第九話 ラケッティア、染色体の組み合わせは同じ。
「石鹸拾えよ」
「はいよ」
「おらあ」
「ぎゃああああ」
何が起きたのか分からないと思うけど、あんまり詳しく言うと規制対象になっちゃうんだよなあ。
よい子のパンダのみんなが悪い子のパンダのみんなになって、刑務所に入ったときのためにアドヴァイスするけど、でかい男がみんなの足元に石鹸を落として拾えと言ってくる。
拾っちゃダメだよ。
ケツ掘られちゃうから。
そうなのだ。
シャワールームはプリズン・レイプの真っ最中。
人間の浅ましい欲望が排水口に渦巻く場所。
それがプリズン・シャワー・ルーム。
まあ、それはともかく歳を取るってのは、なんつうか、こうしなびたもんなんだなあ、と我が息子を見ながらしみじみ思う。
おれの齢で自分の老化を味わえるなんてそうそうないことだが、階段上るのしんどいし、皮膚は灰色がかってる気がするし、それに大切なことだから二度言うが、階段上るのがホントしんどい。
歳を取るというのは体に砂袋をつけることなんだよ。
重いの、体が。
デブになったわけでなく、むしろ痩せてるのに重いの。
あと膝。
膝ってこんなに痛いパーツだったんだ、ってか驚くほど脆い。
しかし、まあ、いいや。
仕切り板のあいだに入り、頭上の栓を引くと、お湯がざあざあ流れる。
正直ぬるすぎるが、まあ夏だからいいか、という感じ。
贅沢は言うまい。
シャンプーハットがないので目を思い切りつむって、髪を洗っていると、年老いて角ばった踵に何かがコツンと当たった。
ちっこい石鹸だ。
見ると、おれのシャワー仕切りの出口を覆うほどの巨漢がにやにやしている。
「石鹸拾えよ」
落とした鉛筆をクラス一の美少女が拾ってくれて、そこからあんなことやこんなことが起きるドタバタラブコメディの始まりだが、じゃあ、なにか? おれはこいつのヒロインなのか?
だが、次の瞬間、左右の仕切りからチョップとハイキックが炸裂して、巨漢は自身が描いたラブコメシナリオとともに倒れた。
そう、左右の仕切りにヨシュアとリサークがいるのだ。
「大丈夫か、叔父御?」
「ああ、大丈夫だよ。ヨシュア。そっちの男はそう大丈夫でもなさそうだが」
「まったく。嫌がる人間を相手に己が欲望を叶えようとするとは。下賤め」
それをお前が言うか。
「どちらの身内かな。この男は? 誰も回収に来ないところを見ると、一匹狼なのかもしれない」
ムショで一匹狼になるのは簡単だ。身長二メートル体重百二十キロあればいい。
おれは石鹸を拾って、そのでべその上に置いてやった。
――†――†――†――
楽しいシャワータイムが終わり、自分の牢屋に戻ろうとすると、またまた面会がやってくる。
一日に二度も面会させてくれるムショなんて、ずいぶん良心的だな。
とくにおれみたいな犯罪組織のトップなんて、面会を通じて、ファミリーに指図する。
実際に指図してるしね。
途中の廊下――左側に菜園、右側に懲罰房――を歩いていると、カサンドラ・バインテミリャに出会った。
手にバンテージのようなものを巻いている。
特別部隊の連中にやられたのが納得いかないらしく、倍返しを企んでいるようだ。
特別部隊はカンパニーの精鋭でおそらくベラスケスの指示で動いている。
連中の仕事はノヴァ・オルディアーレスの秩序を乱すものへの制裁が仕事だが、カサンドラ・バインテミリャは歩くトラブルみたいなもんだから、これからしょっちゅう特別部隊のお世話になることだろう。
カサンドラが目をつけたのは菜園で囚人たちを見張っている特別部隊の隊員だった。
頭巾の上に赤と黒の布を巻いた帽子をかぶったこの男がカサンドラ・バインテミリャの顔に青あざを残したのだ。
「おい」
後ろからそう呼びかけると、そこは特別部隊、ナイフを抜きながら振り向いた。
カサンドラはファイティングポーズのまま、バックステップでかわし、すかさず距離を詰め、相手の顔に左ストレートを叩き込んだ。すかさず右フックを食らわし、それからは一方的な戦いだった。
スパン! スパン! と軽快な音を立てて、カサンドラのパンチが特別部隊の顔に炸裂し続け、あっという間に顔はボコボコになって歯が二本飛んだ。
とっとと逃げればいいのにと思うが、特別部隊には退却に関する何か病的な掟があるのかもしれないと思い、格が違い過ぎるボクシングを眺めた。
特別部隊はクリンチしてなんとか仕切りなおそうとするが、股間を蹴り上げる。
「ぎゃあ!」
思わず離れたところで黄金の左ストレートがズパン! 目の上の腫れがビシッと切れて、滝みたいに流れ出した血が目をつぶすとカサンドラはチャンスとばかりたたみかけた、ストレートとフックの乱れ打ちで相手の顔はみるみるうちに二倍に腫れ上がり、最後は地面にかするくらいのアッパーでトドメを刺した。
青あざひとつに対する報復としては十分すぎるものであり、これでカサンドラ・バインテミリャのブラックリスト入りは避けられなくなったが、そこは彼女も犯罪組織の領袖を務めたわけあけだから、近くで農作業をしていた囚人を脅すのも忘れない。
「いいか。あんたたちは何も見てない。何もきいてない。だから、何も言わないんだ。わかったか?」
カサンドラやサアベドラを見ると女って怖えなと思う。
マダム・マリア―ヌを見ても女って怖えなと思うが、ベクトルは真逆だ。
――†――†――†――
面会室にはアレンカとヴォンモがいた。
なんだろう? いつも元気で明るい笑顔でミミちゃんを悶絶させ、もちろんおれも悶絶するわけだが、今日のふたりはうつむいてる。
なんだろう。外でなんかヤバいことが起きたか?
とりあえずプライバシー確保の儀――見張りの買収をして、部屋から追い出す。
「どうしたんだ、ふたりとも?」
椅子に座りながらたずねたが、ふたりは顎を引いてうつむき黙っている。
「……」
「なんか、悪いことでもあったのか?」
「……アレンカが悪いのです」
「え?」
「違います。師匠は悪くありません。おれが悪いんです」
こりゃ誰か死んだか?
アレンカは涙ながらに頭をふり、
「アレンカが全部悪いのです! 最初にちょっと食べてみようって言ったのはアレンカなのです!」
「違うんです! おれが悪いんです! おれのおなかがぎゅーって泣いて、そのせいで――」
つまり、整理すると菓子職人ギルドが早速ポッキーとトッポの試作品をつくったので、それをおれに食べさせようと持ってきたのだが――、
「――あまりにもおいしくて途中で全部食べてしまったと」
ふたりはぐすぐす泣いている。大粒の涙が石床にポタポタ落ちて、たぶんこれまでに流された涙の跡を綴るのだろう。
「うっ、うぇ、う。アレンカは悪い子なのです。ポイされてもしょうがないのです」
「師匠は悪くないんです。ポイするなら、おれのことをポイってしてください」
ふたりまとめて思いっきりぎゅっと抱きかかえてあげたら、うえんうえん泣かれました。
「ポイするわけがないでしょうーが! ふたりをポイするくらいなら、おれがポイされます! うおー、誰かおれを拾ってくれえ!」
この子たちとカサンドラが同じ性別だなんて信じられません。
「よーしよし。いまのうちに泣けるだけ泣いときな。こんなとこミミちゃんに見られたらどんな猥褻ないたずらされるか分かったもんじゃないからな」
気のせいかもしれないが、歳をとった体は包容力が三倍増しな気がするのです。




