第四十話 「たすけて」
僕が学院を休むようになったのは、その次の日からだった。
「当然でしょう」
アイリーンさんはぴしゃりと言い放った。
──屋敷の談話室。
父さんと母さん、姉さんと兄さん、そして僕を囲むように、アイリーンさんとレオンおじちゃんも来ていた。
昨日のことはみんなに話してある。
頭の中で声がすることも。
黒い影が自分の意志とは関係なく動いたことも。
“魔王”の魂に飲まれそうになったことも。
全部…… 全部話した。
なのに、誰も僕から離れようとはしなかった。
「トール」
母さんが僕の隣に座る。
優しい手が髪を撫でた。
「怖かったわね」
「……うん」
声が小さくなる。
「ごめんなさい」
そう言うと。
「どうしてお前が謝るんだ」
低い声。
父さんだった。
向かいのソファで腕を組みながら、眉を寄せている。
「傷付けたくなくて、必死に止めたんだろう?」
「でも、ユリウスを突き飛ばした……」
「それが結果的に助けることに繋がったじゃないか。 寧ろお手柄だ」
「そうよ!」
姉さんが勢いよく身を乗り出す。
「あんた、ちゃんとユリウスを守ったじゃない!」
「……っ」
「僕もそう思う」
兄さんが静かに頷いた。
「トールは怖くても、苦しくても、しっかりユリウスを守った。 トールは“怖いもの”なんかじゃない」
昨日ユリウスに言われた言葉と同じだった。
胸がぎゅっとなる。
その時。
「……で?」
アイリーンさんがパタンっと扇子を閉じた。
「問題はそこじゃないのよ」
空気が少しだけ重くなる。
「昨日のその話を聞いてハッキリしたわ」
アメジスト色の瞳がまっすぐ僕を見る。
「あんたの中にある“魔王の魂”は、確実に覚醒し始めてる」
ごくりと、喉が鳴った。
「……僕、どうなるの?」
誰にも聞こえないんじゃないかってくらい、小さな声が零れた。
だけど、みんなちゃんと聞いていた。
しん、と静まりかえる。
僕は膝の上でぎゅっと手を握った。
「僕……」
怖い。
言いたくない。
でも、言わなきゃ。
「僕、みんなも傷つけたくない」
震える声。
「父さんも母さんも、姉さんも兄さんも、アイリーンさんもレオンおじちゃんも、もちろんユリウスもノクスも……」
「もし、僕が僕じゃなくなったら……」
そこまで言って、堪え切れなくなった涙がぽろっと落ちた。
「……いなくなった方が、いいのかな」
「駄目よ」
母さんだった。
間髪入れずに、そう言ってくれた。
優しい声。
でも、びっくりするくらい強い声だった。
「そんなこと、二度と言わないで」
「でも……」
「でもじゃない」
今度は父さんだ。
低い声が談話室に静かに響く。
「お前がいなくなって誰が喜ぶんだ」
顔を上げる。
父さんは真っ直ぐ僕を見ていた。
「俺もミレイユも、メリアもフレイもお前を愛してる」
「だからお前がいなくなるなんて、絶対に認めない」
「父さん……」
「それに」
そこでレオンおじちゃんが口を開いた。
「俺も困る」
「……え?」
「お前がいなくなったら誰がノクスの世話をする」
「そこ!?」
姉さんが叫んだ。
「いやだって、絶対元気がなくなって衰弱していくだろうが」
レオンおじちゃんは真面目な顔で続ける。
「それに、俺はお前に剣の稽古をつけてやる約束をしている。まだ一度たりとも果たせていないだろう」
「……っ」
「騎士の約束を果たす機会を奪う気か、この馬鹿者が」
不器用な言い方だった。
でも。
優しかった。
気づけば、少しだけ笑っていた。
「……ふふ」
「あっ、笑った!」
姉さんが僕を指さす。
「良かったぁ……」
兄さんが小さく息を吐いた。
その様子を見てアイリーンさんも、ふっと笑った。
「ま、そういうこと」
そして扇子で僕を指す。
「あんた一人でどうにかしようとすのは禁止」
「でも……」
「でも、じゃない」
父さんとアイリーンさんの声が重なった。
顔を見合わせる二人。
「……気が合うわね」
「不本意だな」
「私もよ」
なのに、少しだけ笑っていた。
そんな二人を見て、母さんも姉さんも兄さんも笑う。
談話室が少しだけ明るくなった。
ああ……
まだ、怖い。
きっと、これからもっと怖いことが起きる。
昨日みたいに、また誰かを傷つけそうになるかもしれない。
でも…… それでも。
「……僕」
小さく息を吸う。
「みんなに…… たすけてほしい」
初めて、言えた。
一人じゃないって。
頼ってもいいんだって。
そう思えたから。
「当たり前だろう?」
父さんが笑う。
「任せなさい!」
姉さんが胸を張る。
「僕も、ずっと傍にいる」
兄さんが頷いた。
「何度でも、どこにだって、迎えに行くわ」
母さんが優しく微笑んだ。
その時。
「……あら?」
アイリーンさんが、じっと僕を見た。
「え?」
「少しだけ、落ち着いたわね」
「そう、なのか?」
父さんが僕を見据える。
「ええ。さっきまで魔力がざわざわしてたのに」
アイリーンさんが少しだけ目を細める。
「なるほどね……」
「なんだ」
「この子、“愛されてる”と実感すると安定するみたい」
一瞬、みんなが黙った。
そして。
「……何それ」
姉さんが呟く。
「可愛すぎない?」
「分かるけど。メリア、今はそこじゃない」
兄さんが呆れる。
でも、少しだけ。
本当に少しだけ。
胸の奥の苦しさが薄れた。




