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 13. 報告

 総督府に戻ったのは、午後の第七刻だった。


 捕虜は総督府の地下にある留置室に引き渡した。衛兵が二人がかりで運んでいく。まだ意識は戻っていない。尋問は意識が戻ってからだ。


 俺とレントは、従者に案内されて総督の執務室に向かった。


 前回の会談で通された会議室ではなく、今回は総督が日常的に使っている執務室だった。会議室よりも狭いが、壁一面に書類棚が並び、大きな机の上に地図や書簡が積まれていた。実務の場だ。


 総督――メレン・ファーデルスは机から顔を上げ、俺たちを見た。


 そして、俺の肩についた土と草の汚れ、レントの額の乾いた汗の跡を一瞥し、表情を引き締めた。


「座りなさい。報告を聞こう」


 机の前に椅子が二脚用意されていた。俺とレントが座る。


「まず、一人連れ帰ったと聞いたが」


「はい。東の丘陵で遭遇した武装集団の一人です。計六人と交戦し、全員を制圧しました。うち一人を捕虜として連行し、留置室に預けています。意識はまだ戻っていません」


「六人をお前たち二人で、か」


 総督の視線がレントに移った。


「こちらは」


「レント・ガルシードです。商人をしています」


 レントが名乗ると、総督は一瞬だけ目を細めた。何かを思い出すような仕草だった。だが、それ以上は触れなかった。


「まず、カズマ。順を追って報告しろ」


 俺は偵察の経緯を簡潔に報告した。


 レントから東の丘陵に不審な集団の痕跡があるという情報を得たこと。自分の目で確認するために本日丘陵に入ったこと。焚き火の跡と統一された靴跡を発見したこと。木に刻まれた記号が、レントが先月東の街道で発見したものと同一であったこと。


 そして、六人の武装集団との遭遇と交戦。


「装備は統一されていました。革鎧は同型、直剣と短槍も同じ型で製造者の刻印が一致しています。個人の装備ではなく、組織からの支給品です」


 俺は懐から認識票を取り出し、総督の机の上に置いた。


「捕虜の一人が身につけていた認識票です」


 総督が認識票を手に取り、両面を確認した。眉間の皺が深くなった。


「この文字は……」


「ダルムスト公国の文字だと、レントが言っています」


 総督がレントを見た。


「読めるのか」


「完全にではありませんが」


 レントが椅子から少し身を乗り出した。


「文字の体系はゼーラ語と共通する部分がありますが、ダルムスト公国独自の表記法が混じっています。読み取れた範囲では、数字が二つ。おそらく部隊番号と個人番号です。それと、漢字のような複雑な記号がひとつ。これは部隊名か所属組織の略称だと思われます」


「ダルムスト公国の言語に詳しいな、商人にしては」


 総督の声に、わずかな探りが含まれていた。


「東方との交易をしていますので。言葉を覚えなければ商売になりません」


 レントは淡々と答えた。総督はそれ以上追及しなかった。


「カズマ、続けろ。交戦時の相手の動きはどうだった」


「手信号による散開を使っていました。組織的な軍事訓練を受けた集団です。ただし、精度は高くない。正規軍の水準には達していません。訓練途上の兵か、あるいは正規軍とは別系統の準軍事組織です」


「言語は」


「ゼーラ語ではない言語で叫んでいました。レントによれば、ダルムスト公国の言語に似ているとのことです」


 総督は椅子の背にもたれ、太い指で机の縁を叩いた。考える時の癖だ。


「ダルムスト公国、か」


 総督は立ち上がり、壁に掛けられた大きな地図の前に移動した。


 俺も立ち上がって地図に近づいた。前回の会談で見た地域図よりも広域の地図で、大陸の東半分が描かれていた。


「ダルムスト公国は、ここだ」


 総督がアスファの東方を指さした。丘陵地帯を越え、さらに山岳地帯を越えた先に、やや小さめの領域が描かれていた。


「アスファからの距離は」


「直線で約二百キロメートル。街道を通れば、歩いて十日。騎馬なら五日ほどだ」


「国の規模は」


「人口は約五万。我が国の十分の一以下だ。領土は狭く、資源にも乏しい。だが、地形に恵まれている。山がちな土地で、攻め込むのが難しい」


 総督は地図の上を指でなぞった。


「ダルムスト公国は、約百年前にこの地域の有力領主が独立して建てた国だ。元はこの国の東方辺境の一部だった」


「独立……。つまり、元はこの国から分離した勢力ですか」


「そうだ。当時の東方辺境伯ダルムストが反乱を起こし、独立を宣言した。我が国は鎮圧を試みたが、山岳地帯での戦闘は困難を極め、最終的に独立を認める形で講和した。百年前の話だ」


 百年前の分離独立。講和はしたが、友好的ではない。そういう関係か。


「それ以降、表立った衝突はないのですか」


「大規模なものはない。だが、小さな摩擦は絶えなかった。国境付近での領土争い、交易路の利用権、河川の水利権。どれも些細だが、解決されずに積み重なっている」


 総督は地図から目を離し、俺に向き直った。


「正直に言えば、ダルムスト公国がアスファに対して偵察活動を行っているという報告は、今回が初めてではない」


「初めてではない?」


「半年ほど前から、東方辺境の村々で見慣れない人間が目撃されているという報告が上がっていた。だが、具体的な証拠はなく、野盗の類だろうと処理されていた」


 レントが口を開いた。


「閣下。私が先月、東の街道で痕跡を見つけたと報告した際も、同様の扱いでした」


「承知している。あのとき対応を怠ったことは、私の判断の誤りだった」


 総督が率直に自分の誤りを認めた。政治家としては珍しい姿勢だ。だが、元軍人であるこの男にとっては、誤りを認めて修正することのほうが、面子を守ることよりも重要なのだろう。


「今回は状況が異なる。認識票という物証がある。さらに捕虜もいる。尋問で得られる情報次第では、ダルムスト公国に対して正式な抗議を行う根拠になる」


「閣下」


 俺は一歩踏み出した。


「抗議の前に、いくつか確認すべきことがあります」


「言ってみろ」


「まず、今回の偵察活動がダルムスト公国の国家としての意思なのか、それとも公国内の一部の勢力による独断なのかを見極める必要があります」


 総督が頷いた。


「国家の意思であれば、これは宣戦布告に近い行為です。しかし、一部勢力の独断であれば、公国側もこの事実を知らない可能性がある。どちらかによって、対応はまったく変わります」


「その通りだ。抗議の仕方を間違えれば、むしろ事態を悪化させかねん」


「もうひとつ。今回遭遇したのは六人ですが、丘陵全体にどれだけの人間が展開しているかは不明です。六人は一つの哨戒班に過ぎない可能性がある。全体の規模を把握しなければ、防衛の計画は立てられません」


「追加の偵察が必要だと」


「はい。ただし、今回は俺たちが交戦しています。五人を現場に残してきた以上、遅くとも明日には相手側に伝わる。警戒が強まる前に、もう一度丘陵に入るべきです」


 総督は腕を組み、しばらく黙考した。


「カズマ、お前に正式に依頼したい。この件の偵察指揮を任せる。必要な人員と装備は用意する」


「衛兵を使えますか。三十人規模の小隊をお借りしたい。偵察すべき地域が広い。丘陵の全域を把握するには、複数の班に分かれて同時に動く必要があります。腕の立つ者を選んでください」


「衛兵から二十人、駐留軍から十人を選抜する。ただし、目立つ動きは避けろ。一度に三十人が東門から出れば、間違いなく向こうの耳にも入る」


「承知しました。五人編成の六班に分け、別々の門から時間をずらして出します。それと、レントにも同行を頼みたい」


 総督がレントを見た。


「商人に軍事行動への参加を求めるのは筋が通らんが」


「構いません」


 レントが即答した。


「俺が最初にこの件を見つけたんだ。最後まで見届けたい。それに、あの丘陵の地形を一番よく知っているのは俺です」


 総督はレントをしばらく見つめた。そして、何かを決めたように小さく頷いた。


「いいだろう。ただし、これは非公式の偵察だ。記録には残さん。商人が丘陵を案内した、それだけの話だ」


「承知しました」


 レントが頭を下げた。


「捕虜の尋問は、意識が戻り次第始める。尋問の結果はお前たちにも伝える。何か分かれば、偵察の計画に反映しろ」


「了解しました」


「それと、カズマ」


 総督の声が低くなった。


「ダルムスト公国との関係は複雑だ。百年の歴史がある。この件が大事に至れば、戦争になる可能性もゼロではない」


 戦争。その言葉の重みは、どの世界でも同じだ。


「この国の軍事力は」


「常備軍が全国で約二万。アスファの駐留軍が三千。ダルムスト公国の軍は推定五千から八千。数の上では我が国が優位だが、全軍をダルムストに向けられるわけではない。北方にも西方にも、警戒すべき隣国がある」


「ダルムスト側に同盟国は」


「確認されていないが、可能性はある。東方のさらに奥にいくつかの小国がある。ダルムストがそれらと結託していれば、兵力は膨れ上がる」


 複雑な国際関係。地球と変わらない。いや、情報が限られている分、地球よりも厄介かもしれない。


「閣下、もうひとつ進言があります」


「何だ」


「東壁の防備を強化すべきです。見張り塔の間隔が広すぎる。補修も遅れています。偵察とは別に、城壁の整備を並行して進めるべきかと」


「予算の問題がある。だが、もはや先送りにできる話ではないな。手配する」


 総督は机の上の紙を引き寄せ、何かを書き始めた。命令書だろう。


「今日のところは以上だ。二人とも、今夜は休め。明日以降の偵察計画は、明朝改めて聞く」


 俺とレントは立ち上がり、執務室を辞した。




 廊下に出ると、レントが長い息を吐いた。


「総督というのは、なかなかの人物だな。圧が強い」


「元衛兵隊長だ。軍人の目を持っている」


「それは分かった。俺を見る目が、ただの商人を見る目じゃなかった」


「気づかれているかもしれないな。お前が元軍人だということ」


「かもな」


 レントは肩をすくめた。


「だが、追及はしなかった。今は俺の素性より、東の丘陵のほうが重要だと判断したんだろう」


 その通りだろう。総督は優先順位をつけられる人間だ。


「カズマ、明日の偵察の計画はあるか」


「ある。丘陵の北側から入る。今日とは逆のルートだ。相手が今日の交戦地点周辺を警戒するなら、北側の警備は手薄になるはずだ」


「北側なら、俺も通ったことがある。案内できる」


「頼む」


 廊下の先から、足音が聞こえた。


 エルティアだった。


 俺の姿を見るなり、駆け寄ってきた。


「カズマさん! 無事でしたか。捕虜を連れて戻ったと聞いて……」


「無事だ。怪我もない」


 エルティアは俺の顔と服を確認するように見つめ、それから安堵の息をついた。


 その視線がレントに移った。


「こちらは?」


「レント・ガルシード。商人で、今回の偵察に同行してくれた」


 レントが軽く会釈した。


「はじめまして。総督のお嬢さん」


「エルティア・メレン・ファーデルスです。カズマさんのお力添え、ありがとうございます」


「礼には及ばんよ。俺は自分の荷物を守りたかっただけだ」


 レントは素っ気なく答えた。エルティアは少し面食らった様子だったが、すぐに微笑んだ。


「率直な方ですね。カズマさんと気が合いそうです」


「よく言われる」


 言われたことがあるかどうかは怪しかったが、レントは否定しなかった。


 エルティアが俺に向き直った。


「詳しい話は明日聞かせてください。今日は疲れたでしょうから、ゆっくり休んでください。街の案内はまた今度で構いません」


「ああ。すまないな、何度も延期して」


「謝らないでください。街の案内より、この街を守ることのほうが大事ですから」


 十六、七の少女の言葉とは思えない、確かな重みがあった。総督の娘として、この街への責任を自覚しているのだろう。


 エルティアが去った後、レントが呟いた。


「いい嬢ちゃんだな」


「ああ」


「惚れるなよ。面倒になる」


「余計な世話だ」


 レントは喉の奥で笑い、手を挙げて去っていった。宿に戻るのだろう。


 一人になった廊下で、俺は窓の外を見た。


 夕暮れのアスファ。赤い屋根が夕日に染まり、ゲルド川が金色に光っていた。


 この街を守る。総督にそう約束した。


 その約束が、想像以上に早く、現実味を帯びてきていた。


 明日から、偵察が本格化する。捕虜の尋問結果も出るだろう。ダルムスト公国の意図が明らかになれば、この街の未来が大きく動く。


 客間に戻り、刀を手に取った。


 蒼い理力が、刃を静かに包んだ。


 明日に備えて、身体を休めよう。


 だが、頭は休まなかった。丘陵の地形、敵の配置、城壁の弱点、補給路。


 軍人の頭は、戦場が近づくと眠らなくなる。


 地球でも、この世界でも。

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