11話 それぞれの視線
生徒会室では、瑞稀が一人でパソコンに向かい、昨日の体育祭の報告資料をまとめていた。
キーボードを打つ音だけが、部屋に響いている。
そのとき、ドアが勢いよく開いた。
正樹が顔を覗かせる。
「お疲れ、生徒会長」
「サボってたな、正樹」
瑞稀は小さく息をついて、答えた。
「いやいや、ちゃんと手伝ってたって。テントの撤収とか、めちゃくちゃ動いてたから」
そう言って、正樹が背後から画面を覗き込んでも、瑞稀は手を止めなかった。
「うわ、マジックとか、ガムテープとか……備品リスト、こんなに細かく管理してんだな」
その言葉に、瑞稀の指が止まる。
キーの上に置かれたまま、次の一打が落ちない。
正樹は画面から目を離した。
「今日はもう何もないし、このあとどっか寄って帰ろうぜ」
瑞稀はしばらく黙った。
そして、ぽつりと口を開く。
「……なあ、あの転校生、少し気にならないか」
「転校生? あいつか、ルキア?」
「体育祭の準備のとき、東條の投げたガムテープが……」
そこで口を閉じる。
「ガムテープ? それがどうしたんだよ」
「……いや、なんでもない」
正樹は首を傾げた。
瑞稀はそれ以上続けない。
「なんだよ、変な奴だな」
そう言って椅子にどかっと座ると、鞄から読みかけの漫画を取り出した。
「終わったら教えてくれよ。それまで待ってるから」
正樹をひと目見てから、瑞稀は窓の外へ視線をやった。
あのときのガムテープの軌道が、まだ引っかかっていた。
気のせいで済ませるには、妙に残る。
——あの転校生。
◇
放課後の屋上で、ルキアは一人だった。
夕陽が傾きはじめた空の下、風が制服の裾を揺らしている。
目を閉じると、意識は母星の観測艦へと繋がった。
【地球文化記録:07】
▷ 観測地点:星桜高校
▷ 期間:体育祭
▷ 観測内容:
・競技形式による対抗構造を確認
・高揚状態における統率行動の維持
・個体評価と集団評価の同時発生
・翌日、前日比で校内騒音値の低下を確認
▷ 分析補足:
・当該行事は対立構造を内包しつつ、秩序維持に機能
▷ 未分類要素:
・個体一名、継続観察対象
記録を送り終えても、ある生徒の静かな姿だけが頭の端に残っていた。
不意に、屋上の扉が開いた。
ルキアが振り向くと、一年生の御影薫が立っている。
ルキアの姿に気づいた瞬間、薫は小さく肩を揺らし、丁寧に頭を下げた。
そのまますぐには入ってこず、扉の脇で少しだけ足を止める。
「また会ったね。屋上、好きなんだ」
ルキアが先に声をかけた。
「……はい」
薫は屋上へ足を踏み入れると、ルキアから数歩離れたフェンス脇まで歩き、遠くの街並みへ目を向けた。
「ここに来るのが好きなの?」
「風が、気持ちいいので」
真っ直ぐな言葉だった。
ルキアは薫の横顔を見る。けれど、彼の心からは何も伝わってこなかった。
そのとき、背後から慌ただしい足音が聞こえてきた。
「ルキアー! どこ行ったんだよ、帰るぞー」
勢いよく扉を開けて駆け込んできたのは、清之助だった。
息を切らしながら、目の前の光景を見て足を止める。
「あれ、誰?」
その声が響いた途端、屋上の空気が変わった。
清之助は人懐っこい笑顔のまま、当然のように声をかける。
「俺、二年の東條清之助。お前は?」
「……御影薫。一年です」
薫は一瞬だけ目を伏せた。
「へえ、薫か。かっこいい名前じゃん!」
「……ありがとうございます」
そのやりとりを、ルキアは黙って聞いていた。
薫の表情がほんの一瞬だけやわらぎ、すぐに消える。
たったその一瞬が、目に映った。
やがて薫は「失礼します」と短く告げ、階段を降りていった。
屋上には、ルキアと清之助だけが残った。
「なんか、不思議な空気の子だな」
清之助が呟く。
ルキアは、薫が去っていったほうを見ていた。
「どうしたんだ、ルキア」
「あ、いや……」
「気になることでもあるのか?」
ルキアはすぐには答えなかった。
扉のほうを見たまま、指先だけがわずかに動く。
「うまく言えないんだけど……あの子だけ、少し違うんだ」
「違う?」
「あの子だけ、心が見えない」
「……読めないってことか?」
「うん。何度会っても、何も伝わってこない」
清之助は腕を組んだ。
「他に読めない人はいないのか?」
「……人間では、いない」
「どういうことだ?」
「僕の星の人同士では読めない。同じ精神構造だと干渉できないんだ」
清之助は眉を寄せた。
何か考えているようだった。
「もしかして、あいつもお前の星からやってきたのかもよ」
「ふふ。それだと記録に残るから、わかるはずだ」
「そっか。まあ、そんな感じには見えねーもんな」
屋上を吹き抜ける風の音だけが、やけに大きく響いた。
ルキアは空を見上げた。
「わからないけど、今はちょっと様子を見てみようと思う」
「……わかった。俺も何か気づいたら言うよ」
清之助は、制服のポケットを探った。
「ほら、手出して」
ルキアは目を丸くしながらも、素直に手を差し出す。
その手のひらに、カラフルな包み紙の飴玉がひとつ、ころりと転がった。
「悩むと糖分が足りなくなるからな。補給しとけ」
清之助が、にかっと笑う。
「ありがとう」
ルキアは少しだけ表情をやわらげ、飴玉を口に放り込んだ。
甘さがじわりと広がっていく。
「さて、寮に戻るか。腹減ったしな」
清之助が先に歩き出した。
ルキアは、その後ろ姿をしばらく見ていた。
手の中で、包み紙が微かに鳴った。




