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1-10.差し迫るもの

 「現在の時刻は、21時43分でございます。」

 彼女の声が、薄暗い天井に静かに響いた。

 俺はベッドに腰を落とし、頭を抱えたまま、ただ目の前の絶望を見つめている。

 この場所に来てから、既に5時間が経っていた。


 「……。ブロディア、戦績。」

 「はい、こちらを。」

 デスストーカーさんと別れた後も、俺は試合に参加し続けた。幾人ものプレイヤーと短い言葉を交わし、そして倒してきた。

 薄いホログラムに映し出された戦績は、どれも黄金に輝いている。

 倒した敵の数や、命中率のグラフもパソコンで遊んでいた時とほぼ同じ最高精度を取り戻しつつあった。

 試合を重ねるごとに、肉弾戦も狙撃も体に馴染んでいったのが分かる。固く握る拳は、歴戦を耐え抜いた厚くかたい拳だと実感した。

 返り血に濡れる衣服や熱を帯びる武器は、もはや画面越しのものと言える代物じゃない。確かな実体だ。

 そして、痛覚もある。弾丸がかすればその傷は痛み、高所から落下すれば足が悲鳴をあげた。流血もした。

 しかし どんな傷を受けても、この部屋に戻れば綺麗に元通りになる。ゲームと同じ…「設定」だった。

 この5時間で得た知識は、ますます俺を絶望の淵に追い込んだ。

 「もういいよ、もう消して。」

 「かしこまりました。」

 陽の光が差し込んでいた部屋はすっかり暗くなり、窓の外の遠いネオンが薄明かりを放っているだけとなった。

 綺麗に整えられたシーツには、さっきの試合から帰ってきて無造作に投げてしまったガスマスクが転がっている。

 それを手に取って、再び俺は装着した。

 深いため息がマスクの中で反響する。

 22時……。

 まもなく、チームメンバーと会う時間だ。

 「ブロディア、チームの会所に案内してくれ。」

 「はい。」

 立ち上がれば、ベッドの軋む音に、服の擦れる音がする。玄関の扉を開けて待ってくれているブロディアのもとへ歩く。

 廊下に出ると、もう見慣れてしまった…どこまでも続くコンクリートジャングルのネオンシティ。

 暗い道をまっすぐ、彼女の背中を追って進む。

 ゆっくりと歩を進める中で、この5時間を振り返った。

 得たものはある。

 この世界は、ゲームFOR:WINSが完全に等身大になった空間————今の俺にとっては、現実と寸分違わぬ空間であるということ。

 あらゆる武器も体術も、コントローラーを操作するようになぜか自然と扱えること。

 しかしプレイスキルは俺個人に依るので、得意な戦術では無双できる一方、苦手な武器ではまともに戦えない…こういう体感はパソコンでやっていた時と全く同じだということ。

 その他、ゲームシステム、経験値や資金などは全て凶蚊としての俺のデータが反映されていたということ。

 そして

 全くこの夢から目覚める気配がない、ということ。


 絶望が目の前に差し迫っている。

 廊下を歩く俺の背中は、いつにもまして小さく、深い影を落としていた。

 この世界での時間が現実と同じなら、とっくにバイトも終わって帰宅している時間だ。その不安は既に数時間前に諦めている。

 ただ、おそらく携帯には何件かの着信と怒りのメッセージが届いているだろうとは思う。

 もし突然今起きたとしても、どうすることもできないが。

 しかしこのままずっとこの世界から出られないとすると、どうなる。バイトは。学校は。……家族は。

 ずっと、どこか遠い自分を見ているような気分だった。

 あまりにおかしなことすぎて、まだ受け入れられない。まだ他人事のような気分でもある。夢にまで見た ゲームの世界での生活、と喜べたのも数時間前の話だ。今はどうすればここから出られるかという焦りが俺を

 「————様、凶蚊様。」

 「…んっ。な、なんだ。」

 ブロディアに肩を揺すられ はっとして前を向くと、また少し雰囲気の違ったビル群がもう目の前に建ち並んでいる。その一つの入口に、ブロディアと俺は到着したようだった。

 「あ、着いたのか。」

 「凶蚊様。」

 俺がドギマギしていると、彼女はまた不安そうにこちらを見てくる。輸血パックの中の血がいつもより赤黒い。俺がキャラクリをしたとはいえ、まだブロディアの姿をまじまじと見ることができないでいた。

 「やはり…。やっぱり、不安でございます。この数時間、凶蚊様はおかしな挙動を繰り返しておられます。いつもならそのように動揺したり、俯いて歩いたりなさるお方ではないではありませんか!」

 しかしそう訴えかける彼女の姿勢はまさに生きた人のようだった。

 柔らかな手の感触も、感情や声のメリハリも、NPCのそれとは違う。だから余計に俺を焦らせる。

 この世界は可怪しくとも現実なのだと、突きつけてくる。

 「おま…、ブロディア……。し、心配させて悪い、悪かった。」

 「謝ってほしいわけでは…っ。何かお困りごとなら、私に話してほしいのです。」

 「困ってない、大丈夫だって。」

 「試合から帰るたびに頭を抱えてうずくまっているではないですか!」

 「関係ないよ」

 「なぜ、凶蚊様、私は凶蚊様が———!」

 ずいと迫ってくる顔に、俺は、

 俺は正直耐えられなかった。

 グラグラとプラスチックのパックの中で血液が波打っている。俺は申し訳なさと動揺と焦燥感とで、つい彼女の手を強く払ってしまった。

 「あっ…」

 その反動でついブロディアはよろけてしまう。一瞬の空白の後、払いのけられた手をもう片方の手で押さえながら、俺を見上げてくる。

 「ごめんっ……。」

 「…いえ。申し訳ありません。出過ぎた真似を。」

 彼女は冷静だった。一歩引いて、乱れたメイド服のエプロンをただす。長い沈黙が流れた。

 「……。あの、じゃあ、また。」

 「いってらっしゃいませ。」

 俺が建物の中に入っても、その扉の窓から見える内は、ブロディアが深々と頭を下げたままでいた。

 廊下を進むと、無機質な壁に革靴の音がやけに響く。進むほど、色々な気持ちが沸き上がってきた。

 (なんで…NPCにこんな気ぃ使わなきゃならないんだよ。ブロディアは…、ただのサポート用のプログラム…だし。ゲーム中の会話は全部定型文だったじゃないか。)

 人じゃない。見た目も、システム的にも人ではないはず。なのに、なぜこうも良心の呵責に耐えかねるのか。

 「なんなんだよ…全部。こんな場所に来たのも全部。くそ、俺…。なんで————……あ」

 虚しい独り言は、大きな扉の存在に突如かき消された。

 「って、ここ……。」

 気づけば、見慣れた重厚な扉の前に立っているではないか。

 『プレイヤー 凶蚊、入室を許可します。』

 そう無機質なアナウンスが流れたかと思うと、黒光りする鉄の扉がガチャンと音を立てて突然開く。

 恐る恐る入室すると、視界の上部に「凶蚊 が入室しました」の文字が浮かび上がった。それと同時に目に飛び込んでくるのは、またも見たことのある部屋————。

 俺の所属するReticle Dominators、そのチーム部屋であった。

 大きく描かれた照準の中に、王冠のマーク。シンプルながら粋なデザインの立派な旗が壁に飾られ、部屋の中央には大きなソファと机…そして、部屋一面に並べられる武器の数々。

 もう驚きはしない。またここも、俺にとっては完全に現実の空間だった。

 「……これ…。」

 『第六回日本大会チャンピオン チームReticle Dominators』

 そう刻まれた黄金のトロフィーが、部屋に追加されているのに気づく。

 手に取ると、「監獄からの贈り物———素晴らしい実力だ。今後の活躍も期待している。」という文言が出てきた。

 つい昨日、俺たちチームが公式大会で優勝した。その特典の一つとして、このトロフィーが運営から贈られたのだろう。

 実物のトロフィーは、会場でチーム5人全員に各々渡されたが、ゲーム内でも貰えると聞いていた。それがこれか。

 今はこっちのトロフィーの方が()()だけどな。

 何を見ても、そうやって夢か現実かの判断を突きつけられる。ますます、この世界から出られなかったらという言葉が頭の中で繰り返し響いた。

 「やっぱり……、この世界は本物かも…しれない。」

 だって、あまりにも時間が現実と同じように流れている。

 これが物語なら、もっとサクサク進むだろ。夢ならとっくに覚める方法が見つかってる。転生ならとっくに順応して新しい展開が始まってる。

 いちいち悩んで…テンポも悪いし…悩んでも時間はゆっくり分を刻むだけで……。

 トロフィーを机に置くと、ゴトッとして重たい振動が伝わってきた。

 「この世界が本当にあるとしたら、納得できる。この全ての存在が質量を持ってる感じ……人が、ちゃんと生きてる感じ。」

 絶望が差し迫る。

 もはや他人事にはなれない。向き合わなきゃいけないのではないか。

 「物語じゃなくて…。俺の妄想の中でもなくて………これが、て、……転生—————」

 ガチャン、と再び大きな音が鳴った。


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