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 29. 尋問

 指揮官を総督府の留置室に収容したのは、夜明け直前だった。


 護衛三人の遺体は南門の外に残し、衛兵に回収を任せた。指揮官の両手を縛り、目隠しをして総督府まで連行した。街の中を通るため、住民の目に触れないよう裏通りを使った。


 留置室に入れられた指揮官は、壁にもたれて座り込んだまま、一言も発しなかった。目隠しを外しても、虚ろな目で石壁を見つめているだけだった。


 三百年の武人に護衛を瞬殺され、自分だけが生き残った。その事実が、この男の精神を打ち砕いているようだった。


 だが、尋問は急を要する。


「グスタフ、総督府に特殊な尋問の技術を持つ人間はいるか」


 俺はグスタフに尋ねた。


「います。理力を使った尋問を行える者が一人。衛兵隊の所属ではなく、総督府直属の特殊な文官です。名はフリードリヒ・ゲルナー。理力を用いて対象者の記憶に働きかけ、意識の表層にある情報を読み取る技術を持っています」


「記憶を読む?」


「正確には、対象者が強く意識している事柄や、直近の記憶を感知する技術です。深層の記憶までは読めませんし、対象者が意識的に抵抗すれば精度は落ちます。ただし、通常の尋問を補助する手段としては、極めて有効です」


 理力による尋問技術。ナターシャからも、理力の応用の中にそういった技法があると聞いたことがあった。この世界では珍しくないのかもしれない。


「呼んでくれ」




 フリードリヒ・ゲルナーは、四十代の痩せた男だった。銀縁の眼鏡をかけ、学者のような風貌をしている。口数が少なく、留置室に入ると、まず指揮官の顔を長い間じっと見つめた。


「この者の理力は弱い。抵抗力は低いでしょう。二刻ほどいただければ、表層の記憶をかなり読み取れるかと思います」


 フリードリヒは椅子を指揮官の正面に置き、腰を下ろした。両手を指揮官の側頭部にそっと当てた。


「始めます」


 フリードリヒの手から、薄い緑色の理力が流れた。指揮官の頭部を包むように広がり、こめかみの辺りで脈動した。


 指揮官の目が大きく見開かれた。抵抗しようとしたのだろう。だが、フリードリヒの理力に包まれた瞬間、体から力が抜け、椅子にもたれかかった。


 フリードリヒは目を閉じ、長い沈黙に入った。


 俺とグスタフは、壁際で静かに待った。


 一刻が過ぎた。フリードリヒの額に汗が浮かんでいた。指揮官は半ば意識を失ったような状態で、口元が時折動いていた。何かを呟いているようだったが、聞き取れなかった。


 さらに半刻。


 フリードリヒが両手を離し、目を開けた。深い疲労の色が顔に浮かんでいた。


「終わりました。報告します」


 フリードリヒは椅子から立ち上がり、俺とグスタフの前に来た。


「まず、この者の名はヴェルナー・ブラント。ダルムスト公国辺境軍の遊撃隊長。今回のアスファ潜入作戦の現場総指揮官です」


「現場総指揮官、か。末端の兵ではないな」


「はい。作戦の全容をかなり把握しています。表層の記憶から読み取れた情報を、順にお伝えします」




 フリードリヒの報告は、詳細だった。


 まず、作戦の指揮系統。


「この作戦は、ダルムスト公国の宰相が立案し、辺境軍司令官ブレンダ・ダルムストが実行を命じたものです。ヴェルナーはブレンダの直属の部下で、アスファへの潜入と核の奪取を任されていました」


「宰相か。公爵でも辺境軍司令官でもなく、宰相が立案したのか」


「はい。ヴェルナーの記憶では、この作戦は宰相の発案であり、宰相自身が細部まで計画を練ったとのことです。ヴェルナーは宰相と直接会い、作戦の説明を受けています」


「宰相の名前は」


「記憶にはっきりと刻まれていました。アレクセイ・ヴォロノフ」


 聞いたことのない名前だった。だが、その響きはゼーラ語でもなく、ダルムスト公国の言語でもなかった。


「続けます。ここからが重要です」


 フリードリヒが声を落とした。


「ヴェルナーの記憶の中で、宰相アレクセイについて、強烈な印象として残っている事実があります。宰相は、落ち人です」


 落ち人。


 俺は息を呑んだ。グスタフも同じだった。


「ダルムスト公国の宰相が、落ち人だと」


「はい。ヴェルナーの記憶によれば、アレクセイは十五年ほど前にこの世界に落ちてきた人物です。出身は日本ではなく、別の世界。ヴェルナーが直接聞いた話では、『雪と氷に覆われた大陸の国』から来たと宰相が語っていたそうです」


 ロシアか、あるいはそれに似た世界か。名前の響きも東欧系だ。


「落ちてきた後の経緯は分かるか」


「断片的ですが。宰相はこの世界に落ちてきた後、最初はこの国に身を寄せていたようです。副都アスファにしばらく滞在していた時期があると、ヴェルナーが言っていました」


 アスファに滞在していた。


「グスタフ、十五年前に副都に滞在していた落ち人の記録はあるか」


「確認します。落ち人の受け入れは学院が管轄していますが、副都を経由した落ち人の記録は総督府にも残っているはずです」


「すぐに調べてくれ」


 グスタフが退室した。


 俺はフリードリヒに続きを促した。


「宰相の理力についての情報は」


「あります。ヴェルナーの記憶では、宰相は理力使いとしてはさほど強くないようです。落ち人であるにもかかわらず、理力の発現が弱かったと。ヴェルナー自身は『宰相様は頭で戦う方だ。腕で戦う方ではない』と認識しています」


 理力が弱い落ち人。珍しいが、いないわけではないとナターシャが言っていた。落ち人の理力の強さには個人差がある。


「宰相の能力は、戦闘や理力ではなく、政治と謀略にあると」


「そのようです。ヴェルナーの記憶の中で、宰相は極めて知的で、先の先まで読む人物として描かれています。今回の作戦の全容――間諜網の構築、丘陵の偵察部隊、分散潜入の百人部隊、国境への陽動、すべてが宰相の計画だったと」


 一人の落ち人が、小国の宰相に上り詰め、隣国の防衛の要を奪う作戦を立案した。十五年でそこまで到達する能力。確かに、有能という一言では片づけられない人物だ。


「最後に、最も重要な情報です」


 フリードリヒが俺を見た。


「理力の核の情報の出所です。ヴェルナーの記憶では、核の存在を宰相に伝えたのは、この国の人間でした」


「ナーゲルの妻イルマではないのか」


「イルマ経由の情報は、核の存在を確認する補強材料でしかなかったようです。最初に核の情報を宰相にもたらしたのは、王都の人間です」


「王都の」


「はい。ヴェルナーの記憶に名前が残っていました。王都の高級文官。外交を担当する省の次官級の人物です。名はコンラート・メッサー」


 王都の外交官。次官級。


 理力の核の存在を知りうる立場の人間。総督に核の情報を伝達する経路の中にいた人物か、あるいは国王の側近から間接的に情報を得た人物か。


「コンラート・メッサーが、なぜ公国に情報を流したのかまでは、ヴェルナーの記憶からは読み取れませんでした。ヴェルナー自身がその経緯を知らないのでしょう」


「買収か、脅迫か、あるいは思想的な理由か」


「不明です。ただ、ヴェルナーの記憶では、宰相がこの名前を出したとき、『我々の古い友人だ』と表現していました」


 古い友人。宰相アレクセイがアスファに滞在していた時期に、コンラートとの接点があったのかもしれない。十五年前の人間関係が、今日の謀略の根になっている。




 グスタフが戻ってきた。手に古い書類の束を持っていた。


「見つかりました。十五年前の記録です」


 グスタフが書類を広げた。


「アレクセイ・ヴォロノフ。十五年前、ガルディナ学院経由でアスファに到着。落ち人として登録。理力の発現は微弱。約一年間アスファに滞在した後、東方への旅を希望して出立。以降、この国での記録はありません」


「東方への旅。つまり、ダルムスト公国に向かったのか」


「そうとしか考えられません。十五年前にアスファを出て東方に向かい、ダルムスト公国に辿り着き、そこで宰相にまで上り詰めた」


「理力は弱くても、落ち人としての知識と不老の肉体がある。十五年あれば、有能な人間なら宰相の座に手が届くだろう」


 俺は腕を組んだ。


 構図が完全に見えた。


 十五年前、落ち人アレクセイがアスファに滞在した。その際に、王都の外交官コンラート・メッサーと知り合った。あるいは、それ以前から何らかの接点があったのかもしれない。


 アレクセイはダルムスト公国に移り、知略を武器に宰相にまで上り詰めた。そして、旧知のコンラートを通じて、理力の核の情報を入手した。


 核の存在を知ったアレクセイは、公国の安全保障のために核の奪取を計画した。間諜網の構築、潜入部隊の編成、陽動作戦の立案。すべてが宰相の頭脳から生まれた計画だった。


 ただし、アレクセイ自身は理力の核についての詳しい知識を持っていなかった。核が存在するという情報と、それが城壁を強化しているという基本的な機能だけをコンラートから得た。地脈との関係や、移動による効果の低減は知らなかった。なぜなら、コンラート自身がそこまでの情報を持っていなかったからだ。


「フリードリヒ、他に読み取れた情報は」


「作戦の詳細については概ね以上です。ただ、ヴェルナーの個人的な記憶として、宰相アレクセイに対する強い畏怖の念が読み取れました。ヴェルナーはアレクセイを『生まれついての策謀家』と認識しています。恐れながらも、心酔している様子でした」


「心酔か」


「はい。宰相は部下に対して厳しいが公正であり、公国の利益を最優先する人物として、軍の中で高い求心力を持っているようです」


 有能で、公正で、部下に慕われる宰相。敵ながら、侮れない人物だ。


「ご苦労だった、フリードリヒ。報告書をまとめてくれ。今日中に」


「承知しました」


 フリードリヒが退室した。




 留置室を出た俺は、ダリオを呼んで報告を共有した。


 ダリオは無言で聞いていた。報告が終わると、一つだけ質問した。


「王都の外交官コンラート・メッサー。この名前を王都に伝える必要がありますか」


「ああ。だが、伝え方を間違えてはいけない。コンラートが現在も活動中なら、こちらの動きを察知して逃亡する可能性がある。王都の然るべき人間に、慎重に伝えなければならない」


「王都からの援軍の本体が到着すれば、その司令官を通じて伝えることができます。本体の到着はあと数日のはずです」


「それが最善だろう。伝令で書面を送るのは危険が大きすぎる。途中で奪われれば、コンラートに警告を与えることになる」


 ダリオが頷いた。


「もう一つ。宰相アレクセイの件も、王都に報告すべきでしょうか」


「報告する。ダルムスト公国の宰相が落ち人であり、今回の作戦の首謀者であるという事実は、外交上の重大情報だ。王都が公国に抗議する際の、核心になる」


「落ち人が敵国の宰相か。厄介な話ですね」


「ああ。理力は弱くても、知略で国を動かせる人間だ。力よりも頭が怖い。そういう敵は、戦場では倒せない」


 ダリオは静かに目を閉じ、何かを考え込んでいた。


「カズマ。一つだけ、個人的な感想を言ってもよろしいですか」


「何だ」


「あなたも落ち人です。宰相アレクセイも落ち人だ。同じ落ち人でありながら、一方はこの街を守り、一方はこの街を攻めた。落ち人がこの世界に与える影響の大きさを、改めて感じます」


 ダリオの言葉は、俺の胸に刺さった。


 俺とアレクセイ。同じ立場の人間が、対極の選択をした。


 いや、対極ではないのかもしれない。アレクセイもまた、自分の国――自分が選んだ国を守ろうとしたのだろう。その手段が、こちらの国を脅かすものだっただけで。


 立場が違えば、俺がアレクセイの側にいたかもしれない。


 その思いを振り払い、俺は窓の外を見た。


 夜明けの光が、アスファの街並みを照らし始めていた。長い夜が終わり、新しい朝が来ようとしていた。


 守り切った。この街を。


 だが、まだ終わっていない。王都への報告、コンラートの処分、公国との外交。やるべきことは、まだ山のようにある。


 俺は肩の傷の痛みを感じながら、執務室に向かった。

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