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 12. 東の丘陵

 翌朝、朝食の席にエルティアが姿を見せた。


「カズマさん、今日こそご案内しますね。職人街と学院分校を見ていただきたいんです」


 目を輝かせたエルティアに、俺は申し訳なさを感じながら口を開いた。


「すまない、エルティア。今日は東の丘陵を見に行きたい」


「東の丘陵?」


「昨日知り合った商人が、丘陵で不審な集団の痕跡を見つけたという話を聞いた。自分の目で確認しておきたい。総督に約束した防衛の助言に必要な情報収集だ」


 エルティアの表情が曇った。だが、それは落胆ではなく、別の感情だった。


「あの辺りは野盗が出ると聞いていますが」


「だから見に行く」


 エルティアはしばらく俺の顔を見つめ、そして小さく頷いた。


「分かりました。お気をつけて。でも、戻ったら必ず案内させてくださいね」


「約束する」


 エルティアは納得したようだったが、ヘルダが背後から厳しい視線を送っていた。総督の客人が危険地帯に出かけることへの不安だろう。


 ジリには事前に話を通していた。


「一人で行くつもりか」


「昨日会った商人を連れていく。地形に詳しい男だ」


「俺も行こう」


「いや。ジリは残ってくれ。万が一俺が戻らなかった場合、トーマとガンデムを連れて学院に帰れる人間が必要だ」


 ジリは渋い顔をしたが、理屈は通っていた。


「……分かった。気をつけろよ」


「ああ」



     * * *



 中央市場の裏手にある「赤鷹亭」は、二階建ての古い宿屋だった。


 一階が酒場を兼ねた食堂で、朝からいくつかのテーブルが埋まっていた。商人や旅人が朝食を取りながら商談をしている。


 レントは奥の席に一人で座り、グランをかじっていた。


「早いな。もう来たのか」


「東の丘陵に行きたい。案内を頼めるか」


 レントは一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐにグランを飲み込み、立ち上がった。


「話が早い。待ってくれ、剣を取ってくる」


 五分後、レントは腰に直剣を佩き、背中に小さな革袋を背負って降りてきた。


「食料と水は持った。あんたは?」


「同じく」


「なら行こう。東門から出て、街道を外れたところに丘陵への入り口がある」




 東門を出て、街道を北東に十五分ほど歩いたところで、レントが街道を外れた。


 獣道のような細い道が、丘陵の方向に続いていた。


「ここから先は正規の道じゃない。俺が商売で使っている近道だ」


「この道を知っている人間は多いのか」


「ほとんどいない。地元の猟師が何人か知っている程度だ」


 丘陵に入ると、地形が急に変わった。緩やかだった起伏が険しくなり、岩場や急斜面が増えた。木々の密度も高く、視界が限られる。


 俺は理力の感覚を展開した。二十メートルの範囲内を常時監視する。


 レントが俺の変化に気づいた。


「何をしている」


「周囲の気配を探っている。理力で」


「便利だな、理力というやつは」


「それなりに疲れる」


 二人で並んで歩きながら、俺はレントに質問した。


「野営の痕跡を見つけたのは、どの辺りだ」


「ここからさらに東に、半刻ほど歩いた谷間だ。水場がある。野営するなら、あそこが最適だ」


「水場か。定番だな」


「ああ。だからこそ、俺も通りがかりに気づいた」


 レントの足取りは確かだった。この丘陵を何度も歩いている人間の動きだ。岩場を避け、足場の良い場所を選んで進む。商人としての経験か、それとも別の経験か。


「レント、聞いてもいいか」


「何だ」


「お前は本当にただの商人か」


 レントは足を止めなかった。だが、一瞬だけ肩が強張ったのを俺は見逃さなかった。


「何度聞かれても同じだ。ただの商人だよ」


「ただの商人は、兵の訓練を観察したり、城壁の弱点を指摘したり、丘陵の不審な集団を追跡したりはしない」


「腕の立つ商人だと言っただろう」


 レントは振り返り、皮肉げに笑った。


「あんたに素性を詮索されるほどの大層な過去はないさ。ただ、この仕事を長くやっていると、いろんなものが見えるようになる。それだけだ」


 これ以上は踏み込まないほうがいいと判断した。今は互いの素性より、目の前の任務が優先だ。




 半刻ほど歩いた頃、レントが足を止めた。


「ここだ」


 小さな谷間だった。両側を低い丘に挟まれ、中央に細い小川が流れている。木々が覆いかぶさるように茂り、外からは見つけにくい場所だ。


 確かに、野営には適している。水があり、隠蔽性が高く、周囲を見張れる高台もある。


「痕跡を見つけたのは、あの辺りだ」


 レントが指さした先に、俺は歩いていった。


 しゃがんで地面を観察する。


 あった。焚き火の痕跡。土で覆われているが、炭の破片が残っていた。レントが言った通り、消し方が中途半端だった。完全に消すなら、炭を掘り起こして散らし、別の土で覆う。これはただ上から土をかけただけだ。


 焚き火の周囲の地面を調べた。靴跡がいくつかある。少なくとも五人分。靴底の形状は統一されていた。同じ型の靴を履いている集団。つまり、何らかの組織に属している人間たちだ。


「五人以上の集団だな。靴が統一されている。軍か、あるいは組織的な傭兵団だ」


「野盗ではないな」


「野盗はこんな統一装備は持たない」


 さらに周囲を探索した。木の幹に刃物で削った跡がある。矢印のような記号だ。道標か、あるいは仲間への合図か。


「この記号、見覚えがあるか」


 レントが近づいて見た。顔色が変わった。


「ある。先月、丘陵の東の街道でも同じ記号を見た。木に刻まれていた」


「つまり、この集団はこの丘陵を定期的に移動している」


「偵察だ。この丘陵からアスファの東壁が見える場所を探しているんだ」


 レントの推測と俺の分析が一致した。この集団はアスファの偵察を行っている。


 そのとき、理力の感覚が反応した。


 人の気配。六つ。北東の方角。距離は――探知範囲の端。二十メートル弱。


 急速に接近している。


「レント、伏せろ」


 俺はレントの肩を掴んで引き倒し、同時に自分も低い姿勢を取った。


 二人で灌木の陰に身を隠した。


「何だ」


「六人。北東から来る。距離二十」


 レントは一瞬で表情を切り替えた。商人の顔が消え、戦闘者の顔になった。腰の直剣の柄に手をかける。その動作に無駄がなかった。


 足音が聞こえてきた。複数の人間が、隠そうとしながらも隠しきれていない足音。


 灌木の隙間から覗いた。


 六人の男が、谷間の上流側から降りてきていた。


 全員が革鎧を着用し、直剣または短槍を持っていた。装備の質は、リューゲン丘陵で遭遇した野盗よりも明らかに上だった。革鎧は統一された型で、手入れもされている。


 先頭の男が足を止めた。焚き火の痕跡の近くで、地面を見つめている。


 俺たちの足跡に気づいたのだ。


 先頭の男が無言で手信号を出した。六人が瞬時に散開し、警戒態勢を取った。


 手信号を使う。やはり訓練された集団だ。


「見つかった」


 俺はレントに囁いた。


「六人。やれるか」


「三人までなら」


「なら、残りは俺が引き受ける。俺が先に出る。お前は右翼から回り込め」


 レントは頷いた。異論はなかった。この男は戦場での指示の受け方を知っている。


 俺は灌木から立ち上がった。


 六人の視線が一斉に集まった。


 先頭の男が叫んだ。聞いたことのない言語だった。ゼーラ語ではない。他国の言語か。


 その叫びを合図に、二人が俺に向かって突進してきた。残りの四人は散開したまま、包囲の態勢を取ろうとしている。


 俺は刀を抜いた。蒼い理力が刃を包む。


 突進してきた一人目。短槍を突き出してきた。


 俺は半身をずらして槍をかわし、すれ違いざまに槍の柄を斬った。理力を纏った刃が、木製の柄をあっさりと断ち切った。槍頭が地面に落ちる。


 武器を失った男が怯んだ隙に、俺は柄頭で男の鳩尾を打った。男は声もなく崩れ落ちた。殺してはいない。情報源は生かしておく必要がある。


 二人目が直剣で斬りかかってきた。右からの横薙ぎ。


 受け流し、返す刃で男の剣を持つ手を打った。骨が砕ける音がして、男が剣を取り落とした。怯んだ男の顎を、左拳で打ち抜いた。男は地面に崩れ、動かなくなった。


 二人を十秒で無力化。


 残りの四人のうち二人が俺に向かい、残り二人がレントの方角に向かった。


 レントは灌木の陰から飛び出し、右翼から回り込んでいた。指示通りだ。


 俺に向かってきた二人は、先の二人より慎重だった。一人が正面、もう一人が左に回り込もうとしている。挟撃の意図。


 基本的な戦術を理解している。だが、実行の精度が低い。連携の間合いが中途半端で、左に回る男の動きが遅い。


 俺は正面の男に向かって踏み込んだ。フェイント。男が防御の姿勢を取った瞬間、身を翻して左の男に向かった。


 左の男が虚を突かれ、防御が間に合わなかった。俺は男の直剣を刀で弾き飛ばし、脚を払って倒した。倒れた男の側頭部を柄頭で打ち据える。男の目が裏返り、意識が落ちた。


 正面にいた男が背後から斬りかかってきた。


 俺は振り返らなかった。理力の感覚で、男の位置と剣の軌道を把握していた。


 身を沈め、斬撃の下をくぐり、回転しながら男の膝裏を蹴った。男がバランスを崩して片膝をついた。その隙に背後に回り込み、首の後ろに掌底を叩き込んだ。理力を僅かに乗せた一撃。男は前のめりに崩れ落ち、動かなくなった。


 レントの方を見た。


 レントは二人を相手にしていた。一人はすでに地面に倒れて動かない。もう一人と剣を交えている。


 レントの剣技は、見た瞬間に分かった。この男はただの商人ではない。


 動きに無駄がない。相手の攻撃を最小限の動きで避け、的確に反撃する。力に頼らず、技術と読みで戦っている。ジリとは異なる系統だが、同等かそれ以上の練度だ。


 レントが相手の直剣を弾き、逆手に持ち替えた剣の柄頭で相手の顎を打ち上げた。男が白目を剥いて倒れた。


 静寂が戻った。


 六人全員が無力化された。死者はいない。レントも俺も、殺さずに制圧していた。


「怪我は」


「ない。あんたは」


「ない」


 レントは額の汗を拭い、倒した男たちを見回した。


「やはり野盗じゃないな。動きが組織的だった。手信号も使っていた」


「ああ。それと、ゼーラ語を話していなかった。別の言語だった」


「聞こえた。あれは東方の言葉だ。東の山岳地帯の向こうにある、ダルムスト公国の言語に似ていた」


「ダルムスト公国?」


「アスファの東方にある小国だ。この国とは友好的ではないが、敵対もしていない。少なくとも表向きは」


 表向きは、か。裏がある可能性を示唆する言い方だった。


 俺は気を失っている男たちの装備を調べた。


 革鎧は量産品だが質が良い。直剣は同じ型で、刻印がある。製造者の印だろう。短槍も同型。個人の装備ではなく、組織から支給されたものだ。


 懐を探ると、一人の男が革紐で首から下げていた小さな金属片が見つかった。認識票のようなものだ。片面に文字が刻まれている。ゼーラ語ではない。


「レント、これが読めるか」


 レントが金属片を受け取り、目を細めた。


「……ダルムスト公国の文字だ。全部は読めないが、数字と、何かの部隊名らしいものが刻まれている」


「部隊名。つまり、こいつらはダルムスト公国の兵士か」


「正規兵かは分からん。だが、公国の関与は間違いなさそうだ」


 俺は金属片を懐にしまった。これは総督に見せる必要がある。


「レント、一人連れて帰る。一番小柄なやつだ。残りはここに置いていく」


「連行するのか。丘陵を下りながら一人を担ぐのは楽じゃないぞ」


「認識票と装備だけでは状況証拠に過ぎない。生きた証人がいれば、総督も動かざるを得ない」


 レントは一瞬考え、頷いた。


「確かにな。俺の風聞で動かなかった連中だ。目の前に現物を突きつけるのが一番早い」


 俺は気を失っている六人の中から、最も小柄な男を選んだ。革鎧を剥がして身軽にし、レントが持っていた縄で手足を縛った。商人の革袋には縄が常備されているらしい。街道で荷を縛るためのものだと言っていた。


 小柄とはいえ、成人の男だ。俺は男を肩に担いだ。理力で身体を強化すれば、この程度の重さは問題ない。ただし、理力の消耗は覚悟しなければならなかった。


「ここに長居はできない。こいつらが目を覚まして仲間に連絡すれば、追っ手が来る」


「同感だ。急ごう」


 帰路は来た道とは別のルートを取った。レントが代替路を知っていた。


「カズマ」


「何だ」


「あんたの戦い方を見て確信した。あんたはただの軍人じゃない。特殊な訓練を受けている」


「否定はしない」


「俺も、ひとつだけ正直に言っておく」


 レントは前を向いたまま言った。


「俺は元軍人だ。この国の正規軍にいた。五年前に除隊して、商人に転じた」


「理由は」


「上官と合わなかった。それだけだ」


 それだけではないだろう。だが、今はそれで十分だった。


「元軍人の商人か。どうりで動きが良いわけだ」


「お互い様だ。落ち人の軍人なんて、冗談みたいな存在だからな」


 レントが笑った。今度は皮肉ではない、素直な笑みだった。


 丘陵を抜け、街道に出たときには昼を過ぎていた。


 東門が見えてきた。アスファの城壁が、午後の日差しを浴びて灰色に輝いている。


「総督にはすぐ報告する」


「ああ。俺も同席できるか」


「むしろ来てくれ。お前の証言が必要だ。認識票もある。今度は商人の風聞では済まされないだろう」


 レントは頷いた。


 東門をくぐり、城内に入った。


 平和な街の喧騒が俺たちを迎えた。だが、その平和の東側に、確実に影が忍び寄っていた。


 ダルムスト公国。その名を、俺は記憶に刻んだ。

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