第四十二話「笑ってるつもり」
──次の日の朝。
目が覚めると、隣には姉さんが居て、反対側には兄さんがいた。
姉さんは僕に抱き付いたまま寝ていて、兄さんはベッドから半分落ちかけている。
「……ふふ」
少しだけ笑った。
昨日の夜は久しぶりにちゃんと眠れた。
怖い夢も見なかった。
父さんと母さんも結局部屋に居座って、ソファで並んで座ったまま僕たちを見守りながら眠っていた。
そこまでしなくても、とは思うけど、でもやっぱりすこしだけ嬉しかった。
「ん……トール?」
姉さんが目を覚ました。
「おはよぉ~トール」
「……おはよう」
「怖い夢とか見なかった?」
「うん」
「よし!」
姉さんは満足そうに笑った。
兄さんもゆっくり目を開けた。
「……おはよう、トール」
「おはよう、兄さん」
「眠れた?」
「うん」
そう答えると、兄さんはほっとしたみたいに笑った。
朝食の席でも、みんなはいつも通りだった。
父さんは「今日は絶対学院には行かせない」って過保護全開で、母さんは「これ好きでしょう?張り切って作り過ぎちゃったわ」となぜか藻みたいな色のマッシュポテトを僕の皿にてんこもり乗せてくる。
姉さんは隣で騒がしいし、兄さんは静かにホットレモネードを作ってくれた。
レオンおじちゃんとアイリーンさんまで来ていた。
「よし、今日は剣の素振り百回だ!」
「駄目に決まってるでしょう」
アイリーンさんが即座に扇子でレオンおじちゃんを叩いた。
「この子に今必要なのは愛されているっていう安心。脳筋は黙っていなさい」
「誰が脳筋だ!」
「貴方よ」
「むっ……」
そんなやり取りに姉さんが吹き出した。
兄さんも困ったみたいに笑っていた。
みんな優しい。
優しすぎるくらいに。
だから、尚更苦しくなった。
僕がいなくなったら、みんな泣くのかな。
そんなことを考えてしまって、自分がもっと嫌になった。
◇
──昼過ぎ。
少しだけ部屋にいるのが苦しくて、廊下を歩いていた時だった。
談話室の隣の、小さな客間。
少しだけ開いた扉の向こうから、声が聞こえた。
「……時間がないわ」
アイリーンさんの声。
思わず足が止まる。
「昨日のあれは、想像以上よ。このままじゃ次は抑えきれないかもしれない」
「だからって……!」
姉さんの声だった。
珍しく、泣きそうな声。
「何か方法はないの!?」
「必死に探してるところだ」
父さんの声。
「だが、最悪の場合も考えなければならない……」
どくり、と。
心臓が大きく鳴った。
「最悪って、何……?」
兄さんの小さな声。
返事は、少しの沈黙のあとだった。
「……トールが、自分を見失った時」
「皆を傷つける前に止める必要がある」
頭の中が真っ白になった。
違う。
きっと、違う。
父さんは、僕を助ける方法を話してる。
そう思わなきゃいけないのに。
なのに。
胸の奥で、嫌な声が囁く。
──ほら、やっぱり。
──ボクは危ない。
──みんな、本当は怖いんだ。
「……っ」
息が苦しい。
聞いちゃ駄目だ。
でも、足が動かない。
「私は、絶対にトールを諦めないわ」
母さんの声だった。
強くて、優しい声。
「例えどんな状態になっても、あの子を連れ戻す」
「……ミレイユ」
「何度だって。どこまでだって迎えに行くわ」
胸が、痛かった。
嬉しい。
嬉しい、はずなのに。
その言葉が、余計に苦しくなる。
母さんにそんな負担を負わせたくない。
僕なんかのために。
「……ごめんなさい」
小さく呟いて、僕はその場を離れた。
廊下を曲がったところで。
「……トール」
静かな声。
兄さんだった。
いつからそこにいたんだろう。
僕は振り返れない。
「聞いてたんでしょ」
「……」
「兄さん、あれは」
「違う」
珍しく、強い声だった。
思わず肩が震える。
「皆は、トールをどうやって追い出すかなんて話してない」
「……でも」
「どうやって守るかを話してるんだ」
兄さんが一歩近づく。
「父さんも、母さんも、メリアも、アイリーンさんも、レオンおじちゃんも」
「誰も、トールを諦める気なんかない」
「……っ」
「僕は」
そこで、兄さんは少しだけ困ったみたいに笑った。
「トールがいなくなる方が、ずっと嫌だ」
優しい声だった。
昔からずっと聞いてきた声。
「僕だって、怖かったことがある」
「……え?」
「僕、みんなみたいに上手くできないから」
兄さんは小さく笑う。
「メリアみたいに強くないし、父さんみたいに格好良くないし、母さんみたいに特別でもない」
「そんなこと……!」
「でも、父さんも母さんも、僕を見捨てなかった。それどころか今も昔も変わらず愛してくれてる」
兄さんがそっと僕の頭を撫でる。
「だから、僕もトールを見放さない。ずっと、守る」
「トールがどこに行っても、僕は追いかける。だって…… 可愛くて大事な弟なんだから」
また。
泣きそうになった。
「……うん」
なんとか笑う。
ちゃんと。
いつもみたいに。
「ありがとう、兄さん」
でも。
兄さんは少しだけ苦しそうな顔をした。
きっと。
僕が笑えてないことに気づいてしまったから。
◇
──夜。
屋敷が静かになって。
みんなが眠った頃。
僕は、そっとベッドから抜け出した。
起こさないように。
音を立てないように。
震える手で、扉を開ける。
だって。
僕がいなければ。
皆は、悩まないし傷つかない。
母さんも、泣かない。
姉さんも、兄さんも、父さんも。
僕のせいで苦しまずに済む。
「……ごめんなさい」
小さく呟いて。
僕は、一人で部屋を出た。




