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 薄れゆく意識の中、この目に映るのは、初めて顔を合わせる敵⋯⋯敵⋯⋯どこもかしこも敵ばかりだ。

 もう視界は随分と狭くなり、端の方は何も見えなくなっていた。

 耳も遠くなったのか、今殺したばかりの敵の断末魔が、随分と遠くに聞こえた。


 どれだけの時間が経っただろう。もう手の感覚もほとんどない。

 ずっと血なまぐさかったこの場所の匂いさえ分からない。

 今じゃ寝室にいるような感覚さえしてくる。

 少し目を閉じれば眠りにつけるような、心地よい感覚が。

 だが痛みがすぐに私を現実へと戻す。


 もはやこの痛みが、私を苦しめる存在ではなく、私を現世につなぎとめる存在となっていた。

 意識が途絶えそうになる度、肩、腹、足、背中、頭、体全ての傷が私を呼び戻す。


 まだ倒れるな。倒れるならあとひとりでも道連れにしろ。傷にそう命令されるような感覚だ。


 せめて、せめて白薔薇王がどこかの城門前に蔓延る敵を攻めてくれたら、その隙に女子供を逃がすことも叶うかもしれない。

 敵の目的はこの城の住民の殲滅などではない。

 この城を足掛かりに、連合軍とこの国全土を呑み込むことだ。

 多少城から逃亡する1団が居たとしても、それよりも兵士の無力化と城の確保を優先するはずだ。

 だがしかし、たとえ白薔薇王が攻撃を一点に集中させても、敵の方が兵力は多いだろう。


 私の望む戦はつまり、白薔薇王にこの城のために死んでくれと言っているのと相違ないのだ。


 だが、それでこそこの国最強の将軍ではないのだろうか。

 力を持たぬ民を守ってこその国家であり、軍隊では無いのだろうか。

 我々は税を収め、有事のために彼らを養っているのではないだろうか。

 思考さえも歪んできた。こんなこと口にはできない。


 アルバが白薔薇王の立場なら、きっとそうすると、私は何故か確信を持っていた。

 アルバは責任感が強い。強すぎて身を滅ぼしてしまう人種だ。

 彼があの場所にいたら、きっとこの現状を見過ごすことなんてできないだろう。


 

 なぜだろう。アルバのことはもう忘れたつもりでいたのに、今になって彼の姿が蘇ってくる。

 彼を待つことなんて、もはやどうでもいいと思っていた。

 母が死に、この城も窮地を迎え、私はあの子達をどうにか生かす道はないかと、それだけを考えていたのに、今になって決心が揺るぎそうになる。


 せっかくアルバのことを記憶から抹消し、この戦いだけに集中するつもりだったのに、これでは台無しだ。


「どうして⋯⋯どうしてあなたが⋯⋯頭から離れないのでしょう⋯⋯」


 たったの数日間で、君は私に大きな爪痕を残した。

 二度と拭えないような、消せないような大きな足跡を。

 ただ彼と出会い、その手を握り、彼に助けてもらったり助けたりしただけだ。

 他人から見たら、ただそれだけの事でしかないだろう。


 だが、それら全ては、私にとっては新鮮で、眩いものだった。


 レナンが死んでから、ギンとも話すことはなくなった。

 私もギンもこの城の中にいるのだ。時々すれ違うこともあったが、私達は言葉も交わさず、赤の他人のようにお互い居ないものとして過ごしていた。


 国史編纂のため都に行くと、私は本当にひとりぼっちになった。

 住まいと仕事場を往復する毎日。同僚と言葉を交わすのとはあっても、仕事以上に親交を深めるつもりは、私にも向こうにもなかった。

 都暮らしの中で覚えていることは、白薔薇王の勇姿を見かけた時のことくらいだ。



 母が倒れたと聞いて、この城に戻ってきてからは、ここの子供達と触れ合う日々だった。


 アルバだけではない。あの子達も、しっかりと私の中に爪痕を残している。

 だからこそ、あの子達を死なせたくない。あの子達の家族を奪わせたくない。

 あの子達を、母同様愛しているからこそ、今この命をかけることに、なんの恐れも躊躇も覚えないのだ。


 子供たちの夢は、全員分はっきり覚えている。

 男の子はだいたい兵士になりたいと言っていたが、彼らは果たして、この惨状を見てもその夢を抱き続けているのだろうか。


 もし抱いていると言うなら、ひと言だけでも伝えてあげたい。


「命をかけるという行為は、決して他人から称賛されることでは無い。しかしながら、命をかけられる人は格好いいですよ。死んではだめですけど」


 とでも頭を撫でながら言いたい。


 しかしもう、それは叶わないことだろう。

 今になって、昨日にでも言えばよかったと後悔が湧き上がる。

 母が死に、暗い天幕に包まれていた命に、今更になって光が指す。

 光の正体はアルバだ。アルバが天幕の隙間から、その手を伸ばして私を待っている。

 アルバへの渇望が、私の中の子供達や皆への想いを蘇らせている。


「だめですよ⋯⋯これでは⋯⋯死ぬのが怖くなるじゃないですか」


 人はいずれ死ぬ。それは平民も王も全て等しいもの。死そのものから逃げようだとか、死に抗おうなんて、そんな無用なことをするつもりは無い。


 だが、今だけは死にたくない。

 やっぱり私は、アルバに会いたい。

 あの丘にいるなら、ひと目だけでもいい。

 ただ遠くから彼の姿を見届けるだけでいい。

 最後に見る景色には、彼がいてほしい。


 しかし、もう時間が残されていない。

 皆は奮戦しているが、もはや城に繋がる階段まで押されるのは時間の問題だ。

 タオもひとりで気を吐いているが、ひとりでどうにかすることなんて出来ない。


 もう時期、どこからか城壁が突破された報告が上がってもおかしくない。その時は刻刻と迫っているはずだ。


 敵が盾兵を前にしながら、密集隊形をとった。

 このまま数で押して、城壁を突破するつもりだろう。


「ああ⋯⋯アルバ⋯⋯すみません⋯⋯どうやら私は⋯⋯君を裏切ってしまったみたいです」


 せめてもの願いとして、丘の方へと顔を向けた。

 当然、アルバの姿なんて見えない。

 井楼(せいろう)と兵士に阻まれ、アルバどころか白薔薇王がどこにいるかすら分からない。


 それなのに、その丘の付近かぬら、白い煙が天高く舞い上がるのが見えた。

 

「なんだあれはっ!」


 敵のひとりが、その煙に気づいた。

 敵も味方も、一斉に丘の方へと意識を向け、わずかな時間、時が止まったようにこの戦場に静けさが舞い込んできた。 



 この国の軍法では、外にいる味方が狼煙を上げると、内側の人間が確認の為に狼煙を上げる。

 そして再度外側が白い狼煙を上げれば、門を開けろという合図になる。

 当然、全く見た覚えのない兵装の集団がそれをしても、開けるはずがない。

 これは今のように、城が囲われた時などの緊急のための決まりだ。


 まさかと思い、後ろを振り返ってみれば、今まさに城の中央から兵士が狼煙を上げていた。


 これはつまり⋯⋯白薔薇王に入城の意思があるのか確認を取っているのだ。


 となると、もう一度白薔薇王は狼煙を上げなくてはならない。

 だが私の意識が捉えたのは、増えた白煙でも、混雑する敵味方でもなかった。

 こちらに向かって突撃を開始する、白い鎧で身を固めた騎馬集団だった。


「援軍が突っ込んでくるぞ!!」


 大地が裂けるような声で、誰かが叫んだ。

 今の一言で彼は喉を潰したかもしれない。そう思うほど、その声は大きく猛々しかった。


 白薔薇王突撃の衝撃は、味方だけでなく敵にも伝わった。

 敵は慌てて城壁を突破しようと突進してきたが、味方がそれを押し返す。

 私は味方の中に引きずり込まれ、気がつくと最前線から、真ん中辺りまで下がっていた。


 そのおかげで、城壁の下の様子がハッキリと見えた。


 白薔薇王率いる軍勢は、真っ直ぐこの西の城門目掛けて進んでいるらしい。

 城を囲む軍とすぐに接敵したが、白薔薇王の軍勢はその重装騎兵の破壊力と、兵士ひとりひとりの洗練された武芸を持って敵を蹴散らしていく。

 特に、見たところ先頭を走る騎兵の勢いが凄まじい。

 槍を縦横無尽に振り回しながら、敵軍を掻き分けるように進んでいく。

 実際に掻き分けているわけではない。

 敵が槍で打たれ、恐れおののいた敵が道を開ける。

 その勢いを生み出しているのは、先頭で戦う男だ。


「モルトさん⋯⋯?」


 その人が近づいてくるにつれ、私の狭まった視界は、その顔をはっきりと捉え始めた。

 狂気じみた笑顔を浮かべながらも、どこか飄々とした幼い面差しで進むその人は、アルバと共にいたモルトによく似ている。


 私は一心に走った。味方を掻き分け、井楼がある角まで向かった。

 モルトがいるということは、アルバもどこかにいる可能性が高い。

 彼がいるのはモルトのすぐ後ろか、白薔薇王の近くか、それとも後方で待機しているのか定かではない。


 それでも、彼が近づいてきているような気がしてならない。

 もはや城壁の上はほとんど片付いている。

 敵は突然襲いかかってきた軍への対処を優先しているらしい。

 私の周りにも、城の兵士たちが集まってくる。

 皆目に僅かな希望を灯しながら、白薔薇王の軍勢を見つめている。

 白薔薇王の軍は、徐々に数を減らしている。

 だがそれでも、勢いが止む様子はない。

 モルトらしき人はどんどん敵陣の奥深くへと進み、この城門へと迫っている。

 そしてその後ろでも、白薔薇王はまとわりつく敵をひたすら追い払うように、戟を振るっていた。


 いったい、彼女のどこにそんな力があるのだろう。

 彼女の一撃を受けた敵は、腕や首が文字通り飛ぶ者もいる。

 彼女の馬と鎧は、敵を倒す度その白銀の衣装を鮮血で染めあげている。


 こんな状況下にあっても、その姿は美しいとしか言いようがなかった。

 それ以上、その美しさを形容する言葉を私は持っていない。


「あっ!!」


 近くで誰かが叫んだ。どこからか放たれた矢が、白薔薇王の仮面を剥ぎ取ったのだ。

 一瞬、彼女の死が頭をよぎった。

 だが彼女は身体を少しばかりふらつかせると、直ぐに手網を握り直し、そばの敵を薙ぎ払った。


「⋯⋯どうして」


 私は、白薔薇王の容姿を知っていた。

 いや、知らなかったはずだ。

 私が会った白薔薇王は、仮面を付けていた。

 顔を覆う大きな仮面を。


 なのに、今むき出しになったその顔は、今私がもっとも待ち望んでいた人の顔そのものだった。

 だがその男自身が、白薔薇王は女だとたしかに言ったはずだ。

 彼は私を騙したのか。何のために。


 いや、そんなことはどうでもいい。


 いま大事なのは、私が心の中で想い、恋焦がれていた相手は、私の心に楔を打ち込んだ、運命の相手だったということだ。


「アルバ⋯⋯あなただったのですか⋯⋯白薔薇王は」


 白薔薇王と目が合った。その目は、あの優しくてどこかに影を孕んでいた目ではなかった。

 それでも、あの人がアルバであることは間違いない。



 なぜなら、私には今、身を焦がすほど生への執着が生まれていたからだ。



 アルバ。貴方に触れたくて。

 貴方に触れるために生きたい。貴方と言葉を交わすために。貴方の笑顔を見るために。



 私は白薔薇王(あなた)に一目ぼれしていた。そして君は突然私の前に現れた。

 これは運命だったのでしょうか。私の思いはかなう場所にあると。神がそう告げたのでしょうか。

 

 今ならはっきりといえる。自分の気持ちを。私が胸に秘めていた想いを。


「アルバ⋯⋯私は、あなたとともに生きたい」


 君と生きるために、この戦いを生き抜いて見せる。それも、君と一緒にみんなを守って。

 白薔薇王の隣にいるものとして、私は君が迎えに来るまで戦い続ける。


 素顔をさらしたアルバが敵を薙ぎ払い、ふいに目が合った。

 鮮血がアルバの周りを彩る。それさえも彼を引き立てる花でしかない。



「待ってろ。今迎えに行く」


 彼の双眸が確かにそういった気がし、握力が失われかけていた手に力が戻る。


「ええ。待ってますよ。この城で」


 私の心の声はきっとアルバに届いた。

 だって、私の願いが届き、彼はここに来てくれたのだから。今のも届いたはずだ。最愛の人、白薔薇王アルバに。私を迎えに来るものに。


「はああああっ!」


 一度は失われた生きる気力がよみがえる。いや、蘇るなんてものではない。今初めて、死ぬのが怖いと、死にたくないと思っていた。

 アルバに会う。彼の手を取る。そして約束を果たす。

 これらが達成せしめるまで、何があっても死にたくない。アルバにも死んでほしくない。


 アルバの突撃で、城の兵の士気は上がっている。そして逆に、城壁に上っていた敵は、援兵が途切れたことで狼狽えている。

 好機は今しかない。

 モルトが先頭を進む騎兵の後ろから、残りの部隊も城に向かって決死の突撃を開始している。

 彼らが入城できれば、城を守る兵が増える。

 そうなれば敵の兵糧が枯渇するまで守り切れる可能性は増加する。


 だから我々は、彼らをこの城に入城させなければならない。

 白薔薇王を、この城の要とするのだ。


「太守!」


 叫びながら太守の姿を探した。先日から太守も武器を取ってこの城壁で戦っていた。

 太守は供を連れ、今は後方で戦況を見守っていた。


「太守! 早く城門を開けてください。白薔薇王が入城します!」


 叫ぶと血の味がした。どこかでのどを痛めたのだろうか。

 だが、死ぬこと以外は他愛ないことだ。


「今城壁に残る敵を掃討すれば城門も皆で守れます!」


 太守は力強くうなずくと、そばの者に何か命じて下へさがらせた。

 今城壁へ上る敵がいないのは、この下でアルバたちが戦っているからだ。

 だがそれも長くはもたないはずで、時間がたてばアルバは命を落とし、敵はまた城壁を登ってくる。

 これは、アルバにとっても死地なのだ。

 アルバの従者だったモルトも、ほかの者たちも皆この城のために命を懸けている。

 彼らの奮戦にこたえるのが、この城の城主の仕事のはずだ。


 乱戦の中、太守が剣を握って前に出る。

 上から打ち下ろされた刃によって敵が地面に伏す。


「いいか皆の者! こやつらを掃討し我々は城門前で備える。侵入した敵をあの世に送ってやるのだ」


 太守の一括で兵たちが雄たけびを上げる。

 勢いそのままに敵を城壁の際絵と追いやり、数を減らしていく。

 私も敵の抵抗で傷を追いながらも、追いやった敵を打ち捨てていく。


 このまま城壁を飛び降りて、アルバのもとに向かいたい衝動さえ生まれた。

 

 これが希望というものなのだろうか。私にとっての希望は、子供たちだと思っていたのに、それよりも大きな希望が目の前に現れてしまった。


 その希望は、誰よりも美しく優しく儚げな、私だけの白薔薇王なのだ。

 最後の敵兵の断末魔が響き、私たちはいっせいに踵を返して階段を下りた。

 もう走る力なんて残っていないと思っていたのに、足が動く。息が続く。これがアルバへの渇望の力なのだろうか。

 すでに城門の前では兵士がいつでも開門できるように待機している。

 私の胸がこれまで以上に脈打つのが伝わる。

 この城壁の向こう側に彼は来ているのだ。再会が果たされる。まだ何も解決していないが、心を落ち着かせろと言われても、それは無理な話だ。


「門を開けろ!」


 太守の一言で、重厚な鉄の扉がゆっくりと開かれ、その隙間を縫ってまずモルトが馬を走らせながら入城し、すぐ後ろに何人も続いた。

 モルトの全身も馬も紅に染まっているが、見たところそれはすべて敵の返り血のようだった。

 モルトとその仲間はそのまま城中央まで馬を走らせて反転した。

 そして遅れて、アルバが入城した。

 前傾姿勢になりながら、戟を片手に入城する姿は、私が恋焦がれた白薔薇王そのものだった。

 仮面を外した白薔薇王は、こちらに顔を向けると馬から飛び降りた。

 後続が入城してくる中、白薔薇王はこちらへと歩み寄り、静かに私の体を抱いた。


 多量の血の匂いが充満する。私の肩に寄せた横顔を見れば、切り傷があった。それに左の頬が少し腫れている。


「アルバ⋯⋯怪我しているじゃありませんか。大丈夫ですか」


 そっと彼の頬を撫でると、温かなぬくもりとわずかな血の温かさが伝わった。


「セシル⋯⋯待たせてすまない。迎えに来た」


「ええ⋯⋯待ってました。つい先ほどから。もう二度と会うことはないと諦めていたのですが、君の⋯⋯白薔薇王の姿を見たら、生きる力が沸き上がりました。死ぬことしか考えていなかった私ですが、あなたと生きたいと、気づいたら願っていました」


 アルバの温もりが体の芯まで包む。固く冷たい氷で封じ込めていた本能が、ゆっくりと溶かされ、その全貌を表す。


「私は⋯⋯あなたと生きます白薔薇王アルバと」


 その場にはっきりと見えていたアルバの顔が霞んで見えた。

 アルバだけじゃない。周りが、空が、すべてが私から離れていくような、小さく滲んで見える。


「ああ。生きよう。俺とセシルで」


 アルバの声がずいぶん遠くから響きながら、いつのまに一人称が変わったのだろうと考えていいると、体から力が抜け、砂の感触と味がした。


「セシル!」


 アルバが叫んでいるが、その姿が見えない。私は目を閉じていた。眠る準備をしているのだ。

 何度も私を呼ぶアルバの声が、子守歌のように聞こえた。


 心配しなくても、死ぬつもりはない。ただ少しだけ、死に向かっていたこの心と体を方向転換するために休むのだ。




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