37話 文化祭の来訪者
一年前に小真智ちゃんが巻き込まれそうになった連れ去り事件があった。
その日は咲愛の服を買いに、都市部の繁華街へ足を運んだ。
買うものの中に咲愛の下着があり、行くのも女性服の店ばかりということで、翔馬は家でお留守番。
久しぶりに姉妹二人だけでのお出かけ、になるはずだった。
二件目の店に向かう途中、少女――小真智ちゃんと中年男性が目に入った。
それが妙に気になって、しばらく見ていた。
一見、優しそうで小綺麗な格好の中年男性だったが、小真智ちゃんの腕を強く掴んで路地へ向かおうとしていた。
小真智ちゃんが駄々をこねているようにしか見えないけれど、あんなに子どもの袖を、服に深いしわが寄るほど掴むもの?
中年男性の表情は優しげなのに、行動が全然伴っていない。
本当に知り合いかもしれない……と一瞬だけ悩んだあと、警察が来たと大声で叫んだ。
警察と聞いて驚いた男性が、手を離して路地へ逃げたので、その場で固まっている小真智ちゃんを引きずるように大通りまで連れ出した。
そして小真智ちゃんと二人で必死に走り、近くの交番に駆け込む。
先に交番へ向かってもらっていた咲愛とも、そこで合流した。
繋いでいた小真智ちゃんの手は、逃げる間も交番でもずっと震えていた。
小真智ちゃんの手をさすりながら「もう大丈夫、安心していいのよ」と私は繰り返していた。
私たちは事情だけ話し、連絡先だけ書けば帰っていいと言われたのだが、結局咲愛が怖がって買い物どころではなくなり、すぐに帰宅した。
その夜に、お礼を持った幼い千賀屋君が我が家に現れた、というわけだ。
「あのときは、鈴白先輩に満足にお礼も申し上げられず、失礼いたしました」
「あなたが無事だったからいいのよ。気にしないで」
「両親からはとても叱られてしまいました。中学生の女の子が被害者になる事件も近くであったようで」
「私もあれ以来、しばらくは妹と二人での外出は禁止されちゃったわ」
帰ってから、咲愛がうちの両親に話をして、翔馬にも知られ、私はそのあと一時間ほど説教をされた。
私自身も危ないことをしてしまった自覚は、ちょっとあるので大人しく聞いておいた。
「今日は習い事もお休みですし、お兄、柳さんと一緒に行動するからと言って、許可してもらったのです。お兄ちゃんもすぐに『来ていいよ』って言ってくれたんです!」
興奮して、普段使っているらしい「お兄ちゃん」呼びに戻っているのは、聞かなかったことにしておく。
ちらりと後ろを見ると、翔馬と千賀屋君は静かについてきていた。よしよし。
二人の間が三メートルくらい離れているけど、喧嘩されるよりはマシよね。
模擬店のエリアにつくと、食べたいものをそれぞれ買ってこようという話になった。
「翔馬はお金渡しておくから、余分に一つ好きなもの買いなさいね」
パッと顔が明るくなった翔馬がお金を受け取る。
「サンキュー。レン姉、ワッフルいる?」
買ってくるものは決まっているみたい。
「私はワッフルは昨日食べたからいらない。千賀屋君たちにも何か買ってきてあげて」
「……従妹には買ってくる」
仕方ない、私のほうで少し多めに買っておこう。
20分後、模擬店横のテーブル席を確保した私たちは戦利品を並べた。
千賀屋君たちの買ってきた焼きそば、私の買ってきたフライドポテトと、ホットドッグ。
そして翔馬の買ってきたワッフルと全員分の飲み物。
「翔馬、飲み物買ってくれたのね」
「知ってるやつが店番してて勧められた。ジュースとお茶二杯ずつ。……えっと、姫篠さんはリンゴジュースと麦茶ならどっちがいい?」
小真智ちゃんのことを気にしてくれたらしい。偉い。
「ありがとうございます。リンゴジュースをいただいてもいいですか?」
「どうぞ。……レン姉はいこれ」
「ありがとう」
私と千賀屋君は自動的に麦茶になるのね。
「ちょっと多めに買っちゃったから、千賀屋君たちも食べてね?」
「鈴白先輩、ありがとうございます。お代を」
「いりません。千賀屋君も楽しんで食べればいいの」
「ありがとうございます」
「お兄ちゃ、……柳さん。焼きそば、美味しいです!」
「よかった。先輩が買ってくださったフライドポテトと、ホットドッグもあるからね」
「はい。雨坂先輩もワッフルをくださいました。その、わたしに、と、一つ……」
「僕はいらないから小真智が食べるといい」
「ありがとうございます!」
「レン姉、そのホットドッグ、余り?」
「半分なら食べていいわよ」
「サンキュー」
「あっ! ウィンナー大きくちぎったほうを取ったわね!」
「くれるって言ったじゃん。……これがっつりマスタードついてる……!」
賑やかに食事を終えた私たちは、催しが見たいという小真智ちゃんのお願いを叶えるべく、教室棟に移動を開始した。
翔馬にはもう戻ってもいいと伝えたけど、「レン姉だけだと不安だから」とついてきてくれることになった。
「小真智ちゃんはどこが見たい?」
「柳さんのクラスは、一年一組でしたよね」
小真智ちゃんが期待に満ちた目を向けると、男子二人が一斉に首を横に振った。
「いや、僕のクラスはやめておこう」
「俺も他のクラスのほうが見応えがあると思う。レン姉のところがオススメ」
こんなに息のあった二人を見たのは初めてだ。
行ったら二人が何をしていたか質問されるだろうし、行きたがらないのも仕方ない。
「じゃあ、うちのクラスに行ってみましょうか」
午前中より落ち着いていた二年一組には、昨日一緒に案内係をした男子がいた。
「鈴白さん、可愛いお客様を連れてきたな。……昨日女装美男子を連れてきた一年と、出禁候補一号の一年が一緒か」
「変なあだ名つけるのやめてよ」
「……来見のせいで」
「……出禁候補?」
女装美男子を連れてきた一年(翔馬)と出禁候補一号の一年(千賀屋君)の顔がひきつっている。
「四人で謎解きできる?」
「ちょうど席が空いたから案内しよう。おかえりホームズたち」
廊下を歩く小真智ちゃんのお下げ髪が左右に楽しそうに揺れている。
「成功できてよかったです! お兄ちゃん、すごかった!」
「ありがとう。小真智、鈴白先輩にもちゃんとお礼を言うんだよ」
「連れて来てくださってありがとうございます! 鈴白先輩、雨坂先輩!」
小真智ちゃんは満面の笑みだ。
「楽しんでくれてよかったわ」
「俺はただ座ってただけだから。姫篠さんも参加できてよかったね」
「本当に座っていただけの貴様に、小真智の礼を受ける資格はないぞ」
「うるせえなシスコン野郎が」
「貴様の部屋には鏡がないとみえる」
「二人とも。変な言葉を小真智ちゃんに聞かせるならあっちに行って」
文句を言っていると、私のスマホに通知が来た。
咲愛からだ。
『お母さんが正門に到着したって。私すぐに動けないから迎えに行ってくれる?』
「ちょうどいいわ。翔馬、お母さん正門に着いたって。先に行って迎えてあげてよ」
それにしても何故お母さんは、いつも私じゃなくて、先に咲愛へ連絡するんだろう。
「わかった。行ってくる」
翔馬を先に行かせて、千賀屋君たちに「ごめんね」と手を合わせる。
「母が到着したから、そろそろ私も行かなくちゃ」
「先輩のお母様ですか。是非一度ご挨拶を」
「何を挨拶するのよ」
「先輩にはいつもお世話になっておりますと」
律儀ね。
「将来を見据えてお付き合いさせていただいておりますと」
語弊語弊。
先輩後輩としてのお付き合いでしょうが。
「大丈夫だから。きちんと小真智ちゃんをエスコートしてあげて」
「先輩がそうおっしゃるのなら。本日は急な誘いにお付き合いくださり、ありがとうございました」
「鈴白先輩、わたし来年は必ず鏡水学園に合格してみせます! ありがとうございました」
頭を下げた二人に、「こちらこそ楽しかった。またね」と手を振って別れる。
正門に向かいながら、私の脳裏にはずっと疑問が浮かんでいた。
姫篠小真智というキャラクターを、私は一切原作ゲームで見たことがないのだ。
そもそも原作では、千賀屋に従妹がいるなんて設定すら、知らなかった。
千賀屋の言動から、家庭環境がよくないんだろうな、とは予想していたが、今の千賀屋君から聞く親族関係はとても円満だ。
原作の小真智ちゃんは、原作の千賀屋と仲が悪かったんだろうか。
それとも……まさか。
私はそれ以上原作の二人について深く考えるのはやめた。
今の千賀屋君は小真智ちゃんのいいお兄ちゃん。それで十分だ。
「あ、来たきた! 恋華ー!」
先に行った翔馬の横で、大きく手を振りながら明るく私を呼ぶお母さんの声に、何故かほっとする。
私も大きく手を振り返して、お母さんの元に走った。
いつも読んでいただきありがとうございます。励みになっています。




