20話 先生のお礼
「鈴白恋華さん、こんにちは」
旅行から帰った翌日の月曜日。
クラス校舎と特別教室の校舎をつなぐ渡り廊下で、落ち着いてよく通る声に私は呼び止められた。
思わず振り返る。
「竜堂先生、こんにちは。一日ぶりですね」
「一日……ああ、そうか……確かに。もっと経っている気がしていた」
ふふ、と先生は柔らかく笑う。
今日の先生はきっちりとスーツを着ている。
着ている……んだけど。
ごく一部に、とても劣等感を刺激される。ブラウスの窮屈そうなボタンで、さらに強調されている。
私、先生の隣に立ちたくないなあ。なぜかなあ。
先生はそんな自分の魅力的なボディに頓着せず、話を続けた。
「軽井沢では、天気を教えてくれてありがとう。あの後友人と合流して、予定を結局変更したよ」
「そうだったんですね」
「せっかくだから一泊して朝に帰ろうという話になって、急いで宿をとったんだ。そこで」
先生は少し息を吸い込んだ。
「宿に行く途中、友人のバイクが故障した。すぐ対応してもらったけれど、あのまま帰っていたら事故になったかもしれない」
先生が深く頭を下げる。
「あの時、あなたが言ってくれたおかげだよ。ありがとう」
「や、やめてください、やめてください! ただ天気を伝えただけなので!」
先生に頭を下げられるなんて!
「いや、小さな見落としが大事故に繋がることはあり得るからね。私も近々自分のバイクを点検に持っていくよ」
「そうですね、いい機会になったなら良かったです。バイクの故障は災難ですけど」
「確かに。……あなたに何かお礼でも、と思ったんだけれど。旅行先が同じだったから、また何か用意しておくよ」
「いらないです、いらないです! またご友人と旅行を楽しんでください」
「うーん……こちらの気がすまないし……」
「うちの咲愛や翔馬を教えて頂いているお礼ってことにしてください!」
「それは私の職務だよ」
お礼を固辞する私に、先生は笑う。
「では私にできることがあれば、来なさい。力になろう」
先生は真っ直ぐ私を見て言い切った。めちゃくちゃ格好いい。
「は、はい。もし、お力を借りることがあれば……」
気圧されながら、私は言ったのだった。
あるかなあ、そんなこと。
あった。
「こんにちはレン先輩、今度の期末もヘルプです!現代の国語なんですけどー」
放課後、咲愛に連れられてやってきた麻菜ちゃんは開口一番にそう言った。
「そういうことなら、麻菜ちゃん、ちょっと一緒に来て!」
「え? はい! ……え?」
混乱している麻菜ちゃんを職員室へ連れて行き、竜堂先生の席へ。
「え? え? 竜堂先生?」
「さっそく頼ってくれて嬉しいよ、鈴白さん。では沙月さん、何がわからないのかな?」
「えー!!」
捨てられた子犬のような目で私を見る麻菜ちゃん。
「レン先輩、あたしレン先輩に聞こうと思ったのにー」
「先生ならしっかり教えてくれるわよ」
「理解できるまで頑張ろうね、沙月さん」
再来週の期末に向けて頑張ろう、麻菜ちゃん。
次の日、登校中に麻菜ちゃんに会った。
「麻菜ちゃん、おはよ……」
麻菜ちゃんは、なぜかぐるぐると渦巻きが描かれた黒縁眼鏡をかけている。ちゃんと見えるのかしら。
比喩じゃなくて渦巻きが描かれているし。
手には参考書。
でもその持ち方だと、読もうとした時、上下逆になるけど。
クイッと右手で眼鏡を上げる麻菜ちゃん。
「おはようございます、さーちゃん、レン先輩。おまけにまっさん。今の話は、あたしに朝の挨拶をして、途中で切った、ということですね。理解しました」
「……どうしたの? 麻菜ちゃん」「おまけって何だよ」
「はい、今の話の意図は、あたしに違和感を感じて、なぜそのような状況になったのか確認しようとしている、ということですね」
麻菜ちゃんが会話の分析マシーンになっていた。
さすがです、先生。
「あ。翔馬も苦手だったわよね」
そう言うと、翔馬はフルフルと首を振る。
記憶違いかしら……?
咲愛はうんうん、と頷いていた。
「竜堂先生、口調はさっぱりしてるけど、指導は熱心なの」
ちなみに後で咲愛に聞いたところ、麻菜ちゃんは、昼ご飯を食べると我に返ったらしい。
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