それでも朝は巡り、新しい陽が昇る
エイプルは鳥のさえずりで目を覚ました。窓から射す光量は、いつも見るよりも強く、寝過ごしてしまったことがわかる。けれど、今日は休日だ。いくら眠っても気にすることはない。
きれいによく晴れた朝だった。眠気の忘却もあって、エイプルは思わず錯覚してしまう。
昨夜、暗い森での出来事が、すべて夢であったような……
「もちろん夢なんかじゃないわ。現実逃避なんて許さなくてよ」
リーネは先に帰したわ、オーガスタは憔悴しきった表情で告げた。メイも気弱に朝のあいさつをしたが、ずっと目を伏せたままだ。両人とも、一睡もできなかったことが見てとれた。
決死の逃走から一夜明けても、少女たちは現実を飲み込めないでいた。
闇と、獣の気配を纏った男、"堕天者"。一撃を垣間見ただけだが、それでも絶望するに十分な攻撃力を持っていた。相手取れば死傷は避けられない。
そんな獣の前に立って、無事に生還できたのは"博士"のおかげだ。先に光源を潰そうと考えたのだろう、"堕天者"は松明がわりのエイプルに攻撃し、博士は彼女を庇って……"砕けた"。
両者ともに、ただの人間ではなかったのだ。
「オーガスタ、ちゃん……メイちゃん。そんな……あれが、現実だったなんて、いやだよ。わわっ! 足、痺れて……」
「動かないで! ごめんなさいね、エイプル。あのとき、最後まで戻ると言って聞かないから、雷撃で気絶させたの」
「仕方のないことだったと、思います……オーガスタさんの判断は正しいです。残っていたら、私たちは、今ごろ……」
「ねえ、博士は? 博士は……どうなったの?」
戸惑いの視線が交わされる。メイは首を振って行動を制したが、真実を知るべきだと、オーガスタは強行した。
撤退し、エイプルを家に寝かせたのち、オーガスタは偵察のため森に戻った。雷の魔法を宿し、閃光の速さで動ける彼女なら、男に見つかっても逃げ切れる可能性が高い。
しかし、彼女はどちらの人影も見つけられなかった。
これだけしか残ってなかったの、と前置いて、鞄から探索の結果を取り出す。
それは見覚えのある白。博士がいつも着ていた、白衣の切れ端であった。
彼は、文字通り"跡形もなくなるまで"戦い、少女たちを守ったのだ。
◇ ◇ ◇
「これから私たち、どうしたらいいんでしょう……」
「どうしようもなにも、やることは変わらないわ。博士がいなくても魔道具はある。これまでと同じように、"獣"からカーレル・シズネ町を守るのよ!」
「だ、だめだよ二人とも!!」
防衛続行にまさかの制止がかかる。発したのは、誰よりもこの町を愛するはずのエイプル。
問い質そうとしたオーガスタだが、ぼろぼろ泣く彼女を見て、言葉は止まった。
「いやだよ……行かないで。メイちゃん、オーガスタちゃん。まだ昨日の"こわい人"が、近くにいるかもしれないんだよ? だから、戦っちゃだめだよ。博士がいなくなって……二人まで、いなくなるって思ったら、私……」
「なによ、甘いこと言ってるんじゃないわよ……! わたくしたちが戦わなかったら、いったい誰がこの町を守るっていうの!? あなた、"魔法少女(略)"としての責任をわかっていて?」
「オーガスタさん! 今はダメです。やめてください……エイプルさんに、こわいこと言わないで……!!」
「だって真実じゃない! わたくしたちが立ち向かわなかったら、もっと大勢の人が"いなくなる"のよ!?」
心折れるなと思ってかけた言葉は、すべて逆の効果を与えた。博士の死だけで強い衝撃を受けたエイプルの心は、それ以上の消失を示唆され、ついに破綻した。
いつも明るく、優しい性格の彼女だが、誰かが"いなくなる"、"もう会えなくなる"ことについて、強い忌避感を持っていた。
それからはもう言葉も出ず、エイプルは泣き続けるのみ。けれど、どんなに嘆こうと現実は変わらない。
博士はもういない。獣は変わらず町を襲う……そう、今もまた。
けたたましい鐘の音に、少女たちは絶望した顔を上げる。獣の襲来を告げる合図。まさに今、最も聞きたくない音色だった。
数秒後、部屋の扉が叩かれる。いつの間にか家にいたらしい、エイプルの父オリバーからの警告だ。
「おいエイプル……と、お友達! 獣襲撃の警報だ。"狼の影"がやってきたらしい! 俺は自警団の任務に就くから、しばらく留守にする。警報が解除されるまで、絶対に家から出るなよ!」
「え……今、"おおかみのかげ"が来たって、言いましたよね?」
「ああもう! あいつよ、"影狼"! なんてしつこい子犬なの……!」
具現化した影を使役する狼、"影狼"。三度目の襲撃である。すぐさま迎撃に行こうとするメイとオーガスタだが、エイプルは二人の服を掴み、離そうとしなかった。
「エイプル……」
その手を振りほどこうとはせず、オーガスタは泣きじゃくる彼女を抱きしめた。顔を寄せ合い、赤茶と明るい小麦色をした髪が混ざる。
「さっきはきびしいことを言ってごめんなさい。でもね、わたくしたちが戦う意味をわかってほしいの。リーネも言っていたでしょう? この町に来れてよかったって……わたくしも同じよ。好きになった場所を、もう無くしたくない。守るためには行くしかないの」
「あのっ……大丈夫です! 私と、オーガスタさんだけで、獣を追い払ってきます。絶対に……絶対に、エイプルさんのところに、戻ってきますから!!」
メイも、おずおずと抱擁の手を伸ばす。二人はエイプルを包み込み、あたたかさと存在を伝える。しばらくそうしたのち……エイプルが抱き返す前に、彼女らは離れた。戦いに行くのだ。
扉の隙間から青色と黄金の光が漏れた。メイとオーガスタ、二人の状態変化の燐光だ。
彼女たちは確かに強い。戦いへの覚悟もある。けれども、一人残されたエイプルは泣き止まない。
「それ……お母さんも同じこと、言ってた……」
友達の出撃する姿を見て、母が獣討伐に出発した日を思い出す。絶対に戻ると言い、彼女は今日まで帰ってこない。軽い気持ちで送り出してしまったことを、エイプルはずっと後悔している。
あのときと異なるのは、彼女は大きく成長し、力を得たということ。
今、走れば追いつけるということ。
家を出て、真っ先に出会ったのは意外な人物。
「……ウェザー!? ちょ、ちょっと何してるの? 獣の襲撃警報が出てるんだよ、なんで外にいるのよ!」
エイプルを振り向き、逆光に琥珀色の目を細める少年、ウェザー。今日はいつもの悪童三人組として活動せず、一人で小包みを持って歩いていた。
親しい少女からの注意に対し、人のこと言えるのかよと、冷静に指摘する。
「なんでもいいの! 出歩いちゃ危ないじゃない……こんなときに、どこに行こうっていうの?」
「博士のところだ」
「なっ……え……ダメよ! だって、博士はもう……」
「なんだ? 出かけているのか?」
さては自警団と合流したか、と予測するウェザーに、エイプルは適当に話を合わせた。現状、博士の死は、少女たち三人しか知り得ない。また、説明できるような内容でもなかった。
「仕方ないな。これ、エイプルねーちゃんにやるよ。オリバーさんに会ったら渡してくれ」
「な、何よこの包み」
「肉だ。子犬でも食える干し肉。今来た"獣"にやろうと思って」
獣の情報は貴重だ。どのような目撃例も、自警団に集められ、分析される。
ウェザーは、"シズネ"の子どもたちを取り仕切っており、彼らからの情報なら、いち早く得ることができる。影の魔法を使う狼について、本体が子犬であることも知っていた。
「襲撃のときに、戦えない子犬がいる理由なんてひとつしかない。そいつが長なんだ。しかも、目撃者によれば相当弱っているらしい」
「あっ! また餌付けしようと考えたのね! やめてよ、そんな危ないこと!」
「だが、手持ちの痺れ毒を切らしてしまってな。博士から貰うつもりだったが、いないんじゃ諦めるしかない」
ねーちゃんも早く家に戻れよ、とウェザーは自宅に向かう。その小さな姿を……エイプルは後ろから抱きしめた。
「寄り道なんかしないでね。まっすぐ自分の家に戻るのよ……大丈夫。ウェザーのことは、何があっても、絶対に守るから」
「それ、昔からずっと言ってるよな。まあいい……頼りにしてるぜ、エイプルねーちゃん」
自分より小さな存在を見て気づく。落ち込んでいる場合ではない。探すのだ。誰も、この町から"いなくならない"方法を。
彼方へ走り出すエイプルを見送らず、ウェザーはその場に立ち止まっていた。
まだ彼女がいたぬくもりを、背に感じる。
「ああ。それでいい……守ってくれよ、ねーちゃん。ずっと、俺を」
◇ ◇ ◇
際限なく出現する影と、自警団の面々が戦っている。成犬の体格をした狼の幻影は、どれも死にもの狂いで囲みを突破し、町に出ようとしていた。
獣の攻撃は激しく、団員の一人が影に飛びつかれ、剣を落とした。噛み砕かれるかと身構えたところ、牙に代わって、激しい雷光が天から降り注いだ。
「ごめんあそばせ」
降臨するは白金の冠を戴く少女。閃光を纏った如くの姿は、自警団員の瞳に神々しく映った。
次に降り立った、青の少女も敬慕の眼差しを集める。彼女は縦横無尽の水弾を駆使し、水流の魔法で影を一掃した。
「騎士様が加勢されたぞ!」
「あれが、少女騎士様……」
「おっ、騎士のお嬢さんたちか! いつも悪いねえ!」
「ここからはわたくしたちが引き受けますわ! 下がって、怪我人の保護を!」
「あ、危ないですから……近づかないで、くださいね」
町の者は、獣と戦う少女たちを、善なる不死者"騎士"の仲間だと誤認していた。強い味方の到来を受け、素直に退却していく。
そのなかにはエイプルの父、オリバーの姿もある。彼女たちに手を振って、労う言葉を残し、去っていった。
初めて戦う相手ではない。獣の正体も、使ってくる魔法についても熟知しているはずだった。だが、今回はどこかおかしい。十数匹の影を消したあとに確信する。群れの長である子犬がいない。
本体を叩かなくては、影の無限湧きが止まらない。オーガスタは焦り始めた。彼女は高威力の雷撃を操るが、魔法の使用時間には限りがある。
「なんの! これしきの窮地……ラムザロッテ様なら軽々こなすはずですわ!」
憧れの剣闘士の名を唱えて、自らを鼓舞する。かの少女剣士たらんと鍛錬を続けたのだ。ここで挫けるなど許されないと、オーガスタは矜持だけで影に立ち向かう。
体術のみで猛攻をしのいだのち、再び帯電して飛翔する。しかし、敵もまた形を変えた。
小物を散らし、現れたのは最強格の影。以前にも召喚された"巨影の狼"……それも二体だ。
「こんなとき、ラムザロッテ様なら……ラムザロッテ様、なら……」
本当は……彼女の人となりなど知り得ない。目が合ったのも数度。会話らしきものも、闘士と一介の観客としてのやり取りだけだ。
一方的に焦がれ、雷撃の力を手にしてからは、さらに舞い上がった。軽率だったと悔いても……もう遅い。
恐怖で心が瓦解しかける。オーガスタは、憧れだけでは越えられぬ、現実の無慈悲さを思い知った。
次に魔力が尽きたときのことなど、考えたくもない。
闘志が弱まるオーガスタと対照的に、メイは高揚していた。水弾の魔法で狙撃するのももどかしいと、氷の曲刀を発現し、踊るように影を斬る。
敵を撃破すると同時に、自身の中で何かが芽生えるのを感じる。
「あ……戦いって、たのしい……」
それは歓喜。ついに求めていたものが来たと、全身の細胞が沸き立って、歓声を上げる。
暗殺組織という、殺伐とした場に身を置いても、これほどの喜びは得られなかった。正面から牙を合わせて戦い、勝利してこそ満たされる。
彼女は古き戦闘民族。無垢な魂を宿していても、その体は闘争に用いるべく造られた。
影との戦闘を通じて本能が暴かれてゆく。強敵なる巨影の出現を見ても、一切の躊躇なく飛び掛かった。
無意識のうちにメイは笑っていた。町の防衛という……元来の目的すら薄れていく。
ウェザーと別れてから、エイプルは"影狼"本体の下へ急いでいた。ただし、"魔法少女(略)"を発動せず、生身で走っている。
火球に乗って飛ぶ方がはるかに速い。けれども、彼女は"獣"を恐れさせたくなかった。
巨影を目印にして進む途中。側面の繁みが騒ぎ、一匹の影が飛び出した。
「きゃああ、"影狼"! あれ? 襲ってこない……」
巨大でも、攻撃的でもない。通常の狼の姿をした影は、エイプルに戦意がないことを確認してから、ゆっくりと走りはじめた。
時折、足を止めて、何度も彼女を振り向く。この挙動は、まるで……
「ついて来いって、こと?」
案内された場所には、もう一匹の成犬の影があり……そのそばで、本体である子犬が眠っていた。
"お父さんおおかみ"と"お母さんおおかみ"と、"ぼうや"。三匹がいとおしく寄り添う姿は、まさしく親子の情景である。
満足に獲物を得られなかったか。子犬は飢えと病で、起き上がれぬほど弱っていた。町への強襲は生存への執着がさせたものだ。
だが、影たちに食料を取ってこさせるのでは間に合わない。子犬が助かる方法はただ一つ……
"お願いします。どうかこの子を"
成犬たちの影が消える前に、そんな思いが伝わった。
エイプルは包みを解き、目覚めた子犬へ、そっと中身を差し出した。
とどめの一撃も待たずに、巨影は霧散した。
急な戦闘停止に、呆然とするメイとオーガスタだったが、その後の光景に驚愕した。
仲間のもとへ歩み寄るエイプル。今朝、オーガスタが戦えないと判断したとおり、彼女は魔道具も発動させていない。無防備な状態のまま、眠る"影狼"の本体を胸に抱いている。
「……エイプルさん。なんで、状態変化してないんですか……危ないですよ!」
「エイプル! 何してるの!? 早くそいつを捨てなさい!」
「だめだよ。この子、病気なの! 助けてあげないと死んじゃう……!」
「どうしてよ? 獣なんて、全部駆除すればいいじゃない。わたくしたちを襲う敵なのよ!?」
「だって、託されたの! 見捨てることなんてできないよ!」
「意味がわからないわ。あなたって本当に救いようのないおばかね!!」
本体の飢えが収まり、影の発現が止まったのはいい。しかしエイプルの、子犬を助けたいという思いは、二人にとって受け入れ難いものであった。
獣を殺す、助けるの言い争いに、仲間は二分されていく。
「僕はエイプルに賛成だな」
そんな少女たちの口論に参加したのは、もう二度と聞くはずのなかった声。
「生かしておいた方がいい。"黒き獣たち"の本当に恐ろしい要素は、その生命が尽きたあとにある。オーガスタ、君は地面に零れた血を元に戻せるかい? 死骸を燃やした灰を、残らず集められるかい? うまく処理しなければ、汚染が広がってしまうよ。そう……"カーレル"の町のように」
朝の光を浴び、純白の髪が明るく映える。珍しい髪色と反する凡庸な顔立ちに、左目のみに掛けた片眼鏡……どれも再び見ることができないと思っていた。しかし、"彼"は確かに生きて動き、少女たちの前に立つ。
今まで潜んでいた木陰を出、普段と変わらぬ白衣姿を現した。
「その子は僕が引き取ろう。そのまま研究所へ運んでくれ、いつものように。もちろん病気の治療もするよ」
「博士……あなた、なんで生きて……?」
「だって僕、不死者だし」
この世界に生きる者なら、知識として知っている。世には七人の不死者が実在する。個人の名は伝わっていないため、通り名のみで呼ばれていた。
"王"、"魔女"、"賢者"、"道化師"、"聖女"、"騎士"……
そして"学者"。あるいは……




