11. 兵と商人
エルティアに案内してもらった翌日、俺は一人で総督府を出た。
昨日の別れ際、エルティアは「明日からもっとたくさん案内しますね」と言っていた。だが、朝食の席でヘルダから伝言があった。エルティアは本日、総督との公務があり終日動けないとのことだ。「明後日には必ずご案内しますので」という伝言付きだった。
好都合だった。
今日は誰の案内も付かない。ジリには「街を見てくる」とだけ伝えた。トーマとガンデムは総督府の中庭で衛兵たちと交流しているらしい。トーマの社交性がここでも発揮されているようだ。
一人で歩く理由は明確だった。
エルティアとの散策は楽しかったが、総督の令嬢と一緒では見られないものがある。護衛の目がある場所では聞けない話がある。
情報収集は、一人で行うのが基本だ。
まず、東門に向かった。
総督との会談で、地図を見て東側の防衛に弱点があると指摘した。それを自分の目で確認したかった。
大通りから東に折れ、住宅街を抜けると、城壁が近づいてきた。東門は北門に比べて小さく、通行量も少なかった。門を守る兵士は四人。北門の半分だ。
門を出ると、東側の地形が一望できた。
やはり、問題があった。
城壁の東側は、約五百メートル先から緩やかな丘陵が始まっている。丘陵には木々が点在し、隠蔽に利用できる地形が多い。街道は東門から北東方向に延びているが、丘陵を迂回する形で大きく曲がっており、街道を通らずに東門に接近できる経路が少なくとも三つはあった。
城壁の高さは他の区画と同じ十メートル以上だが、見張り塔の間隔が広い。北壁や西壁では塔と塔の間が約百メートルだが、東壁では百五十メートル以上離れている箇所があった。
視界の死角が生まれる。
俺は城壁の外周を東門から南東方向に歩き、地形と城壁の関係を頭に刻んだ。
城壁の基部を観察すると、石積みの状態にも差があった。北壁や南壁は比較的新しい石材で補修された跡があるが、東壁は古い石材のままで、目地が風化している箇所もあった。
補修の優先度が低いのだろう。東側からの脅威が歴史的に少なかったということか。あるいは、予算の問題か。
頭の中で報告書の骨格を組み立てていた。501特戦の任務中と同じだ。偵察し、観察し、分析し、報告する。身体に染みついた手順だった。
城壁の外周を半周して南門まで歩き、再び城内に入った。
次に向かったのは、兵営だった。
エルティアが教えてくれた通り、兵営は東門の内側に位置していた。石造りの二階建ての建物が複数棟並び、訓練用の広場が併設されていた。
兵営の近くを歩いていると、訓練中の兵士たちの声が聞こえてきた。
柵の外から訓練の様子を観察した。
約三十人の兵士が、直剣を使った組み手をしていた。二人一組で向き合い、号令に合わせて打ち合う。
動きを見た。
悪くはない。基本動作は身についている。だが、全体的に型にはまりすぎている。号令通りの攻撃と号令通りの防御。実戦では、号令など存在しない。
受けの技術が弱い。攻撃に比べて、防御の訓練が不足している印象だった。それと、足運びに問題がある。上半身の動きに対して下半身が遅い兵士が何人かいた。
指揮をしているのは、三十代と思しき兵士だった。声が大きく、指示は明確だが、個々の兵士の動きを修正する場面は少ない。全体を一律に訓練する方式だ。効率はよいが、個人の弱点が放置されやすい。
もう少し観察しようとしたとき、背後から声をかけられた。
「おい、あんた。何を見ている」
振り返ると、若い男が立っていた。
二十代前半。身長は俺と同じくらいで、この世界の人間としてはかなりの長身だ。赤みがかった茶色の短い髪に、鋭い灰色の目。体格は引き締まっており、無駄な肉がない。
兵士の服装ではなかった。革の上着に丈夫そうな布の下衣。腰に直剣を一振り。旅装に近いが、質は良い。商人か、あるいは傭兵か。
「訓練を見学していた」
「見学? あんた、軍の人間か」
「いや。総督府の客人だ」
「総督府の?」
男の目が俺を上から下まで観察した。衣服、体格、腰の刀。そして、何かに気づいたように目を細めた。
「あんた、変わった剣を持っているな。この国の剣じゃない」
「日本刀だ。俺の国の剣だ」
「落ち人か」
即座に見抜かれた。この男、観察力がある。
「そうだ。カズマという」
「カズマ。聞いたことがある名だ」
男は腕を組んだ。
「グラオムを一人で斬った落ち人だろう。この街に着いてから、その噂で持ちきりだ」
噂が広まっているのか。エルティアを救った話が、いつの間にか街中に伝わったらしい。総督の娘が関わった事件だ。広まるのは当然か。
「俺はレント・ガルシード。商人だ」
男――レントは、愛想がいいとは言えない顔で名乗った。だが、その目には知性があった。ただの商人ではない。少なくとも、ただ荷物を運んで売り買いするだけの人間ではない。
「商人が兵営の前で何をしているんだ」
「あんたと同じだ。見ていた」
「訓練を?」
「ああ。俺の商売は、この地域の各都市を回って物資を運ぶ仕事でな。街道の安全は死活問題だ。この街の兵がどの程度の練度か、知っておきたかった」
合理的な理由だった。街道の治安は商人にとって最重要事項のひとつだ。護衛を雇うにしても、駐留軍の能力を把握しておくことは商売の判断材料になる。
「で、あんたの見立ては?」
レントが聞いてきた。こちらの意見を聞きたいのか。
「悪くはない。基本はできている。だが、実戦経験が乏しい。型通りの動きに偏っていて、想定外の状況への対応力が弱い」
「同感だ。この街の兵は、ここ十年ほど大きな戦闘を経験していない。平和なのは良いことだが、兵の質は落ちる」
レントの分析は的確だった。商人の目で見ても、兵の質の低下は見て取れるということだ。
「あんた、軍人だったんだな。見学の仕方が素人じゃない」
「元、ではなく現役だ。もっとも、この世界に来てしまったから、元になるのかもしれないが」
レントは初めて笑った。皮肉げな、だが嫌味のない笑みだった。
「面白い男だな。落ち人で軍人か。この街にはいろんな人間がいるが、あんたみたいなのは初めてだ」
「そっちこそ、ただの商人には見えないが」
「買いかぶりだ。ただの商人だよ。ただし、腕の立つ商人だ」
レントは腰の直剣に手を触れた。さりげない動作だったが、その手つきに迷いがなかった。剣を日常的に使っている人間の手つきだ。
「街道を一人で歩き回る商人は、自分の身は自分で守れなきゃ務まらん。野盗も獣も、商人だからといって見逃してはくれない」
「リューゲン丘陵を通ることもあるのか」
「ある。あの丘陵を抜ける近道を知っている。時間と金を節約するには、多少の危険は承知の上だ」
俺たちは自然と並んで歩き始めていた。兵営の前から、東門の方角へ。
「カズマ、あんたに聞きたいことがある」
「何だ」
「この街の東側の防備が薄いのは、気づいているだろう」
やはり、この男は鋭い。
「気づいている。今朝、城壁の外周を歩いて確認した」
「俺もだ。東壁の見張り塔の間隔が広すぎる。あそこから侵入されたら、兵営に連絡が届く前に市街地に入られる」
「商人がそこまで気にするものか」
「気にするさ。俺の荷物はこの街の倉庫に預けてある。略奪されたら商売あがったりだ」
レントの口調は軽かったが、目は笑っていなかった。この男は本気で東壁の防備を懸念している。
「最近、東の丘陵で不穏な動きがあるという噂を聞いた」
「不穏な動き?」
「野盗とは別の連中だ。組織的に動いている。小規模だが統率が取れていて、街道沿いの村を偵察しているような動きをしている。俺が先月この街に来る途中、丘陵の東の街道でそいつらの痕跡を見つけた」
「痕跡とは?」
「野営の跡だ。火を使った形跡を消そうとしていたが、消し方が中途半端だった。軍の訓練を受けた人間なら、もっとうまく消す。だが、素人の野盗よりは明らかに手慣れていた」
中途半端に訓練された集団。正規軍ではないが、野盗でもない。傭兵か、あるいは他国の非正規部隊か。
「その情報は、総督府に伝えたのか」
「伝えたさ。だが、商人の風聞として処理されたようだ。正式な偵察隊を出す話にはなっていない」
レントの声に、わずかな苛立ちが混じった。
「この街の役人は、平和に慣れすぎている。十年も大きな争いがなければ、次の争いが来ないと思い込む」
どの世界でも同じだ。平和が長く続けば、人は危機感を失う。501特戦が存在する理由のひとつも、平和な国内にいては見えない脅威を監視するためだった。
「カズマ、あんたは総督の信頼を得ているんだろう。グラオムを斬り、娘を救った男だ。あんたの言葉なら、総督も耳を傾けるんじゃないか」
「何が言いたい」
「東側の偵察を進言してくれないか。俺の言葉では動かなかった。だが、軍人の目で見た分析と、俺が掴んだ情報を合わせれば、総督も動くかもしれない」
レントは俺をまっすぐに見た。灰色の目に、駆け引きの色はなかった。
この男は本気で、この街の安全を心配している。商売のためだけではない。もっと根本的な何かが、この男を動かしている。
「考えておく。ただし、俺自身がまだこの街の全体像を把握しきれていない。もう少し情報が要る」
「いくらでも提供する。俺はこの地域の街道をすべて知っている。どこに村があり、どこに水場があり、どこが待ち伏せに適しているか。商人の情報網を舐めるなよ」
レントは不敵に笑った。
「しばらくこの街にいるのか」
「ああ。次の隊商が出るまで、あと半月はいる。宿は中央市場の裏手にある『赤鷹亭』だ。何かあれば来い」
「分かった」
レントは片手を挙げて別れの合図をし、雑踏の中に消えていった。
一人になり、俺は東門の近くの城壁に背を預けて考えた。
レントの情報が正しければ、アスファの東側に未確認の脅威が存在する可能性がある。
総督に報告すべきだ。だが、裏付けのない商人の風聞と、着いたばかりの落ち人の推測だけでは、動かせるものも限られる。
まずは自分の目で確認する必要がある。
東の丘陵を偵察する。レントの情報を元に、野営の痕跡を探す。正体不明の集団の規模と目的を推定する。
それは、501特戦の任務そのものだった。
異世界に来ても、やることは変わらない。そう思うと、自然と口元が緩んだ。
俺は城壁を離れ、総督府への帰路についた。
夕方の街は、昨日エルティアと歩いたときとは違う顔を見せていた。仕事を終えた職人たちが酒場に集まり、子供たちが路地を走り回り、女たちが井戸端で噂話に興じていた。
平和な街だ。この平和を守るために、やるべきことがある。
総督への報告書を、今夜中にまとめよう。
そう決めて、俺は歩調を速めた。




