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 14. 空の陣地

 翌朝、日の出前に動き始めた。


 総督は約束通り、三十人の精鋭を揃えていた。衛兵から二十人、駐留軍から十人。全員が革鎧に直剣を装備し、加えて弓を持つ者が六人いた。


 衛兵を率いるのは、ダリオ・ヴェルトという三十代半ばの副隊長だった。背は高くないが、締まった体つきと落ち着いた物腰から、経験豊富な軍人であることが見て取れた。総督が直々に選んだ人物だという。


「カズマ殿。衛兵副隊長のダリオです。閣下より、本作戦の指揮はあなたに委ねるよう命じられています」


「よろしく頼む、ダリオ。堅苦しい呼び方は不要だ。カズマでいい」


「では、カズマ。こちらも名前で構わん」


 簡潔なやり取り。軍人同士は余計な儀礼を省ける。ありがたかった。


 レントは約束通り、赤鷹亭の前で待っていた。旅装に直剣。昨日と同じ格好だ。


「三十人か。壮観だな」


「目立つ。だから手早くやる」


 計画通り、三十人を五人一組の六班に分けた。俺が第一班を率い、レントが案内役として同行する。ダリオは第二班。残りの四班にはそれぞれ衛兵の中から班長を指名した。


 出発は時間差で行った。第一班と第二班が東門から。第三班と第四班が北門から。第五班と第六班は南門から出て、それぞれ異なるルートで丘陵に向かう。


 合流点は、昨日の交戦地点から北に約一キロメートルの尾根。第五刻、地球の時間で正午頃に全班が集結する手はずだった。




     * * *




 第一班は東門を出て、街道を北東に進んだ。


 昨日と同じルートは使わない。レントが知る別の入り口から丘陵に入った。


 丘陵の北側斜面を登りながら、俺は理力の感覚を全開にした。二十メートルの探知範囲を常時維持する。


 第一班の五人は、俺、レント、衛兵三人。衛兵たちは黙々と俺の指示に従った。総督の命令が効いているのか、落ち人への好奇心を見せる者はいなかった。


 丘陵に入って三十分。最初の発見があった。


「止まれ」


 俺は手を挙げて班を停止させた。


 地面に痕跡があった。複数の人間が通過した跡。草が踏み倒され、土が乱れている。靴跡は昨日と同じ型だ。


 だが、数が違った。


「レント、これを見ろ」


 レントがしゃがんで地面を調べた。


「……多いな。昨日の六人分どころじゃない。十人以上が通っている」


「もっとだ。靴跡が重なっている。同じ方向に複数回通過している。のべ人数ではなく、一度に移動した人数で見ても、二十人以上だ」


 衛兵の一人が低い声で呟いた。


「二十人以上の部隊が、この丘陵を移動していたのか」


「移動していた、ではなく、駐留していた可能性がある。この足跡は一方向ではない。行き来している」


 俺は足跡の方向を分析した。北東から南西へ向かう跡と、南西から北東へ戻る跡。往復している。つまり、この近くに拠点があった。


「行こう。足跡を追う」


 足跡は尾根を越えて、南側の谷に向かっていた。昨日の交戦地点よりもさらに奥、丘陵の深部だ。


 三十分ほど足跡を辿った先に、それはあった。




 谷間の奥に開けた平地があった。三方を低い丘に囲まれ、一方が細い谷の出口に面している。天然の要害だ。外からは見えにくく、内部は広い。


 そこに、野営の痕跡が広がっていた。


 痕跡、というには規模が大きすぎた。


 焚き火の跡が十数カ所。地面に杭を打った跡が規則的に並んでいる。天幕を張っていたのだ。簡易的な陣地が構築されていた痕跡だった。


「これは……」


 レントが絶句した。


 俺は平地の中を歩きながら、痕跡を読み取っていった。


 天幕の跡は二列に整然と並んでいた。軍の野営地の典型的な配置だ。天幕一つにつき四人から六人が収容される。天幕の数は少なくとも十五。つまり、六十人から九十人規模の部隊がここに駐留していた。


「六十から九十人」


 俺は声に出して分析結果を伝えた。


「天幕の配置から見て、訓練された軍の野営だ。位置関係も合理的で、見張り台のような高所への踏み跡もある」


 平地の北東の角に、掘られた穴があった。覗き込むと、残飯や骨が捨てられていた。ゴミ穴だ。軍の野営では、衛生管理のためにゴミを一カ所に集める。これも軍事訓練を受けた集団である証拠だった。


「カズマ、こっちを見てくれ」


 レントが平地の南端で手招きした。


 レントが指さしたのは、地面に掘られた浅い溝だった。長さは約三メートル、幅は五十センチほど。


「厠の跡だ。これだけの規模の溝を掘っているということは、長期駐留を想定していた」


 俺は頷いた。数日の偵察ではなく、この場所を拠点として一定期間活動していた。


 だが、今ここには誰もいない。


 理力の感覚を最大限に広げた。二十メートルの範囲内に、人間の気配はない。


「全員、周囲を捜索しろ。半径百メートル以内を確認する」


 衛兵三人が散開した。


 俺はその間に、さらに痕跡を調べた。


 焚き火の灰を手に取り、指で擦った。まだわずかに温もりが残っている焚き火はなかった。すべて完全に冷えている。だが、灰の状態から見て、最後の火が消されたのはそう古くない。


「レント、この灰はどのくらい前のものだと思う」


 レントが灰を確認した。


「半日から一日。昨夜か、今朝の早い時間だ」


「昨夜か」


 昨日の午後、俺とレントが六人と交戦した。その報告が、夜のうちにこの本隊に届いたのだろう。そして、本隊は即座に撤退を決断した。


「俺たちとの交戦で、こちらに察知されたと判断して撤退したんだ」


「だろうな。五人が戻らなければ、何かあったと分かる。そして翌日には大規模な捜索が来ると予測する。まともな指揮官なら、撤退一択だ」


 まともな指揮官。そう、この部隊を率いていた人間は有能だ。撤退の判断が速い。そして、撤退の仕方も手際がよかった。


「天幕の杭は抜かれている。ゴミ穴は埋め戻されていない。厠の溝もそのまま。だが、天幕や物資は一切残されていない。急いではいるが、装備は持ち出している」


「訓練された撤退だな。混乱の跡がない」


「ああ。だが、完璧ではない」


 俺は平地の中央付近で足を止めた。地面に、何かが踏み潰された跡があった。


 しゃがんで拾い上げたのは、革の切れ端だった。鎧の一部か、あるいは装備の留め具が千切れたものか。急いで撤収する際に落としたのだろう。


 さらに探すと、折れた矢が一本、灌木の根元に落ちていた。矢じりは鉄製で、独特の形状をしていた。この国で一般的に使われている矢じりとは異なる。


「この矢じりの形は見たことがあるか」


 レントが矢を受け取り、矢じりを観察した。


「ある。ダルムスト公国の製だ。刃の根元に返しがついている。この地域では使われない形だ」


 また一つ、物証が増えた。


 衛兵たちが戻ってきた。


「カズマ、周囲に人の気配はありません。ただ、北東方向に多数の足跡が続いています。撤退した方向と思われます」


「北東。ダルムスト公国の方角だな」


「追いますか」


「追わない。俺たちの任務は偵察であって追撃ではない。深追いすれば、相手の領域に入る。それは別の問題を引き起こす」


 衛兵が頷いた。判断に異論はないようだった。




 第五刻、予定通り六班が合流点の尾根に集結した。


 各班からの報告を聞いた。


 第二班のダリオが率いた班は、昨日の交戦地点を確認していた。


「交戦地点には誰もいなかった。残した五人の姿もない。ただし、地面に引きずった跡がある。仲間が回収して運んだのだろう」


 つまり、昨夜のうちに交戦地点にも回収班が来ていた。手際がいい。


 第三班と第四班は、丘陵の北側を捜索した。


「北側の尾根沿いに、見張りの跡がありました。二カ所。どちらもアスファの城壁が見える位置です」


 やはり、アスファを監視していた。城壁が見える位置に見張りを置き、本隊は谷間の奥に駐留する。教科書通りの偵察配置だ。


 第五班と第六班は、丘陵の南側を担当した。


「南側にも足跡がありましたが、規模は小さいです。二、三人が移動した跡です。おそらく街道との連絡路でしょう」


 全体像が見えてきた。


 俺は地面に枝で簡易な図を描きながら、全員に説明した。


「敵は谷間の奥に六十から九十人規模の本隊を置き、北の尾根に見張りを配置していた。南側に街道との連絡路を確保し、東門周辺の城壁を継続的に監視していた。昨日俺とレントが哨戒班六人と交戦したことで、察知されたと判断し、昨夜のうちに全部隊が北東方向――ダルムスト公国の方角へ撤退した」


 ダリオが腕を組んだ。


「組織的だな。六十から九十人の部隊を丘陵に潜伏させ、撤退も一晩でやってのける。かなりの指揮能力だ」


「同感だ。この部隊を率いた指揮官は有能だ。判断が速く、部隊の統制が取れている」


 レントが口を開いた。


「もうひとつ気になることがある。六十から九十人が、数日間ここに駐留していた。食料と水は現地調達できるとしても、これだけの人数の装備と物資を運び込むには、相応の兵站が必要だ。丘陵の東側に補給路があるはずだ」


「その通りだ。撤退も、手ぶらでは歩けない。荷車か、少なくとも荷馬がいたはずだ。北東方向の足跡に、車輪の跡はあったか」


 第二班の衛兵が答えた。


「確認しませんでした。足跡を追跡する指示がなかったため、深入りは避けました」


「それでいい。判断は正しかった」


 今回の偵察で得られた情報は十分だ。


 敵の規模、配置、撤退方向、装備の出所。すべてがダルムスト公国の組織的な偵察活動を示している。


「全班に伝達する。偵察は終了だ。これよりアスファに帰還する。帰路は全班まとまって行動する。敵が完全に撤退した確証はない。分散して各個撃破される危険を冒す必要はない」




     * * *




 総督府に戻ったのは、夕刻だった。


 全員が無事に帰還した。三十人と二人、負傷者なし。


 俺はダリオとレントを伴い、総督の執務室を訪ねた。


「報告します」


 総督は机の前に座り、俺の報告を黙って聞いた。


 丘陵の奥に六十から九十人規模の部隊が駐留していた痕跡。天幕の配置、ゴミ穴、厠の溝。見張りの位置。撤退の方向と時期。矢じりと革の切れ端。


 報告を終えると、総督はしばらく無言だった。太い指で机を叩く音だけが、静かな執務室に響いた。


「六十から九十人、か。哨戒班の六人とは桁が違うな」


「はい。本格的な偵察部隊です。ただの斥候ではなく、一定期間の潜伏と継続的な監視を前提とした編成です」


「そして、一晩で撤退した」


「敵の指揮官は有能です。こちらに察知されたと判断するや、即座に全部隊を撤収させた。痕跡は残りましたが、人員と装備はすべて持ち出しています」


 総督は立ち上がり、壁の地図の前に移動した。


「カズマ、お前の見立てを聞きたい。この偵察の目的は何だ」


「二つの可能性があります」


 俺も地図の前に立った。


「ひとつは、純粋な情報収集。アスファの防衛態勢、兵力、城壁の状態を把握し、本国に報告する。将来の軍事行動に備えた、事前の情報収集です」


「もうひとつは」


「侵攻の準備。偵察は、攻撃の前段階です。東壁の弱点、見張り塔の間隔、兵営の位置。これらの情報は、攻撃計画を立てるためにこそ必要です」


 総督の顔が険しくなった。


「どちらだと思う」


「現時点では判断できません。ただ、六十から九十人の部隊を他国の領内に数日間潜伏させる。これはかなりのリスクを伴う行為です。単なる情報収集にしては、規模が大きすぎる」


「つまり、侵攻の可能性が高いと」


「断定はできません。ですが、最悪を想定して準備すべきです」


 総督は腕を組んだ。


「捕虜の意識はまだ戻らんのか」


「先ほど留置室に確認しましたが、まだです。理力を乗せた打撃で気絶させたので、通常より回復に時間がかかるかもしれません」


「意識が戻り次第、尋問を行う。お前も立ち会え」


「了解しました」


「ダリオ」


 総督がダリオに向き直った。


「東壁の警備を強化しろ。見張り塔に常時二人ずつ配置し、夜間の巡回を増やせ。それと、東門の守備兵を倍にしろ」


「はっ」


「ただし、住民に不安を与えるような動きは避けろ。通常の訓練の一環として処理しろ」


「承知しました」


 ダリオが敬礼して退室した。


 総督は再び地図を見つめた。


「カズマ。ダルムスト公国に使者を送ることを考えている」


「使者、ですか」


「正式な抗議ではない。友好的な訪問という体裁で、向こうの動向を探る。先方の反応を見れば、国家ぐるみの行動なのか、一部勢力の独断なのか、ある程度は判断できるだろう」


 外交と情報収集を兼ねた使者。悪くない手だ。


「使者には誰を」


「まだ決めていない。だが、この件に関わった人間を送るわけにはいかん。向こうに手の内を見せることになる」


 総督は俺を見た。


「お前には、引き続きアスファの防衛について助言を頼む。東壁だけでなく、全体の防衛計画を見直したい」


「了解しました」


 総督の執務室を辞して廊下に出ると、レントが壁にもたれて待っていた。


「聞いたか」


「壁が薄いんだよ、この建物は。防諜上の問題だな」


 レントは皮肉げに笑ったが、すぐに真顔に戻った。


「六十から九十人が一晩で消えた。あんたの見立て通り、相手の指揮官は有能だ。撤退の判断だけじゃない。あれだけの規模の部隊を、こちらの哨戒に引っかからずに丘陵に送り込んでいたこと自体が脅威だ」


「ああ。アスファの哨戒体制に穴がある。東壁の警備強化だけでは足りない」


「あんたならどうする」


「定期的な巡回偵察を制度化する。丘陵だけでなく、東方の街道沿いの村にも情報網を敷く。敵が再び部隊を送り込んできたとき、丘陵に入る前に捕捉できる体制を作る」


「商人の情報網も使えるぞ。東方との交易路には、俺の知り合いが何人もいる」


「頼むことになるかもしれない」


 レントは頷いた。


「赤鷹亭にいる。何かあれば来い」


 レントが去った後、俺は廊下の窓から東の空を見た。


 丘陵の稜線が、夕焼けの空に黒く浮かんでいた。


 あの丘陵の向こうに、ダルムスト公国がある。


 敵は撤退した。だが、去ったのではない。退いただけだ。


 偵察という任務は完了したのかもしれない。あるいは、次の段階に移行するための一時的な撤退かもしれない。


 いずれにせよ、時間は味方ではなかった。


 やるべきことが、また増えた。

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