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第十四話 7月11日(木)07:45

北野高校の門が八時に開くまで、一年B組はまだ、ひとつの有機体としては存在していない。断片として存在している。


僕には、それが見える。何週間も観察してきたからだ。隅にいる人間は、他のみんなの動きを読むことを覚えてしまう。


小林は、イヤホンをつけて中央線を降りる。隣を斉藤が歩いている。二人はスマホゲームの話と、金曜の英語のテストの話をしている。会話は軽く、ほとんど気だるげだ。けれど、横断歩道の近くで佐々木のグループとすれ違うと、声の調子が、ほんの少しだけ下がる。


「まだ来てるの?」


女子のひとりが、髪を直しながら訊く。


僕の名前は出てこない。一年B組では、僕の名前はもう使われない。沈黙か、誰も特定しない代名詞に置き換えられている。


「うん」


斉藤は、スマホから目を上げずに答える。


「今日も七時にはもう倉庫にいたってさ」


佐々木は、口を開かない。明け方の雨でまだ濡れているアスファルトを見ている。何を考えているのか、僕にはわかる。四月には、日本史のノートを交換していた。佐々木は僕を憎んでいない。怖いのだ。輪の内側にいることと、次の「見える対象」になることとのあいだの距離を、正確に知っている。机の上の、三センチの隙間。腐ったみかんに向けた、たった一言。それだけで、周りは、感染が自分の制服にまで届いたのだと受け取る。そして北野では、感染は許されない。


角の自動販売機の脇で、森田先生が、缶コーヒーの最後の一口を飲み干している。スマホの画面を見る。事務室から、保護者会の会費についてのメールが二通。それに、教頭からの連絡。教育委員会の視察に向けて、一年B組の出席統計は完璧に保たなければならない、と。


森田は知っている。机の水のことを知っている。弁当のことを知っている。消えていく上履きのことを知っている。けれど学校という官僚機構にとって、いじめは、止めるべき暴力ではない。五十ページの報告書であり、緊急の会議であり、保護者への電話であり、担任の経歴に残る消えない染みだ。いじめを認めれば、学校の格が落ちる。「適応に問題のある、扱いにくい生徒」と定義すれば、責任は生徒の側に移る。


森田は缶をごみ箱に捨て、擦り切れたネクタイを直して、ため息をつく。彼にとって、被害者は、まだ濡れたズボンでチョークを拭いている少年ではない。被害者は、自分自身の平穏だ。型に収まらない誰かが存在することで、脅かされている平穏。


七時五十分、高橋が自転車で着く。


高橋は迷わない。システムが生んだ、もっとも清潔な製品だ。効率的で、規律正しく、冷たい。三階を見上げて、倉庫の明かりが点いているのを見ても、後悔は感じない。彼の論理では、金管パートからの追放は、残酷さではなかった。品質管理だった。音程の外れる部品は、エンジンが回りつづけるように取り外される。トロフィーは、自分が正しかったことの証明だ。


玄関を抜けて靴を履き替えるとき、彼らはみんな——押す者も、笑う者も、目をそらす女子たちも、通りすがりの先生も——同じ暗黙の合意に加わっている。


誰も、加害者になりたくはない。

けれど誰も、どんなことがあっても、被害者になる気はない。


残りのクラスが息をするために、一年B組は、隅にひとつの身体を置いておく必要がある。試験の重圧と、規則の硬さと、毎日の「はみ出す怖さ」を吸い取る身体。他のみんなが受け取りたくないものを、代わりに受け取る身体。


僕は、その身体だ。


だから八時五分、教室のドアを開けて、いつもの六月の朝と変わらない普通さで席に着き、話し、笑っているみんなを見ても、怒りは感じない。


この場所の構造が、わかるのだ。


みんなは、溺れないようにしているだけだ。

そして、僕の背中を、頭を水の上に出しておくのに十分な、唯一の踏み台に決めた。

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