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 18. 毒餌

 総督府に戻ったのは、夕刻の第八刻だった。


 俺とダリオは、そのまま総督の執務室に向かった。総督は机に向かって書類に目を通していたが、俺たちが入室すると即座に書類を脇に寄せた。


「報告しろ」


 扉を閉め、三人だけの空間を作った。


 俺は武田嗣久から聞いた内容を、順を追って報告した。


 理力の核は地脈の結節点に位置しており、地脈から理力を吸い上げて増幅していること。核そのものに蓄えられた理力は全体のごく一部に過ぎず、移動させれば地脈との接続が切れ、効果が著しく弱まること。


 総督は黙って聞いていた。表情は動かなかったが、太い指が机の縁を叩く間隔が徐々に短くなっていた。


「つまり、核を奪って持ち帰っても、ダルムスト公国はそれを活用できないと」


「はい。武田さんによれば、核を別の場所で機能させるには、同等の地脈の結節点を見つけた上で、高度な理力技術で接続し直す必要がある。その技術を持っているのは武田さんだけです。百年以上かけて研究し、構築した仕組みだと」


「その情報は、なぜ私に伝えられていなかった」


 総督の声に、わずかな苛立ちが混じった。当然の反応だ。自分が守っているものの本質を、守護者である自分が知らされていなかった。


「国王陛下の判断だそうです。知る人間を最小限に絞るため、核の基本的な存在と機能だけを総督に伝え、地脈との関係は国王の側近と一部の落ち人にのみ共有されていたと」


 総督は椅子の背にもたれ、天井を見上げた。


「……陛下の判断を批判するつもりはない。むしろ、情報を絞っていたおかげで、漏洩元の範囲が絞り込めた。結果として、陛下の判断は正しかったということだ」


 総督は視線を俺に戻した。


「漏洩元について、タケダ殿の見解は」


「武田さんの見解はこうです。捕虜が知っていた情報の範囲は、核の存在と機能、そして奪取による転用という目論見。この範囲は、閣下に伝えられていた情報とほぼ一致する。地脈との関係や、移動による効果の低減は知らなかった」


「つまり、国王周辺や落ち人から漏れたのではなく、私の周辺から漏れたと」


「そうなります。国王周辺や落ち人が漏洩元であれば、地脈の情報も一緒に漏れるはずです。敵が地脈のことを知らないということは、漏洩元は地脈の情報を持っていない人間――すなわち、閣下の周辺です」


 総督は長い沈黙の後、ダリオに目を向けた。


「ダリオ。核の存在を知っている人間は、お前を含めて五人だ。改めて確認しておく」


 総督は自ら名前を挙げた。


「お前、ダリオ・ヴェルト。衛兵隊長のグスタフ・レーマン。衛兵隊第一小隊長のオットー・フーバー。衛兵隊第二小隊長のマルクス・ヴェンツェル。そして、前衛兵隊長で退役しているペーター・ナーゲル。私を入れて六人。タケダ殿を除けば、核の存在を知る全員だ」


 ダリオが頷いた。


「ただし、閣下。この六人が直接敵に通じていなくても、うっかり口を滑らせた言葉を、別の誰かが拾った可能性もあります」


「その可能性も含めて調べる必要がある」


 総督が俺を見た。


「カズマ、お前が提案した毒餌の作戦。具体的な中身を聞かせろ」




 俺は椅子を引き寄せ、机の上に紙を広げた。総督が筆記具を貸してくれた。


「基本的な考え方はこうです。ダリオを除く四人に、それぞれ異なる偽の情報を伝える。核の警備に関する架空の変更点を、一人ひとり別の内容で。もし敵がその情報に反応すれば、どの偽情報が漏れたかで漏洩元が特定できる」


「具体的には、どのような偽情報を流す」


「四人に合わせた、もっともらしい内容にする必要があります。嘘くさい情報は警戒されます。あくまで、通常の業務連絡の一環として伝わるものでなければならない」


 俺は紙に四人の名前を書き、それぞれの横に偽情報の案を記した。


「まず、衛兵隊長のグスタフ・レーマンには、『核の警備に関連し、総督府地下の南側通路を封鎖して補修工事を行う。工事期間中、地下への出入りは北側通路に限定する』と伝える」


「次に、第一小隊長のオットー・フーバーには、『核の安全を確保するため、総督府西側の地下倉庫に新たな見張り所を設ける。第一小隊から二名を交代制で配置する』と伝える」


「第二小隊長のマルクス・ヴェンツェルには、『核に関連する物資を、総督府から東門近くの兵営地下に移送する計画がある。護衛の手配を検討せよ』と伝える」


「最後に、退役した前隊長のペーター・ナーゲルには、少し変えます。現役ではないので業務命令の形は取れない。代わりに、ダリオが個人的に相談する体で『閣下が核の管理体制を見直すらしい。先代隊長として意見を聞きたい』と切り出し、会話の中で『核を総督府から別の場所に移す案が出ている』と漏らす」


 総督が紙の内容を確認しながら、頷いた。


「南側通路の封鎖、西側倉庫の見張り所、東門兵営への移送、別の場所への移設。四つとも異なる内容だな」


「はい。そして、四つとも核の所在地や警備体制に関わる内容です。もし敵がこれらの情報に反応すれば、必ず何らかの動きを見せる」


「反応とは、具体的には」


「たとえば、南側通路の封鎖という情報が漏れた場合、敵は北側通路に監視の目を向けるでしょう。西側倉庫の見張り所なら、西側に偵察を送る。東門兵営への移送なら、移送ルートを監視しようとする。別の場所への移設なら、移設先を突き止めようとする」


「その反応を、どうやって察知する」


「ここが難しいところです。丘陵の偵察部隊はすでに撤退している。敵が次にどういう形で動くかは分からない。街の中に間者がいるのであれば、その間者の動きを捉える必要がある」


 ダリオが口を開いた。


「偽情報を流す時期をずらすことで、反応の時期も分散させられる。一週間ごとに一人ずつ伝えれば、敵の反応がどの時期に集中するかで絞り込める」


「いい案だ」


 俺は頷いた。


「それに加えて、偽情報に対応する場所――南側通路、西側倉庫、東門兵営、それぞれに目立たない形で監視を置く。その場所の周辺をうろつく不審な人間がいれば、それが間者か、間者に繋がる人物だ」


 総督が腕を組んだ。


「問題がある。四人のうち三人は現役の衛兵隊員だ。偽情報を信じて、実際にその通りに動こうとする可能性がある」


「そこはダリオの役目です。偽情報を伝える際に、『まだ検討段階で正式決定ではない。口外は控えるように』と付け加える。正式な命令として出さなければ、実行に移すことはない。ただし、口外を控えるよう言われた情報ほど、漏洩元にとっては『価値のある機密』に見える。漏らす動機が強まります」


「正式決定ではないと前置きしつつ、口止めをする。それ自体が、漏洩を誘発する仕掛けか」


 総督は感心したように呟いた。


「もうひとつ、退役したナーゲルについてだが」


 ダリオが慎重な声で言った。


「ナーゲル殿は父の代から衛兵隊に仕えた老兵です。退役後もアスファに住んでおり、閣下とも親交がある。正直に言えば、最も疑いたくない人物です」


「だからこそ、慎重に扱う必要がある。ダリオ、お前がナーゲルに会いに行く。自然な形で。旧交を温めるという体裁で構わない。その中で、さりげなく偽情報を紛れ込ませる」


「……承知しました」


 ダリオの声に、わずかな重さがあった。先輩を疑うことへの抵抗だろう。だが、この男は任務を遂行する人間だ。個人の感情で判断を歪めることはないだろう。


「時期を整理しよう」


 俺は紙に日程を書き込んだ。


「明日、ダリオがグスタフ隊長に南側通路の封鎖の件を伝える。一週間後にオットーに西側倉庫の件。さらに一週間後にマルクスに東門兵営の件。そして三週間後にナーゲルに移設の件。計四週間で、四人全員に偽情報が行き渡る」


「四週間か。その間に敵が別の動きを見せる可能性もあるが」


「その場合は、その動き自体が情報になります。偽情報を流す前に敵が動けば、漏洩は過去の情報に基づくもので、現在進行形ではないことが分かる。偽情報を流した後に動けば、漏洩が現在も続いていることの証拠になる」


 総督は机に両手を置き、俺とダリオを交互に見た。


「よし。この作戦を採用する。ただし、いくつか条件をつける」


「はい」


「第一に、偽情報の内容は、この部屋の三人以外には一切知らせない。武田にも伝えるな。知る人間が増えれば、作戦そのものが漏れる危険がある」


「了解しました」


「第二に、漏洩元が特定された場合、即座に拘束はしない。泳がせて、その先にいる敵との連絡経路を割り出す。末端を潰しても、経路が残れば別の人間が使う」


 総督の判断は的確だった。この男は情報戦の勘所を理解している。元衛兵隊長としての経験か、あるいは政治家としての手腕か。


「第三に、武田の結界の件だ。武田が核のある区画に追加の結界を張りに来ると言っていたな」


「はい。夜間に人目を避けて来るとのことです」


「日程を調整する。三日以内に実施したい。ダリオ、武田の移動の護衛と秘匿を手配しろ。お前が信頼する兵を二人だけ使え。理由は伝えるな」


「承知しました」


「最後に、カズマ」


 総督の目が、いつもより深い光を湛えていた。


「お前がこの街に来てから、まだ十日も経っていない。だが、お前がいなければ、この脅威に気づくのは遅れていた。丘陵の偵察も、捕虜の確保も、証言への疑念も、毒餌の作戦も。すべてお前の判断と行動が起点になっている」


「俺一人の力ではありません。レントの情報があり、ダリオの協力があり、閣下の決断があった」


「謙遜はいい。だが、ひとつだけ聞いておきたい」


 総督が身を乗り出した。


「お前は、なぜここまでこの街のために動く。お前は落ち人だ。この国の人間ではない。この街への義理もない。それなのに、なぜだ」


 俺は少し考えた。


「俺は元の世界に帰りたい。それが最終的な目的です。だが、帰る方法はまだ見つかっていない。見つけるには時間がかかる。その間、この世界で確固とした足場が必要です。信頼できる人間がいて、情報と資源にアクセスできる拠点がなければ、帰る道筋を探すことすらできない。この街は、その足場になり得る場所です。だから守る」


「つまり、自分のためか」


「そうです。自分のためです。だが、結果としてこの街を守ることになるなら、動機が利己的でも構わないでしょう」


 総督はしばらく俺を見つめ、そして深く頷いた。


「分かった。お前の流儀に、私は賭ける」


 重い言葉だった。政治家の社交辞令ではなく、軍人としての信頼の表明だった。




 執務室を出ると、廊下の窓から夜のアスファが見えた。


 無数の灯りが闇の中に浮かんでいた。十二万の人々がこの城壁の中で暮らしている。理力の核に守られた城壁の中で。


 その守りが脅かされている。外からも、そしておそらく内からも。


 ダリオが隣に立った。


「カズマ、明日からだな」


「ああ。まずはグスタフ隊長からだ。自然にやれるか」


「やるしかない。俺は副隊長だ。隊長への報告や相談は日常的にやっている。いつもと変わらない調子で話せば、不審には思われないだろう」


「気をつけるのは一点だけだ。偽情報を伝えた後の相手の反応を見ろ。動揺するか、無関心か、妙に食いついてくるか。その反応自体が判断材料になる」


「心得ている」


 ダリオは敬礼し、衛兵隊の詰め所に向かって歩いていった。


 一人になった俺は、客間に戻った。


 壁には刀が掛かっている。三日後には、バロッツの槍もここに並ぶ。


 刀と槍。そして、毒餌の作戦。


 剣で守るものと、知恵で守るもの。この世界でも、その両方が必要だ。


 俺は寝台に横たわり、目を閉じた。


 明日から、四週間の戦いが始まる。


 刃を交えない戦い。だが、その結果は、刃を交える戦いよりも重い。

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