第十四話「落ちたはずの息子が“落ちなかった”」
――守ると決めたからといって、何ができるわけでもない。
……それが一番、厄介だ。
「トールー!こっちおいでー!」
「あいっ!」
庭先で、メリアが手を振る。
それに応じて、トールがよちよちと――
いや。
(……よちよち、か?)
一瞬だけ、動きが“滑った”気がした。
「きゃは!」
次の瞬間には、いつも通りの足取りでメリアの腕に飛び込む。
「ほらー!ちゃんと歩けるようになってきたじゃん!」
……そうだな。
そういうことにしておこう。
「ルシアン」
背後から声。
振り返れば、ミレイユが立っていた。
「少し、いい?」
その声音で分かる。
「ああ」
短く頷き、庭から少し離れる。
子供たちに聞かせる話じゃない。
「……昨日のことだけど」
「ああ」
言葉を選ぶまでもない。
互いに、同じものを見ている。
「鍵、内側から解かれてたわ」
「……やっぱりか」
鍵が壊された形跡はなかった。
つまり――
「“開けた”のよ、あの子が」
静かに告げる。
一歳児が?
そんな常識は、もう意味を持たない。
「魔力反応は?」
「……異常よ」
ミレイユの眉が、僅かに寄る。
「属性が安定しないの。闇……だけじゃない」
「何だと?」
「一瞬だけ、光に近い波長が混じるの」
言葉の意味を、すぐには理解できなかった。
闇と光。
相反する属性。
共存など――
(ありえない)
「でも、すぐに消える」
ミレイユが続ける。
「ほとんどは闇。でも……時々、違う」
「……」
胸の奥が、ざわつく。
昨日の影。
あの“ズレ”。
そして――
(善か、悪か)
頭に浮かんだ言葉を、振り払う。
「……経過観察、か」
「ええ」
短いやり取り。
その中に含まれる重みは軽くない。
「……アイリーンを呼ぶ?」
ミレイユが、ぽつりと呟いた。
「……」
少し、考える。
あいつは信用できる。
実力も、判断力も。
だが――
「まだだ」
横に首を振った。
「もう少しだけ、様子を見る」
ミレイユは、何も言わなかった。
ただ、ゆっくりと頷く。
「……分かったわ」
それでいい。
今はまだ。
“家族の問題”でいられるうちは。
「パパぁー!」
メリアの声が飛んでくる。
「トールがねー、変なとこ登った!」
「は?」
振り向く。
そこにいたのは――
庭の木の“枝の上”で、にこにこと笑うトールだった。
「……は?」
高さは、軽く大人の背丈以上。
一歳児が登れる場所じゃない。
「どうやって登ったのかなぁ」
メリアが呟く。
「僕、見てなかった……」
フレイも困惑している。
「トール、危ないから動くなよ。パパが下ろしてやるからな……」
声をかける。
トールは、きょとんとした後――
「ぱぁぱっ!」
笑った。
そして。
――“落ちた”。
「トールっ!!」
反射的に、駆ける。
トールの体が、ふわりと“止まった”。
まるで、見えない何かに支えられるように。
「……」
ゆっくりと、地面に降り立つ。
「きゃは!」
楽しそうに笑う。
何事もなかったかのように。
「……」
「すごーい!トール飛んだ!」
メリアが無邪気に言う。
「……ちがう」
フレイが、小さく首を振る。
「飛んでない……」
その言葉に、視線が集まる。
フレイは、トールを見つめたまま――
「……落ちて、なかった」
空気が、変わる。
「……そうだな」
静かに、答える。
もう、疑いようがない。
「ルシアン」
ミレイユが呼ぶ。
今度は、迷いのない声だった。
「ああ」
頷く。
「――アイリーンを呼ぼう」
その決断は、遅すぎたのか。
それとも、まだ間に合うのか。
答えは、まだ分からない。
ただ一つ、確かなのは。
――もう、“いつも通り”ではいられないということだけだった。




