3話 転校生の一日
転校してきた翌日、ルキアと清之助は並んで登校していた。
「男子校って、音が多いね」
周囲を見渡しながら、ルキアが言った。
清之助は、眉をひそめる。
「音が多いって。お前、たまに言い方変だよな。……でも、男子校なんてどこもこんなもんだぞ」
ルキアは表情を変えないまま、「ふうん」と小さく相づちを打った。
清之助は、あの夜のことが、まだ頭の隅に引っかかっていた。
歯ブラシが宙に浮いた光景と、そのときの静かな目が、妙にはっきり残っている。
けれど、隣を歩くルキアは、そんな出来事などなかったかのように前を向いていた。
その横顔を眺めていると、不意にルキアが口を開く。
「僕のこと、まだ気になる?」
一瞬、息が詰まった。
心の中を見透かされた気がして、手のひらにじわりと汗が滲む。
「いや……」
とっさに否定したものの、あんなものを見せられたら、気にならないほうがおかしい。
「……そりゃ、そうだろ。あんなことがあればさ」
ルキアは振り向いて、「それはそうだね」とだけ言い、また前へ向き直った。
校舎に入ると、あちこちから視線が集まった。
清之助は少しだけ居心地悪さを感じる。
「なんか、やっぱり目立ってるな」
「そうかな?」
ルキアは首を傾げた。
「……まあ、俺は多少慣れてきたけど」
「それなら、大丈夫そうだね」
ルキアは涼しい顔でそう言った。
やっぱり、よく掴めない奴だなと思った。
午前中、ルキアは静かに授業を受けていた。
板書も先生の指示も、その都度きちんと拾って、必要なことだけを無駄なく書き留めていく。
迷う様子がまるでないのが、かえって清之助には気になった。
昼休み、教室へ戻ってきた担任の三枝が、清之助を見つけて声をかける。
「東條、エルヴァンに校内案内してやれ」
「了解です」
軽く返事をして立ち上がると、清之助はルキアに言った。
「じゃあ、放課後案内するよ。何でも聞いてくれ」
ルキアがくすりと笑った。
「なに笑ってんだよ」
「見てたら、なんか頼もしいなと思って」
「何だよそれ」
清之助は肩をすくめた。
放課後、二人は校舎をひと通り回った。
音楽室では作曲家の肖像画を興味深そうに眺めていたのに、化学室は少し覗いただけで通り過ぎた。
ルキアが何に惹かれるのか、清之助にはいまいちよくわからない。
それでも、楽しそうにしているなら、それでいいかと思った。
最後に向かったのはグラウンドだった。
「ちょうど部活が始まる時間だな」
グラウンドでは、いくつもの運動部が練習を始めていた。
ルキアはあちこちへ視線を巡らせている。
今度は興味があるらしい、と清之助は小さく笑った。
「俺もサッカー部なんだ」
「そうなんだ。今度見に行くよ」
「俺はそんなに上手くないけどな。ちょうど今やってる。あそこ」
清之助が指差した先では、生徒たちがサッカーボールを追って走り回っていた。
その中に、一人だけひときわ目を引く生徒がいる。
明るい茶髪に、すらりとした長身。誰かに声をかけられるたび、自然な笑顔で応じていた。
「あの人、誰?」
「柊正樹先輩。いろんな部活に顔出してて、ちょっと有名なんだよ」
そのとき、遠くから「危ない!」という声が飛んできた。
反射的にそちらを見ると、ボールが勢いよく二人に向かって飛んできていた。
清之助はとっさに受け止めようと足を踏み込む。
けれど、ボールは手前でふっと勢いを失い、するするとルキアの足元まで転がってきた。
一瞬だけ、軌道がずれたように見えた。
ルキアは何事もなかったようにボールを拾い上げた。
清之助が顔を上げると、ルキアはわずかに口元をゆるめる。
——偶然、ではなさそうだった。
「悪い、悪い! 大丈夫か!」
正樹が手を振りながら駆け寄ってくる。
「あれ、清之助じゃん。おっ、これが噂の転校生?」
遠慮のない目が、そのままルキアへ向いた。
「……外国人?」
「はい。エルセリアから来ました」
「エルセリア? 聞いたことないな」
正樹は「まあいいや」と気軽に言って、ルキアからボールを受け取る。
それを足先で軽く弾きながら、今度は清之助を見た。
「清之助は部活来ねえの?」
「ルキアに学校を案内してて。終わったら行きます」
「そっか。転校生も来たら?」
「僕は運動はそんなに得意じゃ……」
「ふーん。まあいいや。気が向いたら来なよ」
そう言って、正樹はまたグラウンドへ戻っていった。
誰かに呼ばれるたび、手を上げたり、短く声を返したりする。
そのたびに、笑い声や視線が正樹のほうへ流れていった。
ルキアが小さく呟いた。
「……流れが、変わった」
「流れ?」
「あの人がいると、周りの空気が違って見える」
何を言っているのか、よくわからなかった。
ただ、ルキアがこんな風に誰かを気にするのは珍しい気がした。
「……まあ、正樹先輩がいると、場が明るくなるっていうか、人が寄ってくる感じはあるな」
ルキアはしばらく正樹の姿を追っていた。
清之助は頭を掻いて、独り言のように呟いた。
「俺なんて、どこにでもいる普通のやつだしな」
ルキアが、すっと清之助に振り返った。
そして、わずかに首を傾けた。
「そう?」
「……そうだよ」
「見てると、清之助は清之助で、ちゃんと目につくよ」
思いがけない返しに、清之助は言葉に詰まった。
「な、なんだよ急に」
ルキアは一度だけ瞬きをして、小さく笑う。
土埃が、二人の立つところまで薄く流れてきた。
ルキアの視線は、またグラウンドへ向いていた。
何を見ているのかは、まだよくわからない。
でも、そのまなざしの中に、自分まで含まれているような気がした。




