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20/33

 20. 漏洩

投稿時間が遅れました。今日は2話連続で投稿します。

 一週目。


 ダリオが衛兵隊長グスタフ・レーマンに、南側通路の封鎖の件を伝えた。


 グスタフは五十代の大柄な男で、ナーゲルの後任として衛兵隊長を十年近く務めている古参だった。ダリオによれば、報告を受けたときの反応はこうだった。


「『南側を封鎖するなら、巡回路の再編が必要だな。補修の見積もりはいつ出る』と聞いてきた。業務上の関心だけだ。動揺はなかった」


 俺とダリオは毎晩、総督府の俺の客間で結果を共有していた。総督には翌朝、ダリオが報告する。


「グスタフ隊長が偽情報を外部に漏らした形跡は」


「ない。俺が知る限り、グスタフ隊長はここ一週間、総督府と自宅の往復以外にほとんど外出していない。面会者も通常の業務関係者だけだ。不審な接触はなかった」


 南側通路の周辺にも、密かに監視を置いていた。通路付近をうろつく不審な人物は、一人も確認されなかった。


「白、と見ていいだろう」


「まだ一週間だ。結論は早い。だが、今のところ反応はない」




 二週目。


 オットー・フーバーに、西側倉庫の見張り所の件を伝えた。


 オットーは三十代後半の生真面目な男で、衛兵隊第一小隊を率いていた。ダリオの報告によれば、オットーの反応は実務的だった。


「『第一小隊から二名ですか。現在の人員配置を考えると、夜間の巡回との兼ね合いが厳しい。増員の要望を出してもよろしいですか』と言ってきた。まさに第一小隊長らしい反応だ」


 西側倉庫の周辺を監視したが、ここでも不審な動きはなかった。オットー自身の行動にも、通常と異なる点は見られなかった。


「オットーも白だろう」


「ああ。あの男が裏切っているなら、俺は人を見る目がないことになる」


 ダリオの声に安堵が混じっていた。仲間が白だと分かることは、疑う側にとっても救いだ。




 三週目。


 マルクス・ヴェンツェルに、東門兵営への物資移送の件を伝えた。


 マルクスは四十代前半で、第二小隊長を務めていた。寡黙だが観察力に優れた男だとダリオは言っていた。


 マルクスの反応は、他の二人とは少し違った。


「『護衛の手配ですか。移送の規模と時期が分からなければ、計画の立てようがありません。詳細が決まったら改めて指示をいただけますか』と。冷静だったが、やや慎重な印象を受けた」


「慎重、というのは?」


「質問が的確すぎた。規模、時期、ルート。軍人として当然の確認事項だが、検討段階の話に対してあれだけ具体的な質問を返すのは、少し引っかかった」


 俺は考えた。だが、慎重さは有能さの裏返しでもある。それだけで黒とは言えない。


 東門兵営の周辺を監視した。結果は、やはり何もなかった。


 マルクス自身の行動も、通常の範囲を逸脱するものはなかった。


「マルクスも白か」


「おそらく。反応が気になったが、行動に不審な点はない。あの男は元々慎重な性格だ。検討段階の話に具体的な質問を返すのは、あの男らしいと言えばらしい」


 三人が白。残るは一人。


 退役した前衛兵隊長、ペーター・ナーゲル。




 四週目。


 ダリオがナーゲルの自宅を訪ねた。


 ナーゲルはアスファの南区画、ゲルド川に近い閑静な一角に住んでいた。退役後は年金で暮らしており、時折総督府を訪ねては旧友と酒を酌み交わす穏やかな隠居生活を送っていた。


 ダリオは旧交を温めるという体裁で訪問した。酒を持参し、昔話に花を咲かせる。


 その日の夜、ダリオが俺の客間を訪ねてきた。表情がこれまでと違っていた。困惑に近い色が浮かんでいた。


「どうだった」


「……ナーゲル殿の反応は、他の三人と変わらなかった」


「変わらなかった?」


「ああ。俺が『閣下が核の管理体制を見直す動きがあるようです。核を総督府から別の場所に移す案が出ているらしい』と切り出したとき、ナーゲル殿は少し驚いた顔をして、『それは大がかりな話だな。慎重に進めるべきだろう』と言った。それだけだ。移設先も聞いてこなかったし、必要以上に食いつく様子もなかった」


「では白か?」


「分からん。反応だけ見れば白だ。だが、気になったことがひとつある」


「何だ」


「ナーゲル殿の妻だ」


 ダリオが声を落とした。


「ナーゲル殿は現役時代、ずっと独身だった。衛兵隊一筋で、女性に縁がなかった。だが、退役して二年後に結婚した。相手は二十歳以上年下の若い女性だ」


「それ自体は珍しくないだろう。退役後に身を固める軍人はどの世界にもいる」


「そうだ。だが、俺が気になったのは、その妻がナーゲル殿と俺の会話を聞いていたことだ」


 ダリオの目が鋭くなった。


「ナーゲル殿の家は小さい。居間で酒を飲んでいたが、台所との間に仕切りがない。妻は台所で料理をしていた。俺たちの会話は、すべて聞こえていたはずだ」


「それだけなら、気にならなかったのでは」


「ああ。だが、気になったのはその後だ。俺が核の移設の話を切り出した瞬間、台所の物音が止まった。料理の手が止まったんだ。ほんの数秒だが、明らかに聞き耳を立てていた。そして、その直後にわざとらしく鍋を鳴らして、何事もなかったように作業を再開した」


「意識的に聞いていた、と」


「それだけじゃない。俺が帰り際、玄関で靴を履いているとき、妻が茶を片づけに居間に戻った。卓の上に、俺が酒を注いだ杯が二つと、ナーゲル殿がつまみを取り分けた皿があった。妻はそれを片づけながら、卓の上にあった俺の手土産の包み紙を丁寧に畳んでいた。あの包み紙には、何も書いていない。畳む理由がない。だが、その手つきが妙に慣れていた。まるで、何かを確認する動作に見えた」


「包み紙を?」


「考えすぎかもしれん。だが、もうひとつある。俺が玄関を出るとき、妻が『東門近くの市場で見かけた香草がとても良い香りでした。今度お持ちしましょうか』と声をかけてきた。世間話に聞こえるが、俺は東門の話など一切していない。なぜ東門が出てくるのか、その場では引っかかった程度だったが、後から考えると――」


「東門。東壁。東の丘陵。ダルムスト公国の方角だ」


「ああ。こじつけかもしれんが、あの一言が頭から離れなかった」


「妻の名前は」


「イルマ。ナーゲル殿より二十三歳下だ。物静かで、控えめな女性だった。俺たちに茶を出してくれたとき、にこやかに挨拶をして、すぐに台所に戻った」


「出身は」


 ダリオが一瞬、言葉を切った。


「……東方だと聞いている。交易路で知り合ったと、ナーゲル殿が以前話していた」


 東方。


 俺の背筋に、冷たいものが走った。


「ダリオ、その女性の出身地を、もっと正確に把握できるか」


「なぜだ」


「東方の交易路は、ダルムスト公国を経由する」


 ダリオの顔から血の気が引いた。


「まさか……」


「まだ推測だ。だが、確認する必要がある」




 翌日、ダリオは衛兵隊の記録を調べた。アスファの住民登録には、婚姻に伴う転入記録が残されている。


 夕方、ダリオが戻ってきた。顔が強張っていた。


「イルマ・ナーゲル。旧姓イルマ・ヴァッサー。出身地は――ダルムスト公国辺境の町、ベルクハイム」


「ダルムスト公国の出身か」


「ああ。三年前にアスファに転入。ナーゲル殿との婚姻届と同時に住民登録されている」


 退役の二年後。ナーゲルが核の情報を持ったまま現役を退き、独身の隠居生活を送っていたところに、公国出身の若く美しい女性が現れた。


「ダリオ、ナーゲルは妻にどの程度のことを話していると思う」


「分からん。だが、ナーゲル殿は寡黙な男ではない。退役後は話し相手も限られる。遅くに得た妻だからこそ、つい昔の仕事の話をして聞かせたくなる。それ自体は不思議なことではない」


「核のことも?」


「……夫婦の寝物語で、つい口を滑らせた可能性は否定できない。ナーゲル殿にとっては、核を守った時代が人生で最も誇らしい記憶だろうから」


 俺は腕を組んだ。


 構図が見えてきた。


 ダルムスト公国が、退役した衛兵隊長の身辺を調べた。独身で、孤独な隠居生活を送っている。かつて国家最高機密に触れていた人物。そこに若い女性を送り込む。美しく、控えめで、献身的な妻として。


 時間をかけて信頼を築き、日常の会話の中から、少しずつ機密を引き出す。


 ナーゲル本人は裏切ったつもりはないかもしれない。妻に昔話をしただけ。だが、その妻が公国の手の者だったとすれば、結果として国家機密は敵の手に渡る。


「ナーゲル殿自身は、おそらく知らないんだ」


 ダリオが絞り出すように言った。


「妻の正体を知らない。自分が機密を漏らしていることにも気づいていない。愛する妻に昔話をしていただけだと、本気で思っている」


「その可能性が高い。今日の反応がまともだったのも、それで説明がつく。ナーゲル自身には後ろめたさがないから、偽情報を聞いても不自然な反応を示さなかった」


「だが、妻は聞いていた」


「ああ。核の移設という偽情報を、あの場にいた妻が聞いた。これからの行動を見れば、答えが出る」


 俺たちはイルマの行動を監視することにした。ナーゲルではなく、妻の方を。




 監視の結果が出たのは、五日後だった。


 ダリオが深夜に俺の客間の扉を叩いた。


「動いた。イルマだ」


「どう動いた」


「今日の昼、イルマは中央市場に買い物に出た。いつもの行動だ。だが、市場の中で一人の男と接触した。短い会話だった。監視の兵によれば、イルマが男に小さな紙片を渡した」


「相手は」


「商人風の男。三十代。東門近くの安宿に泊まっている人物だ」


 商人風の男。東門近くの安宿。


「その男を追えるか」


「すでに手配した。男が宿を出たら尾行する」


 翌朝、商人風の男は安宿を出て、東門から街道に出た。東の街道を、一人で歩いていった。


 ダルムスト公国の方角へ。


「確定だ」


 俺は言った。


「イルマがナーゲルから情報を抜き、商人風の男を通じて公国に流していた。ナーゲル自身はおそらく何も知らない」




 総督の執務室。


 深夜にもかかわらず、総督は起きていた。


 ダリオが四週間の経緯を報告した。三人が白であったこと。ナーゲル自身の反応は正常だったこと。そして、妻イルマの出身地と行動。


 総督は無言で聞いていた。


 報告が終わっても、長い沈黙が続いた。


「……ナーゲルは知らんのだな。自分の妻が間者だということを」


「おそらく。ナーゲル殿自身に裏切りの意図はなかったと思われます。妻との日常会話の中で、現役時代の記憶を語り、その中に核の情報が含まれていた。妻がそれを公国に流した」


 総督は目を閉じた。


「三十年の付き合いだ。あの男は不器用で、女っ気のない男だった。退役後に若い妻を娶ったと聞いたときは、正直喜んだ。遅い春が来たものだと」


 総督の声に、苦いものが滲んだ。


「それが罠だったとは」


「閣下、ナーゲル殿の処遇ですが」


 ダリオが慎重に切り出した。


「ナーゲル殿自身に悪意はなかったと思われます。しかし、結果として機密が漏洩した事実は消えません」


「分かっている。だが、今は処遇を考えるときではない。カズマ、お前の意見を聞かせろ」


「イルマを泳がせます。今回の偽情報――核の移設――が公国に届けば、敵は移設先を突き止めようと動く。その動きを追えば、アスファ内部に他の間者がいるかどうかも分かる」


「イルマだけではないかもしれないということか」


「はい。公国がこれほど周到に仕掛けてきたなら、ナーゲルの妻一人に頼っているとは思えない。別の経路があるかもしれない」


 総督は頷いた。


「ナーゲルには何も伝えるな。あの男が妻の正体を知れば、取り乱す。取り乱せば、イルマに気づかれる。気づかれれば、経路が消える」


「承知しました」


「イルマの監視を続けろ。接触する人間をすべて洗い出せ。そして、商人風の男の素性を追え」


「レントを使います。ダルムスト公国との間者疑いがある人物を追跡すると、それだけ伝えます」


 総督は長い息を吐いた。


「カズマ、ダリオ。よくやった。四週間、よく耐えた」


「まだ終わっていません」


「ああ。まだ終わっていない。だが、霧の中を手探りで歩いていた状況からは、一歩抜け出した」


 総督は立ち上がり、窓の外を見た。深夜のアスファ。灯りはほとんど消え、城壁の輪郭だけが星明かりに浮かんでいた。


「あの街の中に、敵がいる。だが、どこにいるかが分かり始めた。それだけでも、大きな前進だ」


 執務室を辞した廊下で、ダリオが立ち止まった。


「カズマ」


「何だ」


「ナーゲル殿は……被害者でもあるんだな」


「ああ。騙されていた。愛する妻に」


「それを知ったとき、あの人はどうなるだろう」


 俺には答えられなかった。


 三十年間独身を貫き、退役後にようやく得た家庭。その温もりが、最初から偽りだったと知ったとき、人間はどうなるのか。


「その時が来たら、お前がそばにいてやればいい。世話になった人なんだろう」


 ダリオは何も言わなかった。ただ、小さく頷いた。


 俺たちはそれぞれの部屋に向かった。


 客間に戻り、壁の刀と槍を見た。


 刃で斬れる敵なら、まだ楽だ。


 人の心に入り込み、信頼を利用し、愛情を武器にする敵。そういう戦いは、どんな剣術でも太刀打ちできない。


 だが、見えてきた。敵の輪郭が、少しずつ。


 次は、その輪郭の先にある本体を捉える番だ。

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