7. 総督
翌朝、従者が客間を訪ねてきた。
「カズマ様。総督閣下が、本日の第三刻にお会いになりたいとのことです」
第三刻。地球の時間で午前十時頃か。
ジリに伝えると、彼は表情を引き締めた。
「総督との会談だ。身なりを整えろ」
「これしか持っていない」
俺が示したのは、学院から着てきた旅装だった。七日間の旅で汚れている。総督に会う格好ではない。
ジリが溜息をついたが、すぐに従者に声をかけ、着替えの手配を頼んだ。
しばらくして届けられたのは、この国の正装に近い衣服だった。濃紺の上着に薄灰色の下衣。仕立ては良いが、装飾は控えめだった。客人用の貸衣装だろう。
袖を通してみると、丈が少し短かった。この世界の人間に比べて、俺は背が高いらしい。だが、許容範囲だ。
「刀はどうする」
ジリが聞いた。
「持っていく」
「総督の前だぞ。武装したまま会うのか」
「この刀は武器である以前に、俺の一部だ。外す理由がない」
ジリは何か言いかけたが、やめた。俺の性格を五ヶ月で理解しているのだろう。言っても無駄だと。
* * *
総督府の内部は、昨夜見た以上に広大だった。
従者に先導され、長い廊下を歩く。壁にはこの国の歴史を描いたらしい織物が掛けられ、ところどころに甲冑や武器が飾られていた。
俺の隣にはジリがいた。トーマとガンデムは客間で待機だ。ジリは学院の代表として同席するとのことだった。
廊下の突き当たりに、大きな両開きの扉があった。
扉の両側に衛兵が二人立っていた。甲冑の質が、街道で見た一般の兵士とは明らかに違う。磨き上げられた金属の胸当てに、濃い赤の外套。精鋭であることが一目で分かった。
衛兵の一人が俺の腰の刀に目を留めた。
「武器の持ち込みは――」
「構いません」
背後から声がした。エルティアだった。
昨日の旅装とは打って変わった姿だった。白を基調とした衣服に、銀糸で繊細な模様が縫い取られている。栗色の髪は丁寧に整えられ、薄い緑の瞳が凛とした光を宿していた。
総督の娘としての姿。昨日まで一緒に馬車に揺られていた少女とは、まるで別人のようだった。
「父に話はしてあります。カズマさんの剣は、あの方の一部のようなものですから」
衛兵は一瞬だけ戸惑ったが、すぐに敬礼して道を開けた。
「ありがとう」
「お礼は要りません。当然のことです」
エルティアはそう言って、先に扉の中へ入っていった。
扉の向こうは、広い謁見の間だった。
いや、謁見の間というほど仰々しい場所ではなかった。広さはあるが、内装は質素と言っていい。大きなテーブルが中央に据えられ、椅子がいくつか並べられている。壁には地図や書類の棚が見え、実務的な部屋だった。
これは会議室だ。儀礼のための場所ではなく、実際に仕事をするための場所。
テーブルの奥に一人の男が座っていた。
第一印象は、大きい、だった。
身長は百八十センチを超えていた。この世界の人間としては相当な長身だ。肩幅が広く、厚い胸板が衣服の上からでも分かった。四十代半ばに見える。短く刈り込んだ灰色がかった黒髪に、深い皺が刻まれた額。そして、エルティアと同じ薄い緑の瞳。
メレン・ファーデルス。副都アスファ総督。
その目が、俺を捉えた。
鋭い目だった。人を見定める目。敵意はないが、油断もない。政治家の目であると同時に、武人の目でもあった。
俺は自然と背筋が伸びた。この男の前では、だらしない姿勢は許されないと本能的に感じた。
「掛けなさい」
低く落ち着いた声だった。
俺とジリがテーブルの手前側に座った。エルティアは父親の隣に座った。
ジリが先に口を開いた。
「ガルディナ学院より参りました。武術教官のジリ・ダンストです。ビンデン校長の名代として、落ち人カズマをお連れいたしました」
ジリの言葉遣いが普段とまるで違った。軍人が上官に報告するような、硬く簡潔な口調だった。
「ご苦労だった、ジリ。道中のことは娘から聞いている」
総督の視線がジリから俺に移った。
「カズマ、と言ったな」
「はい。佐田和真。カズマと呼ばれています」
「サタ・カズマ。学院に来て五ヶ月の落ち人が、あのグラオムを単独で討ったと。娘の話が正しければ、だが」
「正しいです、父上」
エルティアが口を挟んだ。総督は娘に一瞥をくれたが、咎める様子はなかった。
「グラオムが街道近くに現れるのは、私の記憶では二十年ぶりだ。前回は衛兵の一隊を派遣して討伐した。それを一人で倒したと」
「運が良かっただけです」
「謙遜は要らん。娘の命を救ってくれたことには礼を言う」
総督は軽く頭を下げた。形式的な礼ではなく、感情の込もった動作だった。この男は娘を深く愛している。それが伝わってきた。
「それで、お前がアスファに来た目的は何だ。娘から概略は聞いているが、お前自身の口から聞きたい」
俺は正直に答えた。
「武田嗣久に会うことです。最初の落ち人に」
「理由は」
「三つあります。ひとつは、この世界のことをもっと深く知りたい。三百年を生きた人間からしか得られない知識がある。ふたつ目は、同じ日本人として話がしたい。俺の世界の言葉を話す人間が、この世界にいるならば。みっつ目は――」
少し間を置いた。
「元の世界に帰る方法があるのかどうかを、聞きたい」
総督はしばらく無言だった。太い指でテーブルの上を二度叩いた。考えるときの癖なのだろう。
「率直な男だな」
「嘘が下手なだけです」
「エルティアにも同じことを言ったそうだな」
エルティアが微かに笑みを漏らした。
「お前の気持ちは分かる。だが、タケダ殿に会わせるかどうかは、私が判断することだ。いくつか聞かせてもらう」
総督が姿勢を正した。ここからが本題だ。
「お前は元の世界で何をしていた」
「軍人です。帝国海軍陸戦隊の士官でした」
「軍人か。どういった任務を」
「偵察と情報収集を主任務とする特殊部隊に所属していました」
隠す理由はなかった。嘘をついても、この男には見抜かれるだろう。
「つまり、斥候であり、間諜でもあると」
「そう捉えていただいて構いません」
総督の目が細くなった。
「学院で五ヶ月。ゼーラ語はルッツ老師が認めるほどの速度で習得し、ジリが認めるほどの剣技を持ち、理力も使いこなす。しかも蒼い理力だと。ビンデンからの書簡にはそう書いてあった」
ビンデンが事前に書簡を送っていたのか。抜かりのない女性だ。
「お前のような人間がこの世界に来た。それが偶然なのか必然なのか、私には分からん。だが、お前が有用な人間であることは間違いない」
総督はテーブルの上の書類に手を伸ばし、一枚の地図を広げた。
「カズマ、お前は軍人だ。この地図を見て何が分かる」
地図はアスファを中心とした地域図だった。ゼーラ語で地名や地形が記されている。
俺は地図を注意深く見た。
地形、街道の配置、都市や砦の位置関係。軍人の目で見れば、読み取れる情報は多い。
「アスファは南北の交通の要衝に位置しています。北から南への主要街道がこの都市を通過し、西側には川が天然の防御線を形成している。軍事的には防御に適した立地です」
総督が頷いた。
「続けろ」
「ただし、東側に弱点があります。この丘陵地帯を迂回されると、街道を経由せずにアスファの東門に接近できる。丘陵に野盗が出るのも、この防衛の空白地帯と無関係ではないでしょう」
総督の目が光った。
「五ヶ月でそこまで読むか。ルッツの授業で地理を学んだだけでは分からん分析だ」
「地形を読むのは職業柄の習慣です」
「職業柄、か」
総督は地図を畳み、俺をまっすぐに見た。
「正直に言おう、カズマ。私はお前をタケダ殿のところに連れていくつもりだ。だが、条件がある」
「条件?」
「タケダ殿に会った後も、しばらくこのアスファに留まってもらいたい。お前の知識と能力は、この都市にとって有用だ。落ち人の中でも、お前のように軍事の専門家は珍しい」
要するに、俺を使いたいということだ。
政治家らしい交渉だった。娘の命を救った恩義を認めつつ、それとは別の次元で取引を持ちかけてくる。恩義と利害を切り分ける冷静さ。
「留まる期間は」
「決めていない。お前の意思を尊重する。だが、少なくとも数ヶ月はいてほしい」
「その間、何をすれば」
「この都市の防衛についての助言を求めたい。それと、お前の剣技と理力の使い方を、衛兵に教えてもらえれば、なお良い」
軍事顧問と教官。地球にいた頃の任務の一部と重なる内容だった。
俺は少し考えた。
断る理由はなかった。武田嗣久に会えるなら、条件としては悪くない。それに、アスファに留まることで、この世界の情報をさらに収集できる。図書館もあるとジリは言っていた。
「分かりました。お引き受けします」
「即断だな。もっと考えてからでもいいんだぞ」
「考える必要がありません。俺にとっても利のある条件です」
総督は初めて、はっきりと笑った。大きな身体に似合う、豪快な笑みだった。
「気に入った。軍人同士、話が早いのは助かる」
軍人。この男はかつて軍人だったのか。その体格と物腰は、確かに文官のそれではない。
「父は元衛兵隊長です」
エルティアが補足した。総督は娘を一瞥したが、否定はしなかった。
「若い頃の話だ。今は書類と格闘する毎日でな。身体が鈍って仕方がない」
謙遜だろう。この男の身体には、まだ十分に武人の力が宿っている。座った姿勢からでも、それは分かった。
「では、タケダ殿の件だが」
総督は懐から小さな革の袋を取り出した。袋の口を開け、中身をテーブルの上に出した。
小さな石だった。親指の先ほどの大きさで、形は楕円。色は乳白色で、内部にかすかな光を帯びていた。
理力を感じた。この小さな石の中に、驚くほど緻密な理力の構造が封じ込められていた。
「これが結界の鍵だ。タケダ殿自身が作ったものだ」
俺は手を伸ばしかけて、止めた。総督の許可なく触れるべきではない。
「手に取ってみろ」
許可を受けて、石を手に取った。
掌に乗せた瞬間、石が微かに脈動した。まるで心臓のように、小さく、規則的に。
石の中の理力が、俺の理力に反応している。蒼い光が石の内部で一瞬だけ瞬いた。
「ほう」
総督が目を見開いた。
「その石が反応するのを見たのは初めてだ。私が持っても何も起きなかった。エルティアが触っても同じだった」
「落ち人の理力に反応するのかもしれません」
「かもしれんな。あるいは、お前個人に反応しているのか」
総督は考え込むような表情を見せた。
「その石を持って、アスファの南門から街道を南に一刻ほど歩いたところに、フェルゲンの森がある。石がお前を導くはずだ、とタケダ殿は言っていた。結界の中に入れるかどうかは、石が決める、とも」
「石が決める?」
「私にもよく分からん。タケダ殿の言うことは、時々わかりにくい」
三百年を生きた人間の言葉は、きっと凡人には理解しがたいものなのだろう。
「明日、行ってくるといい。今日は休め。グラオムと戦った疲れも、旅の疲れもあるだろう」
「ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらだ。娘を救ってくれた」
総督はもう一度、深く頭を下げた。
会談は終わった。
* * *
会談の部屋を出ると、エルティアが廊下で待っていた。
「うまくいきましたね」
「エルティアのおかげだ」
「いいえ。父はあなたを気に入ったのです。父は率直な人間を好みます。取り繕った言葉を使う人間を嫌います」
「軍人は取り繕うのが苦手な生き物だからな」
「そうですか? 政治家も軍人も、私には同じくらい取り繕っているように見えますけれど」
鋭い観察だった。十六、七の少女が言う言葉ではない。総督の娘として育った環境が、こういう視点を養ったのだろう。
「明日、タケダ様のところに行かれるのですね」
「ああ」
「ひとつだけ、お願いがあります」
「何だ」
「タケダ様にお会いになったら、どうか――優しくしてあげてください」
意外な言葉だった。
「タケダ様は、とても長い時間をひとりで過ごしてこられた方です。父が時折訪ねていきますが、それでも、ほとんどの時間をあの湖のほとりでひとりで過ごしている。同じ国の言葉を話す人間に会うのは、きっと――」
エルティアは言葉を切った。
「きっと、嬉しいと思うのです」
三百年。
故郷の言葉を話す相手もなく、結界の中でひとり。
それがどういう時間なのか、俺にはまだ想像しきれなかった。
「分かった。優しくするよ」
エルティアは安心したように微笑んだ。
「ありがとうございます。それと、タケダ様を訪ねて落ち着かれたら、お時間があるときにアスファの街をご案内したいのですが」
「街の案内?」
「はい。この街のことも知っていただきたいので」
総督の娘が自ら街の案内を申し出る。護衛や侍女の手配もあるだろうに。
「エルティア様、それはいかがなものでしょうか」
いつの間にか背後に立っていたヘルダが口を挟んだ。
「総督のお嬢様が、お知り合いになったばかりの殿方と二人きりで街を歩くのは――」
「二人きりではありません。ヘルダも一緒に来てください」
「そういう問題ではございません」
「命の恩人に街をご案内するのは、当然の礼儀です。そうでしょう、ヘルダ?」
ヘルダは口をつぐんだ。エルティアの論理は隙がなかった。そして、こういう交渉に慣れている顔だった。
「……では、お供いたします。ただし、護衛もつけます」
「もちろん」
エルティアはヘルダに微笑み、俺に向き直った。
「というわけで、近いうちに。よろしいですか?」
「ああ。よろしく頼む」
エルティアは小さく会釈して、ヘルダと共に廊下の奥へ去っていった。
残された俺は、手の中の乳白色の石を見つめていた。
石は掌の上で、まだかすかに脈動していた。
明日、この石がすべてを変えるかもしれない。
あるいは、何も変わらないかもしれない。
だが、行かなければならない。
結界の向こう側に、答えがあるのなら。




