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 4. アスファへの道

 出発の朝は、曇り空だった。


 白い葉を持つ木々が風に揺れ、湿った空気が肌にまとわりついた。雨が近い。この世界に来て五ヶ月、天候の変化を肌で読む程度の感覚は身についていた。


 学院の門の前に、四人の人間が立っていた。


 俺、ジリ・ダンスト、ガンデム・ビアン、そしてトーマ・リンデル。


 ジリは護衛として、ガンデムは世話係として。トーマは――正直、なぜいるのかよく分からなかった。


「俺も行きたいとビンデン校長に頼んだ。実戦経験を積みたいと言ったら許可が出た」


 トーマはそう言って屈託なく笑った。二十歳になったばかりの若者らしい、まっすぐな笑顔だった。


 ビンデン校長は門の内側から俺たちを見送った。


「副都アスファまで、徒歩で七日。馬車であれば五日ですが」


 ビンデンは俺に視線を向けた。学院には馬車が一台あり、それを使う選択肢もあった。


「歩きます」


 俺は即答した。


 理由は単純だった。この世界の地形、植生、集落の配置、道の状態。それらを自分の足で確かめたかった。情報は目と耳と足で集めるものだ。馬車の中から眺めるだけでは得られないものがある。


 それに、七日間の徒歩行軍など、任務に比べれば散歩のようなものだ。


「気をつけて。南街道は比較的安全ですが、三日目以降のリューゲン丘陵は野盗が出ることがあります」


 ビンデンの忠告に頷き、俺たちは歩き始めた。


     * * *


 南街道は、学院のあるガルディナの町から副都アスファまでを結ぶ主要な街道だった。


 道幅は馬車二台がすれ違える程度で、踏み固められた土の道だ。舗装はされていないが、よく整備されており、歩きやすかった。


 街道の両側には、はじめのうちは白い葉の木々が続いていたが、学院から半日も歩くと、徐々に緑の葉を持つ木々が混じり始めた。白い葉の木々は、あの大河のほとりの一帯にしか群生していないようだった。


 初日の行程は順調だった。


 天候は曇りのまま持ちこたえ、雨には降られなかった。


 ジリが先頭を歩き、その後ろに俺とトーマ、最後尾にガンデムという隊列だった。


 ジリの歩く速度は一定で無駄がなかった。軍人の行軍に通じる歩き方だ。職業軍人ではないはずだが、武術教官としての経験が身体に刻まれているのだろう。


 トーマは道中、よく喋った。


「カズマ、あの木はグレンドの木だ。実が食える。秋になると甘くなる」


「あの鳥はリッタ鳥。肉は不味いが、卵はうまい」


「あの花は触るな。汁が肌につくと三日間痒くなる」


 トーマの解説は、教科書では得られない実用的な知識に満ちていた。彼は地方領主の息子で、幼い頃からこの地域の野山を駆け回って育ったという。


 一方、ガンデムは黙々と歩いていた。小柄だが筋肉質の身体は、長距離の歩行にも向いているようで、疲れた様子を見せなかった。ただ、俺が振り返るたびに、にかっと笑った。


 日が傾き始めた頃、街道沿いの小さな村に到着した。


 村の名はルテンといい、二十戸ほどの家が街道に沿って並んでいた。


 ジリは村の宿屋――といっても、農家の離れを旅人に貸している程度のものだ――に俺たちを案内した。


 夕食は村の宿が出してくれた。根菜と豆の煮込みに、硬いパンのようなグラン、それに干し肉。学院の食事と大差ないが、煮込みに使われている香草が異なるのか、風味が違った。


「この辺りの料理は、南の香草を使う。学院のあるガルディナは北の味付けだ」


 ジリがそう教えてくれた。ジリは普段は寡黙だが、食事の話になると饒舌になることを俺は知っていた。


 食後、俺は村の周囲を少し歩いた。


 情報収集の習慣だった。村の規模、住民の様子、防備の有無、水源の位置。意識せずとも目が勝手にそれらを拾い上げる。


 村には柵も壁もなく、武装した人間も見当たらなかった。平和な土地なのだろう。少なくとも、この辺りは。


     * * *


 二日目も快調に歩を進めた。


 街道沿いの風景は徐々に変化していった。平坦な農地が広がる地域から、緩やかな起伏のある丘陵地帯へ。木々の密度が増し、街道の両側に森が迫ってくる区間も出てきた。


 二日目の昼過ぎ、街道の脇で休憩を取っているとき、俺はジリに尋ねた。


「ジリ、この辺りの治安はどうなんだ」


「ここまでは問題ない。南街道はこの国で最も交通量が多い街道のひとつだ。兵の巡回もある。だが、明日から入るリューゲン丘陵は少し事情が違う」


 ジリは地面に枝で簡単な地図を描いた。


「リューゲン丘陵は起伏が激しく、森が深い。街道は丘陵を避けて迂回しているが、それでも一部は丘陵の縁を通る。その区間が危ない」


「野盗か」


「そうだ。小規模な連中がいくつか。十人以下の集団が多い。大きな隊商や武装した旅人は襲わないが、少人数の旅人は狙われることがある」


 四人は少人数に入るだろう。ただし、ジリと俺がいる。武装もしている。


「俺たちを襲うと思うか」


「分からん。連中の判断次第だ。だが、おまえと俺がいれば、まず問題はない」


 ジリはそう言って、簡潔に笑った。武人の自信に裏打ちされた、控えめな笑みだった。


 二日目の夜は野営だった。


 村と村の間が離れている区間で、宿に辿り着けなかったのだ。


 街道から少し外れた、木々に囲まれた開けた場所に陣を取った。


 焚き火を囲み、干し肉とグランの簡素な夕食を済ませた後、見張りの順番を決めた。


 ジリ、俺、トーマ、ガンデムの順で、各三時間。


 ジリが最初の見張りに立ち、残りの三人は毛布にくるまって横になった。


 俺は目を閉じたが、すぐには眠れなかった。


 身体は疲れていない。二日間の歩行程度では、この身体は疲労しない。落ち人の身体能力の恩恵なのか、元々の体力なのかは分からないが。


 眠れないまま、俺は理力の感覚を研ぎ澄ませてみた。


 周囲の理力の流れを感じる。木々の中を巡る緩やかな流れ。土の中にある深い流れ。夜行性の小動物が茂みの中を移動する、微かな理力の動き。


 この感覚を広げれば、周囲の生物の接近を察知できるのではないか。


 俺はそう考え、意識の範囲を少しずつ広げていった。


 五メートル、十メートル、二十メートル。


 ちなみに「メートル」という単位は、この世界でも使われている。過去の落ち人が持ち込んだ度量衡がこの国に定着したのだと、ビンデンから聞いていた。地球の一メートルとほぼ同じ長さだという。おかげで距離の感覚に困ることはなかった。


 二十メートルを超えたあたりで、感覚が急速にぼやけた。まだ、この距離が限界のようだ。


 だが、この二十メートルの範囲内であれば、人間大の生物が接近すれば確実に感知できるという確信があった。


 これは使える。哨戒任務の経験から、この能力の有用性は即座に理解できた。


 俺は理力の感覚を薄く維持したまま、眠りについた。


     * * *


 三日目。


 リューゲン丘陵の縁に差し掛かった。


 風景が明らかに変わった。なだらかだった地形が起伏を増し、街道の両側に鬱蒼とした森が壁のように迫っていた。木々の葉は濃い緑で、白い葉の木は一本もなかった。


 日差しが木々に遮られ、街道が薄暗くなる区間もあった。


 ジリの歩き方が変わったのに気づいた。歩幅がわずかに狭くなり、視線の動きが頻繁になった。警戒態勢に入っている。


 俺も同じだった。


 理力の感覚を周囲に広げ、人の気配を探る。前方にも後方にも、俺たち以外の人間の気配はなかった。


 トーマも雰囲気を察したのか、いつもの饒舌が鳴りを潜めていた。左腰の直剣に手を添え、周囲に目を配っている。学院での訓練は伊達ではないようだ。


 三日目は何事もなく過ぎた。


 街道沿いの小さな宿場で一夜を過ごした。宿場の主人は、最近野盗の被害は聞いていないと言った。だが、「油断はするな」とも付け加えた。


 四日目の朝は、霧が出ていた。


 濃い霧ではなかったが、街道の先が白く霞み、五十メートル先の視界が曖昧だった。


 ジリは出発を少し遅らせるか迷った様子だったが、日程を考え、出発することにした。


「固まって歩け。間隔を空けるな」


 ジリの指示に全員が従い、通常より密集した隊形で歩き始めた。


 俺は理力の感覚を常時展開していた。二十メートルの範囲内の気配を探り続ける。集中力を要する作業だが、五ヶ月の訓練で培った制御力のおかげで、歩きながらでも維持できるようになっていた。


 霧の中を二時間ほど歩いた頃だった。


 俺は足を止めた。


「ジリ」


 短く呼んだ。ジリは即座に立ち止まり、振り返った。


「どうした」


「前方。街道の両側。人がいる」


 ジリの目が鋭くなった。


「何人だ」


「右に四つ。左に三つ。計七つの気配。距離は――」


 俺は感覚を研ぎ澄ませた。理力の探知範囲の端に引っかかるか引っかからないかの距離だ。


「二十メートル前後。森の中に潜んでいる」


 ジリは一瞬の逡巡もなく判断した。


「野盗だ。待ち伏せしている。トーマ、ガンデム、抜け」


 トーマとガンデムが直剣を抜いた。トーマの顔は緊張で強張っていたが、手は震えていなかった。ガンデムは無言で、いつもの人懐こい笑みは消えていた。


 俺は腰の刀に手をかけた。


 抜かなかった。まだ、その必要はない。


「ジリ、彼らは動いていない。俺たちが止まったのに気づいたようだ」


「こちらが察知していることに気づいたか。霧の中でなぜ分かったのかと混乱しているだろうな」


 ジリの推測は妥当だった。この霧の中、五十メートル先も見えない状況で、待ち伏せを看破されるとは思っていなかったはずだ。


 数秒の沈黙があった。


 そして、気配が動いた。


「来る」


 俺が言った瞬間、森の中から人影が現れた。


 右側から四人、左側から三人。計七人。


 全員が武装していた。粗末な革鎧に、手入れの行き届いていない直剣や斧。装備の質は低い。だが、身体つきは鍛えられていた。


 七人は街道を塞ぐように展開し、その中央に立つ一人――顎鬚を生やした大柄な男が、ジリに向かって声を上げた。


「旅人よ、通行料を払ってもらおうか。荷物と金を置いていけば、命は取らん」


 典型的な野盗の台詞だった。どの世界でも、こういう連中の言うことは変わらないらしい。


 ジリは冷静だった。


「学院の者だ。通行料など払う義務はない」


「学院?ああ、あの北の学校か。学者と子供の集まりだろう。怖くはないな」


 顎鬚の男がにやりと笑い、部下たちも追従するように笑った。


 だが、その笑いは続かなかった。


 俺が一歩前に出たからだ。


 刀にはまだ手をかけていない。ただ、前に出ただけだ。


 だが、理力を意識的に放った。殺気と呼べるものに理力を乗せ、前方に向けて薄く広げた。


 顎鬚の男の顔から笑みが消えた。


 男だけではない。七人全員の表情が変わった。本能的に何かを感じ取ったのだろう。理力を感知する能

力がなくても、生存本能が警告を発したに違いない。


 自分より圧倒的に強い存在が目の前にいる、という原始的な恐怖。


 501特戦隊での任務中、尋問の際に使っていた技術だ。あのときは「威圧」と呼んでいたが、理力を得た今、その効果は地球にいた頃とは比較にならないほど強烈になっていた。


「もう一度言う」


 俺はゼーラ語で、はっきりと言った。


「俺たちは学院の者だ。通してもらおう」


 顎鬚の男は後退りした。半歩、そしてもう半歩。


 だが、七人の中の一人が動いた。


 右端にいた若い男だった。恐怖に耐えきれなかったのか、それとも恐怖を怒りに変えてしまったのか。叫び声を上げながら、斧を振りかぶって突進してきた。


 こういう手合いが一番厄介だ。恐怖で判断力を失った人間は、予測のつかない動きをする。


 だが、予測がつかないだけで、脅威ではなかった。


 俺は半身をずらして斧をかわし、すれ違いざまに右手で男の手首を掴み、捻った。斧が地面に落ちる乾いた音がした。そのまま手首を極め、男を地面に押し倒した。


 一秒もかからなかった。


 倒された男が短い悲鳴を上げた。手首は折れていないが、関節を極められた痛みで動けない。


 残りの六人が凍りついた。


 顎鬚の男が、かすれた声で言った。


「――撤退だ。退け」


 その声に、六人は踵を返した。森の中に消えるまで、十秒もかからなかった。


 地面に押さえつけていた男も解放してやった。男は手首を押さえながら、仲間の後を追うように森に駆け込んでいった。


 霧の中に静寂が戻った。


 トーマが大きく息を吐いた。


「……カズマ、お前、何をした?あいつら、お前が前に出ただけで顔が真っ青になったぞ」


「少し、脅かしただけだ」


 ジリは腕を組んだまま、微かに笑っていた。


「理力を威圧に使ったな。あれは教わったのか」


「いや。昔からやっていたことに、理力を乗せただけだ」


「昔から、か」


 ジリは何かを噛みしめるように頷いた。


「おまえの国では、どんな任務をしていたんだ。いや、聞かんほうがいいか」


 俺は答えなかった。ジリもそれ以上は聞かなかった。


 ガンデムが直剣を鞘に収め、いつもの笑顔を取り戻した。そして俺の肩を叩き、ゼーラ語で一言だけ言

った。


「すごい」


 単純な言葉だったが、その一言に込められた感情は伝わった。


 俺たちは再び歩き始めた。


 霧は少しずつ晴れてきていた。丘陵の森の向こうから、薄い日差しが差し込み始めている。


 だが、俺は理力の感覚を解かなかった。


 野盗は退いた。だが、それとは別の気配を、さきほどから感じていたからだ。


 遠い。理力の探知範囲の外。だが、何かがいる。


 それは野盗のような人間の気配ではなかった。


 もっと大きく、もっと濃い、獣のような理力の塊。


 しかも、ひとつではない。


 俺はジリの隣に並び、声を落として言った。


「ジリ、この先に何かいる。人間ではない。大きい。複数だ」


 ジリの表情が、初めて険しくなった。


「……距離は」


「分からない。俺の感知の外だが、それでも感じるほど大きな気配だ」


 ジリは足を止め、街道の先を睨んだ。霧はまだ完全には晴れておらず、先の見通しは悪い。


「この丘陵に、大型の獣が棲んでいるという話は聞いたことがある。だが、街道まで出てくることは滅多にない」


「滅多にない、ということは、ゼロではないんだな」


「……ああ」


 ジリは腰の直剣の柄を握り直した。


「全員、武器を抜いて進め。何があっても走るな。固まって動く」


 トーマとガンデムが緊張した面持ちで直剣を抜いた。


 俺は、刀を抜いた。


 鞘から解き放たれた刃に、蒼い理力が自然と流れた。


 霧の向こうから、低い唸り声が聞こえてきた。

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