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 28. 南門の外

 時間が止まったような瞬間が、確かにあった。


 月明かりの下、櫓の上から俺を見下ろす男と、櫓の階段に手をかけた俺。


 男が剣を抜いた。


 俺も刀を抜いた。蒼い理力が刃を包む。


「日本刀か」


 男が、まさかの言葉を発した。


 日本語ではなかった。だが、それに似た響きの言語だった。ゼーラ語ではない。ダルムスト公国の言葉でもない。


「お前、何者だ」


 俺はゼーラ語で問うた。


 男は答えなかった。


「ハーラル」


 俺は背後の七人に向かって、押し殺した声で命じた。


「あの剣士は俺が引き受ける。お前たちは指揮官と残り三人を確保しろ。俺が剣士と戦っている間に、指揮官を逃がすな」


「承知しました」


 俺は櫓の階段を駆け上がった。


 階段は狭く、急だった。一段飛ばしで駆け上がる。理力で身体能力を強化していなければ、この速度では登れない。


 櫓の上に立った瞬間。


 白い剣士が俺の前に立ちはだかっていた。


 近くで見ると、若い男だった。三十代前半か。痩せた体格だが、その立ち姿には三十代とは思えない貫禄があった。




 男の構えは、見たことのない型だった。


 剣を体の前で水平に構え、左足が前、右足が後ろ。剣先がやや上を向いている。地球の剣術にも、この世界の剣術にも、似た構えがない。


 だが、隙がなかった。


 武田嗣久の構えに匹敵する、いや、それに近い完成度。


 俺は刀を鞘に収め、背中から槍を抜いた。両手で槍を構える。穂先を相手の喉元に向け、後ろ足に重心を置く。無心流の槍術、中段の構え。


 刀ではなく槍を選んだのは、間合いの問題だ。あの剣士の踏み込みの速さなら、刀の間合いでは後手に回る。槍の長さで先手を取る必要がある。それに、バロッツの槍は突きに特化した一品。理力を乗せた突きなら、あの剣士の防御を貫ける確信があった。


 男が、踏み込んできた。


 速かった。


 ジリより速い。武田嗣久と並ぶか、それ以上か。


 俺は槍で受けた。槍の柄が剣を受け止め、火花が散った。バロッツが補強した接合部が、衝撃に耐えた。


 返す動作で、槍の穂先を男の喉に突き上げた。


 男は身を翻してかわし、すれ違いざまに俺の脇腹を狙ってきた。


 俺は槍の柄で打ち払い、距離を取った。


 数合の打ち合いで分かった。この男は強い。俺と同等か、わずかに上。剣技だけなら、この世界でも最上位の使い手だろう。


 だが、致命的な弱点がある。


 この男は、理力を使っていない。剣を白い気配で纏ってはいるが、攻撃に乗せていない。剣技そのものは超一流だが、理力使いとしては並だ。


 俺の蒼い理力は、武田嗣久と並ぶ強さがある。


 純粋な武技で互角なら、理力で勝てる。




 俺は槍に蒼い理力を集中させた。穂先が蒼く輝き、空気が震えた。


 突き。


 無心流の槍術の基本にして要。


 穂先が一直線に男の胸に伸びた。


 男は剣で受けた。だが、理力を纏った突きの威力に押され、後退した。


 追撃。


 突き、突き、突き。三連突き。バロッツの槍は、突きに特化した設計だった。理力を乗せた三連突きは、剣士の防御を貫く威力を持っていた。


 男が櫓の縁まで追い詰められた。


 その瞬間、男の表情が変わった。覚悟を決めた顔。


「指揮官を逃がす」


 男はゼーラ語で呟いた。流暢なゼーラ語だった。




 男が俺に向かって、自ら踏み込んできた。


 守りを捨てた、捨て身の攻撃。


 俺の槍を受け止めるつもりも、かわすつもりもない。ただ、俺と剣を交えることで、時間を稼ぐ。


 その間に、指揮官が逃げる。


 俺は理解した。


 この男は、最初から指揮官を逃がすために配置された護衛だった。自分が死ぬことを覚悟の上で、指揮官の脱出を確保する。


 ならば、その覚悟に応える。


 俺は槍を引き、男の踏み込みに合わせて、穂先を斜めから突き上げた。


 男の剣と俺の槍が、空中で交差した。


 男は俺の右肩を浅く斬った。皮膚が裂け、血が滲んだ。


 俺の槍の穂先は、男の左胸を貫いた。心臓のすぐ脇。深く刺さった。


 男の身体が止まった。


 俺は槍を引き抜き、もう一度構え直した。


 男の胸から血が噴き出した。心臓は外したが、致命傷だった。男は片膝をつき、剣を地面に突き立てて身体を支えようとしたが、力尽きて崩れ落ちた。


 男は倒れた。


 最期に何かを呟いた。日本語に似た響きの言語で。聞き取れなかったが、おそらく自国の言葉だったのだろう。


 その目が、月を見上げたまま、光を失った。




 俺は息を整え、櫓の上を見回した。


 指揮官と他の三人の護衛の姿はなかった。すでに櫓を降り、逃げ出した後だった。


 櫓の下を見下ろすと、ハーラルたち七人が指揮官たちを追っているのが見えた。


 追跡。だが、護衛が三人ついている。指揮官を捕えるのは難しいかもしれない。


 俺は槍を担ぎ直し、櫓の階段を駆け下りた。




     * * *




 南区画の路地を駆けた。


 指揮官の一行は、南門に向かって走っていた。


 南門。


 城門は夜間は閉鎖されている。だが、敵の指揮官が南門に向かうということは、内応者がいるのか、あるいは別の脱出経路があるのか。


 俺は理力の探知を最大限に広げた。指揮官の一行の気配を捉えた。すでに南門のすぐ手前まで達している。


 遅い。間に合わない。


 俺は走った。理力で脚を強化し、夜の街路を駆け抜けた。


 南門に到達したとき、城門の脇の小さな潜り戸が開いているのが見えた。城門の管理人が買収されていたのか、あるいは陽動の混乱で誰もいなくなった隙を突かれたのか。


 指揮官と三人の護衛が、潜り戸を抜けて城壁の外に出ていく後ろ姿が見えた。


 南門の手前で、ハーラルたちに追いついた。先に指揮官を追っていた七人が、南門の前で足を止めていた。


「カズマ殿、申し訳ありません。逃しました」


「いや、お前たちは十分にやった。あれだけの剣士に阻まれたんだ」


 俺は潜り戸に向かって走った。


 城壁の外。


 南の街道に出れば、フェルゲンの森が広がっている。森の中に逃げ込まれれば、追跡は困難になる。


 俺は潜り戸を抜けた。ハーラルたちも続いた。


 南の街道。


 月明かりに照らされた街道の先に、四つの人影が見えた。指揮官と三人の護衛。


 走っていた。森に向かって、必死に。


 俺は追跡を続けた。距離は次第に縮まっていた。理力で強化された脚は、護衛の三人より速い。


 だが、その時、街道の先で、別の動きがあった。


 森の入り口の影から、一つの人影が現れた。


 白い麻の衣服。やや小柄な体格。


 月明かりが、その人物を照らした。


 武田嗣久だった。




 武田嗣久は街道の中央に立ち、指揮官の一行を待ち構えていた。


 手には太刀。鞘から半分抜かれている。


 指揮官の一行が、足を止めた。


 俺も足を止めた。


 武田嗣久が、なぜここにいるのか。


 俺たちの作戦のことは伝えてあった。だが、武田嗣久が城外で待ち伏せをするという話は、聞いていなかった。


 いや、聞いていない、というだけのことだ。武田嗣久は、自分の判断で動いた。総督から、あるいは何か別の情報から、指揮官が南門から逃走することを予測し、城外で待ち構えていた。


 三百年を生きた男の慧眼か、あるいは三百年の理力使いとして、街全体の気配を読み取っていたのか。


 武田嗣久が、ゆっくりと太刀を抜いた。


 白い理力が刀身を包んだ。


 指揮官と三人の護衛が、剣を抜いた。だが、その剣に乗る理力は、武田嗣久の白い光に比べれば、ほとんど無に等しい。


 四対一。


 数の上では指揮官側が有利だった。


 だが、それは、相手が武田嗣久でなければの話だ。




 武田嗣久が動いた。


 俺の目は、その動きを完全には捉えきれなかった。


 太刀が閃いた。一度、二度、三度。


 三つの動作。三つの斬撃。


 護衛の三人が、ほぼ同時に崩れ落ちた。


 月明かりの下、街道に三つの身体が倒れた。血が、月の光に黒く滲んだ。


 指揮官だけが残った。


 武田嗣久は太刀を振って血を払い、指揮官に向き直った。


 指揮官は剣を構えていたが、その手が震えていた。目の前で三人の護衛が一瞬で斬り倒された。あの衝撃を受けて、なお戦意を保てる人間はそういない。


 武田嗣久が一歩踏み込んだ。


 指揮官が剣を振った。必死の一撃だった。だが、武田嗣久は太刀の峰でそれを叩き落とした。剣が指揮官の手から弾かれ、石畳の上で甲高い音を立てた。


 武田嗣久は太刀の切っ先を指揮官の喉元に突きつけ、静かに言った。


「動くな。殺しはせん」


 指揮官は膝から崩れ落ちた。


 武田嗣久は太刀をゆっくりと鞘に収めた。白い理力の光が、静かに消えていった。


「佐田か」


 武田嗣久が振り返り、俺に気づいた。


「武田さん。なぜここに」


「ここに敵が来ることが、分かっておった」


「分かっておった、と?」


「総督殿からおまえさんたちの作戦の概要を聞いたとき、地下倉庫の罠が成功しても、指揮官は逃げる、と思った。狡猾な指揮官なら、自ら危険な場所には行かん。地上で指揮し、失敗を察知すれば即座に逃げる。逃げ道は南門だ。陽動で警備が薄くなる場所だからな」


「それで、南門の外で待ち構えていたと」


「うむ。わしの判断だ。総督殿にも伝えていない。誰かに伝えれば、それが漏れる可能性もある。わし一人で動くのが、最も安全だ」


 武田嗣久は地面にうずくまる指揮官を見下ろした。


「指揮官は生かして捕らえた。殺すのは簡単だが、生きた指揮官のほうが値打ちがある。公国への切り札になるだろう」


 俺は武田嗣久の隣に立ち、指揮官を見た。


 まだ若かった。三十代半ば。整った顔立ちに、戦士の眼差し。だが、その眼差しは今、恐怖と絶望に塗り替えられていた。三百年の武人に太刀を突きつけられた者の顔だ。


「武田さん、ありがとうございます」


「礼は要らん。わしも、この街を守りたかった。それだけだ」


 武田嗣久は街道の先、フェルゲンの森の方角を見た。


「わしは結界に戻る。佐田、後始末は頼んだ」


「はい」


 武田嗣久は背を向け、森に向かって歩き始めた。


 月明かりの中、白い衣服の背中が、徐々に遠ざかっていった。




 俺はハーラルたち七人と共に、捕らえた指揮官を引き連れて南門に戻った。


 地下倉庫の戦闘は終わっていた。ダリオの指揮で、敵の本隊は壊滅した。


 街中の陽動も、衛兵と騎兵の対応で鎮静化に向かっていた。


 この夜の戦いは、こちらの勝利で終わった。


 敵の指揮官を生きたまま確保した。公国に対する決定的な切り札だ。


 しかし、俺の右肩には、白い剣士につけられた斬り傷が残っていた。浅い傷だが、忘れることはないだろう。


 そして、街道の先、フェルゲンの森に消えていった武田嗣久の背中。


 三百年を生きた男の判断と、その太刀の凄まじさ。


 俺は槍を担ぎ直し、南門をくぐった。


 長い夜が、終わろうとしていた。

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