2話 最初の夜
夜の学生寮は静まり返っていた。
窓の外で、木の葉がかすかに鳴る。
清之助はベッドの上で漫画を読んでいた。
そのとき、窓の外で一瞬、白い光が夜を裂いた。
「……雷か?」
身を起こして外を見る。
薄い雲が流れているだけで、まだ雨の気配はない。
それなのに、胸の奥だけが妙にざわついた。
肩をすくめて窓を閉める。
そのまま振り返ると、部屋の隅に見覚えのないスーツケースが置かれているのに気づいた。
「……こんなの、あったか?」
首を傾げた瞬間、ドアがカチャリと開いた。
入ってきたのは、見知らぬ少年だった。
銀に近い淡い髪に、薄いブルーの瞳。星桜高校の制服を着ている。
「こんばんは。君が東條清之助くん?」
「あ、うん。俺だけど……」
そう答えると、少年は穏やかに微笑んだ。
静かな声だった。抑揚は強くないのに、不思議と耳に残る。
「僕はルキア・エルヴァン。明日からこの学校に転校してくる。今夜から、この部屋で一緒に暮らすことになってる」
そう言って、すっと手を差し出した。
「よろしく。共同生活になるから、何かあったら言ってね」
清之助は差し出された手を一瞬見てから、そっと握り返した。
触れた指先に、妙な冷たさが残る。
「……よろしく。名前、なんか珍しいな。外国人?」
「うん、そう」
「日本語、上手いな」
淀みのない返しに、清之助は素直に感心した。
「えっと、俺はみんなから清之助って呼ばれてるから、清之助でいいよ。お前はルキアでいいな」
「うん、いいよ。じゃあ、清之助。よろしく」
「おう。よろしく」
清之助は笑って返した。
違和感はある。
けれど、手を引っ込めたくなるような感じではなかった。
挨拶を終えると、ルキアは荷解きを始めた。
姿勢よく、淡々と作業する様子は、どこか機械的にも見えた。
ひと通り荷物を整理し終えたあと、ルキアが手持ち無沙汰に見えたので、清之助は寮の中を案内して回った。
食堂に立ち寄ったとき、ルキアが自動販売機の前で足を止める。
「これは……?」
「ジュースが買える機械だよ」
ルキアは感心したように、ボタンをひとつずつ確かめていた。
見比べる目つきが妙に真剣で、清之助は少し笑った。
自販機なんて、そんなに珍しいものなのだろうか。
ひと通り案内を終えると、二人は部屋へ戻った。
夜も更け、それぞれ寝る支度を始める。
「電気消すぞ、ルキア。まだか?」
洗面所のほうへ声をかけたが、返事がない。
ドアに耳を当てても物音はしなかった。
清之助は首を傾げ、そっとドアを開けた。
その瞬間、固まった。
ルキアの前で、歯ブラシがふわりと浮いている。
目の前の光景に、頭がまるで追いつかなかった。
「お、お前、それ!」
思わず声を上げると、ルキアは慌てて歯ブラシを手で掴んだ。
困ったような顔で、こちらを見ている。
清之助は一歩後ずさった。
ルキアも、歯ブラシを握ったまま動かない。
瞬きをして、清之助はなんとか次の言葉を探した。
「いや、今の……マジック? それとも何か仕掛けが……」
動揺で声が上擦った。
「……ごめん。びっくりさせたかな」
「いや、まあ、びっくりはしたけど」
ルキアは目を伏せ、静かに首を横に振った。
「……そういうものじゃない」
清之助は眉を寄せた。
「じゃあ、あれ何なんだよ」
ルキアはじっと清之助を見返していた。
まるで、何かを測るような目だった。
落ち着かない。
そのまま黙っていることができず、清之助は口を開いた。
「じゃあ、さっきのは……超能力、みたいなやつか?」
「……そうだね。でも、君に見せるつもりはなかった」
「なのに、見せちゃったわけ?」
ルキアは眉を寄せ、困ったように笑った。
清之助は言葉に詰まる。
「見せちゃった」で済ませていい話なのか。
ルキアは小さく息を吐いた。
「本当は、こういうときは記憶を消すべきなんだろうけど」
その言葉に、清之助は目を大きく見開いた。
「記憶、消せんの?」
「うん……」
ルキアはわずかに視線を落とした。
「君の記憶は消せる。でも、消さないでおくよ」
「……なんで?」
ルキアはすぐには答えなかった。
ただ、何かを飲み込むみたいに、小さく微笑んだだけだった。
清之助は息を呑んだ。
「これ、あんま言わねえほうがいいやつか」
ルキアは何も答えなかった。
心の内は読めない。
ただ、今のルキアの表情は、さっき自動販売機の前で見たものとどこか似ていた。
胸の奥が、なぜかひやりと冷える。
これ以上は聞かないほうがいい。そんな気がした。
「……言わねえよ」
「本当に?」
「まあ、記憶消されるよりはマシだし。それに……」
ちらりとルキアを見る。
「なんか、お前、そこまで悪いやつには見えねえ」
その言葉に、ルキアの目元がふっとやわらいだ。
その笑い方だけ、急に年相応に見えた。
さっきまで感じていた異質さが、その瞬間だけ少し揺らいだ気がした。
「ありがとう、清之助」
「……うん。じゃあ、まあ、寝るか」
「そうだね」
二人はそれぞれのベッドに入った。
しばらくは互いに起きている気配がしていたが、やがて清之助の寝息が聞こえ始める。
寮の部屋に、月明かりが差し込んだ。
ルキアはそっと起き上がり、清之助のベッドのそばに立つ。
明るく照らされた寝顔を、静かに見下ろした。
手を伸ばしかけて、止める。
その指先を見つめた。
そして、そのままゆっくりと手を下ろした。




