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第十七話 7月16日(火)10:45

僕の声が一年B組に存在した最後の日、怒鳴り声も言い争いもなかった。

六月の金曜日の平板な光と、黒板に当たって折れるチョークの規則的な音だけがあった。


七時二十分に着いた。廊下は薄暗かった。借り物の上履きは、乾いたリノリウムの上で音を立てなかった。机の上に新しいメモはなかった。水もなかった。引き出しの中に、折りたたまれたバナナの皮が入っていた。取り出さなかった。その上に教科書を開き、熟れた果物の甘酸っぱい匂いが、松の洗剤の匂いと混ざるのに任せた。


八時十分、森田先生が出席簿を脇に抱えて入ってきた。いつもの速さで、暗記している名前のあいだに間も置かず、出席を取った。


「佐々木」

「はい」

「佐藤」

「はい」


僕の名前は、また、二つの欄のあいだの透明な空間に落ちた。僕の身体はそこにあった。背筋を伸ばし、両手を机の上で組んで。けれど公式の記録は、僕の不在の絵を、もう描き終えていた。構わなかった。ポケットの黒いノートのほうが、もっと正確な帳簿をつけていた。


三時間目、古文の授業中に、それは起きた。


森田先生は、『徒然草』の一節を説明していた。ものの儚さについて、花が誰にも聞かれずに散っていくことについて。先生は間を置き、眼鏡を直し、三列目に目を向けた。


僕の顔は見なかった。窓と僕の左肩のあいだの空間を見た。


「ハルト。九十二ページの最初の三行を読んで」


教室はざわつかなかった。誰も振り向かなかった。ただ、呼吸のリズムが、みんなで少しだけ遅くなった。二列前の佐々木が、かすかにこわばった。後ろのほうで、高橋が、シャープペンを指のあいだで回しつづけ、規則的なカチカチという音を立てていた。


立ち上がった。


動作は自動的だった。本を開いた。ページはきれいだった。古文の文字は、はっきり読めた。『花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは』。


口を開いた。


息を吸った。冷たい空気が喉を下り、肺に届き、また声帯へと上がってくるのを感じた。けれど、その途中で、何かが途切れた。


音は出なかった。

呟きも、ため息も、咳払いも出なかった。

ただ、乾いた小さな音が出ただけだった。箱の底で、古い紙が二枚こすれるような。


もう一度やった。


歯を食いしばった。首の筋肉に力を入れた。喉は、硬く、自分の中へ閉じた。脳が送る命令は、見えない壁にはね返った。何週間もかけて「はい」とお辞儀だけに縮んでいった声は、限界に達していた。


使い果たされていた。


一秒。

二秒。

三秒。


教室の沈黙が濃くなった。嘲りの沈黙ではなかった。作業を止めてしまった、壊れた機械を前にした集団の、居心地の悪さだった。


四列目で、誰かがため息をついた。ひとりの女子が、壁の時計を見た。


森田先生は、追及しなかった。「もっと大きな声で」とも言わなかった。大丈夫かとも訊かなかった。クラスを待たせることは、授業の流れを乱すことだった。それは、迷惑になることだった。


「佐々木」


先生は、調子を変えずに本に目を落として言った。


「君が読んで」


「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは……」


佐々木は、すぐに読みはじめた。声は澄んで、均一で、完璧だった。


僕は座った。


椅子は音を立てなかった。開いたノートの隣の木の机に、手を置いた。


誰も僕を見なかった。誰も笑わなかった。授業は、よく油の差された時計の正確さで続いた。五秒間のためらいは、水滴が床に落ちるよりも短い時間で、集団に吸収され、修正され、消された。


そのとき、凍りつくような明晰さで、僕は理解した。


声が潰れたことは、喪失ではなかった。

解放だった。


九十三日間、僕は最小限の糸を保とうとしてきた。世界の中で自分の体積を正当化するための、単音節の橋を。その糸が切れた今、方程式は解けた。輪郭には、もうひび割れがなかった。


三時半のチャイムが鳴っても、クラスが空になるあいだ、座ったままでいた。足音、リュックを閉じる音、週末についての笑い声が、乾いた木の枝を通り抜ける風のように、僕のまわりを過ぎていった。


最後に立ち上がった。空のリュックを取った。机を、一度だけ見た。


何日か前に黒いマジックで書かれた言葉『ご冥福をお祈りします』は、毎日の使用が積み上げた埃の層の下で、ほとんど見えなくなっていた。


廊下へ出た。


教卓のそばを通ると、森田先生が書類をまとめていた。半メートルの距離を通った。先生の目が、僕の目と一ミリ秒だけ交差した。止まらずに。ハンガーか、空いた椅子を見るのと同じ中立さで。


頭は下げなかった。

「さようなら」とも言わなかった。


もう、必要なかった。


世界は僕を記録から消し、僕の身体は、従順に、応答として何の音も出さないことを、ようやく学び終えたのだった。

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