第四十一話 「おやすみ、トール」
──その日の夜。
僕は自分の部屋のベッドの上で、ぼんやりと天井を見ていた。
眠れなかった。
目を閉じると、瞼の裏に昨日のことが蘇えってくる。
黒い影。
頭の中の声。
ユリウスを傷付けそうになったこと。
姉さんと兄さんの震える声。
母さんの光。
「……っ」
毛布をぎゅっと握る。
怖い。
眠っている間にあれが起きたらどうしよう。
今度こそ、誰かを傷つけてしまったら。
そう考えると、眠るのが怖かった。
その時。
こんこん、と。
静かなノックの音がした。
「……トール?」
母さんの声だった。
「起きてる?」
「……うん」
扉が開く。
母さんは寝間着の上に薄いカーディガンを羽織っていた。
長い髪は下ろしたままで、いつもより柔らかい雰囲気に見える。
「眠れないの?」
ベッドの縁に腰掛けながら、母さんが聞いてきた。
僕は小さく頷く。
「……怖くて」
そう言った瞬間。
また涙が出そうになった。
「今度は本当に誰かを傷つけるかもしれない」
「みんなに今度こそ嫌われるかもしれない」
「……っ」
言葉にしたら、余計に苦しくなった。
だけど、母さんは驚かなかった。
変に否定することもなく。
ただ。
「そう」
静かに僕の頭を撫でた。
「怖いわよね」
優しい声。
その声を聴いたら、我慢していたものが少しだけ溢れた。
「僕、嫌だ……」
「うん」
「誰も傷つけたくない。みんな……みんな大好きなんだもん」
「うん」
「でも、止められなかったら……」
震える声。
その時、母さんがそっと僕を抱き締めた。
「大丈夫」
耳元に優しく響く安心する声。
「トールが止められなくなっても、私が止めるわ」
「……っ」
「あなたが苦しくなったら、私が迎えに行く。それが例えどんな暗闇の中だとしても」
どこまでも。
何度でも。
昼間に聞いた言葉が、胸の奥でもう一度響いた。
「でも……母さん、怖くないの?」
思わず聞く。
僕が怖くないのか。
僕の中にあるものが。
母さんは少しだけ目を丸くした。
それからふわりと笑った。
「もちろん、怖いわ。」
「……え?」
「トールを失うことが……とても怖い。それに、貴方が一人で苦しんでいることが一番辛い」
違った。
母さんが何よりも恐れているのは“魔王”じゃなかった。
僕を失うこと、そして僕が一人で苦しみを抱え込み一人で泣くことに心を痛めていたんだ。
「でもね」
母さんが僕の頬に触れる。
「貴方の事は怖くない」
「例え貴方がどんな姿になっても」
「どこへ行ってしまっても」
「貴方は、私の大切な息子よ」
もう、涙を我慢できなかった。
「だから、安心して」
母さんは笑う。
優しく。
暖かく。
「私は絶対に、何者にも貴方を奪わせない」
その時だった。
バタンッ!!
勢いよく扉が開いた。
「トール!!」
「っ!?」
姉さんだった。
その後ろから兄さんも顔を出す。
「やっぱり起きてた!」
「メリア、ノックして」
「そんな余裕ないでしょ!?」
「何で」
「トールが泣いてるかもしれないのに!」
姉さんはずかずかと部屋に入ってきて、そのままベッドに上ってきた。
「はい場所空けて!」
「えっ」
「今日はわたしも一緒に寝る!」
「僕も」
兄さんまで当然みたいな顔でベッドに入ってくる。
「えっ、えっ」
「嫌?」
兄さんに聞かれて慌てて首を横に振った。
「やじゃない」
「よし!」
姉さんは満足そうに笑って僕の隣に潜り込む。
兄さんは反対側に横たわった。
「これで安心でしょ」
「メリア、これはちょっと狭いんじゃ……」
「フレイはあっちのソファ!」
「えぇ……」
珍しく困った声。
思わず少しだけ笑った。
「あ!笑った!」
姉さんが嬉しそうに言った。
「……うるさい」
「ふふっ」
母さんも笑った。
「おい、お前たち」
呆れた声。
父さんだった。
開いた扉の壁際に腕を組んで寄り掛かっている。
「なんだその状態は」
「家族会議の続き!」
「違うだろ」
「トールが眠れないから、一緒に寝るの!」
「……は?」
父さんが固まる。
そして。
「俺も入る。一緒に寝よう」
「狭い!!」
姉さんの叫びが響いた。
「パパはガタイがおっきいんだから!」
「父親を仲間外れにする気か?」
「トールのベッドが壊れるわよ」
「ひどくないか?」
父さんが傷ついた顔をした。
そのやり取りがおかしくて、気づけば僕は声を出して笑っていた。
怖かったはずなのに。
苦しかったはずなのに。
今は少しだけ、大丈夫な気がした。
母さんの手がそっと僕の頭を撫でる。
隣から姉さんが抱き締めてくれて、逆側からは兄さんが腕枕をしてくれてる。
「おやすみ、トール」
「……おやすみ」
「さ、ルシアン。客間のベッドでもソファでも運び込むわよ!」
「よしきた!」
「結局パパもママもここで寝るの!?」
「当たり前でしょ?」
「当たり前だろう?」
「はぁ~……やっぱりこうなると思った」
みんなの声に囲まれながら、僕は久しぶりに安心して目を閉じた。




