二人だけの地下空間から飛び去った。


 山々に挟まれた峡谷。


 その一角にある岩台に、銀色の長髪を持つ女性が一人立っていた。


 エルフの普段着を身につけ、その上から急所を守る簡素な鎧を着け、さらに旅人がよく使う外套を羽織っている。


 両腕を胸の前で組み、孤独に佇みながら、力強い金色の瞳で眼前に広がる壮大な自然を眺めていた。


 久しく浴びていなかった光神の輝きを感じる。


 いつもと変わらず、何者にも分け隔てなく降り注ぎ、身体の隅々まで染み込むような暖かさと心地よさをもたらしているはずなのに、なぜかディアドラには、少し眩しすぎ、熱すぎるように感じられた。


 同時に、光騎士は周囲の変化にも気づいていた。


 山壁のあちこちを大量の鎌蜘蛛が行き来し、珍しいエルフの姿も見える。鎌蜘蛛を乗騎として使い、二人、三人と峡谷の内外を忙しく往来する様子は、外界の秩序ある日常と何ら変わらない。


 違うのは――


 彼らが、多くの知性生命を死へ追いやるために働いているということだけだった。


 短髪のエルフが語った言葉は、今もディアドラの頭から離れていない。


 もともと彼女は、問題や困難、自らの欠点から目を背けるような人間ではなかった。


 言葉による衝撃を受けたあとも、冷静さを取り戻してから何度も考え続け、そこから抜け出す答えを探している。


 ただ、今はまだ決定的な情報が足りない。


 だからディアドラは、エリカの要求の一部をひとまず受け入れた。神々の国へ戻ったあと、自ら大司教たちに問いかけ、このすべてに対する答えを確かめるために。


 その答えが、彼女の未来の選択を決める。


 光の中に留まり、光騎士としての使命を揺るぎなく果たし続けるのか。


 闇へ身を投じ、自らの意志に従う闇騎士となるのか。


 あるいは――ほかにも何か可能性があるのか。


 双子教会は光神と闇神をともに信仰している。


 だが、圧倒的多数の信徒を抱える光神の一派とは異なり、闇神への信仰は光の中に潜む影のようなものだった。


 信徒はごくわずかであり、自らの力で道を進むしかない。


 光と闇の狭間に立つ今、ディアドラにできるのは、自らの心を守り、信念を曲げないことだけだった。


 変わるのは、ただ手段と方法だけ。


 もちろん、この帰路の終着点で、そもそも彼女に選択する機会など残されていない可能性もある。


 そう考え、ディアドラは自嘲するように笑った。


 その時。


 山間を吹き抜ける強風に乗って、覚えのあるエネルギーの波動が伝わってきた。顔を上げると、かつて命を懸けて戦った悪魔の姿が、空からゆっくりと降りてくる。


 足が地面に触れると、ヴィンセントはそのまま背を向け、短く告げた。


「出発する」


 その広い背中を見つめ、ディアドラは整った眉を思わずひそめた。


「あなた……私を背負って、死亡峡谷から飛び出すつもりなのか?」


「そうだ」


 振り返ることもなく、迷いのない返事が返ってくる。


「死亡峡谷には、外へ通じる普通の道は造っていないのか?」


「ある。お前は通せない」


 ヴィンセントの答えは断固としており、隠そうとする様子さえなかった。


 ディアドラは言葉を失った。

 

 だが、自分が死亡峡谷に残り、ヴィンセントの子を宿すという条件をまだ受け入れていない以上、光騎士である自分に死亡峡谷側がすべての機密を明かすはずがないことも理解している。

 

 すでに決意した以上、ディアドラもそれ以上ためらわなかった。前へ歩み寄り、両腕をヴィンセントの首へ回すと、身体をその広い背中へぴたりと預ける。


 背中越しに、妻とは異なる柔らかさと弾力を感じても、ヴィンセントは何も言わなかった。


 骨と血で形作られた翼を広げる。わずかに赤みを帯びたエネルギーの流れが二人を包み込むように巡り、次の瞬間、一筋の光となって凄まじい速度で空を駆け抜けていった。


 空中庭園では、ドロシーが飛び去っていく二人の姿を見つめていた。


 その顔は激しい感情で歪み、両目には真っ赤な血走りが浮かんでいる。時折ぎりぎりと歯を噛み鳴らしながら、低い声で何度も同じ言葉を繰り返した。


「クソ女……あの時、殺しておけばよかった」


 数日前、エリカからすでに警告を受けている。


 勝手に死亡峡谷を離れれば、二度と戻る機会は与えない。ヴィンセントでさえ、もう彼女を受け入れない。


 そのためドロシーには、憎しみに満ちた目で相手が去っていくのを見送ることしかできなかった。胸に溜まった嫉妬と怒りは、行き場のない激しい炎へと変わっていく。


 ドロシーは決めた。


 義兄が戻ってくるまでの間――侵入者たちと、たっぷり「遊ぶ」ことにしよう。


 壊死の大地。


 前線拠点から遠く離れた空。


 この空域には大型の飛行魔獣はいない。いるのは屍喰い鳥の群れなど、中小型の飛行魔獣ばかりだった。


 それでも騒ぎを起こし、死亡峡谷を監視している監視哨に異変を察知されることを避けるため、ヴィンセントは速度を落とした。


 低空飛行へ切り替え、安定した速度で先へ進む。


 その背に身を伏せたまま空を飛びながら、ディアドラは眼下を次々と流れていく美しい景色を眺めていた。違う角度から世界を見ると、何もかもが以前とは違って見える。


 同時に、彼女は自分を背負う魔王のこともじっくり観察していた。


 こうして落ち着いて相手を見るのは、もしかすると初めてかもしれない。


 平凡な顔立ち。


 感情の波が見えない表情。


 灰色の髪には、わずかに白いものが混じっている。


 どこにでもいる、目立たない普通の人間にしか見えない。


 落ち着きがあり、無口で、信頼できそうな印象を他人に与える一方、その目立たなさゆえに重視されることもなく、普段は忘れられ、何か用事がある時にだけ思い出されるような人間だった。


 だが、誰が想像できただろう。


 そんな何の変哲もない男が、今では死亡峡谷の主人になっているなど。


 エリカやドロシーの方が、引き起こす破壊も脅威も遥かに大きい。それでも光騎士が最も警戒しているのは、最初からずっと、この寡黙な魔王だった。


「もうすぐ着く」


 淡々とした声が、考え込んでいたディアドラを現実へ引き戻した。


 前方へ目を向ける。遠くに広がっているのは、もう彼女の記憶にある辺境の野営地ではなかった。いつの間にか巨大な町へと変貌し、まるで見知らぬ場所のようになっている。


「このまま神々の国まで飛んでいくんじゃないのか?」


「……体力とエネルギーが足りない」


 突然の質問に、ヴィンセントは一瞬だけ答えに詰まった。


 悪魔種族に関する情報のほとんどは、古い文献にしか残されていない。


 ディアドラも実際にいくつもの悪魔種族を目にしてきたが、知性時代になってから一度も現れていなかった血族については、ほとんど知らなかった。


 そのため、血族なら際限なく飛び続けられるものだと思い込んでいたのだ。


 だが、これも悪くない。


 また一つ、相手のことを知ることができた。


 二人は、希望町からは確認できないほど離れた場所へゆっくりと降りた。ここはヴィンセントがこれまで何度も外へ出た際に調べておいた、町側の監視が届く限界の外だった。


 ここから先は徒歩で進むことになる。


 道中、会話を得意としない二人は、互いに何も口にせず歩き続けた。無理に会話を続けた結果がどうなるのかは、以前の辺境野営地ですでに経験している。


 だから、どちらからも話そうとはしなかった。


 それぞれ胸の内に別の考えを抱えながら歩いていたため、足取りも速くはない。


 幸い、大量の冒険者が流れ込んだことで、周辺の魔獣や邪悪体はすでに狩り尽くされ、素材や任務報酬へと姿を変えていた。道中、余計な面倒に遭うこともなかった。


 無言のまま進む二人。


 広大な平原には、静かな二つの足跡と背中だけが残されていった。


 そうして闇神が姿を現す頃、ようやく希望町の近くまでたどり着く。

 

 夜の闇の中、前方にすでに築かれている巨大な城壁を見ながら、ヴィンセントは平淡な口調で言った。


「用事がある。ここで待っていてくれ」


「私を一人で残して、逃げたり蒼藍帝国へ知らせたりするとは思わないのか?」


 ディアドラには、ずっと疑問があった。


 今の彼女はすでに身体も完全に回復している。さらに光と闇、双方のエネルギーを同時に操れるようになったことで、実力も大幅に増していた。相手が再び力ずくで制圧しようとしても、成功するとは限らない。


 それなのに、二人の魔王は彼女を心配する様子も、何かで縛ろうとする様子も、一度として見せなかった。


「お前がいなくても、俺は神々の国へ行く」


 エリカの考えも、ヴィンセント自身の意志も、たった一人の存在によって変わるものではなかった。


 ヴィンセントは、妻が侵入者を殺すこと自体には反対していない。皇家冒険団であろうと、光騎士であろうと同じだ。


 ただ、意味のない殺戮を見たくないだけだった。


 あるいは老バダのように、死んだあとまで操られ、自分の望まないことをさせられるようなことを嫌っているだけだ。


 だからエリカが約束を守ることにこだわり、ヴィンセントの子を宿す者にディアドラを選んだ時も、ヴィンセントは反対もしなければ賛成もしなかった。

 

 すべては相手の意志次第だと思っている。


 もし光騎士がここで約束を破り、そのまま立ち去るというのなら、ヴィンセントにとってはむしろ都合がいい。


 答えが、ずっと単純になるからだ。


 ディアドラは、再び黙り込んだ目の前の魔王を見つめた。その静かな表情を見ていると、不思議と自分の心まで落ち着いていく。


 そして彼女自身もまた、一つの答えを探していた。


 旅人用の外套のフードをかぶり、夜の中では目立ちすぎる銀色の長髪を隠す。


 そしてディアドラも、同じように平淡な口調で告げた。


「待っている」

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