第十一話 7月9日(火)07:30
大会の翌日、体裁はもう終わった。
部活の規律だとか、パートの効率だとか、そんなふりをする必要はもうなかった。トロフィーは先生の机の上に置かれたままだったが、クラスはもっと直接的な祝い方を見つけていた。
学校に着いたのは七時半だった。僕の上履きは、まだ見つかっていなかった。借り物の一足を履いた。相変わらず大きかった。階段を上って、二階の廊下で、誰かに足を引っかけられた。かすっただけではない。僕の足の下に、正確に置かれた足だった。膝から落ちた。膝がリノリウムに当たる音は、乾いていた。何人かが、隠そうともせずに笑った。
「うわ、また転んだよ」
立ち上がった。何も言わなかった。左膝の痛みを、温度を記録するように記録した。ある、場所はここ、どうでもいい。
教室では、僕の机がまた汚れていた。今度はチョークだけではなかった。椅子の上にペットボトルの水がぶちまけられ、消しゴムのかすと鉛筆の削りかすがまかれていた。背もたれには、太いマジックで書かれたメモが、セロテープで貼ってあった。
**消えろ**
水の上に座った。ズボンは数秒でずぶ濡れになった。冷たさが布を伝って肌まで上がってきた。動かなかった。ノートを出して、濡れた机の上に開いた。最初のページが反り返った。
国語の時間、森田先生が僕の机のそばを通った。水を見た。メモを見た。色の濃くなったズボンを見た。半秒だけ、足を止めた。
「ハルト。それ、早く拭きなさい。本文に入るから、遅れさせたくない」
誰がやったのかは訊かなかった。クラスのほうも見なかった。ただ、授業が摩擦なく続けられるように、表面を元に戻せと言っただけだった。僕はうなずき、ハンカチを出して(もうほとんど使い物にならなかった)、拭ける分だけ拭いた。水は木の継ぎ目に染み込んでいた。消えることのない、もっと濃い輪が残った。
昼になった。弁当の時間だった。
いつもの隅に座った。蓋を開けた。母が入れてくれたのは、ご飯と、卵焼きと、唐揚げ二つ。箸を取るより先に、僕の肩越しに誰かの手が伸びてきて、中身をテーブルにひっくり返した。ご飯が散らばった。唐揚げは端まで転がって、床に落ちた。誰かが、その一つを上履きで踏みつぶし、踵をわざとゆっくり回した。
「あーあ。落ちちゃったね」
何人かの笑い声。ぎこちない笑いでも、隠した笑いでもなかった。毎日の娯楽を分け合う人間の笑いだった。二人の男子が近づいてきて、ご飯を指でつまみ、いちばん近くのごみ箱に捨てた。しつこい染みを片付けるように。
空になったテーブルを見ていた。踏みつぶされた唐揚げの匂いが、床から立ちのぼってきた。怒りはなかった。屈辱もなかった。ただ、データを記録した。
- 10:47
- 弁当をひっくり返したのは斉藤(右手、背後から接近)
- 唐揚げを踏んだのは小林(右踵、一回転)
- ご飯を回収して廃棄したのは、不明の二名
- 大人の介入、なし
立ち上がって、空の弁当箱をリュックにしまった。それからかがんで、ナプキンで床の残りを拾った。誰も手伝わなかった。誰も目をそらさなかった。もっとよく見ようと、少し近づいてくる者さえいた。
午後、トイレへ向かう廊下で、三人に、ロッカーに押しつけられた。金属が左の肩甲骨に当たって、うつろな音を立てた。ひとりが僕の肩を押さえ、もうひとりが、顔のすぐ近くで言った。
「まだ倉庫の匂いするぞ、お前。自分が邪魔だってわかんないの?」
三人目が、腹に短い一発を入れた。強くはない。ただ、息がいっぺんに出ていく程度に。僕は少し身体を折った。彼らは笑って、壁にかかった曲がった額を直したばかりのような顔で、歩いていった。
しばらく、冷たい金属にもたれた。息をした。四つ数えた。それから身体を起こして、トイレへ向かった。鏡で肩を確かめた。五百円玉ほどの大きさの痣が、できはじめていた。一度だけ、押さずに触れた。感触を確かめるためだけに。それから冷たい水で手を洗い、教室に戻った。
自習の時間に、前の晩から使いはじめていた小さなノートを出した。授業用のものではない。黒い表紙の、名前のないノート。最初のページに、小さくはっきりした字で書いた。
**記録**
その下に日付。次に時刻。次に出来事。形容詞は抜きで。
- 07:42 二階廊下で足を引っかけられる。膝から転倒
- 08:15 机が水浸し+メモ「消えろ」
- 10:47 弁当をひっくり返され、潰される
- 14:20 ロッカーに押しつけられる。左肩甲骨と腹部に打撃
固有名詞はまだ書かなかった。事実だけ。座標だけ。もう自分のものではなくなった物の劣化を、棚卸しするように。
終業のチャイムが鳴ると、教室はいつもの騒音とともに空になった。トロフィーは光っていた。最後のひとりが出ていくまで待った。それから黒いノートを閉じ、上着の内ポケットにしまって(造花と、「邪魔」と書かれた紙のとなりに)、教室を出た。
玄関で、また借り物の上履きを……
玄関で、借り物の靴にまた足を入れた。左足は、サイズの違いをもうほとんど感じなかった。壁にぴったりくっついて駅へ歩いた。肩の痛みを、インクが乾くのにかかる時間を測るように記録しながら。
もう、守るべき表向きの顔はなかった。
もう、何も正当化する必要はなかった。
あとは、棚卸しだけが残っていた。




