第六話 6月21日(金)16:30
体育館の空気は、新しいニスの匂いと、古い恐怖の匂いがした。
仮設の舞台が、奥の壁に寄せて組まれていた。きちんと整列した六十脚の黒い椅子、ぴかぴかの譜面台、灰色の布をかけられたグランドピアノ。ピストンを拭き、キーに油を差して一週間を過ごした倉庫の戸口から見ると、その空間は途方もなく広く、同時にひどく窮屈に思えた。夜のあいだに、天井が三センチ下がったかのように。
高橋先輩が僕を見つけたのは、最後のマイクロファイバーのクロスをしまっているときだった。
「今日は第三ブロックで吹け」
声はいつもどおりだった。低く、丁寧で、隙がない。
「この一週間の掃除に意味があったって、示してみろ」
笑わなかった。目を合わせたのも一秒に満たない。踵を返し、何も言わなかったかのような顔で、金管の隊列に戻っていった。
一瞬、ほんの一瞬だけ、熱くて愚かなものが胸の中に広がった。必死の希望の閃き。もしかしたら、刑は確定していなかったのかもしれない。正確に吹ければ、まだ戻れる狭い扉が残っているのかもしれない。僕はその可能性にしがみついた。溺れる者が、腐りかけた木切れにしがみつくように。
セクションの三番目の椅子に座った。マウスピースは冷たかった。ウォームアップが始まる前から、指はピストンに汗の跡を残していた。舌は厚紙のようになっていた。ひと息ごとの呼吸が、自分の頭の中でやけに大きく響いた。
遠藤先生が指揮棒を上げた。
第一ブロックは、何事もなく過ぎた。クラリネット、フルート、オーボエ。音は澄んで、プロのように、ほとんど美しく漂った。僕は声に出さず小節を数えた。自分の出番が近づくたび、胸が一ミリずつ狭まっていく。
第二ブロック。トロンボーンとチューバ。足の下で床が震えた。
そして、第三ブロックが来た。
遠藤先生は、僕のほうを見さえしなかった。副次的な入りを示すときの、左手のごく小さな合図をしただけだった。左隣の高橋先輩が、いつもの落ち着きでトランペットを上げた。僕も同じ動作をまねた。金属は、最初に失敗したあの日よりも重かった。
息を吸った。
空気は乾いて、足りなかった。むごいほどはっきりと、感じた。フルートが息をやめている。クラリネットが息を止めている。六十対の耳が、僕ひとりのために研ぎ澄まされている。
吹いた。
音は、出なかった。
もっと悪いものが出た。詰まって、歪んだ音。金属の割れた音が、途中でひび割れ、割れたガラスのように体育館じゅうに散った。一秒にも満たなかった。それで十分だった。
そのあとの沈黙は、驚きではなかった。確認だった。
遠藤先生は、わざとゆっくり指揮棒を下ろした。怒鳴らなかった。譜面台も叩かなかった。ただ、傷がもう手遅れだと確かめる人のように、ほんの一瞬目を閉じ、それから、また開いた。
「高橋」
いつもと同じ、生体機械のような平静さで、先生は言った。
「君のパートは、また揃っていない」
高橋先輩は、きっちり四十五度に頭を下げた。
「わかっています、先生。責任は僕にあります。今後、コンクールまで、金管パートはセカンドなしで練習します。ハルトは楽器の整備と倉庫の整理に専念させます。そうすれば、全体合奏の邪魔にはなりません」
遠藤先生は、一度だけうなずいた。
「よろしい。個人の弱さに付き合っている時間はない」
僕が立ち上がるとき、誰も僕を見なかった。誰も囁かなかった。ただ、僕が誰にも触れずに椅子のあいだを抜けられるぎりぎりの幅だけ、みんなが脚をよけた。僕はトランペットを手に持ったまま、倉庫へ戻った。足音の反響は、また違って聞こえた。体育館の床までもが、僕はもう同じ重さではないと決めてしまったかのように。
背後でドアを閉めた。
ピストンオイルと古い木の匂いが、僕を包んだ。奥の棚のそばの狭いベンチに座り、トランペットのケースに額を押しつけた。金属には、まだ僕の手の熱が残っていた。
二十分前の希望は、乾いて軽い、飲み込みやすいものに変わっていた。
扉は、もうなかった。
あるのは倉庫と、沈黙と、そして、水面がとうとう平らに戻ったという確信だけだった。




