第十五話「頼れる友人」
──頼れる人間というのは、だいたい面倒くさい。
これは長年の経験から得た、極めて信頼性の高い結論だ。
「呼ばれて飛び出て、じゃじゃーん」
軽やかな声と共に、空気がわずかに揺れた。
転移魔法特有の、滑るような魔力の残滓。
警戒はしない。する必要がない。
「遅い」
短く言うと、目の前の女──アイリーンは肩をすくめた。
「ひどいわねぇ。これでも最速で来たのよ?」
アメジスト色の髪がさらりと揺れる。
いつも通りの余裕。いつも通りの軽口。
「ミレイユ」
名前を呼んだその瞬間だけ、声が少し柔らいだ。
「ええ」
短い返事。
それだけで、二人の間には十分らしい。
だが次の瞬間。
アイリーンの視線が、ミレイユの全身を一瞬でなぞった。
上から下まで。
まるで、異常がないか確かめるように。
「……無理してない?」
「してないわよ」
「そう」
それ以上は踏み込まない。
納得した顔でもなかった。
「で?」
今度は俺を見る。
「“ただのお茶会”じゃないんでしょ?」
「まあな」
空気が、少しだけ締まる。
俺は状況を簡潔に説明した。
影のズレ。魔道具の件。異様な移動。そして──落ちないこと。
「……ふーん」
アイリーンは腕を組み、わずかに視線を落とした。
「落ちない、ね」
ぽつりと呟く。
軽い声。
その奥では確実に何かを測っている。
「トール、こっちにおいで?」
柔らかい声で呼びかける。
「ぅ?」
トールが振り向き、こちらへ向かってくる。
(……やっぱりだ)
動きに“継ぎ目”がある。
歩いているはずなのに、途中が抜け落ちているような──
「……」
アイリーンは何も言わず、しゃがみ込んで視線を合わせる。
「こんにちは、トール」
にこりと笑う。
「あい!」
トールも笑い返す。
──その瞬間。
「……あら」
ほんの僅かに。
アイリーンの瞳が、細くなった。
「どうした」
低く問う。
「……いえ?」
すぐに笑みに戻る。
「可愛いわねぇって思っただけ」
「嘘つけ、それだけじゃないんだろう?」
「まぁね」
軽口を叩きながらも、その手は止まらない。
そっと、トールの額に触れる。
「……」
沈黙。
ほんの数秒。
それが、妙に長く感じる。
「──なるほどね」
小さく、息を吐いた。
「何が分かったんだ?」
「分かったことが多すぎて困るわ」
苦笑混じりの声。
だが、その目は笑っていない。
「とりあえず一つ」
人差し指を立てる。
「この子、普通じゃないわね」
「それは知ってる」
「でしょうね」
軽く頷き合う。
当たり前の確認だ。
「でもね」
アイリーンの視線が、トールから外れる。
ほんの一瞬だけ。
──ミレイユへ。
「普通じゃないのに、崩れてないのよ」
ミレイユが、わずかに目を細める。
「……制御されてないのに?」
「ええ」
アイリーンが、ゆっくり頷く。
「普通はね、崩れるの」
「暴走するわね」
「そう。それがない」
一度、言葉を切る。
そして。
「……だから余計に厄介なのよ」
吐き出すように言った。
その視線は──また一瞬だけ、ミレイユへ向く。
トールの胸元に、軽く指を当てる。
「まとまってるの。歪なまま、でも壊れずに」
理解しがたい状態。
だが、納得はできる。
その時。
「……っ」
アイリーンの指が、止まった。
「どうした」
「今……」
言いかけて、止まる。
「……気のせいかしら」
だが、その目は確実に何かを捉えていた。
「何を見た」
短い沈黙の後。
「──この子、見えてるわ」
「……何がだ」
「魔力」
空気が、止まる。
「私の流れを、正確に追ってた」
「……一歳児が?」
「ええ」
あっさりと頷く。
理解したくはなかったが。
理解できてしまった。
「結論」
アイリーンが立ち上がる。
「この子は──放っておくと、とんでもないことになる」
軽い口調。
だが、その重みは明確だった。
「対処は」
「今すぐじゃない」
ミレイユを見る。
「でも、観察は続けるべき」
「ええ、それと」
アイリーンの表情が、わずかに変わる。
「絶対に、目を離さないこと」
そこまでは、いつもの調子。
だが──
「……ミレイユ」
名前を呼ぶ声が、少しだけ低くなる。
「ええ」
「一人で抱え込まないで」
短い言葉。
だが、強い。
「これは、あんた一人の問題じゃない」
ミレイユが、わずかに目を伏せる。
「……分かってるわ」
「分かってない顔してる」
「無理したら、許さないから」
それは、命令ではなく。
──願いだった。
「……ええ」
静かに、頷く。
トールは、何も知らずに笑っている。
「きゃは!」
その笑顔は、あまりにも無邪気で。
──だからこそ、目を逸らせなかった。
「……ほんと、厄介ね」
アイリーンが呟いた。




