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托卵されたと思ったら生まれてきた赤ん坊がロボだったので、逃げた嫁の代わりに育てます  作者: グミ食べたい


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14/24

第14話 二人分の夕飯

 翌日、熱はどうにか引いたが、体はまだ重かった。

 一日休んだだけで、職場の机には決裁待ちの書類が山になっている。体調は気遣ってもらえても、家に残してきた子供のことを聞く者は、誰もいなかった。

 それをなんとか片づけ、帰りにスーパーへ寄った。

 昨日、倒れて買い物に行けなかったせいで、冷蔵庫は空に近い。何か買って帰らないと、自分の飯にありつけない。

 精肉コーナーで、牛の細切れに半額のシールが貼られているのが目に留まった。その隣では、じゃがいもと玉ねぎも値引きになっている。

 献立があったわけではない。ただ安い。下戸で煙草もギャンブルもやらない男が、数少ない心を動かされるものの一つが、この赤いシールだった。気づけば、かごに放り込んでいた。

 何を作るかは、家に帰ってから考えればいい。


 家に帰り着き、買い物の入ったビニール袋を一旦台所に置く。ベビーベッドを覗くと、心結が青い光をまんまるにした。


「ぱぱ」


 小さな手が、にぎにぎと動く。ただいま、と返して一つ息をついた。

 その時だった。インターホンが鳴った。

 こんな時間に来客の心当たりはない。宅配の予定もなかった。

 訝しみながらドアを開けると、紙袋を提げたはるちゃんが立っていた。


「これ、この前借りたやつ」


 受け取って紙袋の中を覗くと、きれいにたたまれたセーターが入っていた。我が家のものとは違う柔軟剤が、ほのかに鼻をくすぐる。

 それで用は済んだとばかりに、はるちゃんは、じゃあ、と背を向けかけた。

 その背に、声をかける。


「……よかったら、上がっていかないか。昨日の礼も、まだ言えていないし」

「いいよ、そんなの。返しに来ただけだから」

「そう言わずに。何か、食べていってくれ」


 はるちゃんは少し迷う様子だったが、やがて言い訳するように呟いた。


「……ま、どうせ今日は外で食べてくるって、家には言って出てきたから、お言葉に甘えるとしますか」


 どうやら昨日の礼をさせてもらえそうで安堵する。

 はるちゃんを家の中に招き入れ、俺は台所に立った。

 これまで、ここは自分の腹を満たすためだけの場所だった。エネルギーを補給するための作業。妻がいなくなってから、誰かに食べさせるために台所に立つのは、これが初めてだった。

 買ってきた肉と野菜を出し、卵くらいはあったかと冷蔵庫を開ける。中は、やはりがらんとしていた。


 ――昨日も、この冷蔵庫はこんな具合だった。

 なのに、はるちゃんはあり合わせで、あの熱っぽい体に染みるおじやを作ってくれた。溶き卵と、刻んだ何かの入った、湯気の立つ丼。うまかった、とその一言をまだ言えずにいた。

 ……いまさら言うのも気恥ずかしい。


 ――さて、この材料で何が作れるのか。

 スマホに、「肉 じゃがいも」と打ち込んで検索する。

 「肉じゃが」と出てきた。それにしよう。

 レシピの分量を、大さじ小さじきっちり量る。目分量というものが、どうにも信用できない。


「几帳面だね、相変わらず」


 リビングに座っているはるちゃんが笑う気配がした。

 部屋の隅のベビーベッドから「ぱぱ」と声がする。そういえば、帰ってからの灯油がまだだった。


「すまんな、心結。パパは今、手が離せないんだ。あとでたっぷり灯油を飲ませてやるからな」


 言葉が伝わらないのはわかっている。わかっていて、それでも声をかけていた。

 鍋から手を離せずにいると、背中のほうで、はるちゃんが立ち上がる音がした。


「じゃあ、私があげるよ」


 一旦火を消して後ろに目を向けると、はるちゃんはポリタンクのほうへ歩いていく。

 昨日、心結に灯油を飲ませてくれたのは、ほかでもないはるちゃんだった。

 彼女は、危なげなく哺乳瓶に灯油を移し、心結の口へ運ぶ。心結はこくこくと喉を鳴らし、満足げにウサ耳を垂らした。


「ぴゅい♪」


 金属の赤ん坊に灯油を飲ませるその姿を、手を止めたまま見ていた。怯えも、気味悪がるそぶりもない。

 安心して、再び火をつけ、包丁を持つ手を動かす。

 そうしているうちに、なぜだか口が動いていた。

 妻に托卵されたこと。生まれてきたのが、ロボの子だったこと。そして妻が、その子を置いて出ていったこと。順を追って、ぽつぽつと話した。

 人に話すようなことではないと思っていた。だが、相手が今の俺ではなく、昔の俺を知っている人間だったからかもしれない。気が緩むのと一緒に、口も緩んだらしい。

 包丁の音も鍋の音も止めずに話したから、はるちゃんの顔は見ずに済んだのは幸いだ。面と向かっては、とても話せなかっただろう。

 はるちゃんは黙って聞いていたが、やがて口を開いた。


「……そんなことまで、あったんだ。……でも、ま、ななさんらしいよ」


 あっさりしたものだった。その、あっさりさが、少しありがたかった。


 できあがった肉じゃがを、二人分食卓に並べた。

 心結の夕飯は、もう済んでいる。灯油で。

 はるちゃんと向かい合って箸をつける。……つけて、すぐに後悔した。

 味が、ぼんやりしている。というより、はっきり言っておいしくはない。分量はきっちり量ったはずなのに、どうしてこうなるのか、まるでわからない。几帳面に調べて、几帳面に作って、この始末だ。


「……ごめん。あんまり、作ったことがなくて。まずいだろう」

「そんなことないよ」


 はるちゃんは、もう一口食べてから言った。


「一生懸命作ったんだな、ってわかる味。……ねえ、ななさんって、いつもどんなもの食べてるの」

「いつも、って……疲れてる日は、カップ麺とかスーパーの弁当で済ませたり。それじゃ駄目だと思って、家にあるもので、自炊もどきくらいはするが」

「栄養バランスとか、考えてる?」

「……いや。そこまでは気が回らない」

「だよね。そんなだから倒れるんだよ」


 返す言葉もなかった。


「たまには、私が作ろうか?」

「いや、それははるちゃんに悪い」

「悪くないよ。……それに」


 はるちゃんは、部屋の隅のベビーベッドに目をやった。


「また同じことになったら、心結ちゃんはどうするの?」


 心結のことを言われて、言葉に詰まった。

 俺が倒れれば、この子が詰む。それだけは、避けなければならない。反論の余地は、どこにもなかった。


「……お願いします」


 情けないことに、断る理屈が一つも見つからなかった。

 ベビーベッドの中で、心結が呑気に「ぱぱ」と言った。お前は気楽でいいな。


 しばらく、箸を動かす音だけが続いた。

 ふと、はるちゃんが箸を止めた。


「奥さんのこと……探したりはしないの」

「娘を置いて行った母親を、探そうとは思わない」


 考えるより先に、言葉のほうが出ていた。

 不倫のことは、もういい。今さらだ。俺も、夫として満点だったとは思わない。

 だが、あの子を置いていった――それだけは、どうしても飲み込めなかった。

 ベビーベッドのほうで、心結が「ぱぱ」と言う。……いや、深読みが過ぎる。あの子はただ、鳴いているだけだ。


 はるちゃんは、しばらく黙っていた。それから、こちらを見ずにぽつりと言った。


「……私もね、離婚したんだ」


 はるちゃんは、俺の返事も待たずに続けた。


「子供はいらないねって、二人で決めて結婚したの。私も、そういうのは向いてないと思ってたし。……なのに、あっちが急に、やっぱり子供が欲しいって言い出してさ」


 箸の先で、料理を意味もなくつつく。


「で、若い子のところに行っちゃった。子供を産める子のところに。……笑っちゃうでしょ。いらないって言ってたのは、向こうなのにね」


 笑っちゃうでしょ、と言いながら、はるちゃんは笑っていなかった。

 気の利いた言葉なんて、俺の持ち合わせにはない。何と言えばいいのか、わからなかった。

 髪に手をやったはるちゃんの指先が、短い毛先で行き場をなくして、宙で止まった。

 俺は、何も聞かなかった。


「……そっか」


 言ってから気づいた。それは昨日、はるちゃんがこの家で言ったのと同じ言葉だった。

 はるちゃんもそれに気づいたらしい。ひくひくと、しゃっくりみたいに笑った。今度は、本当に。

 それきり、重い話はなかった。


 飯を食い終えると、はるちゃんは「ごちそうさまでした」と手を合わせ、ゆっくりと腰を上げた。

 皿はきれいに空になっていた。まずかっただろうに、はるちゃんは残さず食べていた。


「……残してくれても、よかったのに」

「ななさんの味、嫌いじゃないよ。でも、今度は私が作る番だね」


 その言葉で、昨日のおじやの味が、ふいに口の中に蘇った。うまかった、と――昨日から、まだ言えずにいる。


 玄関まで送ると、外はもうすっかり暗くなっていた。


「……昨日の、うまかった」

「なに、いまさら」


 はるちゃんは、ひらりと手を振って帰っていった。


 家に戻り、流しに二人分の皿を運ぶ。

 自分以外の誰かの使った皿を洗うのは、思えばずいぶん久しぶりのことだった。腹を満たすためだけだった台所に、今日は別の意味があった気がする。


 ベビーベッドの中で、心結はもう眠そうにしていた。青い光を、とろとろと細くしている。

 皿を洗う手を止めて、その寝顔を――寝顔と言っていいのかはわからないが――しばらく眺めた。


 明日からも、いつもの日々が続く。

 托卵されて、ロボの子を押しつけられて、妻に逃げられた男の、しがない日々が。

 だが、まあ。

 そう悪いものでも、ないのかもしれない。


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