4話 普通という基準
四月の陽射しの下、体育の授業は五十メートル走だった。
「よーし、次! エルヴァン、東條、前!」
体育教師に呼ばれ、ルキアと清之助はスタートラインに並ぶ。
「……俺、別に足速くねえんだけどな」
「僕もそこまで自信はないよ」
そう言うわりに、ルキアの構えには迷いがなかった。
清之助が、小さく呟く。
「ほんとかよ」
笛が鳴った。
ルキアは軽く地面を蹴って飛び出した。
力みのない走り方のまま、気づけばもう前に出ている。
「速っ」
「ていうか、走り方きれいじゃね?」
そんな声が上がる中、ルキアはそのままゴールした。
数秒遅れて清之助も飛び込み、肩で息をしながら隣を見る。
ルキアは息がほとんど乱れていなかった。
すぐ隣にいるのに、同じ場所に立っていないような感じがした。
「お前、自信ないって言ってたじゃん」
「うん。でも、他の人のほうがもっと力強く走ってる」
「……比べる基準、そこなのかよ」
ルキアは首を傾げていた。
◇
放課後。
清之助とルキアは渡り廊下を歩いていた。
「今日の体育もなんか見られてたな」
「そうかな。普通に走ったつもりだったけど」
「その普通が怪しいんだよ」
そんな話をしていたとき、前の角から二人の男子が曲がって歩いてきた。
一人は、サッカーの助っ人で見かけた柊正樹。
その隣には、切れ長の目が印象的な生徒がいた。
ネクタイをきちんと締め、髪も整っている。
「よ、清之助。転校生も。また会ったな」
正樹が手を上げる。
そのままルキアの顔を遠慮なく覗き込んだ。
「昨日はちらっとだったけど、こうして見るとだいぶ目立つな」
ルキアは、わずかに身を引く。
「悪い悪い。ルキアだったよな。よろしく」
「はい。よろしくお願いします」
そのとき、正樹の隣から声がした。
「君がルキア・エルヴァンくん? 俺は白川瑞稀。よろしくね」
その声に、ルキアの動きがわずかに止まる。
「よろしくお願いします」
ほんの短い間だった。
けれど清之助には、ルキアの反応がいつもと違って見えた。
初対面の相手に、こんな反応をするルキアは初めて見た。
正樹は気にした様子もなく、ルキアに言った。
「今度、サッカーの手伝いに来いよ」
「あ、僕、サッカーはやったことがなくて」
ルキアが少しだけ困ったように答える。
居心地が悪そうに見えて、清之助は横から口を挟んだ。
「正樹先輩、こいつ来たばっかなんで、ちょっと手加減してくださいよ」
「ふーん。まあ、気が向いたらでいいよ」
そう言って軽く手を振ると、瑞稀と並んで去っていった。
二人はその背中を見送り、やがて反対側へ歩き出した。
「正樹先輩の隣にいたのが、うちの生徒会長の白川先輩だよ」
「……近くにいると、空気が整う感じがする」
「わかる。なんか、ちょっと姿勢正したくなるよな」
清之助がわざと背筋を伸ばしてみせる。
ルキアはそれを見て、少しだけ笑った。
二人はそのまま寮へ向かって歩き出した。
日が落ち始め、空がほんのり赤く染まっていた。
寮に着く手前で、清之助が口を開いた。
「なあ、ルキア」
「ん?」
「お前って、どこから来たんだ?」
ルキアは黙ったまま、わずかに視線を上げた。
「いや、だってさ。歯ブラシ浮かせる奴って、普通いないだろ……」
ルキアの足が止まる。
清之助も気づいて止まり、振り返った。
返事は、すぐには来なかった。
ルキアは微かに笑った。
「もし僕が、別の惑星から来たって言ったらどうする?」
清之助は一瞬だけ固まったが、すぐ笑って見せた。
「……またお前」
けれど、ルキアが笑い返さなかったせいで、その笑みはすぐに行き場をなくした。
「……それって、お前が宇宙人ってことか?」
「たぶん、ここだとそういう言い方になるんだと思う」
「たぶん?」
「うん。人は、わかりやすい言葉で理解するから」
清之助は言葉に詰まった。
「なんだよ、それ」
何か言い返したいのに、うまく次が出てこない。
ルキアは首を傾げる。
「地球では、変かな」
「……いや」
そこで言葉が途切れた。
ルキアは、不思議そうな顔でこちらを見ている。
宇宙人、と言われて、妙に腑に落ちる部分があった。
おかしいはずなのに、怖いとは思わない。
その時点で、たぶんもう、自分の普通はずれていた。
清之助は首の後ろをさすった。
「まあ、ルキアはルキアってことだよな」
清之助は少しだけ笑って、前を向いた。
自分の目で見たものを信じてみようと、そう思うことにした。
ルキアの表情は見なかった。




