第四十八話 「止まらない」
──何かが、完全に切り替わった。
さっきまで“僕”だったものが。
今は、もう違う。
視界はある。
音も聞こえる。
でも。
それを見ているのが“自分じゃない”と、はっきり分かる。
「……ああ」
口が動く。
勝手に。
「ようやく、馴染んできた」
違う。
違う。
それは僕じゃない。
止めたいのに。
声が出ない。
身体が、言うことを聞かない。
「……下がれ」
低い声が出る。
僕の声なのに、まるで別人みたいだった。
「今のこれは──我だ」
兄さんの顔が強張る。
姉さんの足が止まる。
違う。
違うよ。
僕はここにいる。
ちゃんと、ここにいるのに。
(やめて)
叫んでいるのに。
誰にも届かない。
身体が勝手に動く。
指先が持ち上がる。
黒い影が、そこへ集まる。
圧縮されるみたいに。
濃く、重く。
──放たれる。
ドンッ!!
黒い塊が、兄さんの張った障壁へ叩きつけられた。
「っ……!」
兄さんの顔が歪む。
光が揺れる。
軋む。
でも、割れない。
「フレイ!!」
姉さんの声。
「大丈夫……!」
歯を食いしばって答える。
でも、分かる。
無理してる。
影が、また集まる。
さっきより速く。
さっきより強く。
(やめて)
止めたいのに。
止まらない。
第二撃が放たれる。
ガンッ!!
鈍い音。
今度は。
──罅が入った。
「っ……!」
兄さんの障壁に罅が走る。
光が歪んで崩れかける。
「フレイ、下がって!」
姉さんが叫ぶ。
でも、兄さんは動かない。
「……嫌だ」
低く、はっきりと。
「ここで引いたら、トールを守りきれなかった僕を僕が許せない。」
悪いのは僕だ。
僕が。
──弱いから。
(やめて)
叫んでいるのに。
身体は止まらない。
影が膨れ上がる。
部屋全体を覆う勢いで。
空気が歪む。
息が苦しい。
「……っ」
兄さんの膝がわずかに沈む。
限界が近い。
分かる。
分かるのに、止められない。
「メリア!」
兄さんが叫ぶ。
「後ろに──」
「嫌よ!!」
姉さんが遮る。
震えている。
でも、目は逸らさない。
「一緒にいるって決めたの!!私だってトールを守りたいっ!!」
剣を構える。
その手は震えている。
それでも。
一歩、踏み出した。
「トール!」
姉さんが“僕”に叫ぶ。
「あんた、まだそこにいるんでしょ!!」
「……」
口が動く。
勝手に。
「……さぁ、どうだろうなぁ?」
違う。
違うよ。
そんなこと、言ってない。
僕は──
「だが、居たとてもう遅い」
低い声。
冷たい声。
僕じゃない。
完全に、違う。
(違う!!)
必死に叫ぶ。
でも、届かない。
影が、姉さんへ向かって伸びる。
黒い牙みたいに。
一直線に。
(やめろ!!)
内側で叫ぶ。
でも。
止まらない。
キィィンッ!!
姉さんが剣で弾く。
「っ……!」
吹き飛ばされそうになりながら踏ん張る。
「メリア!」
「大丈夫……!」
強がる声。
でも、分かる。
限界が近い。
姉さんも。
兄さんも。
このままじゃ──
(やめて……)
必死に願う。
その瞬間。
影の動きが、ほんの僅かに鈍った。
ほんの、一瞬だけ。
「……っ?」
兄さんが気づく。
でも。
すぐに。
「無駄だ」
影が、一気に爆ぜた。
ドォンッ!!!
空気が弾ける。
「っ──!!」
兄さんの障壁が、砕けた。
光が散る。
姉さんが弾き飛ばされる。
「メリア!!」
(やめろおおお!!)
叫んでいるのに。
声にならない。
影がさらに濃くなる。
身体を覆う。
飲み込まれる。
完全に。
支配するみたいに。
視界が紅く染まる。
意識が沈む。
深く。
深く。
暗闇の底へ。
でも。
完全には消えない。
残っている。
見えている。
感じている。
自分の身体が、勝手に動くのを。
それを、止められないのを。
口元が厭に歪む。
「……ようやく、完全に表に出られたか」
低い声が、部屋に落ちる。
その響きは、さっきまでの“違和感”とは違う。
明確な“異質”。
明確な“敵”。
空気が、張り詰める。
「……来るぞ」
兄さんが低く呟く。
その声に、迷いはなかった。
姉さんも、剣を握り直す。
震えていた手が、止まる。
戦う顔、だけど苦しそうに表情が歪んでる。
──守るための顔。
影が、ゆっくりと蠢く。
まるで獲物を見定めるみたいに。
部屋の温度が下がる。
息が白くなるほどに。
静寂。
嵐の前の、ほんの一瞬の静けさ。
その中で。
僕は、ただ見ていることしかできなかった。
(助けて)
(誰か)
(僕を)
必死に叫んでいるのに。
──僕の声は、何一つ届かなかった。




