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 23. 潜入者

 駐留軍が東門を出発してから四日が経った。


 第一連隊の騎兵三百は初日に出発し、歩兵は翌朝に続いた。第二連隊は翌々日。三千の兵がアスファから消え、街は目に見えて静かになった。


 衛兵隊二百人だけが残ったアスファ。城壁の上を巡回する衛兵の数が減り、東門の守備も最低限の人数になっていた。


 王都からの返答は、伝令を出してから三日目に届いた。


 総督が出陣前に残していった権限委譲の書状に基づき、俺がグスタフ衛兵隊長と共に返書を受け取った。


「王都より。援軍の先発隊として騎兵五百を派遣する。先発隊は伝令到着の翌日に出発済み。王都からアスファまでの行程は騎兵で六日。援軍本体五千は準備に時間を要するため、追って出発する」


 グスタフが読み上げた。


 俺は日数を計算した。伝令がアスファから王都まで早馬で一日半。王都での判断に半日。翌日出発した騎兵がアスファまで六日。伝令を出してからおよそ八日、駐留軍出発から七日後には騎兵五百が到着する計算だ。本体五千は準備と行軍を含めれば、十二日後あたりか。


「騎兵五百が三日後。本体五千が十二日後か」


「騎兵五百が来れば、当面の守りは安定します。本体五千が揃えば、アスファの防衛力は駐留軍がいた頃を上回ります」


「だが、移設予定の夜はその間にある。騎兵五百は到着しているが、本体はまだ来ていない」


 偽の核移設の夜を、毒餌を撒いてから十日後の深夜に設定していた。今日の時点で残り五日。騎兵五百がアスファに到着して三日後、本体五千はまだ到着していない時期だ。


 援軍の到着と入れ替わりで起きる混乱。新たな部隊の受け入れ、兵舎の手配、指揮系統の調整。どんなに優秀な軍でも、増援の合流時には一時的な混乱が生じる。


 その混乱こそが、敵にとっての好機になり得る。




     * * *




 同じ日の夕方、レントが総督府を訪ねてきた。


 レントの表情は、いつもの皮肉げな余裕が消えていた。


「カズマ、まずい情報がある」


「何だ」


「東方の街道沿いで、俺の情報網にかかったものがある。ダルムスト公国から直接アスファに向かう部隊の動きは確認できなかった。国境に展開した軍以外に、まとまった兵力の移動はない」


「それなら良い知らせだろう」


「そう思うだろう。だが、引っかかったのは別のことだ」


 レントは声を落とした。


「この半年間に、アスファに入った東方出身の人間が異常に多い。俺の知り合いの宿屋の主人が言っていた。ここ半年ほど、東方訛りのある客が増えた、と。一人二人ではなく、数十人の単位で」


「数十人?」


「全員が一度に来たわけではない。一人、二人と、ばらばらに。商人として、職人として、日雇い労働者として。さまざまな身分で、少しずつアスファに入ってきている」


 俺の背筋が冷たくなった。


「分散潜入か」


「ああ。一度に百人が来れば目立つ。だが、半年かけて一人ずつ入ってくれば、誰も気づかない。アスファは交易都市だ。東方からの人間が来ること自体は珍しくない」


「人数の推定は」


「宿屋の主人の記憶と、俺が他の情報源から集めた断片を合わせると、最低でも五十人。多ければ百人近くが、この半年でアスファに入っている可能性がある」


 百人。


 丘陵の偵察部隊は六十から九十人だった。それと同等か、それ以上の人数が、すでにアスファの城壁の内側にいる。


「レント、これは偵察部隊とは別の部隊だ」


「分かっている。偵察部隊は城壁の外から監視していた。こいつらは城壁の中にいる。しかも、半年も前から」


 俺は立ち上がり、部屋の中を歩き回った。頭の中で、これまでの情報が再構成されていく。


 丘陵の偵察部隊。イルマ、ユーリ、ヴィクトール、ディーター、フェリクスの間諜網。俺たちはそれらを発見し、監視下に置いていた。


 だが、それは表層に過ぎなかったのではないか。


「レント、俺たちが見つけた間諜網は、おとりだった可能性がある」


 レントの目が鋭くなった。


「おとり?」


「考えてみろ。イルマ、ユーリ、ヴィクトール、ディーター。四人の間諜と一人の連絡役。俺たちはそれを発見して、泳がせていた。だが、敵が本当にこの五人だけに頼っていたとしたら、あまりにも脆弱だ。一人が捕まれば芋づる式に全員が露見する構造だ」


「……確かに。プロの間諜網なら、もっと分断された構造にする。互いに面識のない、独立した複数の経路を持つはずだ」


「丘陵の偵察部隊も同じだ。六十から九十人の部隊を城壁の外に駐留させる。あれだけの規模なら、発見されるリスクは当然あった。実際、俺とお前が見つけた。だが、見つかること自体が、敵の計算に入っていたとしたら」


 レントが椅子の背に手をついた。


「俺たちの目を外に向けさせるためか。丘陵の偵察部隊を追わせ、間諜網を泳がせることに注力させている間に、本命は別のところで動いていた」


「本命は、半年かけて分散潜入した百人の部隊だ。こいつらは間諜網とは別系統で動いている。イルマたちとは接点がない。だから、間諜網を監視しても、こいつらの存在は見えてこなかった」


 沈黙が落ちた。


「カズマ、もう一つ気になることがある」


「何だ」


「これだけの人数を半年かけて潜入させた。目的は何だ。単なる情報収集なら、間諜を数人送り込めば済む。百人の戦闘部隊を忍ばせるのは、実力行使を前提にしている」


 レントの推測は正しかった。だが、その「実力行使」の対象が何かを、レントに明かすわけにはいかない。


「総督府への襲撃か、あるいは重要施設の破壊工作か。いずれにせよ、百人が一斉に動けば、衛兵隊二百では対処が厳しい」


「ああ。とにかく、この情報をダリオたちと共有する必要がある」


 俺はレントに礼を言い、その場で別れた。


 レントには潜入部隊の存在を伝えてもらったが、ここから先の対策は核の情報に踏み込む。レントを巻き込むわけにはいかなかった。




 俺はダリオとグスタフを招集した。二人にだけ、状況を共有した。


「レントの情報網で、この半年間にアスファに分散潜入した東方出身者が百人近くいることが分かった。丘陵の偵察部隊とは別系統の、戦闘部隊だ」


 グスタフの顔から血の気が引いた。


「百人……。衛兵隊は二百だ。城壁と総督府の警備を維持しながら、百人の戦闘部隊と交戦するのは不可能に近い」


「ここからは、この部屋の三人だけの話だ」


 俺は声を落とした。


「ナーゲルの妻イルマから流れた情報は、フェリクスだけでなく、この潜入部隊にも渡っている可能性がある。つまり、俺たちが撒いた毒餌――核の移設情報は、潜入部隊にも届いている。五日後の深夜に、百人が地下倉庫に殺到する可能性がある」


「十人の伏兵では話にならん」


 ダリオが呻いた。


「だが、三日後に王都からの騎兵五百が到着する。それを加えれば、数の上では対処できる」


「問題は、騎兵五百が到着するタイミングだ。到着直後は受け入れの混乱が避けられない。指揮系統の統合、兵舎の手配、アスファの地理の把握。騎兵五百がまともに機能し始めるまでに、最低でも一日はかかる」


「敵はその混乱を狙ってくる」


 俺は確信を持って言った。


「移設予定の夜は、騎兵五百が到着してから三日目だ。受け入れの混乱はまだ完全には収まっていない。援軍と衛兵隊の連携も不十分。敵にとっては、最も攻撃しやすいタイミングだ」


「どうする、カズマ」


 ダリオが聞いた。


「まず、罠の規模を拡大する。地下倉庫に伏せる人数を十人から五十人に増やす。衛兵隊から三十人、到着した騎兵から二十人を選抜する」


「五十人で百人を相手にするのか」


「百人全員が地下倉庫に来るとは限らない。地下倉庫は入り口が限られている。百人が一度に突入することは物理的にできない。先頭の数十人を地下倉庫の中で迎え撃ち、後続を入り口で食い止める。地形を利用すれば、五十人で百人を制圧できる」


「残りの衛兵と騎兵は」


「総督府と城壁の警備に回す。敵が地下倉庫だけでなく、陽動として総督府を直接襲撃する可能性も考慮しなければならない」


 俺は机の上に紙を広げ、図を描いた。


「もうひとつ、重要な準備がある。核のダミーを用意する」


「ダミー?」


「理力の核と同じ大きさ、同じ形の偽物だ。移設の偽装に使う。五日後の夜、このダミーを地下倉庫に運び込む動きを、敵に見せる。敵はダミーを本物だと思って奪いに来る。奪った瞬間が、こちらの捕捉の好機だ」


 グスタフが眉をひそめた。


「理力の核と同じものを作れるのですか」


「見た目だけでいい。直径一メートルの球体で、乳白色に光って見えれば十分だ。理力を込めれば、短時間なら本物に近い発光を再現できるだろう。バロッツに石材の加工を頼めるかもしれない」


「あの偏屈な鍛冶師ですか」


「腕は確かだ。石を球体に削り出す技術があるかは分からないが、相談する価値はある」


 ダリオが補足した。


「石工なら、南区画にバロッツと付き合いのある男がいます。大きな石の加工はそちらのほうが得意でしょう。バロッツに紹介を頼めば、信頼できる人間を回してくれるかもしれない」


「よし。ダミーの製作は俺が手配する。完成したら、俺の理力を込めて発光させる。暗がりの中なら、本物との区別はつかないはずだ」


 計画の骨格が固まっていった。


 地下倉庫に五十人を伏せる。ダミーの核を用意し、移設を偽装する。敵が奪取に動いた瞬間を捉え、潜入部隊を制圧する。


「最後にひとつ」


 俺は全員を見回した。


「この計画を知るのは、この部屋の三人だけだ。騎兵五百の指揮官にも、罠の当日まで詳細は伝えない。人数を集めるときは、別の名目を使う。深夜の緊急演習でも何でもいい。レントにも、核のことは一切漏らすな」


 二人が頷いた。


 グスタフが重い声で言った。


「半年前から百人を潜り込ませていた、か。丘陵の偵察部隊を見つけて対処したつもりでいたが、氷山の一角だったわけだ」


「そうだ。だが、氷山の全体が見え始めた。見えている敵は、もう怖くない」


「見えていない敵が怖いのですが」


 グスタフは苦い顔をしたが、覚悟の色は見えていた。


「もうひとつ。総督閣下に状況を報告する必要がある」


 俺は紙と筆記具を取り、手紙を書き始めた。


 閣下へ。


 内容は慎重に選んだ。伝令が途中で敵に捕まる可能性を考え、核という言葉は直接使わず、総督との間で事前に取り決めていた暗号めいた表現を用いた。


 東方からの分散潜入者が百人規模で副都内に存在する可能性が判明したこと。丘陵の偵察部隊と把握済みの間諜網は、おとりだった疑いが強いこと。潜入部隊はナーゲル経由の情報も入手していると推定されること。


 偽の移設計画は予定通り実行し、ダミーを用意して敵をおびき寄せる作戦に切り替えたこと。地下倉庫に五十人を伏せて迎え撃つ態勢を整えること。


 そして、本体の安全は武田殿の結界により確保されており、万全であること。


 書き終えた手紙を封蝋で封じ、ダリオに渡した。


「信頼できる伝令を一人選んでくれ。閣下の手に直接渡すよう厳命する。万が一敵に遭遇した場合は、手紙を破棄してから逃げろと伝えろ」


「承知しました。第一小隊にオットーが推薦した早馬の名手がいます。彼に任せます」


 翌朝、伝令は東門から出発した。国境の総督のもとまで、騎馬で三日の道のりだ。


 これで、やるべき準備はすべて整った。あとは、五日後の夜を待つだけだ。


 五日後の夜。すべてが動く。


 百人の潜入部隊が、ダミーの核を目指して動き出す。


 その瞬間を、待ち構える。


 失敗は許されない。理力の核を守り、潜入部隊を制圧し、この街を守る。


 壁の刀と槍を見た。五日後、この二つの得物が本来の役目を果たすときが来る。


 情報の戦いは終わりに近づいていた。次は、刃の戦いだ。

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