1話 エルセリアからの転校生
「君の記憶は、消せる。でも、消さないでおくよ」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
ただ、彼は真っ直ぐこちらを見ていた。
昨日、寮で聞いた言葉だった。
——キーンコーンカーンコン。
朝礼を告げるチャイムに、東條清之助は肩を揺らして顔を上げた。
教室は朝から騒がしかった。
あちこちで、同じ話が飛び交っている。
「……今通ったの誰?」
「やば、めっちゃ雰囲気ある」
「転校生って噂、ほんとだったんだ」
そのざわめきを、清之助はどこか遠くに感じていた。
いつもなら自分も乗るはずなのに、今日はなぜか口が動かない。
窓の外では四月の陽射しが明るく、校庭の桜もまだ残っていた。
その春らしさだけが、教室のざわめきから少し浮いて見えた。
「転校生ね……」
小さく呟いた、そのときだった。
教室のドアが開いた。
「席つけー。騒ぐなー」
担任の三枝が入ってきた。
その後ろから、もう一人、教室へ入ってくる。
「今日から転入する生徒だ。ちゃんと仲良くしてやれよ」
星桜高校の制服を着た少年が、黒板の前で一礼した。
ついさっきまで飛び交っていた声が、そこで途切れる。
自然に視線が集まった。
銀色の髪に薄いブルーの瞳。
星桜高校ではまず見ない容姿なのに、そこから浮いて見えるわけでもなかった。
「ルキア・エルヴァンです。今日からお世話になります」
窓から入った春の風が、その髪を微かに揺らす。
「あの髪、染めてんの?」
「いや……地毛じゃね?」
ひそひそ声が、あちこちで小さく重なった。
清之助は思わず目を細めた。
威圧感はない。静かで、落ち着いている。
「出身は……えーと、エルセリア。ヨーロッパの北のほうの国だったよな」
三枝がプリントをめくりながら言うと、教室のあちこちから「えー、どこそれ」「めっちゃレアじゃん」と声が漏れる。
ルキアはそのざわめきを聞きながら、教室全体をゆっくり見渡した。
その視線が、ふと清之助のところで止まる。
目が合った。
清之助はどんな顔をすればいいのかわからなくなった。
胸の内を見透かされたような気がした。
「席は……東條の隣、空いてたな。エルヴァン、そこな」
「はい」
清之助は片手を上げる。
ルキアが真っ直ぐこちらへ歩いてきた。
それだけで、さっきまでのざわめきが少し遠のいた。
自分でもうまく言えない何かが、そこにはあった。
ルキアの口元が、ごくわずかに緩むのが見えた。
——やっぱり、あれは冗談じゃなかった。
そう思った瞬間、喉の奥が微かに乾いた。
「……ルキア、こっち」
「うん」
ルキアは隣の席に腰を下ろした。
教室のざわめきはまだ残っている。
そのとき、不意に風が吹き抜けた。
窓から入った桜の花びらが、ひらりと舞ってルキアの机に落ちた。
清之助は、その行方をなんとなく目で追った。
ルキアはそれに気づかないまま、前を向いている。
もしかしたら、昨日のことは夢だったのかもしれない。そんな気がしてきた。
清之助は、小さく息を吐いた。
「……まあ、なるようにしかならねえか」
独り言みたいに呟く。
けれど、あの言葉だけは、まだ頭の中にはっきりと残っていた。




