第九話 7月6日(土)05:30
県大会の日は、低く垂れ込めた灰色の空とともに明けた。錆びた金属そのままの色だった。
学校に着いたのは五時半だった。体育館の明かりを除いて、校舎はまだ暗かった。体育館では、部員たちが借りたワゴン車に楽器を積み込んでいた。倉庫の戸口から、よく油の差された機械のような効率で動く人影が見えた。誰も叫ばない。誰も走らない。ケースも、譜面台も、楽譜も、それぞれに決められた場所と、決められた担当者がいた。
高橋先輩は、立ち止まらずに僕の横を通り過ぎた。要らない物を箱に放り込むように、一言だけ落としていった。
「ここにいろ。俺たちが出たら、倉庫には鍵をかけておけ。保護者会の人が予備の備品を訊いてきたら、ないと言え」
返事は待たなかった。必要なかった。
最後のワゴンが走り去ると、校舎の静けさは完全になった。誰もいない廊下を歩いた。教室は片付き、椅子は揃い、黒板はきれいに拭かれていた。臓器をすべて抜き取られたのに、それでも立っている身体の中を歩いているようだった。
倉庫のベンチに座って、待った。
十時、段ボール箱に入った古い弦の束のあいだに、誰かが置き忘れていた小さなトランジスタラジオを点けた。地元のFM局が、県立文化会館から生中継をしていた。アナウンサーの声は明るく、プロらしく、ほとんど陽気だった。
「……続きまして、北野高等学校吹奏楽部。ヤギサワ作曲『四季』より、第二楽章です……」
目を閉じた。
最初にクラリネットが入った。次にフルート。音はスピーカーを通って小さく、金属的に届いたが、僕にはわかった。ひとつひとつの息づかい、アタック、息の解放。金管の番になると、高橋先輩のトランペットが、わずかな亀裂もなく澄んで立ち上がった。第二楽章のソロは、石膏ボードの壁が消えてしまったかのように、倉庫の空気の中を漂った。
ミスはなかった。
ためらいもなかった。
空っぽの椅子を、誰かが横目で見る必要もなかった。
合奏は、僕が出たどの練習よりも引き締まっていた。声部は、触れ合うことなく溶け合った。フレーズのあいだの静寂は、正確だった。ひとつの身体がいなくなったおかげで、残りの身体がようやく正しい場所を占めたかのようだった。
演奏が終わり、会場は拍手に包まれた。アナウンサーが暫定の得点を告げた。北野は、部門の一位だった。
ラジオを消した。
倉庫の蛍光灯は、いつもの周波数で唸りつづけた。鉱物油と古い革の匂いは、変わらなかった。変わったのは、僕の大きさだけだった。
立ち上がって、もう誰にも必要とされないクロスを集め、丁寧に畳んだ。それからまた床に座り、コントラバスの棚に背を向けて、冷たい壁に後頭部をつけた。
何週間も前から、僕の存在が問題なのではないかと疑っていた。
その朝、それが確かだとわかった。水が百度で沸騰するのと同じ確かさで。
集団は、僕なしで生き延びただけではなかった。
良くなっていた。
論理は完璧だった。僕の存在が摩擦を生み、その摩擦を取り除くことでより純粋な音が生まれたのなら、結論に議論の余地はない。僕が不純物だった。機械の中の砂粒。取り除かれたことで、水面が完璧な輝きを取り戻すことを許した、迷惑だった。
怒りは感じなかった。
驚きも感じなかった。
ただ、乾いた、ほとんど事務的な安堵があった。長いあいだ開いたままだった案件が、ようやく閉じられるときのような。
午後三時、ワゴンが戻ってきた。ドアの音、押し殺した笑い声、背中を叩き合う音が聞こえた。誰かが、県で一位になったと叫んだ。足音は、記念撮影のために体育館のほうへ遠ざかっていった。
誰も、倉庫の鍵を開けに来なかった。
誰も、僕がまだ中にいるかどうか訊かなかった。
校舎がまた静かになってから、外に出た。南京錠をかけた。覚えたとおり、壁にぴったりくっついて駅へ歩いた。ホームでは、よその高校の生徒たちが大会の話をしていた。北野の名前が出た。金管の正確さが話題になった。欠けていた席のことを口にする者は、ひとりもいなかった。
電車の中で、冷たい窓ガラスに額をつけた。そこに映っていたのは、背後を流れる景色を歪ませるだけの場所さえ、もう占めていない少年だった。
その夜、自分の部屋で、まだ上着のポケットに入れていた紙の裏に、一文だけ書いた。
『水面は、また平らになった。』
その下に、もっと小さな字で。
『僕が、その代償だった。』
亀裂はもう、開いてはいなかった。
完成しようとしていた。




