第二十一話 「光は逃げて、闇は寄ってくる。」
セラフィル事件のあと。
メリアはものすごく機嫌が悪かった。
「意味わかんない! あの鳥!!」
生徒会室までの廊下をずんずん歩いていく。
その後ろを僕とトールがついていく。
「姉さん、怒ってる」
「誰のせいだと思ってるの」
「……セラフィル?」
「そうよ!」
びしっ、とメリアが指を突きつける。
「あいつ、トールのこと嫌ったのよ!? 信じられない!」
「……嫌われたわけじゃ」
思わず口を開きかけて、止まる。
言えるわけがない。
あれは嫌ったんじゃない。
怖がったんだ、なんて。
「フレイ?」
「……なんでもない」
まただ。
また、誤魔化す。
「とにかく!」
メリアが、勢いよく生徒会室の扉を開けた。
「トールは今日ここで面倒見るから!」
「は?」
中にいた生徒会役員たちが、一斉にこっちを見る。
「え、誰?」
「うそ、会長の弟!?」
「副会長の弟でもあるのか……」
ざわつく室内。
トールは、その視線を気にする様子もなく、ぽやっと立っていた。
「……おなかすいた」
「まだ言うの!?」
「だって、母さんの弁当とパンしか食べてない」
メリアが頭を抱える。
すると、生徒会書記の女の子が、おそるおそる机の引き出しを開けた。
「え、えっと……クッキー、食べる?」
「!」
トールの目が、ぱっと輝いた。
「……食べる」
即答だった。
さっきまで死んだ魚みたいだった目が、一瞬で生き返る。
分かりやすすぎる。
「かわいい……」
「なにあれ」
「思ったより全然普通じゃん……」
ひそひそ声が聞こえる。
トールはクッキーを受け取ると、小さく「ありがとう」と言って僕の副会長席に座ると、もぐもぐ食べ始めた。
……うん。
普通だ。
どこにでもいる、甘いものが好きな男の子だ。
そう見える。
その時だった。
生徒会室の窓際にいた、小さな白い獣が、ぴくりと耳を動かした。
学院で飼われている聖獣──ルクスホーンの幼獣。
小さな角と、淡い金色の瞳を持つ、子どものユニコーンみたいな生き物だ。
人懐っこくて、生徒たちにも大人気。
特に光属性の強い人によく懐くらしくて、僕の膝で寝ていたこともある。
そのルクスホーンが。
トールを見た瞬間。
びくっ、と身体を震わせた。
「……え?」
僕は、思わず声を漏らす。
ルクスホーンは、じり、と後ずさった。
淡い金の瞳が、トールだけを見ている。
怖がっている。
はっきりと、分かるくらいに。
「どうしたの?」
「珍しい……」
周囲もざわつく。
ルクスホーンは、普段こんな反応をしない。
それなのに。
次の瞬間。
きゅうっ、と小さく鳴いて、部屋の隅へ逃げてしまった。
「…………」
トールが、クッキーを持ったまま、その背中を見つめている。
「……また」
ぽつり。
その声が、少しだけ小さかった。
胸が痛くなる。
その時。
にゃあ。
今度は、別の声。
足元を見る。
学院に住み着いている黒猫だった。
人に懐かないことで有名で、いつも勝手に校舎の屋根とか木の上で寝ている。
メリアが一年の時に捕まえようとして、盛大に引っかかれていたっけ。
その黒猫が。
なぜか当然みたいな顔で、トールの足元に擦り寄っていた。
「……え?」
メリアが固まる。
黒猫は、するりとトールの足に身体を擦りつけると、そのまま膝に飛び乗った。
トールは、きょとんと目を瞬かせる。
「……あったかい」
そう言って、黒猫を撫でた。
黒猫は、満足そうに喉を鳴らす。
「なんで!?」
「え、あの猫、人に懐かないのに!?」
「会長、この前めちゃくちゃ嫌われてませんでした!?」
「うるさいわね!!」
メリアが叫ぶ。
トールは何も知らない。
ただ、膝の上の黒猫を撫でて、少しだけ嬉しそうに笑っている。
黒猫は“闇の魔力に惹かれる”と言われている。
昔、魔術師たちは闇属性の気配を探るために黒猫を使っていた──なんて話を、図書館で読んだことがあった。
……思い出したくなんて、なかったのに。
──光は、逃げる。
──闇は、寄ってくる。
ぞくり、と背筋が冷えた。
やっぱり。
間違っていない。
トールの中には、確かに“何か”がいる。
それなのに。
「兄さん」
トールが、黒猫を抱いたまま僕を見た。
「……この子、かわいい」
いつもの声。
いつもの顔。
その笑顔が、あまりにも僕の知っている弟のままで。
僕は、何も言えなくなってしまった。




