13話 記録と心
ルキアと清之助は、次の授業に向かうため、連絡通路を通って隣の棟の廊下を歩いていた。
そのとき、向かいから一人の少年が歩いてくる。薫だった。
清之助は、前からの知り合いにでも声をかけるような気軽さで呼びかけた。
「お、薫じゃん。移動教室?」
薫は一瞬目を瞬かせた。
「はい。次、化学室で授業なので」
「へえ、そうなんだ。頑張れよ」
清之助がそう言うと、薫はわずかに表情をやわらげ、小さく会釈して通り過ぎていった。
ルキアは、そのほんのわずかな変化に目が留まる。
「薫って、悪い奴じゃなさそうだよな」
軽い調子のひと言だった。
初めて会ったときも、清之助は似たような調子だった。
清之助は歩き出していたが、ルキアの足が遅れたのに気づいたのか、振り返らないまま歩幅を少し緩めた。
「だから、あんまり難しく考えなくてもいいんじゃねーの?」
清之助の言いたいことはわかる。
返事はすぐには出てこなかった。
薫は観測対象なのか。
それとも、ただの一年生なのか。
さっきの小さな微笑みが、うまく分類できない。
ただの反応として片づけるには、どこか引っかかった。
ルキアは黙ったまま、清之助の後ろ姿を追った。
◇
放課後、ルキアは屋上へ向かおうとした。
けれど、途中の渡り廊下で足が先に止まる。
西日に照らされたグラウンドには、部活動に励む生徒たちの姿が見えていた。
ボールを追う声、笛の音、土を蹴る足音。
ルキアは、しばらくその光景を眺めていた。
そのとき、遠くから声が聞こえた。
「おーい、ルキア!」
不意に名前を呼ばれ、ルキアはその声の主を探した。
グラウンドの端に、正樹が立っていた。練習着姿で、タオルを無造作に肩へ引っかけ、こちらに向かって片手をひらひら振っている。
「暇なら手伝ってくれよ。今日は急に人数が足りなくなっちゃってさ」
「え、でも僕、サッカーはあまり得意じゃなくて」
「得意じゃないの? いーじゃん、見た目だけで選んでるから」
「……見た目で選ぶのは、ちょっと困るけど」
「言うなよ、そこ!」
正樹が大げさに肩をすくめる。
その様子に、ルキアは思わず笑ってしまった。
顔を上げたときには、もう足が前に出ていた。
「力になれるかはわかりませんが」
そう言って、正樹のあとに続いた。
簡単なミニゲームが行われた。
見よう見まねではあったが、ボールを追っているあいだは、他のことが頭に入ってこなかった。
足元へ転がってきたボールを止め、正樹へ返す。呼吸が上がった。
次の動きを考えるより先に、体がそっちへ向いた。
「なんだよ、お前サッカーうめーじゃん」
正樹が悔しそうに言った。
◇
ルキアは、グラウンドを離れ、ひとりで屋上へ向かった。
さっきの正樹の顔を思い出して、口元がふっとほどけた。
そして、目を閉じ、今日の記録を脳内で整理し始める。
▷ 内容:
・対象個体への外部評価に対し、第三者が即座に——
そこで、思考が止まった。
第三者、という言葉だけが、妙に浮いて感じられる。
それでは足りない気がした。けれど、何がずれているのか、うまく定まらない。
ゆっくりと目を開けた。
屋上のフェンスへ歩み寄り、冷たい金属にそっと指先を触れる。
校庭の向こうからは、まだ部活動の声が聞こえていた。
ひとつひとつは途切れているのに、重なると、不思議とひとつの熱みたいだった。
ルキアは小さく頭を振り、再び目を閉じる。
観測艦にアクセスした。
【地球文化記録:09】
▷ 観測地点:星桜高校
▷ 事象:個体間の評価伝達
▷ 内容:
・第三者による対象個体への肯定的評価を確認
▷ 備考:
・分類保留
ルキアは送信する前に、ゆっくりと目を開けた。
頬をなでる風は、さっきよりわずかに冷たくなっている。
薫の小さな微笑み。
清之助の、線を引ききらない距離感。
正樹に呼ばれて、気づけば足が前に出ていたこと。
どれも記録できないわけではない。
けれど、そのまま並べると、どこか違ってしまう気がした。
「……明日にするか」
そう呟いて、ルキアは屋上を後にした。




