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観測士ルキア  作者: 蒼
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9話 曲がった軌道

「なあ、これ本当に明日までに間に合うのか?」

「うわ、ペンキこぼした!」


 体育祭前日の放課後は、教室も廊下も落ち着かなかった。

 そんな中、清之助とルキアは教室の隅で、飾り付け用のボードに色を塗っていた。


「まじで疲れた」


 清之助が大きく背伸びをした、そのときだった。


「よ、清之助。ルキアも」


 ドアのところに、正樹と瑞稀が立っていた。


「ちょっと見回りにな」


 清之助は手を止めて、正樹のほうを向いた。

 

「正樹先輩がいるから、赤組は優勝ですね」

「おいおい、俺一人じゃ無理だぞ」


 正樹が苦笑すると、瑞稀が横から淡々と言った。


「運動神経だけはいいからな」

「だけって、ひどいな」


 その返しに、清之助が先に吹き出し、ルキアもつられて笑った。

 ちょうどそのとき、クラスメイトが清之助を呼んだ。


「清之助! そっちのガムテープ取ってくれ」


 清之助は足元に転がっていたガムテープを拾い上げる。


「おう。投げるぞ」


 そう言って放ったが、思ったより勢いがついた。

 ガムテープは、クラスメイトのほうではなく窓際へ逸れていく。


 そのずれを見た瞬間、ルキアの指先が反射みたいに動いた。


 ガムテープの軌道が、途中でわずかに曲がる。

 窓際へ逸れるはずだったそれは、クラスメイトの足元へ落ちた。


 相手は一瞬だけ窓際を見て、「……サンキュー」とだけ言うと、ガムテープを拾い上げた。


「ごめん、ミスった」


 清之助がそう言って振り返ると、ルキアと目が合った。

 ルキアは少しだけ微笑んで、眉を上げた。


「清之助、今の、カーブか?」


 正樹が目を丸くして聞いた。


「まあ、そんな感じです」


 清之助は、手でそれらしい軌道を描いてみせた。


 そのときだった。

 ルキアは鋭い視線を感じた。


 瑞稀は、清之助ではなく、ルキアの手元を見ている。

 正樹が笑っている横で、その目だけが留まっていた。


 ルキアは、手をそっと後ろで組んだ。

 それから何事もなかったように、正樹のほうへ向き直る。


「清之助は、野球の才能があるかもしれませんね」

「確かに」


 正樹が笑う。


「正樹、一年のところも回ろう」


 瑞稀が言った。

 目を向けたときには、いつもの穏やかな表情に戻っていた。

 

 そのまま二人に軽く笑いかけた。


「清之助もルキアも、ボードの作成頼むな」

「はい!」


 清之助が元気よく答える。

 正樹と瑞稀は「じゃあな」と言って、その場を離れていった。


 背中が見えなくなってから、清之助が小声で言った。


「さっきは、ありがとな」

「いや、大丈夫だよ」


 ルキアは、塗りかけのボードに向き直りながら答えた。

 清之助はその横顔をちらりと見る。


 ——ほんと、よく分かんねえやつだな。


 声が伝わってきた。


「あれ、僕、変なこと言った?」


 ルキアが小さく笑う。

 清之助は勢いよく顔を上げた。


「おい、また聞いただろ……」


 言いかけた言葉が、そこでしぼんだ。


「読まねえって言ってなかったか?」

「ごめん」


 それきり、ルキアは目を伏せた。

 思っている以上に気を抜いている自分にもはっとした。

 

 清之助はじろりとルキアを睨む。

 けれど、すぐには何も言わず、ふいと顔を逸らした。


「……気をつけろ」


 そう言うと、清之助は足元のハケを拾い上げる。

 そのまま自分で使うのかと思ったが、ほんの少しだけそれを見つめて、ルキアのほうへ差し出した。


 ルキアは一瞬だけためらってから、それを受け取った。


 ◇


 体育祭の準備が終わったあと、ルキアは一人で屋上へ向かった。

 静けさを取り戻した校舎に、足音だけが響く。


 屋上に着くと、ルキアは目を閉じて意識を向けた。


【地球文化記録:05】

▷ 観測地点:星桜高校

▷ 行事:体育祭準備期間

▷ 観測内容:

 ・男子単一環境下における集団行動の活性化を確認

 ・衝突行動と協調行動が同時発生

▷ 個体観測:

 ・対象「東條清之助」

  内的反応傾向、継続観察中


 送信を終えても、すぐには目を開けられなかった。

 昼間の瑞稀の視線が、まだ残っている。


 ゆっくり目を開け、屋上の景色を見渡した。

 夕方の風が頬をなでても、その感覚だけは薄れなかった。


「白川瑞稀……」


 小さく名前をこぼしてから、ルキアは自分の手を見る。

 さっき受け取ったハケの感触が、まだ手のひらに残っている気がした。


「……いや」


 言いかけて、そこで止まる。

 指先を静かに握り込み、そのまま屋上を後にした。

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