白薔薇王出陣
王都リーネルに帰ったアルバは、衣服も整えないうちに王宮へ向かって駆けた。
城に入ってすぐ、様子がおかしいことに気が付いた。
まず、若い男がほとんどいなかった。それに、女子供の数も少なく、外にいるものの顔色は暗く、中には膝をついて丸くなって祈っている者もいた。
先ほど見かけた軍が任地へ行っただけで、城の中が豹変するとは考えられない。
何か大きな事態が、自分の知らないうちに起こっているのではないかと、アルバは近くにいた老人に声をかけた。
「そこもと」
「おお、見目麗しきご婦人がこの年寄りにいったい何の用でしょう」
女と間違えられることは珍しくもなんともないので、アルバは老人の言葉を受け流してさっそく本筋に入った。
「なんだか個々の様子がおかしいが、さっき城を出た軍が関係しているのか」
老人はアルバの質問の意図が分からなかったのか、首をかしげて、白い眉毛を釣り上げた。
「はて、さっきの軍とはどれのことですかな」
「⋯⋯ひとつじゃないのか、出て行った軍は」
「ええ、それはいくつも、おかげでご覧の通りこの城の男どもの姿がほとんどありませぬ」
老人は両手を広げながら、体を左右に回して周りを確認した。
アルバも確認したところ、やはり男の数が少ない。
アルバ達が目撃した部隊の数を考えても、民間人がそれほど減少するはずがなかった。
アルバのすぐ後ろで控えていたモルトが、珍しく額に汗をかきながら、アルバの顔を伺う。
「アルバ様⋯⋯もしやただの侵攻ではないのでは」
「ああ、そうみたいだ」
神妙に俯きながら、アルバは考えた。
どこかを攻めるなら、なぜ王が私の帰還を待たなかったのかと。
王は大抵の侵攻ではアルバに軍を率いらせた。
戦うことにおいて、アルバよりも優れている者がこの国にはいないからだ。
これが侵攻のための出兵だとすると、なぜ自分を連れて行かずに王都の民までも動員したのか、そこが引っかかってならない。
「ご老人、軍がどこを攻めたかはご存じか」
「アルバが老人を見据えると、老人は大きく量の目を見開き、乾いた黒目でアルバを見上げた。
「攻める? とんでもない。今この国は他方より攻められておるのだ」
「なんだって!?」
アルバは後ろのモルトと顔を合わせた。
このカリスタンが攻められるだけでも滅多にないことなのに、それが同時多発的に起きているなど、彼らの認識では到底考えられなかった。
「どこから攻められているのだ」
眉を顰めながら、ささやくように老人に尋ねると、老人は大きく首を横に振り、ため息をついた。
「そこまでは⋯⋯私のような老人にはわかりかねます」
「そうか⋯⋯どうもありがとう」
これ以上の収穫はないと、老人に一礼すると、アルバは応急に向かって中央に続く階段へと向かった。
「あ、アルバ様!」
まだ馬車と馬を返していないモルトは、その場でアルバと馬車になんども目を向けながら、困った様子で叫んだ。
「モルト、お前は馬車を返したら早くわが家へ戻っていろ」
振り返ったアルバは簡潔に言うと、そのまま走り出し、階段を上り始めた。
「いったい⋯⋯何が起きているというのだ」
悪夢を見ているような感覚だった。
セシルとともに生きたいと願い、もう戦場に立つのも嫌になっていたのに、この国の危機が今まさに訪れている。
アルバもセシルと同じく、人並みの愛国心なんて持ち合わせてはいない。
ただ自分は戦うことによって生かされていると、自ら信じることで国のために戦っていただけだ。
信念も何もないからこそ、残酷と言われようが、非道と蔑まれようが敵に情けを見せることもなかった。
しかし、セシルにその血塗られた手を握られてから、その心が変わってきていた。
過去を清算するつもりも犠牲者たちを弔うつもりもないが、ただひとつの願いとして、この血塗られた手は自分を受け入れてくれたセシルのために使うと、使いたいと願っていた。
「セシル⋯⋯」
階段を上がり、息が乱れる中思い浮かんだのは、その思い人の後ろ姿だった。
セシルの手が離れていく、そんな幻想が見え、振り払おうと首を振った。
ミレード城が攻められていると決まったわけではない。しかし、セシルにもしものことがあったらと思うと、気が気でなく、胸が張り裂けそうで足が石のように重くなった。
王宮に入ると、相も変わらず王は薄暗い玉座の上で女を侍らせ、踊り子の舞を鑑賞していた。
王の後ろには丞相が控えているが、彼も王とともに悠長に舞を眺めては、ほほを緩めている。
今さっき軍が出発したばかりなのに悠長なものだと、アルバは顔には出さなかったが、唖然として王の前に現れた。
「ほう、アルバではないか。帰ってきていたのか」
王が右手を上げると、踊り子たちは舞を止め、この政庁でもある空間からそそくさと退出していった。
アルバは王の前に膝をつき、拱手した。
「つい今しがた。国王にいただいた休養のおかげで体はすっかり良くなり、目当ての薬草も無事手に入れることができました。しかしすでに私には無用のものとなり果てたので、薬師に渡して薬にしたのち、王に献上する所存です」
「ほお、それはありがたい。その時はぜひそなたの手で持ってきてくれ。楽しみにしている」
王は宮女が両手で持った銀の器から、ブドウの粒をひとつとって口に含む。その身を堪能すると、別の宮女が抱えた器に種と皮を吐き出した。
「それで、そのためだけに来たのか?」
ひじ掛けに肘をつき頭を手に乗せながら、王はアルバを見下ろした。
「いえ、今この国に起きている事態について、私にも軍を率いらせていただきたくご無礼ながら参りました」
「ああ、そのことか」
王は億劫そうに大臣と顔を見合わせ、首をひねるとまたぶどうをひと粒口に放り込んだ。
「それなら、各方面にはすでに軍勢を集結させているのでさほど問題ではない、なあ丞相よ」
王が振り向いて微笑すると、丞相は笑みをこぼして無言でうなずいた。
アルバはその様子を眺め、丞相に嫌悪の目を向けた。
丞相は王の命令に従うだけの傀儡でしかなく、その恩恵を受けて富をむさぼるだけの国家の癌だと、常日頃から思っていた。
(だがそれは私やほかの臣下も同じことか。王の怒りを恐れて言われるがまま従うしかないのだから)
王はぶどうをひとつ丞相に渡すと、丞相はそれを両手で大事そうに受け取り、顔を上に向け、下卑たしぐさで食べた。
王はその様子を見て手をたたきながら声を出して笑うと、そのままアルバのほうを向いた。
「アルバ、回復したばかりのそなたが出兵する必要はない。ここで俺とともに戦況を見守り、来たるシーナとの決戦に備えるといい」
その言葉にアルバは耳を疑い、とっさに顔を上げた。
一気に心拍が上昇し、心臓が波打ち、見る見るうちに顔に熱を帯びる。
「シーナとの決戦? どういうことです」
シーナがミレード城の北西に位置することはアルバも当然知っていた。
だが、シーナは小国であり、恐れるに足りないというのがこの国の共通認識であり、来たるべき決戦などという大げさな事態が起こるとは考えにくいのだ。
「まさか、シーナがミレード城を落としてこの首都にまで来るというのですか」
「まあそういうことだ。やつらにこの都が抜けるはずないがな」
「ははは」と笑いながら、王は首を左右に捻った。
「そうか、そなた先日まであの城にいたんだったか。よかったな。奴らが来る前に帰ってこれて」
「国王⋯⋯」
アルバは瞠目しながら王を見据えた。
拱手したまま握り、密着している両手に力が入り、爪が皮膚に食い込む。その痛みにも気づかないまま、アルバは言葉をつないだ。
「まさか、ミレード城とその周辺の民も見殺しにするおつもりですか」
「はあ⋯⋯人聞きの悪いことを言うな。これは国家のためだ。なあ丞相、アルバに説明してやってくれ」
手を顔の前で仰ぐように動かし、ため息をつきながら王は丞相に命じる。
命を受けた丞相は頭を下げながら王の前に出ると、玉座の台を駆け下り、アルバの前までやってきた。
その軽薄な顔は柄にもなく神妙な面持ちになっているが、国家を憂いているわけではないことは、アルバにはよくわかった。
この丞相は、ただ面倒ごとを任せられて物憂げなだけなのだ。
丞相はその役職には似合わない豪華絢爛な装飾が施された着物の袖を大きく靡かせながら拱手し、手を垂れた袖の中に隠した。
「今現在各国から侵攻を受け、軍はほぼすべて出払っている。敵の侵攻を察知した時、我々は北西のシーナが唯一それほどの脅威にはなりえないと結論付け、たとえこの王都に攻め寄せたところで、残った軍勢だけで撃退できると結論を出した」
「それでは、ミレード城の民や兵は見殺しですか」
「あそこの太守ユルドはこの国でも有数の勇将だ。落ちると決まったわけではなく、仮に城で敵を防いでるなら、他が解決次第援軍を派遣する」
「それまで城が持つと思われますか」
「持たなければそれまでだ。何よりも守るべきはこの王都である」
語気を強める丞相に対して、セシルはどうなるのだと、叫びたい衝動に駆られる。
ミレード城にいた時の雰囲気からして、正規兵の数は少なかった。
たとえ太守が優秀だろうが、民兵主体の軍勢がそう長く持つとは考えられない。
アルバの脳裏に、か細く朗らかなセシルが武器を持って戦場に立つ姿が浮かび上がる。
(だめだ⋯⋯セシル⋯⋯)
アルバの考えでは、セシルが生き残れるとは思えない。どこかに脱出しておいてくれと願うほかないが、彼が寝たきりの母親を置いて逃げ出すとは考えにくい。
このままこの城にとどまれば、セシルの身が危ない。彼とともに生きるという夢は露のように消えてしまう。
――私はここにいますから。気長にお待ちしています。
別れる時のセシルの顔と声が浮かぶ。
(そうだ、セシルが待っている⋯⋯私はセシルと生きるのだ。国家も王もどうでもいい。どうせすべて捨てるものなのだ)
決意を固めたアルバは、眼光鋭く立ち上がり、丞相を一瞬ひるませた。
丞相には目もくれず、丞相の横を通り過ぎると、優雅に宮女と話している王の前に立った。
「どうしたアルバ、何か言いたいことでもあるのか? 本来であればそのような無礼は許さんが、お前ならよしとしよう」
王は迫るアルバを確認すると、ひじ掛けに手をつき、姿勢を整えた。
「国王、私をミレード城へ行かせてください」
アルバは立ったまま言う。
今まで抱いていた王への恐怖も嫌悪も今はどこかへと過ぎ去った。
「何を言う。先ほど丞相が説明しただろう。援兵の必要はない」
「いえ、これは私個人の考えです。戦を知らぬ丞相やその他文官、将軍たちより、私のほうが戦に関する知識と見解は正確です」
後ろから丞相が「無礼な!」と叫んだが、アルバの耳には入らず、王は丞相を手で追い払った。
去るように促された丞相は肩をすぼめながら、ゆっくりと部屋の隅へと後ずさりした。
「それで、だとしても派遣できる軍勢などたかが知れてるぞ。報告によると敵は十数万の大軍勢らしい」
王が意地悪く白い歯を右の口角から覗かせると、アルバは息をのんだ。
「何も私はこの王都の守備兵や近衛兵を渡せとは言いません」
「当たり前だ。王族でもないお前に俺直属の軍など渡せるものか。まあ、王族になるなら話は別だがな」
王は歯を見せたまま、甲高い笑い声を漏らした。
国の一大事であっても、王の頭には自分のことしかない。自分が享楽にふけり、ほしいものすべてを手に入れられるなら、国のことなどどうでもいいのだ。
吐き気を催しそうになりながらも、アルバは王から目を離さない。
「わずかに近隣に残った兵で十分です。それらと私の部下でシーナの軍勢を打ち果たすことをお約束しましょう」
「別に俺はミレード城がどうなっても構わないのだ。やつらにここを落とす力はないしな。アルバお前まさか、あの城で惚れた男でもできたか」
「⋯⋯このような時にくだらない冗談はおやめください」
アルバの顔がわずかに歪んだが、王は天井に描かれた鳳凰も見ていたので気がつかなかった。
「私はこの国の民が血を流すのを少しでも阻止したいだけです」
「多少の血がなんだ。俺やこの王都よりも尊ぶべきものかそれは」
「⋯⋯国王、その言葉が風聞として広まればあなたを慕う民はいなくなりますよ」
「それがどうした。慕おうが慕わまいが民は俺のために存在するのだ。従うものからは税を取り立て、逆らうものは斬る、それだけだ」
目を見開き、口角を吊り上げた王の人相に邪悪なものが宿ったように見えた。
人はどう生まれて生きればここまで非道になれるのかと、王が哀れにさえ思った。
この王様に国としての利や恩などを説いても無意味だと悟り、方針を転換させる。
「ならば国王、私にこの王都にせまる害獣の駆除をさせてください。この王都の壁に手を触れる敵など見たくもありません」
アルバが俯き、歯がゆそうに唇をかみしめるように言うと、王の目の色が変わった。
「なぜだ⋯⋯なぜ見たくない?」
「この都はすべて国王のもの。たとえ壁であろうと、国王のものを敵に触れさせたくないのです」
「そうかそうか。ならしかたあるまい。いいだろう。好きにしろ。ただし⋯⋯」
――――
アルバが王宮を去ってすぐ、王は踊り子たちの舞を再開させた。
皮膚が透けるほど薄い鮮やかな羽衣が揺れるのを鑑賞しながら、ぶどうを何度も口に運ぶ。
「よろしかったので、あの者を行かせて」
王のそばへ戻ってきた丞相が耳打ちすると、王は種を床へ吐き捨てた。
笑みを浮かべているが、内心は腹立たしいのか、吐き捨てた種を睨みつけながら、舌打ちをした。
「構わん、たまには飼い犬も外に出してやらねばな。つい先日出してやったばかりだが、俺の女なんだ。多少のわがままは許してやろう。それに、あいつはどうせ何もできずに帰ってくるに違いない。何しろ人質がいるからな」
「そうですな、さすが国王です。寛大なところを見せながらあの者を縛り付ける手綱は決して離さない。すばらしい思慮でございます」
丞相の賛辞に気分を良くしたのか、王の高笑いが王宮中に響いた。
(私は⋯⋯王を侮っていた⋯⋯)
王宮を後にしたアルバは、速足で家に向かった。
両手は爪が食い込むほど強く握られ、嚙み締めた下唇からは血が粒となって滲み出た。
王はアルバの出兵を許可した。
しかし、そのためにひとつ条件を付けた。
この王の示した条件が今、アルバの脳内を茨のように締め付け、その決断を滞らせていた。
「好きにしろ、ただし⋯⋯お前が傷のひとつでも負ってみろ。将軍の護衛すらままならぬお前の部下を罰することになるがな」
王は顔から一切の感情を排除しながら、冷たくアルバを縛り付けた。
(あの男は民などどうでもいいのだ⋯⋯自分の身とお気に入りだけ無事ならそれで)
しかし、なにもしないでこの都にとどまることは、自分自身の心が許してくれそうにない。
家の中から出迎えに来たモルトが駆け寄ってくると、立ち止まって両手の力を抜いた。
「アルバ様、いったい王と何の話を」
城についてから、その飄々とした気質がずっと陰っているモルトが、かわらず恐る恐る両目をアルバに向けた。
アルバはモルトを見て、出兵を躊躇することを考えた。
自分が傷を負えば、罪のないモルトや部下たちが罰せられる。王の言う罰とは、間違いなく死罪だろう。慈悲を見せたところで、せいぜいが奴隷堕ちといったところか。
「モルト、部下を全員集めろ。これからミレード城に向かう」
部下達の進退を憂いても、アルバは出陣することを選んだ。
だがこれは、決断を先延ばしするための処置であり、実際にどう戦えばいいのかなどはまだ彼の頭には浮かんでいない。
「しょ、承知いたしました」
ただならぬ気配をアルバから感じ取ったモルトは、珍しく畏まりながら拱手し、慌てて部下達を招集するため走り出した。
セシルが過ぎ去った後、アルバは遥か北西の空を見上げて苦悶の顔を浮かべた。
「セシル⋯⋯すぐに向かう」




