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 15. 鍛冶師の槍

 午前中は総督との打ち合わせに費やした。


 東壁の防衛計画の見直し、巡回偵察の制度化、捕虜の尋問の進捗確認。捕虜はまだ意識が戻っていなかったが、総督府の医師によれば、今日中には目を覚ますだろうとのことだった。


 打ち合わせが終わったのは、第五刻を少し過ぎた頃だった。


 執務室を出ると、廊下の先にエルティアが立っていた。


 淡い黄色の上着に白い下衣。栗色の髪はいつものように後ろで束ねられ、薄い緑の瞳がまっすぐに俺を見ていた。


「カズマさん。午後からお時間ありますか」


「ああ。今日こそ約束を果たさないとな」


 エルティアの顔がぱっと明るくなった。


「本当ですか? もう何度も延期になっていたから、今日も駄目かと思っていました」


「すまなかった。今日は大丈夫だ」


「では、すぐに行きましょう。見せたい場所がたくさんあるんです」


 ヘルダが後ろから現れ、護衛のサミンともう一人の若い兵士が少し離れた位置についた。前回と同じ構成だ。


 総督府の正面階段を降り、大通りに出た。午後の陽光が石畳を温めていた。




 エルティアはまず、前回見せられなかった職人街に俺を案内した。


 中央市場の南側に広がる一帯で、鍛冶屋、革細工師、木工師、織物師など、さまざまな職人の工房が軒を連ねていた。


「ここがアスファのものづくりの中心です。この国の職人の中でも、特に腕の立つ者がこの区画に工房を構えています」


 通りを歩くと、金属を打つ音、革を裁つ音、機織りの規則的なリズムが入り混じって聞こえてきた。職人たちはそれぞれの仕事に没頭しており、通りを歩く俺たちに目をくれる者は少なかった。


 ある工房の前で、俺は足を止めた。


 開け放たれた扉の奥に、炉の赤い光が見えた。鍛冶屋だ。壁には完成した武器が並べられていた。直剣、短剣、斧、そして――槍。


「カズマさん?」


「少し見せてもらっていいか」


「もちろん。ここは以前市場に露店を出していた鍛冶師の本店です」


 中に入ると、市場の露店よりも品揃えが格段に豊富だった。露店はあくまで量産品を売る場所で、本店には特注品や上級品が並んでいる。


 俺の目は自然と槍に向いていた。


 壁に掛けられた槍は五本。穂先の形状はそれぞれ異なるが、いずれも両刃の直槍だった。柄の長さは二メートル前後。


 一本を手に取り、重さと均衡を確かめた。


「槍に興味がおありですか」


 奥から店主が出てきた。中年の男で、腕が太く、手には焼けた跡が無数にあった。市場で見た顔と同じだ。


「ああ。刀は持っているが、もう一つ得物が欲しいと思っていた」


「その腰の剣は見たことのない形ですな。落ち人のカズマ様でしたか。噂は聞いております」


 店主は愛想よく俺に近づき、壁の槍を一本ずつ説明し始めた。


「こちらは衛兵向けの標準型。穂先は鋼鉄、柄はカシの木です。こちらは騎兵用のやや長めの型。そしてこちらが、うちの最上級品です」


 最上級品と称された槍を手に取った。


 確かに、他の四本より仕上げは良い。穂先の研ぎは丁寧で、柄の握りも滑りにくく加工されている。


 だが、何かが足りなかった。


 穂先の鋼が均一ではない。表面は滑らかだが、刃の断面を注意深く見ると、鍛錬の回数が少ないことが分かった。折り返し鍛錬が三回、多くて四回。日本刀の製法では十回以上の折り返しが基本だ。


 それに、重心の位置が微妙にずれている。穂先がわずかに重く、突きの際に先端がぶれやすい設計だった。


 俺は槍を壁に戻した。


「いい品だが、今日は見送る。すまない」


 店主は少し残念そうだったが、商売慣れした笑顔で頷いた。


「またいつでもお越しください。ご注文をいただければ、お好みに合わせて鍛えることもできますぞ」


 工房を出ると、エルティアが不思議そうな顔をしていた。


「気に入らなかったのですか? あの鍛冶師はアスファでも指折りの腕前だと聞いていますが」


「腕は確かだ。だが、俺が求めているものとは少し違った」


「どういう槍をお探しなのですか」


 俺は少し考えてから答えた。


「突きに特化した槍だ。穂先の鋼が緻密で、刺突の瞬間にぶれない重心の調整がされたもの。俺の流派には槍術もある。だが、その技を活かすには、それ相応の得物が要る」


 エルティアは目を丸くした。


「槍にそこまでこだわるものなのですか」


「無心流の槍術は、突きを主体にしている。間合いの長さを活かして、相手に近づかれる前に仕留める。だが、突きは正確さが命だ。穂先がわずかでもぶれれば、致命の一撃にはならない」


「それは……かなり精密な槍が必要ですね」


「ああ。だから簡単には見つからないと思っていた」


 俺たちは職人街を歩き続けた。エルティアは他にも革細工の工房や木工師の工房を案内してくれたが、俺の頭の片隅には槍のことが残っていた。




 職人街の外れにある小さな広場で休憩を取っていたとき、ヘルダが口を開いた。


「槍をお探しでしたら、ひとつ心当たりがございます」


 意外だった。ヘルダが会話に自分から加わるのは珍しい。


「この街の南区画に、バロッツという鍛冶師がおります。かなりの変わり者で、客を選ぶことで知られていますが、腕は間違いなくアスファ一だと言われています」


「客を選ぶ?」


「自分の作品を理解できない人間には売らない、と公言しているそうです。総督府からの注文すら断ったことがあると聞いています」


 エルティアが苦笑した。


「父がその話をしていました。衛兵隊の武器を発注したら、『量産品は作らん』と追い返されたって」


「総督府の注文を断る鍛冶師か。面白いな」


「ただし」とヘルダが付け加えた。「気難しい方ですので、お気に召さなくても怒らないでくださいませ」


「行ってみたい」


 俺が即答すると、エルティアは嬉しそうに立ち上がった。


「行きましょう。南区画なら、ここから歩いて少しです」




 南区画は、職人街の喧騒から離れた静かな一帯だった。


 住宅と小さな工房が混在しており、通りを歩く人も少ない。職人街の中心部に比べると、明らかに地味な場所だった。


 ヘルダの案内で細い路地を曲がると、突き当たりに一軒の工房があった。


 外観は質素というより、無骨だった。看板もなく、扉は閉じられている。だが、内側から微かに金属を叩く音が聞こえていた。


「ここがバロッツの工房です」


 エルティアが扉を叩こうとしたが、俺はそれを制した。


「俺が行く。総督の娘が一緒だと、客を選ぶ鍛冶師は構えるかもしれない」


 エルティアは少し不満そうだったが、頷いた。


 俺は一人で扉を押した。鍵はかかっていなかった。


 中に入ると、熱気が顔を打った。


 狭い工房だった。職人街の鍛冶屋の半分もない広さだ。だが、炉の火は大きく、壁に掛けられた道具の数は圧倒的だった。鉄鋏、金槌、鑢、焼き入れ用の水桶。すべてが使い込まれ、手に馴染んだ道具の気配を放っていた。


 炉の前に、一人の男が座っていた。


 老人だった。頭は禿げ上がり、顔には深い皺が刻まれていた。だが、腕は太く、目は鋭かった。炉の火に照らされたその目が、俺を睨んだ。


「客か。看板は出しておらん」


 低い、しわがれた声だった。


「看板がないから来た。看板を出している店では見つからないものを探している」


 老人――バロッツは、俺を値踏みするように上から下まで見た。視線が腰の刀に止まった。


「変わった剣を持っておるな。見せろ」


 命令口調だった。だが、不快ではなかった。職人が素材を見る目だった。


 俺は刀を鞘ごと外し、バロッツに渡した。


 老人は鞘を抜き、刀身を火の光にかざした。


 しばらく無言で刃を見つめていた。指で峰をなぞり、刃文を目で追い、反りの角度を確かめた。


「……こんな鋼は見たことがない」


 バロッツの声が変わった。ぶっきらぼうな口調は同じだが、その奥に驚嘆が滲んでいた。


「何度折り返した。十回か。十五回か」


「正確には分からない。数百年前に鍛えられたものだ」


「数百年。そうか。これだけの鍛えができる鍛冶がおったのか」


 バロッツは刀を丁重に鞘に収め、俺に返した。その手つきに、先ほどまでのぶっきらぼうさはなかった。


「それで、何を探しておる」


「槍だ。突きに特化した槍を探している」


「突きに特化、とは」


「穂先の鋼が緻密で、刺突の瞬間にぶれない。重心が完璧に調整されたものだ」


 バロッツは顎に手を当て、しばらく黙った。


 そして、無言で立ち上がり、工房の奥に消えた。


 戻ってきたとき、手に一振りの槍を持っていた。


 一目で分かった。


 これだ。


 穂先は細身の両刃で、長さは二十センチほど。先端に向かって鋭く収束する形状だった。幅を抑えて厚みを持たせ、突きの貫通力を最大化する設計になっている。


 刃の断面は菱形に近い。肉厚な造りが穂先の強度を保ちながら、先端だけが針のように細く研ぎ澄まされていた。


 柄は白っぽい硬い木で、長さは二メートル弱。太さは手に馴染む程度で、握った瞬間に分かるほど表面が丁寧に削られていた。


「持ってみろ」


 バロッツが差し出した槍を、俺は両手で受け取った。


 軽い。見た目の大きさに反して、驚くほど軽かった。


 だが、軽いだけではなかった。重心が絶妙だった。


 槍を片手で柄の中央を持ち、水平にしてみた。わずかに穂先側に傾く。突きを放つ際に、この微かな前傾が穂先の加速を助ける。計算された重心だ。


 構えてみた。右手を柄の後端近く、左手を中ほどに。無心流の槍の構え。


 突きを一本、放ってみた。空を突いただけだが、穂先がまったくぶれなかった。柄を通じて伝わる振動が極めて少ない。


 身体に馴染んだ。まるで最初からこの槍を使うことが決まっていたかのように。


 穂先を見た。鋼の表面には、刀の刃文に似た波紋が浮かんでいた。


「この穂先……折り返し鍛錬をしているのか」


「七回だ。槍の穂先で七回の折り返しをやる鍛冶は、この大陸にはわし以外におらん」


 七回。先ほどの鍛冶屋の最上級品が三、四回だったことを考えれば、倍以上だ。


「穂先の断面が菱形だな。貫通力を重視した設計か」


「当たり前だ。槍は突いてなんぼだ。幅ばかり広げて見栄えを良くした槍が多すぎる。突きの一撃で甲冑を貫ける穂先でなければ、槍の意味がない」


 分かった。この老人は、槍という武器の本質を理解している。


「なぜ、こんな槍を作った」


「見栄えだけの槍に飽きたからだ。突きの精度だけを追求した槍を作りたかった。穂先の鍛え、柄の重心、振動の制御。全部を突き一本のために最適化した。だが、誰にも理解されなかった。注文主は『地味だ』と突き返しよった。だからあそこに置いておった。わしが時々眺めて楽しむためにな」


 バロッツは皮肉げに笑った。だが、その目は笑っていなかった。職人の矜持を傷つけられた記憶が、まだ残っているのだろう。


「この槍を譲ってほしい」


「は?」


「ただし、いくつか調整を頼みたい」


 バロッツは目を瞬かせた。


「あんた、本気か」


「本気だ。この槍は俺が求めていたものにかなり近い。だが、完璧にするには調整が要る」


「……言ってみろ」


 バロッツの目が変わった。ぶっきらぼうさの奥に、職人としての興味が灯った。


「まず、柄の長さをあと十センチ詰めてほしい。俺の身長と腕のリーチに合わせるとそのほうがいい。それと、柄の握りの部分に、もう少し滑り止めの加工を。汗や血で濡れた手でも握りが緩まないようにしたい」


「ふむ」


「穂先はこのままでいい。この鍛えと形状は文句のつけようがない。ただ、柄との接合部の固定をもう少し強化してほしい。理力を通して使うつもりだから、通常より負荷がかかる」


「理力を通す、だと」


 バロッツが眉を上げた。


「この刀に理力を通して使っている。槍にも同じことをしたい」


「……理力を通す前提の槍か。そんな注文は初めてだ」


 バロッツは腕を組み、しばらく考え込んだ。そして、不意に口元を緩めた。笑みと呼ぶには硬い表情だったが、この老人にとっては最大限の好意の表現だろう。


「面白い。やってやる。接合部は鉄環を二重に巻いて補強する。柄は十センチ詰めて、握りには樹脂を染み込ませた革を巻く。滑らんようになる。三日くれ」


「いくらだ」


「金貨二十枚。調整代込みだ」


 高いのか安いのか、この世界の相場感覚はまだ完全ではない。だが、先ほどの鍛冶屋の最上級品が金貨五枚だったことを考えれば、四倍だ。


「払う。今は手持ちがない。総督府に戻ってから届ける」


「構わん。逃げるような男には見えん」


 バロッツは鼻を鳴らした。


「ひとつ聞いておく。あんた、名は」


「カズマ。落ち人だ」


「落ち人か。道理でな。あの刀も、あんたの目も、この世界の人間のものじゃないと思った」


 バロッツは炉の前に座り直した。


「三日後に取りに来い。わしの最高傑作を、さらに良くしてやる」


 俺は深く頭を下げ、工房を出た。


 エルティアたちが待っていた。


 俺の手に槍がないのを見て、エルティアが首を傾げた。


「見つかりませんでしたか?」


「いや。見つかった。最高の槍だ。ただ、調整を頼んだ。三日後に受け取りに来る」


「調整?」


「俺の身体と戦い方に合わせて、柄の長さや握りを直してもらう。あの鍛冶師なら、完璧に仕上げてくれるだろう」


 エルティアは嬉しそうに笑った。


「それは楽しみですね。完成したら見せてください」


「ああ。もちろんだ」


 ヘルダが微かに笑った。珍しいことだった。


「バロッツ殿がお客を気に入るのは、滅多にないことです。調整まで引き受けるとは、よほどお目が高かったのでしょう」


 帰り道、俺は三日後のことを考えていた。


 刀と槍。二つの得物が揃う。


 エルティアが隣を歩きながら、嬉しそうに話していた。


「今日はようやくちゃんとご案内できましたね。職人街と、思いがけない出会いと。カズマさんが喜んでくれて、私も嬉しいです」


「ああ。良い一日だった。ありがとう」


「明日はどうされますか?」


「明日は……捕虜の尋問があるかもしれない。だが、午後は空けられると思う」


「では、明日の午後にまた。まだ学院分校を見ていただいていませんし」


 エルティアの笑顔は、夕暮れの街並みの中で、不思議と目を引いた。


 総督府に戻り、客間の壁に刀を掛けた。


 三日後には、この隣に槍が並ぶ。


 あの鍛冶師の腕と矜持を思えば、仕上がりに不安はなかった。


 蒼い理力を刀に通してみた。刃文が蒼く光る。三日後、この光が槍の穂先にも灯る。


 バロッツの最高傑作が、さらに研ぎ澄まされて俺の手に届く。


 これからの戦いに、あの槍は必ず力になる。


 そう確信していた。

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