第四十五話 「背負わせない覚悟」
──その後。
アークライト邸は、久しぶりに穏やかな空気に包まれていた。
トールは自室で眠っている。
メリアもフレイも、少し疲れたように早めに部屋へ戻っていった。
ようやく、ひとつの山を越えた。
──そう、思いたかった。
◇
王都の外れ。
王立図書館。
その奥。
限られた者しか立ち入ることを許されない、禁書領域。
重厚な扉の前に、四つの影が並んでいた。
ミレイユ。
アイリーン。
レオン。
そして俺、ルシアン。
それぞれが身分証となる魔力紋を扉にかざす。
淡い光が重なり合い──
ギィ、と音を立てて扉が開いた。
中は静寂そのものだった。
外界と切り離されたような空間。
古びた書物が無数に並んでいる。
魔力の気配が濃い。
「……ここなら、間違いないわね」
アイリーンが低く呟いた。
「魂干渉、封印術、古代聖魔法……この辺りなら何かあるはずよ」
「あるといいがな」
レオンが腕を組む。
「“あるはず”じゃ困るのよ」
ミレイユが静かに言った。
「必ず“見つける”の」
その声に全員が頷いた。
◇
それから。
どれくらいの時間が経ったのか。
誰も言葉を発しなかった。
ただ、ひたすらに本を読み漁る。
ページをめくる音だけが、静かに響く。
やがて。
「……あった」
ぽつり、と。
アイリーンが呟いた。
三人が一斉に顔を上げる。
「“魂分離術式”……」
ページに指を走らせながら、ゆっくりと読み上げる。
「対象の魂に混在する異質な存在を、強制的に切り離し、外部へ固定化する……」
「……それだ」
ルシアンが低く言う。
「トールの魂の“魔王”だけを……」
「ええ」
アイリーンが頷く。
「理論上は可能」
その言葉に。
ほんの僅かに空気が緩んだ。
だが。
「──ただし」
その一言で、全てが止まる。
静寂。
重い沈黙。
「……続けて」
ミレイユの声は静かだった。
「術者は、対象の魂へ直接干渉する必要がある」
「つまり……」
レオンが眉を寄せる。
「精神じゃなく、“魂そのもの”に触れるってことか」
「ええ」
アイリーンは一度だけ目を閉じた。
そして。
「……失敗すれば、対象の魂は完全に侵食される」
「……トールが」
ルシアンの声が、かすかに揺れた。
「それだけじゃない」
アイリーンはゆっくりと続ける。
「術者も、同時に引きずり込まれる可能性がある」
「……っ」
空気が、凍る。
「魂ごと取り込まれれば、肉体はただの器になるわ」
誰も、言葉を発せなかった。
ただ。
その意味だけは、全員が理解していた。
──死。
それも、消失するような死。
「……他に方法は」
震える声を絞り出すように言う。
「ないのか?」
沈黙。
アイリーンはゆっくりと首を横に振った。
「……ない」
その一言が、重く落ちる。
そして。
「それでいいわ」
間を置かずにミレイユが言った。
「ミレイユ!」
思わず声を荒げる。
「そんなもの、認められるか!」
「他に方法はないのでしょう?」
「だからって!」
初めてだった。
ここまで感情を露わにするのは。
「お前を危険に晒してまで……!」
「私はどんな危険だって受けて立つわよ」
迷いなく、言い放った。
その一言に。
言葉が、止まる。
「トールを救うためなら」
ミレイユの瞳は真っ直ぐだった。
「何だってするわ」
静かで。
でも、揺るぎのない声。
聖女としてではなく。
母親としての声だった。
「……っ」
拳を握る。
言いたいことは、山ほどあった。
止めたい。
叫びたい。
それでも。
その瞳を見てしまったら…… トールを救う為なら……
──止められない。
「……絶対に失敗するなよ」
低く、吐き出す。
それが精一杯だった。
ミレイユは少しだけ微笑んで頷いた。
「ええ」
その時。
「……で、だ」
レオンが口を開いた。
「その話、子どもたちにはどうする」
空気が、変わる。
ミレイユは迷わなかった。
「話さないわ」
「……いいのか?」
「ええ」
静かに頷く。
「あの子たちには、背負わせない」
その言葉に目を伏せる。
そして、小さく息を吐いた。
「……そうだな」
低く、同意する。
「もう、十分背負ってる」
フレイの優しい顔が、浮かんだ。
メリアの満面の笑顔が、浮かんだ。
そして。
トールの泣きそうな顔が。
「俺たちだけでいい。これは、俺たちが背負う」
「……決まりね」
アイリーンが静かに頷いた。
誰も、異論はなかった。
それは。
四人だけの、暗黙の約束。
誰にも言わない。
誰にも背負わせない。
ただ。
あの子を、救うためだけの。
──覚悟だった。
◇
同じ頃。
アークライト邸の一室。
フレイは窓の外を見ていた。
月が静かに輝いている。
「……」
胸の奥がざわつく。
理由は分からない。
でも。
何かが、おかしい。
父さんも母さんも。
どこか、張り詰めている。
メリアは明るく振る舞っているけど。
その裏で、少しだけ震えていた。
「……兄さん?」
背後から、小さな声。
振り返ると、トールが立っていた。
「起きてたの?」
「……うん」
少しだけ笑ってみせる。
「眠れない?」
トールはこくりと頷く。
ゆっくりと歩み寄り、その頭を撫でた。
「大丈夫」
優しい声で、そう言う。
「僕がいるから」
それが。
今、自分にできることだった。
全部は分からない。
でも。
守ると決めたから。
──離さないと、決めたから。
トールの部屋に行き、ベッドの縁に座った。
夜は、まだ静かに続いていた。




