16話 王子の来訪
体育の授業は、二年生合同のバスケットボールだった。
清之助は持ち前の明るさでチームを盛り立てながら、楽しそうにボールを追いかけている。
その一方で、ルキアはコートの外、壁際にひとり立っていた。
激しく行き交うボールと、それを追う生徒たちの姿を、ただ静かに眺めている。
昨日のことが、気にかかっていた。
瑞稀がテスト用紙を届けに来たとき、一瞬だけ見せたあの警戒は何だったのだろう。
彼の前で力を使ってはいないはずだ。
けれど、それ以上に篠原の笑みが、頭の奥に残っていた。
何もおかしなところはないのに、あの違和感はどうしても拭えなかった。
ルキアは小さく息を吐く。
そのとき、不意にボールが視界の端で跳ねた。
コートのほうから転がってきて、足元で止まった。
「おい、ルキア!」
汗を拭いながら、清之助が怪訝そうな顔で近づいてきた。
「何ぼーっとしてんだよ。最近変だぞ。顔色も悪いし、調子悪いのか?」
「なんでもないよ。少し考え事をしてただけ。ごめん、これ……ボール」
ルキアは足元のボールを拾い上げ、清之助へ投げ返した。
清之助はそれを両手で受け止めたまま、しばらく黙る。
「でもよ、最近のお前……」
顔を上げ、何か言いかける。
その瞬間、体育の終わりを告げるチャイムが鳴った。
ルキアはその隙に、小さく前へ出た。
「行こう」
そう言って、先に歩き出した。
清之助はボールを抱え直し、その背を追った。
◇
教室へ戻ると、すでに数人の生徒が集まり、ひそひそと何かを話していた。
ルキアが席に着いたところで、担任の三枝が教壇に立つ。
どこか困ったような、落ち着かない顔だった。
「あー、みんな聞いてくれ。ちょっと急な話なんだが、今日からこのクラスに転校生が来ることになった」
そのひと言に、教室が一斉にざわつく。
「えー、この時期にかよ?」
「見かけた奴が言ってたけど、すげえ美形らしいぞ」
「どうせ男だろ」
教室のあちこちから声が上がった。
男子校らしい、野次馬めいた騒ぎ方だった。
ルキアは鞄から教科書を取り出しながら、見て見ぬふりをした。
これ以上、自分の周囲に不確定要素が増えるのは——そう思った、そのときだった。
「入ってこい」
三枝が廊下へ向かって短く促した。
扉が開く。
次の瞬間、教室のざわめきが、不自然なほどきれいに止んだ。
誰かが息を呑む。
それきり、声が続かない。
空気が、わずかに張りつめた。
開かれた扉の向こうに立っていたのは、ひと目で周囲から浮く少年だった。
肩まで伸びた光を弾くような金色の髪。深い緑の瞳。
背筋は真っ直ぐ伸び、その立ち姿には、教室という場所そのものが似合っていなかった。
「うわ……綺麗」
誰かが、ぽつりと漏らした。
少年はゆっくりと教室を見渡した。
だが、その視線に迷いはない。
最初から、ただ一人を探していたように、真っ直ぐルキアへ向いた。
ルキアの心臓がどくんと大きく鳴った。
——まさか。いるはずがない。
三枝が口を開くより先に、少年は歩き出した。
誰の許可も求めず、ルキアの席へ一直線に向かってくる。
その足音が妙にはっきり聞こえた。
固まったままの生徒たちも、呆気に取られている三枝も、まるで視界に入っていない。
少年はルキアの机の前で足を止めた。
そして、ルキアにしか通じない尊大な口調で言った。
「何勝手に一人で地球なんかに来てるんだ、ルキア」
その声を聞いた瞬間、ルキアの身体が強張った。
指先が、机の端に触れたまま止まる。
「迎えに来た。任務は終わりだ」
血の気が引く。
次の瞬間、ルキアは椅子を蹴るようにして立ち上がった。
「ラジェル様っ、なんで、ここに!」
動揺を隠しきれず、声が裏返る。
「ラジェル様って誰?」
「今のどういう意味?」
遅れてざわめきが広がる。
隣の清之助から、「ルキア?」という小さな声が聞こえる。
「あ、いや……その」
ルキアは慌ててラジェルの腕を掴んだ。
声を潜めたつもりでも、焦りでうまく抑えきれない。
「殿下、ここは地球です!」
ラジェルはそんなルキアを横目で見て、鼻で笑った。
それから周囲の生徒たちをひと通り見渡し、不遜な笑みを浮かべる。
教室の誰もが、次に何が起こるのかわからないまま固まっていた。
清之助も目を瞬かせ、ただ目の前の光景を見ていた。
「そうか、地球か」
ラジェルは呟いた。
「まあいい。今日から私もここにいる」
ルキアの肩がぴくりと動いた。
ラジェルは、ぽかんとしている生徒たちに向かって言い放つ。
「私は、ラジェル・リュシアードだ」
ルキアは立ったまま、動けずにいた。
教室の空気はざわめいているはずなのに、自分の周りだけ音が遠い。
どう考えても、今日はもう無理だった。




