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 30. 援軍

 王都からの援軍本体五千が到着したのは、あの夜の戦いから三日後だった。


 北門の前に、俺はグスタフ、ダリオ、そしてヘルムートと共に立っていた。


 まず、騎馬の先触れが視界に入った。王旗を掲げた騎兵が二騎、街道を駆けてきた。


「王都援軍本体、到着いたします!」


 先触れが叫んだ。その声が城門の衛兵に伝わり、北門が大きく開かれた。


 続いて、本隊が姿を現した。


 五千の兵。騎兵が先頭を行き、その後ろに歩兵の長い列が街道を埋め尽くしていた。甲冑の金属が朝日を受けて銀色にきらめき、軍旗が風に翻っていた。


 駐留軍三千が出払った後の静まり返ったアスファに、五千の軍勢が到着する。街の住民たちが通りに出て、援軍を見つめていた。安堵と歓声が入り混じった声が、あちこちから上がった。


 本隊の先頭に、一頭の白馬に騎乗した人物がいた。


 金の装飾が施された胸甲。深紅の外套。腰には宝剣。明らかに他の騎兵とは異なる格式の装いだった。


 白馬が北門の前で止まった。騎乗者が馬から降りた。


 若い男だった。二十代後半か三十歳前後。端正な顔立ちに、切れ長の碧い目。背は高く、立ち姿に生まれながらの威厳があった。


 ヘルムートが即座に片膝をついた。


「殿下。お待ちしておりました」


 殿下。


 俺はヘルムートを見、次にその若者を見た。


 王族か。


 若者がヘルムートに手を差し伸べた。


「立て、ヘルムート。ここでは堅苦しい礼は不要だ」


 若者は俺たちに視線を移した。碧い目が、俺の顔で止まった。


「お前がカズマか」


「はい」


「シュテファン・ゲオルク・ゼーラント。王弟だ。陛下の命により、援軍本体を率いてきた」


 王弟。国王の弟。王族が自ら援軍を指揮してきたのか。


「先発の騎兵五百を率いたヘルムートから、早馬で報告を受けている。アスファでの戦闘、敵の潜入部隊の壊滅、指揮官の捕獲。お前の働き、見事だった」


「恐れ入ります」


「だが、詳しい報告はまだ聞いていない。特に、核に関わる件は書面では伝えられなかったはずだ」


 核、と言った。


 この男は理力の核のことを知っている。


「殿下は、核のことをご存じなのですか」


「知っている。核の機密を共有されている数少ない人間の一人だ。陛下が私にこの任を命じたのは、それが理由でもある。核に関わる事態を処理できる権限を持つ人間が、現場に必要だと判断された」


 なるほど。単なる援軍の司令官ではない。核に関わるすべての事案を処理する権限を持った特使。それが、この王弟の本来の役割だ。


「場所を変えましょう。総督府でお話しします」


「案内しろ」




     * * *




 総督府の会議室に、シュテファン王弟、ヘルムート、グスタフ、ダリオ、そして俺の五人が席についた。


 扉は閉じられ、衛兵が外に立った。


「報告しろ、カズマ。最初から、すべてを」


 シュテファンの口調は簡潔だった。形式的な前置きを嫌う人間だと、すぐに分かった。


 俺は報告を始めた。


 東の丘陵での偵察部隊との遭遇。捕虜ヴォルクの尋問で理力の核の奪取が目的であると判明したこと。だが、末端の兵が知りすぎていることへの疑念。


 武田嗣久との会合。地脈との関係。核を移動させれば効果が著しく弱まるという事実。漏洩元が総督周辺であるという推定。


 毒餌の作戦。ナーゲルの妻イルマが漏洩元であったこと。五人の間諜網の発覚。


 半年間にわたる百人の分散潜入部隊の存在。間諜網がおとりだった可能性。


 武田嗣久による核への追加結界の構築。ダミーの核の製作。


 駐留軍の全軍出陣と、カズマへの防衛指揮の委任。


 作戦当日の陽動と地下倉庫の襲撃。ダリオの指揮による敵本隊の壊滅。


 白い剣士との戦闘。指揮官の逃走と、武田嗣久による捕獲。


 そして、指揮官ヴェルナーの尋問結果。王都の外交官コンラート・メッサーが情報源であったこと。ダルムスト公国の宰相アレクセイ・ヴォロノフが落ち人であり、作戦の首謀者であること。


 報告は一刻以上に及んだ。


 シュテファンは一言も挟まず、最後まで聞いた。碧い目が、俺の言葉を一語たりとも逃すまいとするように、真っ直ぐに俺を見つめ続けていた。


 報告が終わると、沈黙が落ちた。


 シュテファンは椅子の背にもたれ、天井を見上げた。しばらくそのままの姿勢でいた後、身を起こした。


「コンラート・メッサーか。あの男の名がここで出てくるとは」


「ご存じですか」


「直接の面識がある。外交省の次官級の男で、ダルムスト公国との交渉に長年携わっていた。有能だが、私は以前からあの男の目が気に入らなかった。忠誠心の薄い目をしていた」


 シュテファンは机の上で指を組んだ。


「コンラートの件は、私が処理する。王都に戻り次第、陛下に直接報告し、極秘裏に身柄を確保する。外交省の内部調査も必要になるだろう」


「ありがとうございます。伝令で書面を送るのは危険が大きいと判断し、殿下の到着を待っていました」


「正しい判断だ。書面が途中で奪われれば、コンラートに逃亡の時間を与えることになる」


 シュテファンは次に、アレクセイについて尋ねた。


「宰相アレクセイ。十五年前にアスファに滞在した落ち人か。記録を見せてもらえるか」


 グスタフが記録を差し出した。シュテファンは書類に目を通し、眉をひそめた。


「理力の発現は微弱。約一年間の滞在の後、東方への旅を希望して出立。……学院でも特に問題のない人物として扱われていたようだな」


「はい。当時の記録には、不審な点は何も記されていません」


「十五年で小国の宰相にまで上り詰め、隣国の防衛の要を奪う作戦を立案する。理力は弱くても、頭脳は一級品ということか」


 シュテファンは書類を置いた。


「落ち人が敵国の要職に就いている。これは極めて厄介な問題だ。不老の身体を持ち、落ち人としての知識を持つ人間が、我が国に敵対する立場にいる。しかも、有能だ」


「殿下、ひとつ進言があります」


「言え」


「アレクセイは今回の作戦に失敗しました。指揮官は捕まり、潜入部隊は壊滅した。だが、アレクセイ自身は公国にいる。作戦の失敗から学び、次の手を打ってくるでしょう。そしてアレクセイは落ち人です。十年でも二十年でも、待てる」


「長期戦になるということか」


「はい。今回はこちらが守り切りました。だが、守り続けるだけでは、いずれ綻びが出る。どこかの時点で、外交的な解決か、あるいは別の手段で、根本的な対処が必要になります」


 シュテファンは俺を見つめた。


「カズマ。お前は軍人としてだけでなく、政治的な視野も持っているな」


「情報収集と分析を専門としていた部隊にいましたので。戦場だけでなく、その先にある政治も視野に入れる訓練を受けています」


「なるほど。兄上がお前のことを気にかけている理由が分かった」


「陛下が?」


「総督からの書簡で、お前の働きは逐一報告されていた。陛下は、お前をただの軍事顧問以上の存在として見ている」


 それ以上は語らなかった。だが、その言葉の含みは理解できた。




 会議の後、シュテファンは総督府に司令部を設置した。五千の兵の受け入れと配置は、ヘルムートと彼が連携して進めた。


 アスファの街に、ようやく本格的な防衛力が戻った。衛兵隊二百に加え、先発の騎兵五百と本体五千。合わせて五千七百。駐留軍三千がいた頃よりも、はるかに強力な戦力だ。


 シュテファンは捕虜のヴェルナーとも直接対面した。王弟の前に引き出されたヴェルナーは、もはや抵抗の気力を完全に失っていた。


 シュテファンは尋問ではなく、短い問いかけだけを行った。


「お前の宰相に伝えろ。次はない、とな」


 ヴェルナーは何も答えなかった。




     * * *




 援軍本体の到着から五日が経った。


 アスファの街は、急速に平時の姿を取り戻しつつあった。


 間諜網の五人――イルマ、フェリクス、ユーリ、ヴィクトール、ディーター――は、シュテファンの命令で一斉に確保された。泳がせる段階は終わった。指揮官を捕らえ、潜入部隊を壊滅させた以上、間諜網を維持する意味はもうない。


 ナーゲルにも、すべてが伝えられた。


 ダリオが直接、ナーゲルの自宅を訪ねた。妻イルマの正体と、彼女が行っていたことのすべてを。


 ダリオが戻ってきたとき、その顔はこれまでに見たどの表情よりも辛いものだった。


「どうだった」


「ナーゲル殿は……泣きました。声を上げずに。ただ、涙を流していました」


 それ以上は聞かなかった。聞く必要もなかった。


 ナーゲル自身には処分は下されなかった。シュテファンの判断で、意図的な裏切りではなかったとして、退役軍人としての名誉は守られた。ただし、核に関する知識を持つ人間として、今後は監視下に置かれることになった。




 そして、援軍到着から七日目の朝。


 東方から早馬が到着した。


 国境の総督からの報告だった。


 グスタフが報告書を読み上げた。


「東方戦線より。ダルムスト公国軍、国境から全面撤退。我が駐留軍の損害は軽微。公国軍は戦闘を交えることなく後退し、国境線の向こうに撤収した模様。総督閣下は、公国の後退が確認され次第、駐留軍を帰還させる予定とのこと」


 会議室に安堵のため息が漏れた。


「予想通りだな」


 シュテファンが呟いた。


「アスファでの作戦が失敗し、指揮官が捕まった。その報告が公国に届けば、国境の陽動を維持する意味がなくなる。撤退は当然の判断だ」


「殿下、公国が再び動く可能性は」


 ヘルムートが尋ねた。


「短期的にはない。今回の作戦に投入した資源と人員を考えれば、立て直しに数年はかかる。だが、宰相アレクセイが健在である限り、長期的な脅威は消えない」


 シュテファンは俺に目を向けた。


「カズマ、総督が戻れば、お前は軍事顧問としての任を解かれることになるだろう。だが、私からひとつ提案がある」


「何でしょうか」


「王都に来ないか。陛下がお前に会いたいと言っている。お前の能力と判断力は、この国にとって必要なものだ。副都だけに留めておくのは、もったいない」


 王都。国王との面会。


 俺は少し考えた。


「ありがたいお話です。ですが、すぐには答えられません」


「急がんでいい。総督が戻り、事態が完全に落ち着いてからで構わない。考えておいてくれ」


 シュテファンはそう言って、席を立った。


 会議室を出た後、ダリオが近づいてきた。


「カズマ。王都ですか」


「提案があっただけだ。まだ何も決めていない」


「そうですか。ですが、この街にはまだあなたが必要です。私個人としても」


 ダリオの言葉は控えめだったが、その奥にある感情は伝わってきた。


 俺は窓の外を見た。


 アスファの街は、朝の光の中で静かに息をしていた。市場が開き、職人が工房に向かい、子供たちが通りを駆け回っている。


 この街を守った。


 帰る方法を探すための足場を、ここに築いた。


 だが、足場は一つでは不安定だ。王都という選択肢が加わるなら、それは足場が二つになるということだ。


 まだ、考える時間はある。


 今は、この朝の光を味わおう。


 長い戦いが、ようやく終わったのだから。

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