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「アルバ様、早く身支度を済ませてください」


「ああ、だがほんとにこれでいいのか」


 朝から家の中で、アルバとモルトは大忙しだ。

 早朝、王宮からの使者がやってきた。

 内容はただ、支度を済ませた後王宮へ来いと言うだけのものだが、モルトは使者への対応にアルバを出さず、代わりに命令を受けた。

 

 朝食も食べていないアルバは、せめて食べてからと考えていたが、モルトがそれを許さない。

 強引に渡された着物を着たアルバは、両手を広げてモルトに見せつけた。

 着ているのは、若草色の質素で飾り気の無い、いつも家では寝る時に使っている、一枚物の衣装だ。

 仮紐だけを結ぶと、前足が衣装の隙間から姿を現す。

 色白でスラリと伸びた、絹のような女性らしさを感じる足だ。


 アルバはただ、昨夜着て寝ていた寝巻きから、新しい綺麗な寝巻きに着替えただけである。

 

 この国の王は、非常に短気で、形式や様式美を重んじる。

 アルバは王様の前ではつねに女としての正装をし、振る舞いをしてきた。

 それは全て、王の不興を買わないためである。


 だが、まるで王の寝室に向かうような格好を、謁見の間でしていれば、王は何を考えるか。

 それが恐ろしくてたまらない。


「どう考えても、人前で王を誑そうとする馬鹿にしか見えないぞ」


「いいんですいいんです。アルバ様は病人なのですから」


 慌てて何かを探していたモルトは、アルバの背後に立つと、両の手で強引にアルバの髪を揉みくちゃにした。


「ああ、そういう事か」


 人に触らせることの無い髪を台無しにされる不満を抱えながらも、アルバはモルトの意図を察した。 


「つまり私は王の前で咳き込みながら胸を抑えればいいわけだな。よし、お前の血を貰おう。口に含んで吐き出す」


「そんなことしたら宮廷医をつけられて監視されますよ。どちらかと言えば肉体より心の方が大事なんですよ今は」


 苦笑いしながらモルトが乱雑にした髪は、長い毛の野犬のように乱れる。


(これでは病人というより、身なりを整える暇もないほど忙しい人間⋯⋯にならないか?)


 鏡に映る自分を見て、アルバは首を捻った。

 だが、せっかくモルトが自分のために策を打ってくれている。

 アルバはなるようになれと、モルトに身を委ねた。


「では行きましょう。さあ、僕の手を取ってください」


「⋯⋯なんでだ」


 差し出されたモルトの手を、何度も瞬きしながらアルバは観察した。

 男性としてはやや小さめの、といってもアルバの手と大きさはほとんど変わらない、それでいて剣や馬の手綱によって出来たマメや擦り傷が目立つ、武人の手といえた。


「ひとりでは歩けない所を見せるんです。私に支えられてようやく歩ける病人を」


「変な噂が立てられないか。嫌だそ絶対」


 モルトとの関係を噂されることを忌避するのは、自分のためではない。

 短気な国王から、モルトが不興を買わないようにという、主としての心配りから出た発言だ。

 

「平気です。僕はあくまでも従者ですから」


 モルトも、アルバが自分を懸念して言ったことはわかっている。

 たとえ王に逢い引きの疑いをかけられるとしても、今はアルバの療養を取りつけるほうが重要だ。


「さあ、行きますよ」


 再度手を差し出す。

 アルバは一度モルトと目を合わせ、瞳に宿るモルトの真意を確認した後、細い白魚のような手を触れさせた。

 握りしめると、ほのかな人肌の感触と温もりが、アルバの手を伝って響き渡る。

 対照的にモルトは、自分と同じように馬に乗り、矛を振るっているのにも関わらず、傷やマメひとつ無い主人の冷たい手から哀愁を感じ取った。


 ふたりが歩いて玄関を出ると、待機していた使者が目を見開いた。

 堂々と人前で手を繋ぐふたり。宮中、いやこの首都中で1番人気の女性であるアルバの、それは見たくない姿であった。

 

「すみません。お待たせして」


 アルバに変わってモルトが使者に詫びを申す。

 

「いえ、お気にならさず」


 使者の目が普段の大きさに戻る。

 男と手を繋ぐ女性将軍の肌は青白く、虚ろで生気のない目は、その人物を病人と信じ込むには、十分すぎるほどに効果があった。

 役者顔負けの演技と表情作りで、アルバは足元が覚束無いまま、モルトに支えられながら歩き出した。


 家から宮廷までは近く、この区画では乗り物に乗れるのは、国王とその親族のみだと決められている。

 使者としては、すぐにでも籠や荷車を呼んで、この女性将軍を休ませてやりたい。

 だがそうもいかず、何度も後方を静かに歩くふたりに顔を向けたが、その度に心を痛ませながら唇を噛んだ。


 ほんの少し歩けば、衛兵が入口を守る王宮へ到着する。

 瑠璃瓦の屋根で天井を装飾し、壁は朱色で塗られた漆喰で、同じく朱色の柱が入口横に2本、建物を支えるように外側左右に1本ずつ、計4本見える。

 古くからの形を残す瀟洒(しょうしゃ)な建造物だが、王宮の外面を見ただけでは、中に住む権力者の実像が見えてこない。


(この王宮に相応しい王はこの先現れるのかどうか)


 病人のフリをしているうちに、本当に体調が悪くなってきたように思えてきたアルバは、背を丸めながら心の中で呟いた。

 微かに口角を上げるが、体力が無いのか、すぐ元に戻る。


 使者が衛兵にアルバを連れてきたことを耳打ちすると、衛兵は微かな光が漏れる王宮の中へ消えていった。


「さあ、僕はここまでです。後は頑張ってください」


 モルトは握る力を強くしながら囁いた。


「⋯⋯なにか授けてはくれないのか」


「ここからはアルバ様の弁舌次第です」


 睨みつけるように目を細めたアルバに、さらにモルトが付け加える。


「まあ、王はアルバ様には寛大なお心を示すお方です。ただ療養を申し出るだけでも十分だと思われます」


「⋯⋯ダメだったら?」


「⋯⋯その時は後日、僕の血を差し出すのでそれを口から吐いてください」


「よしわかった」


 微笑すると、表に先ほど中へ入った衛兵と、ふたりの宮女と役人がひとりでてきた。

 

「お待たせいたしました安北将軍様、これよりはそこのふたりがお供いたします」


 まだ若い役人が言うと、ふたりの宮女が頭を下げながらアルバの脇に立つ。

 宮女が近づくのと共に、モルトはアルバから手を離し、数歩後ずさっていた。


「失礼いたします将軍」


 宮女のうちのひとり、高い鼻に切れ長の目、そして夜会巻きの髪に銀の簪を挿した宮女がアルバの左を支えた。


「失礼いたします」


 それに続き、今度は丸い目と高い鼻に、真っ直ぐ下ろした髪に銀の髪留めをつけた小柄な宮女が、右側を支えた。

 宮女はふたりとも、柿色の絹の着物に若緑色の帯を巻いた格好をしている。


 お互い、顔立ちや体格は違うが、どちらも王の趣味に合っている。 


(王の配慮か、さすが。女には甘い顔をする)


 アルバは背を丸め、両腕を宮女に委ねながら、王様を冷笑した。


(本当に、私が男と分かれば、王はどれほど激高するのだろうか)


 息を合わせて進む宮女に引っ張られるように、アルバの靴が王宮の床を踏んだ。

 黒い石が削られ、磨かれて敷かれた床だ。

 石には小さな粒のような模様が幾つもある。

 入り口から一歩さらに進むと、黄色い縁の赤い絨毯に足が乗った。


(ああ、久しいな。この場所に来るのも)


 顔を上げると、眼前に蝋燭の明かりと、大きな黒樫で作られた玉座に座る王が現れた。

 王は部屋の奥、段差を上がったところに肘をついて鎮座している。

 王の座る椅子には金の装飾が施され、椅子の足には蜷局(とぐろ)を巻いた龍の姿が、金で描かれている。

 王の姿は、アルバにははっきりと見えない。

 ただ分かるのは、愛用している黒い羊毛で縫われた袞衣の胸から腹部にかけて、額縁のような赤い枠の中に絶世の美女と宴の様子を金銀糸で描いた、趣味の悪い衣装を着ていることと、頭に王の象徴ともいえる冕冠を被っていることだけだ。

 王の傍には、宮女が何人か控え、先程から頭を垂れているが、自分に頭を下げているのか、それとも王に伏しているのか、アルバには分からなかった。


 宮女に連れられ、段差を上がる。

 王の背後からほんのりと光が差し込み、薄らとその顔を浮かび上がらせる。

 30を過ぎたばかりの王は、歳の割に顔が幼く、傲慢さが人相に現れている。

 今も弱ったアルバを見ながら、薄気味悪い笑みを浮かべている。


「このような姿で王の前に現れたこと、お許しいただきたく存じます」


 片膝をついて跪きながら、挨拶の言葉を言う。

 アルバを支えていたふたりは、早足で隅へ下がる。


「構わん。気にしなくてよい」


 玉座から、軽薄で軽い言葉が放たれた。


「寛大なお心に感謝致します」


 アルバはさらに頭を下げると、一転して恐る恐る面を上げた。


「実はそなたが病に伏していると風の噂で聞いてな、俺は気が気でなかったのだ」


「それは⋯⋯大変申し訳なく思っています」


 王は肘を立てると、頬を手の上に置いた。


「よいのだ。そなたには随分と働いてもらっているからな。山を超えて風邪でもひいたのだろう」


(まずい⋯⋯)


 アルバは眉をひそめた。

 このままでは、軽い風邪として処理され、数日の休みは貰えるが、すぐにまた駆り出されることは必須だ。

 それではモルトの気遣いを無駄にしてしまうも同意義だ。

 そしてなにより、アルバ自身、自分には肉体的にも精神的にも、休養が必要だと感じている。


「じ、実は国王」


 アルバはまた視線を絨毯に向ける。

 絨毯に描かれた鶯の羽ばたく姿が、アルバの脳裏を巡った。


「国王などと夜はなくてよい。俺とそなたの中ではないか」


 王の言葉に顔を歪めながら、それを悟られないように口を開く。


「ではお言葉に甘え、リョウイ様」


「おお、どうしたアルバ」


 肘掛に載せていた肘を太ももに乗せ、王は前のめりになった。


「実は、街の医者に聞いた風聞では、北西の地に煎じて飲めば忽ち風邪など治してしまう薬草があるとのこと」


「ほう、それを所望するか。よい。どの辺りだ」


「いえ、それが医者も詳しくは知らないとのこと。お許しいただければ、私に取りに行かせていただきたいのです」


「その体でか?」


 王は瞠目しながら、顎を上げ、アルバの姿を見下ろした。とても外に薬草摘みに行けるような状況には見えない。


「馬車にでも乗ってノーリスまで行けば恐らく見つかるでしょう」


「あんな辺境の地、馬車で行けばひと月はかかるぞ。その間にそなたの病は癒えるのではないか」


「それが、実は体自体は先日の出陣の前より具合が悪く、これまでは隠し通せてましたが、もう20日近く体調は優れません。このまま医者の与える薬を飲み続けるくらいなら、私自身でその薬をみつけ、病を治したいのです」


 さらに、アルバはつけ加える。

 王のツボは抑えている。今のままでは許可しないだろうが、次の言葉で確実に許可が得られるという確信があった。


「もし途中で病が癒えたとしても、ノーリスまで行く理由はあります。薬草を見つけた暁には、私自身の手からリョウイ様に献上致したいのです。そのためにも是非」


 王の顔が綻んだ。

 周りの宮女達もそれを察したが、顔を見ないよう目を閉じた。

 王は頭の中で今の言葉を反芻した。

 アルバが自分に薬草を献上する。

 その薬草の効果の是非は問題では無い。なんならその辺の草花でも構わない。

 一方通行の想いを抱いている王にとって、それは臣下の範囲を超えた、純粋な好意として受け止められた。


「そうか、なら何人か供を用意しよう」


「いえ、それには及びません。家の者を連れていきます」


「家の者とな⋯⋯」


 王の脳裏に、何度か目にしたモルトの姿が浮かぶ。


「何故だ。病のそなたに医者でもない、たった1人の供だけを連れて旅立たせるのは不安だ」


 王は日頃からモルトを目障りに思っている。

 自分はひとつ屋根の下、アルバとふたり、夜を過ごしたことも無いのに、従者であるその男は常に共にいる。

 この場では態度に出さないが、王はそれが歯痒く、癪に触った。 


「これは個人的な行動です。ただのひとりでも、私的な目的のため国の臣を利用することなどできません」


「そうか、見上げた心意気よアルバ。ではそなたの帰還を気長に待たせてもらうとしよう。しかしノーリスか。まさかあの辺境の地の名を短期間に2度も聞くことになるとは」


 王はそう言って鼻を鳴らし、背筋を伸ばして天井を見上げた。

 天井に描かれた龍が微かに見えた。

 アルバは王の言葉が気になったが、それについて尋ねることはしない。

 王はノーリスという辺境の地にあまり興味が無い。

 いや、アルバも含め、この首都の人間がその地を意識することはまず無い。

 それほど、ノーリスという地方は距離的にも経済圏的にも遠い。

 ノーリスの人間がこの首都にやって来るのも、半年に一度、貢物を持って王に謁見する時だけだ。


「ではアルバ。せめて街の医者を1人連れて行け。後で俺が(したた)めた委任状を持っていかせる。それを街の医者に見せれば同行せざるを得ない。できれば女の医師がいい。そのようにしよう」


 王は言い終えると、高らかな笑い声を響かせた。

 アルバとしては、これも断ってしまいたいが、王の期限を損ねたくない。


「リョウイ様の仁徳に感謝いたします」


「ああ、では楽しみにしておるぞ。おい、輿を用意しろ」


 王が近くの者に言うと、この空間にいる全ての人の視線が王に集まる。


「リョウイ様、それは過分です。私はこのまま帰れます。表に家の者も待っておりますので」


「よいのだアルバ。そなたの体のためだ。おい、早くしろ」


 アルバは辞退しようとしたが、王が官僚のひとりを睨みつけると、慌ててその者が輿を取りに行った。


 輿は王族専用の乗り物であり、この高台の宮殿に住む王にとっては、馬車以上に必需品と言えた。

 その王族用の乗り物に、ただの配下を乗せようなど、前例の無いことである。


 黒い着物を着た担ぎ手に担がれ、問題の輿がアルバの隣に現れる。


 光沢のある黒い全体に、金や銀をふんだんに使った装飾が施され、御簾が垂れ下がっている。

 金や銀で描かれた花木や鳥は何とも美しく、王の威光を示している。

 屋根の頂点には青銅で作られた鳳凰の像が翼を広げ天を見上げていた。

 いきなり連れてこられた担ぎ手は、まさか目の前の病人を乗せるのかと、狼狽えた様子だ。


「リョウイ様、やはりこちらは私などが足を踏み入れていい物ではございません」


「よいのだ。そなたなら。さあ、早く将軍を家へ返してやれ」


 アルバの言葉を受け流し、王は担ぎ手に向かって手を払った。

 担ぎ手のひとりが、アルバを見て輿を手で示し、御簾を上げた。


「どうぞ⋯⋯お乗りください」


 担ぎ手のその言葉は本心では無さそうだ。

 アルバを載せるのを拒絶しているのか、それとも前代未聞の事態に頭が混乱しているのか。

 担ぎ手ふたりの首筋には汗が滴り、目が泳いでいる。


 アルバは今一度王に目を向けるが、王はニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮かべながら、アルバが御簾の中へ入るのを、今か今かと待っている。


(これは、なにかの罠なのか)


 アルバの額から汗が滲み出る。

 輿に足を踏み入れた途端、不敬罪に問われるのではないか。王族を騙るものとして反逆者にされるのではないかと、悪い事ばかりが湧き出た。


 アルバは足を1歩踏み出そうとするものの、その1歩が重たく、鉛のように感じ、動けない。


(まさか本当に病気になったのではあるまい)


 まるで自分のものでは無いような、独立した意志を持つように立ち上がることを拒む足に問いかける。


(ここはやはり辞退するべきか)


 当然足は何も答えないが、その代わり、重石のようにアルバを動けぬよう固定した。

 部屋中に緊張が走っているのを肌で感じる。

 風は吹いていないのに、蝋燭の火が激しく揺れた。


 この場でこの重厚な空気感を感じ取れていないのは、玉座でアルバが輿に乗るのを楽しみに待つ王だけだ。


(やはりダメだ⋯⋯ここは⋯⋯)


 アルバはまた王に顔を向けた。

 王は待つのが退屈になったのか、その笑顔は曇り始め、目はアルバを捉えて離さない。

 アルバは体を真っ直ぐ王に対峙すると、両手と頭を床につけて平伏した。


「どうした、何かあったのか」


 人の心が分からないのか、それとも愛する相手の頭を抱える姿が愉悦なのか、王は首を傾げた。

 伏しているので、アルバに王の顔は見えない。

 ただその軽薄な声だけが耳に入る。


「やはり私には恐れ多すぎて、この足が言うことを聞きません。どうかこの臆病な私をお許しください」


 アルバは頭を下げたまま、声を震わせて言った。

 決して演技では無い。

 アルバの今の心境は、刑場に向かう罪人と似ている。後は最後の宣告を待つだけの罪人に。


「はぁ⋯⋯そうか」


 王は深いため息を吐いた。

 

「よい。狼狽えさせて悪かった。俺としてはそなたの身を案じただけなのだが。そなたの国家に対する忠誠心は想像以上だった。これが他のものであればすぐさま御簾の中へ消えていただろうな」


 王は瞼を細めながら微笑した。


「もうよい。下がれ」


 王の一声で、輿を担いで担ぎ手が退出する。

 全体に安堵の空気感が漂うが、王はその変化に気づかない。


「ではアルバ。そなたの快方と吉報を待っているそ」


 アルバは王を見上げると、もう一度深く頭を下げた。


「もったいなきお心遣い。感謝いたします」


 アルバは謝意を述べると、まだ少し重たい足で立ち上がり、出口に向かってふらつきながら歩き始めた。

 ふらつくのは、演技もあるが、足が重く、痺れているせいでもあった。

 いち早くこの場所から去りたい。

 その想いで、アルバは本当に具合が悪くなった予感がしながら、無事王宮を出た。


「アルバ様」


 王宮を出てすぐ、衛兵のそばに居たモルトが駆け寄り、肩を抱いた。

 この時ほど、モルトの存在に感謝したことは無い。


「随分とお話されていたようで」


 体をモルトに支えられながら、王宮から遠ざかる。

 王宮との距離に比例して、足取りと心が軽くなる。


「ああ、息ができなくて死ぬかと思った」


「⋯⋯いったい中で何を?」


 声も聞こえぬ場所で待っていたモルトには、中で何があったのか検討がつかない。


「それほどまでに王はアルバ様を休ませたくなかったのですか」


「いや、そっちは存外上手くいった。むしろそっちが上手くいきすぎて、バチが当たったのかもしれないな」


 冗談めかしながらアルバは、モルトに支えられた右腕に力を込めたが、緊張が解けたせいか、拳を握りしめようにも力が入らない。


 思いがけずアルバの口から笑い声が漏れる。

 その笑い声が、良いものでは無いことくらい、モルトは直ぐに察した。


「では帰ってから聞きましょう。あなたをベッドに寝かせてから」


「ああ、そうしてくれ」





 ────



「なるほど、王がそんなことを」


 アルバを寝室まで運んだモルトは、一通りの話を聞いた後、湯呑みに白湯を入れ、疲労に聞くと言われている丹薬と共に黒いお盆に乗せて運んだ。

 白い布団と燭台を乗せたベッドよりやや高い木の台に、その台の高さに合わせた丸椅子。

 それと枕元にある、いざという時の剣以外何も無い殺風景な寝室に、格子窓から風が入る。

 盆をアルバに手渡すと、モルトは格子窓に幕をかけた。風が主人の体には毒になると考えてのことだ。


「心臓が止まるかと思った。1年ほど前に敵の騎兵4人同時に相手した時より恐ろしかった」


 ベッドの上に座り、湯呑みを両手で包みながら、アルバは白湯を飲んだ。


「ああ、ありましたねそんなこと。あの時より恐ろしいとは。想像するのも嫌になりますね」


 モルトは枕元に立ち、アルバが白湯と薬を飲むのを確かめていた。

 アルバは小さな丸薬を1粒左手の人差し指と中指で摘むと、口に放り込み、また白湯を飲んだ。


 気づかない間に、緊張で口が乾いていたのか。

 まだ熱い白湯がゴクゴクと喉を通る。


「ではひとつお聞きしますが、初めて王に迫られた時とどちらが恐ろしかったですか」


 アルバは飲み終えた湯呑みを数秒唇に当てたまま傾けていた。

 双眸だけを、神妙な面持ちで見守る従者に向けると、湯呑みをそっと盆の上に置いた。

 湯呑みの中身を確認し、アルバの膝の上から盆を回収し、燭台の隣に乗せた。


「そうだな。先程の方が恐ろしかった。今まであの王は、それほど躍起になって私を求めているわけでもなかった。ただ自分の手にできるなら手に入れておきたい。その程度だったから、何度も易々と断ることが出来たわけだしな」


「たしかに、普通なら王の誘いを断るなんて、それだけで罪ですよね」


 モルトは丸椅子を持ち上げると、ベッドの傍に移動させ、腰を下ろした。


「アルバ様を好いてはいるけど、それはあくまでも何十人もいる収集品(おんな)のひとりとして。ですか」


「恐らくな。それとも⋯⋯」


「それとも? なんですか」


「⋯⋯私が王を拒むのすら楽しんでいる。どうせいつかは自分のものになるのだからと⋯⋯」


 アルバが眉をひそめ、俯きながら言うと、モルトは大きく口を開けて声を漏らした。


「あー⋯⋯僕はそっちの気がします」


 気がつくと、今朝散らかした髪は綺麗に整い、布団に絹のように垂れている。


「今すぐ本気でアルバ様を所望するなら、無理やり結婚してしまえばよいですし、王様ですから。そのくらい簡単です。あっ⋯⋯なるほど」


 モルトは顎に手を当てると、口を閉じて表情を強ばらせた。

 普段見ることの無い従者の顔を、アルバは食い入るように見つめた。


「ちょっと、あんまり見ないでください」


 その視線に気づくと、モルトは小っ恥ずかしそうに顔を背けた。 


「何焦ってるんだ」


「いや、焦りますって。あなた黙っていればただの美女ですから」


「そうか、じゃあほら、私の隣で寝るか?」


 掛け布団を持ち上げて中を見せながら、アルバはもう片方の手で布団を叩いた。


「⋯⋯本当に入ったらどうしますか」


「何もしないぞ? ただ寝るだけだ」


「こんな時にくだらない冗談を言わなくても⋯⋯」


 顎に触れていた手を開き、モルトはおでこを押さえた。


「いやすまん。実は今のやり取りで王がなぜ私を輿にのせようとしたのか分かったのだ」


 呆れ顔のモルトに謝罪しながら、めくられた布団を戻す。


「先程までてっきり輿に足を踏み込ませ、そのまま反逆罪か不敬罪で処刑でもするつもりかと思ったが、その逆だったのだな」 


 モルトは深く頷き、おでこから手を下ろす。  


「ええ、王族しか使うことの許されない輿に座らせることで、王はあなたを王族にしようとしたのでしょうね。強引に妃として」


「ふっ。私が辞退して王はさぞ悔しかっただろうな」


「笑ってる場合じゃないですよ。よく辞退しました」


「全く、恐ろしい人だ」


 自分が仕える国の長の人柄を考えると、苦笑いが止まらない。

 もし輿に乗っていれば、実は自分が男だと知られるのに、そう日数はかからなかっただろう。

 アルバは大きく息を吐くと、頭を枕の上にし、布団を被り、体と顔をモルトに向けた。


「まあいい。今日のことはノーリスまでの道中で忘れよう」


「ああ、薬草を探しに行くんですよね。本当にそんな物があるのですか」


「嘘はついてない。私も医者から聞いたのだ。本当に」


 掛け布団を口元まで手繰り寄せる。

 寒くは無いが、今はできる限り体を隠したい気分だった。


「では王から医者に向けて同行の命令書が届き次第出かけられるよう、手筈を整えておきましょう」


「ああ、馬車ならヨウシの家にあるから、食料と着替えを買い込んでくれ。あと王の命令だ。医者は女を選べと」


 アルバが可笑しげに言うと、モルトは眉を吊り上げながら天井を見上げ、数秒思案した。


「ああ、なんとまあ用心深い。僕は付き従ってよろしいので?」


「ああ、それは認められた」


 モルトは顔には出さず、胸を撫で下ろした。


「では医者の手配を先に。どうせノーリスまで行くには途中で食料は買い足す必要もありますし」


「ところで、ノーリスまでってどれくらいかかるんだ」


「たしか、王への挨拶に来た使者に聞いたところ、1ヶ月近くかかったと聞きました」


「当然、使者は荷車を引いてたんだな」


「ええ、それは当然。貢物がありましたから」


 てことは、馬車で行くのも同じくらいかかる。

 途方もない距離に、アルバは心躍らせた。


「つまり早くても60日はここを離れられるわけか。それは楽しみだ」


 アルバは目を閉じて破顔して笑った。

 戦場から、王から解放される。

 その願望を外に漏らしたことは、今まで一度も無いが、今ばかりは心が踊る。


「ええ、のんびりと向かいましょう。期限は定められてないのですから」


 主人の珍しい姿を見るのは、従者としても幸福な事だった。

 目を閉じたまま、深い息を吐き始めたアルバを一瞥し、モルトはお盆を持って部屋を出た。


「じゃあ、早速だけど行くか」


 モルトは外に出ると、階段を降りて下の街へ向かった。

 さきほどアルバが話した、ヨウシの家に向かうのである。

 ヨウシはアルバの部下で、広い家と馬屋を所持している。

 その事もあって、アルバの愛馬や武具は、戦場に赴く時以外は常にヨウシが管理している。


 階段を下り、高台をぐるりと囲む土壁に設置された門を守る衛兵に、軽く会釈をした。


 まだ昼間ということもあって、下の街は賑わっている。

 飯屋の窓からは米を炊く煙や、鍋を煮る水蒸気が空高く舞い上がり、露天では客引きの声が響く。

 外郭の城壁に平行して作られた大通りには、人が溢れていた。

 王は身勝手な人間ではあるが、国民にその牙を剥くことはほとんどない。

 王の横暴さの被害を被るのは、宮女と役人が大半を占める。

 そのおかげと、国自体が強国であり、この首都の周辺には敵国も賊徒もいないこともあって、この大都市は国1番の活気を感じさせた。


 人混みを掻き分けながら、モルトはヨウシの家に辿り着いた。

 大通りから離れ、城壁に沿うように建てられたヨウシの家は、木造の平屋建てで、建物自体はさほど大きくないが、土壁で囲われた広い庭があり、厩も整備されている。

 厩にはアルバの愛馬である白龍や、モルトの愛馬も繋がれている。


 ヨウシは部下のひとりであり、アルバの所持する武具や馬を管理する役でもあった。 


「おや、モルトさんではありませんか」


 ヨウシの家の前で立っていると、玄関から立て付けが悪く、開けるだけで酷い摩擦音が響く引き戸を開けて、ヨウシの妻が現れた。  

 今から買い物にでもいくのか、腕には筵の籠を掛けている。

 ヨウシとヨウシの妻は、アルバやモルトよりもふた周り以上年上で、奥方の顔にも年相応の様相が現れている。


「どうしたんですか? 主人に何か用でも」


「まあそんな所です」


「主人は中ですから、どうぞごゆるりと」


 お互いにこやかに会釈してすれ違う。

 立て付けが悪く硬い引き戸を力いっぱい引き、モルトは玄関に立った。

 土の玄関には、たしかにヨウシのと思われる靴がある。


「すみません。ヨウシさん!」


 玄関から呼ぶが、返答がない。

 玄関先から見える居間には誰もいなく、囲炉裏の火も消えている。

 この夫婦はふたり暮しで子供もいない。

 時々馬の世話をしに、アルバの部下が家を訪ねるが、今日は誰も来ていない。


(寝てるんだろうなぁ)


 モルトは頭を掻いた。

 それほど急ぎの用でもないが、また高台の家に戻るのは面倒だ。

 別に馬車自体は、アルバの所有物であるから、モルトがアルバの指示で勝手に使用するとなっても、さして問題は無い。


 ただモルトには、ヨウシに今回のアルバの休養を知らせ、その準備を手伝ってもらう算段があった。

 だがその宛も外れたのか。モルトが諦めて先に医者を訪ねようと踵を返した時、部屋の奥から声がした。 


「はいはい。ちょっと待っててくれぇ」


 寝起きなのか、掠れた声と共に、バタバタと慌ただしく床を踏む音が響く。

 居間の奥の木戸が勢いよく開くと、中から黄土色の着物を着た中年が現れた。


 背はモルトやアルバより少し高く、短髪の髪には所々白い毛も見られる。

 顔自体は若々しく、太く真っ直ぐな黒眉が、大きな目により力強さを与えている。


「おお、モルト。いったいどうされたのだ」


 ヨウシは目を腕で擦り、瞠目しながら玄関に近づいた。


「はあ、ヨウシ殿に手伝っていただきたいことがありまして。アルバ様の事で」


「ほう、アルバ様の」


 ヨウシが現れたことに安堵し、モルトは事情を説明した。


「実は急に、アルバ様と北西のノーリスへ行くことになったので。馬車と馬を引取りに来たのと、あとその用意を手伝って貰いたくて」


 図々しい頼みと分かっているモルトは、頭を掻きながら苦笑いした。


「ノーリスとはまた⋯⋯」


 玄関を上がってすぐの所で、ヨウシの足が止まり、床が僅かに軋んだ。


「随分遠くまで何をしにいかれるつもりで?」


 ノーリスはまた足を踏み出すと、玄関に揃えられていた草履に足を通した。

 そのままモルトの返答を待たず、外へ出ていく。


「まあ、一種の療養です」


「なるほど」


 後を追いながら言った返答に、ヨウシは背を向け歩きながら反応した。


「実は昨日、従軍した者達から聞いたのです。アルバ様は自分達に正面からの戦闘はさせず、逃げる兵を追うように指示したと」


「⋯⋯」


 ヨウシは昨日の偵察及び戦闘には参加していなかったので、詳細は帰ってきた者達に自ら教えてもらっていた。 

 そして、その内容に違和感を抱いていた。


「最初耳にした時は、てっきり目付け役の右将軍の作戦を採用したのかと思いましたよ。でも違ったようで」


「⋯⋯その通りです」


 モルトはバツが悪そうに俯きながら歩いた。

 そして厩の前に立つと、顔を上げた。


 木で作られた馬小屋には、アルバとモルトの愛馬以外にも、数頭の馬が飼われていて、厩のすぐ隣に、屋根がなく、藁を大量に載せた荷車があり、さらにその隣に馬車があった。


 車輪が4つ付けられた馬車は、縦長の長方形の木造構築で、左右から天井を覆う白い(ほろ)が掛けられていた。

 後ろから乗車する構造で、縦に椅子が伸びていて、最大10人ほど乗れる大きなものとなっている。


「しかしなぜ馬車で。馬を走らせればそう日はかからないと思われますが」


「それはまあ、アルバ様は病の身ですから」


「⋯⋯ああ、なるほど。そういう事ですか」


 アルバが子供の頃から仕えているヨウシは察しがいい。

 アルバの不可解な作戦に病の身、それらの情報と、主人が病のはずなのにこうして自分を尋ねてきたモルト、それらから瞬く間に事情を理解した。


「しかし、よくあの王が許可しましたな。長く王都から離れることを」


「それはアルバ様の弁論と交渉術の賜物でしょうね」


 モルトの口から笑みが零れ、そのまま愛馬に近づいて撫でた。


「それで、何人ほど供を連れて行かれるつもりで」


 聞きながら、ヨウシは馬車の(くびき)を掴んで引っ張った。

 息を吐きながら、全身に力を込めると、馬車がゆっくりと動き出す。


「これもアルバ様のご希望と王の命で、僕と医者だけです。それにしても流石の膂力⋯⋯」


「これくらいまだまだ平気ですよ。馬車を引く力も無くなれば大人しく戦場からは身を置き、馬の世話係に集中しましょう」


 数メートル引っ張られると、馬車が止まる。

 ヨウシは大きく息を吐きながら両腕を揉み、モルトは馬車の中を覗いた。

 ほとんど使う機会のない馬車の中は、少々薄汚れているが、すぐに綺麗にできる程度だ。


「では、僕は連れていく医者に話をつけるので、申し訳ないですけどヨウシ殿に中の清掃を頼んでもよろしいでしょうか」


「承知しました」


 モルトはヨウシのすぐ隣を通り、玄関の方へ戻っていく。

 この王都には、医者は何十人もいた。

 殆どの医者は同じ先生から学び、その血脈が着々と広がっている。

 よって、その血脈から選べば、ある程度の腕は保証されている。

 しかし今回は、良い医者を選ぶことが目的ではなく、とりあえず暇そうな女医を見つけるのが目的だ。

 有難いことに、その目的はすぐに達成出来た。

 初老を迎えようという女性医師が、繁華街から外れた自宅兼診療所で、退屈そうに木簡を読んでいたのだ。


(医者は見つかった。あとは食料だな)


 モルトの脳内には、いくつかの保存食と米が浮かんだ。

 量はそれほど必要ない。道中確保する方法はいくつもある。

 調理器具と食料で馬車の中を圧迫しなければ、それで問題は無い。


(なんか⋯⋯僕も楽しみになってきたな)


 戦場以外にアルバと王都の城門を抜けて出かけた記憶などない。

 アルバを主人として、時には友のように兄弟のように慕うアルバは、徐々に今回の旅に期待を膨らませていた。

 



 



 


  

 

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