追憶と今
5月28日 ノーリス ミレード城。
夜叉擂の製造が開始されて数日、とりあえず今は、それらしい大きさの丸太の形を整え、鉄の代わりに全て木を作った模型の制作が始まった。
模型は城壁の上で作られ、普段は皆登れる城壁が、今は立ち入り禁止となり、壁に繋がる階段全てに見張りの兵が立っている。
王都に送った使者が帰ってきてすぐ、私は太守に呼ばれた。
「王から生産許可が得られたそっちはどうなっている」
「すでに夜叉擂の概要は訳して書き記してありますので。というより太守様、わざわざ私を呼び出さず、使者を飛ばして訳書を持ち帰らせればよろしいのでは」
「ああ、それで良かったとは思うが、なんだか申し訳なくてな」
顎髭を撫でながら太守は言う。
「お言葉ですが、こちらとしては家に訳書を取りに行かねばなりませので、その方が手間といえば手間になります。もっとも、太守に呼ばれて手ぶらで来た私の責任ではありますが」
「お、おお、そうかすまん。ちゃんと用件を伝えさせるべきだった」
驚いたように言いながら、顎髭を掴むと、そっと下に手を滑らせ、そのまま腕を下ろした。
考えれば、太守からの用なんて、先日の夜叉擂に関することに決まっているのだが、突然の呼び出しに頭が回らなかった。
結局その後、家に帰った私は、同行した太守の部下に訳書を渡した。
その後すぐ、前金として少しの報酬が支払われたが、それらは学校の修繕費の足しになった。
「先生、兵隊さん達は壁の上で何してるの」
「おや? ああルシュですか。こんにちは」
城壁から遠く離れた街中で夜叉擂作成の様子を伺っていると、偶然出会ったルシュが袖を引っ張りながら聞いてきた。
ルシュの手には、恐らく肉が入った厚みのある竹皮の包が握られている。お使いだろうか。
私は感心の意味を込めて少年の頭を撫でた。
「さあ、何か作ってる見たいですよ」
特に太守から、他言無用の命令は下されていないが、あまり兵器を作っているとは言いたくなかった。
それも、夜叉擂がもし必要になるとしたら、この城が窮地に陥った時だと考えると尚更。
「ふーん。壁にも登れないし早く終わってほしいね」
ルシュは竹皮を持たない方の手を頭の後ろに回しながら言った。
普段、城壁の上は夜でなければ登れる。
城壁から見えるのは、果てしない地平線と、その先に存在する山々や川、森林や城周辺に広がる田畑、それに小さな集落なども見ものだ。
私は、北から西にかけてこの地域を包み込むように連なる険峻を見るのがもっとも好きだ。
特に冬の晴れた日、遥かな峰に映し出される白と岩肌の色が織り成す雪形が、なんとも言えぬ感動を与えてくれる。
「そうですね。先生も冬までには終わってほしいです」
「そんなに続いたらたまんないよ!」
私の呟きにルシュは声を張り上げた。
あまり詳しくは無いが、城壁の上は子供達の遊び場になっているらしい。
と言っても、流石に危険なので、鬼ごっこのような激しい遊戯を行おうとすると、見張りの兵に止められるらしいが。
また城壁に目を向けて気づく。
製作の指揮を取っているのは、太守ではなくその部下だった。
では太守はどこにいるのか、きょろきょろと城壁を見回しても、姿が見えない。
「どうしたの先生?」
「いや、兵が集まってますから、てっきり太守様もどこかにいるのかと」
「ふーん、確かに居ないね。あの白髭のおじさん」
「白髭のおじさん!?」
子供というのはなんとも恐ろしい。
きっと、仲間内では、太守のことをそんなふうに呼んでいるのだろう。
もしかすると、ルシュの家族も同じ呼び方をしているかもしれない。
太守ユルドは、我々城下の民に対して無礼だのどうの言う性格ではないし、実際その類の話は耳にしたことがない。
だが私みたいな頭の硬い人間には、遥か目上の人間を渾名で呼ぶというのが、恐れ多く感じる。
もっとも、私も白薔薇王については名前や役職名すら知らないので、白薔薇王と心の中でも呼んでいるのだが。
「あら、ルシュじゃない」
不意に背後から女性の声がした。
私が振り向くのも変なので、そのまま城壁に顔を向けながら横目でルシュを確認すると、彼は振り返っていた。
「あ、姉ちゃん!」
ルシュの声が弾んだ。
姉と言ってもルシュは以前自分で、弟と妹はいるけど上はいないと言ってたので、厳密には親戚かなにかだろう。
挨拶をするべきか迷いながら、私はその場で固まっていた。
「あれ、おばさんにお使い頼まれた帰り?」
「うん。姉ちゃんのために肉買ってきたの。ほらこんなに」
「わあ、おばさんわざわざ私なんかのために⋯⋯」
「あ、そうだ! ねえ姉ちゃん!」
ふたりの微笑ましい会話を背中で聞いていると、突然ルシュが私の腕を掴んで引いた。
その反動で、私の体はルシュに向かって倒れ、流し目が彼の姉ちゃんを捉えた。
歳は18前後だろうか。淡い黄色の着物を着ていて、背が低いが肩幅が私より少し広いか同じくらいで、それなのに腰は細いのか、紅色の帯はキュッと締められ、曲線美が存在していることを示している。
顔はやや面長で、キリッとした切長の目に、鋭い光を含んではいるが、温和な一面も漂わせている。
肩に触れた黒髪が、風に触れて微かに揺れた。
「この人が先生! 姉ちゃんに紹介したかった人」
「⋯⋯えっ」
ルシュに腕を引かれ、上体を傾けたまま、私は顔をルシュと女性とに何度も往復した。
そういえば以前、ルシュが母に言われて縁談の話を持ってきていた気がする。
「こ、この方が⋯⋯」
女性は切れ長の目を丸くしながら、私の顔をじっくりと見つめた。
一言で言えば、彼女は美人の類いだろう。
正直なところ、ルシュの親戚と聞いた時、想像していた顔とは正反対だ。
「は、はじめまして。ミラと言います」
「あ、は、はい。私はセシル⋯⋯セシル・グリヴァンです」
先に彼女に自己紹介をされ、慌ててろルシュの手を引き剥がし、体ごと対面し頭を下げた。
人混みの中、多少の恥ずかしさがある。
街中で突然、お見合いが始まった気分だ。
「先生、姉ちゃんが前言ってた先生に紹介したい人だよ」
お見合いだとすると、仲人の立ち位置にいるルシュが、わざわざ進行役のような事をしてくれる。
(君はこんな所で気を回せるのなら、私のためにもう少し真面目に勉強してくださいよ⋯⋯)
なんて顔を熱くしながら苦々しく笑っていると、目の前の女性、ミラが口を開いた。
「いつも身内がお世話になってます⋯⋯私の母はルシュの母の従姉妹でして」
「なるほど、ルシュの再従姉ですか」
「はい」
何故か答えると、ミラの顔も赤くなる。
いや、理由は分かっている。
私の顔が赤くなるのも、ミラの顔が赤くなるのも、私達の間に立つ少年に起因するものであると。
「ねえルシュ、そろそろ帰らないとせっかくのお肉が傷むと思いますよ」
「あっ、そうだった。お母さんに叱られるっ! しゃあ先生またね。姉ちゃんはまた後で」
「あ、ちょっと⋯⋯」
どこまで気遣いができる子供なのか。
私としては、この目の前のミラと一緒に帰ってほしかったのだが、彼は見事に私達をふたりきりにした。
当然、街中だから人は沢山いる。
だが確かに、今が認識している人間は、目の前の彼女だけだ。
「いやぁ、はとこだったんですね。遠い親戚って聞いてましたから、もっと離れてるのかと」
「え? 私の事ご存知だったんですか?」
とりあえずなにか話そうと口に出すと、彼女の目が丸くなり、頭がおもむろに傾いた。
「あ、実は少し前にルシュから貴女のことを聞いてたので」
「そ、それはもしかして⋯⋯」
ミラは俯きながら、地面に向けて伸ばした手を体の前で擦り合わせた。
下げられた瞼を何度も私に向けたり下に向けたり、そんな様子の彼女を見ていると、なんだかこちらも面映ゆい気分になってきた。
「⋯⋯はい。ルシュから聞きました⋯⋯親戚に花嫁修業中の子がいるから伝えるように言われたと」
口に出すと、更にこちらも恥ずかしくなってきて、私は目線をあちこちにやった。
私達なんて認識もせずに去っていく人、店の前で客を呼ぶ人、私達が気になるのか、足を緩めてこちらを眺めている人。普段気にもしない他人の行動が、やけに鮮明に映る。
「もう⋯⋯おばさん⋯⋯そんな⋯⋯」
片手で口と鼻を抑えながら、ミラは声を震わせた。
「あの⋯⋯私のことは気にしなくていいですから⋯⋯はやくルシュの家に行って上げてください」
「⋯⋯」
私か言うと、彼女の手が自然に垂れ下がり、目が据わった。
「⋯⋯先生は私なんて相手しませんか」
「いえ⋯⋯そういうわけでは」
「⋯⋯少し、話をしていただけませんか。先生さえよろしければ」
「はぁ、よろしいですよ。ではてきとうに歩きながらでも」
ミラは無言で頷く。
ふと、彼女が何故か私を名で呼ばず、先生と呼ぶのはどうしてか気になったが、そんなことをわざわざ聞くほど、私は無粋では無い。
「まあルシュの家からは離れましょうか」
「そうですね⋯⋯おばさんに見られても面倒なので」
私達は、先程ルシュが走っていった反対方向へ足を進めた。
繁華街に近づいていくと、行き交う人も増える。
昼間から酒を飲んで騒いでいる男達の声が木造の建物の中から響く。
騒ぎ声だけでは無い。路上で数人がひと塊となって笛の演奏をしているが、あまり上手とは言えず、誰も足を止めない。
桧や樫の笛子が織り成す重低音は、まだまだ発展途上で、お金を取れる技術には達していない。
演奏自体は悪くないと思った私も、たとえひとりでもそのまま通り過ぎていただろう。
一瞬、演奏する青年や壮年達と目が合った気がしたが、気にせず進み続ける。
「ミラさんはどちらにお住いで?」
いつまでも黙って歩くのも、精神が疲労する。
勇気と声を同時に出すと、若干声は上擦った。
ふと考えてみると、初対面の大人と話すのは随分と久しい。強ばって当然だ。
「私はこの城を出て西の、コウソンに」
「おや、城に住んでるのではなかったのですか」
「ええまあ」
ミラの言うコウソンとは、この城を西側に進み、川を渡った先にある、小さな集落だ。
国境付近の山脈に近いそこは、山の一部を採石場とし、住民のほとんどが石を削って生活をしている。
私はその集落には行ったことがない。
だが城壁からもほんのりと見える土壁に囲われたその場所へは、時々商人が往来している。
「では今日は何か親戚の集まりでも?」
「曽祖父の90歳のお祝いです」
「90!? それはまた長寿な⋯⋯おめでたい」
あまり本筋とは言えない話でお茶を濁してはいるが、ここからどう展開すれば良いのかわからない。
だが考えてみれば、彼女から話をしたいと言い出したのだ。
もしかしたら、なにか私に伝えたいことがあって、今それをまとめているのかもしれない。
歩きながら、その言葉を待つが、ミラは俯いたり私を見たりするばかりで、なかなか口を開こうとしない。
そうして歩いていると、城の北東部分に作られた牧場にたどり着いた。
木でできた横板の柵で囲われた敷地の中は青々とした草で覆われ、その中に羊が暮らしている。
とある金持ちの持ち物である牧場には、家畜泥棒対策に常に見張りの兵が置かれ、柵の上には細い糸が張り巡らされ、そのあちこちに鈴が付けられている。
私達は柵の前で足を止めた。
毛刈りを終えたばかりで、桜色の皮膚を露わにした羊達が、のびのびと草を食んでいた。
私に見られたことが気に入らないのか、1頭は草を食べるのを中断し、じっと私を凝視し、少しして食事を再開した。
「あの⋯⋯先生」
「どうしました?」
牧場に体を向けたまま、ミラがようやく口を開いた。
「先生は⋯⋯当然私の事なんてご存知ありませんでしたよね」
何故そんなことを尋ねるのか、私に向けられた彼女の顔からは、その理由を窺い知ることができない。
ミラの唇は真一文字に結ばれ、見開かれた目は何度も瞬きをしている。
「ええ、今まであった記憶も名前を聞いた覚えもありません⋯⋯」
「ふふっ。でも実は、私は先生のことを知ってたんです」
「えっ」
微かに微笑むミラを見つめながら、私は記憶を辿った。
小さい頃の記憶も呼び覚まされるが、やはり彼女のことは一切覚えかない。
「私達⋯⋯どこかで会いましたか?」
罪悪感が芽生え、私は背中を丸めながら伺った。
そして1歩距離を空けた。
「いえ、会ったことは無いです。でも、先生の⋯⋯セシルという名前の男の子については、よくレナンちゃんが手紙に書いていたので」
「⋯⋯レナン⋯⋯」
もう何年も呼ぶことも、考えることもしなかったその名を口にすると、否が応でも封印されていた記憶が蘇る。
幼い頃私と一緒に、あの学校へ通っていた3人の生徒の内のひとり。
私のような滅亡した国の王族と違い、遠く薄い血ではあるが、この国の頂点に立つ存在と同じ血が体内に流れる少女。
背中いっぱいに広がる髪を靡かせながら、学校が終わるとよく私を連れ出していた女の子。
今蘇る彼女との記憶は枚挙にいとまがない。




