3
武器を受け取る必要もないので、私とタオはとりあえず西の城壁に向かった。
理由はない。どうせもう敵は四方を包囲しているだろうし、どこで戦うことになっても差異はないだろう。
城壁の前には徴収された民兵たちが槍を持って並び、ほとんどは城壁を見上げ、いまだ見えない敵の姿を確認しようとしていた。
「お、セシルじゃないか。また会ったな」
その民兵たちの中に、知った顔がいた。
「ギンもここでしたか」
「ああ、しかしとんでもないことになったな」
つい先日数年ぶりに再会した友人は、胴当てと兜をかぶり、槍を天に向けて突き立たせている。
なんだか、まだ今の状況を理解していないんじゃないかと思うくらい、緊張感がない。
「ところで、その隣にいるのは、お前の家にいたタオか? なんかすごい格好してるけど」
ギンの視線が私の後ろにいたタオに向けられ、奇怪なものを見るように顔がほころんだ。
「ええ、私の家にあった鎧を着たそうです」
「ほお、武人でもないお前の家にこんな鎧がなあ」
その疑問にぴくっと眉が動く。ギンやレナンにも、私の家の地下に隠し財産があることは言っていないのを思い出した。
「まあ、先祖は違ったんでしょう」
「そういうもんか」
「そうですよ。それで言うなら君の親は行商人なのに君は音楽家じゃないですか」
納得したようにうなりながら顎を撫でるギン。
そんな和やかな私たちの空間を引き裂くように、城壁の上から声が聞こえた。
「奴らが来たぞお!」
周りがざわつき、皆の持ってる槍が揺れる。
まだ城壁の上には少数の兵しか配置されていない。こちらが戦闘態勢になったことをまだ敵は知らないはずだ。
「もう来たのか?」
隣でギンがつぶやく。さすがにその顔も少々強張って見える。
「あー多分来たといっても、ぞろぞろと攻めてきたわけじゃないですよ」
「そうなのか?」
「はい」
ほかの城壁からも、同じような敵の接近を知らせる報告が響くが、それほど急を要している気配はない。
そもそも、まだ攻めてくるには時間があるはずだ。太守はまだ戦闘開始の嚆矢を放っていないし。まだ敵のこの城の包囲も始まっていないどころか、おそらく今頃は城の西側に陣地でも作っているころだろう。カリスタンの援軍を迎え撃つための。
「多分ですけど、城門の前に穴を掘って我々を城に閉じ込めるつもりなんでしょう」
「俺たちが打って出れないようにか?」
「でしょうね。それと援軍が入城できないように。向こうは我々と戦うつもりなんてありませんから。標的はいつか来るであろうカリスタンの本隊ですし」
「⋯⋯ならどうして、俺たちがこんな格好しているんだ」
ギンの量の目が地面に落ちるかのように下を向いて、怒りにも似た哀愁が口から放たれた。
太守は戦うわけについて、ふたつの理由を示した。しかし、あの理由には嘘が混ざっている。というより、太守は意図的に一番重要なみっつ目の動機を隠している。
「それはきっと、中央のためですね」
「中央ていうと、首都とかそっちのことか」
「ええ、さっきぽろっと聞こえたんですけど、どうやら今この国は各方面から同時多発的に攻められている可能性が高いんです」
私がなぜか太守に呼ばれて話の場にいたことは黙っておいたほうがいい。
ギンは人にやつ当たりするような人間ではないが、この場合私も戦闘を促したひとりとみられてもおかしくない。
「そりゃまた、ずいぶん嫌われたものだな」
今度は皮肉めいた笑いがこぼれ出ていた。
「まあ、苛烈なことやってますからね」
もしかしたらその嫌われている原因にアルバの行為が含まれていると考えると、胸が締め付けられる思いがした。
「でまあ、きっと太守様はこの城ではなく、国を見て決断を下したんですよ」
「つまり?」
今話していることは、あくまでも私の推測に過ぎない。
しかし、あの太守の私への不可解な謝罪の意味を考えると、これが一番納得できる。
「この城の民が夥しい血を流そうと本国のために敵の戦力を削る⋯⋯擁するに私たちは捨て駒です」
だからといって、太守を恨むつもりはない。彼の立場を考えたら仕方がないことだし、実際、この城が占領されたら皆が悲惨な目に合うのも間違いないのだから。
ギンは空を見上げて大きく息を吐いた。まるで晴れ渡った空に雲をかけるような、長く深い息を。
「まあ、それが戦乱の世か。俺たちは少し平穏を享受しすぎていたのかもな」
「かもしれませんね。この城にいる限り戦争なんて他人事だと、そう思っていたのかもしれません」
――――
私はそれまで、歴史書の中でしか戦争というものを見たことがなかった。
だから、実際にどうやって戦いが始まるのかなんて知りもしなかった。
過去の事例ではどういった風に始まったのか知らないが、今回に関しては至って簡素な始まり方だった。
敵が城門に近づいてくると、太守の命令で矢が放たれた。
その矢が敵にあたったのだろう。城門の向こうからは怒号が鳴り響き、それをかき消すように太守が叫んだ。
「貴様らの大将に伝えよ! この城は降らぬ。城が欲しくばそちらも血を流せと」
城全体が震えるようなそんな怒号だ。太守に呼応するように、兵士たちが雄たけびを上げるが、我々民兵はみな戸惑ってお互いの顔を見合わせるばかりだ。
よい将軍の条件に、声がよく通るという項目があるが、太守はその面では頭ひとつ抜けているのではないかと思う。
どうやら敵の大将は、徴発されたままおとなしくしている気質ではなかったようだ。
すぐさま四方に兵が分散され、取り囲まれたのか、兵たちがしきりに城壁の上で叫び、外からは銅鑼の音が鳴り響く。
今城壁に上がれば、きっとこの城を取り囲むおびただしい数の黒い集団が見られるのだろう。
彼らもこれから、大将の命令で城壁に迫りくるのだろう。私たちは、それを防がなくてならない。
音はいつまでも鳴りやまず、周りの民兵たちや、城の中央に避難した非戦闘員たちの集団からも、恐怖の感情が空気の流れとなって渦を巻いた。
左隣を見れば、タオはいつもと変わらない様子で、苦手な晴れ空を恨むように呆然と空を見上げている。
そして右を見れば、槍の柄を持つ手を震わせた幼馴染が、唇をかみしめて覚悟を固めようとしていた。
私だって怖い。本当は敵が来る二日の間に逃げ出したかった。
だが、普通の足でも別の城まで行くのは一番近い東に向かっても十日は掛かるのだ。寝たきりの母を連れての逃避行となると、さらに時がかかるし、そもそも母が移動に耐えられるとも思えない。
恐らくだが、逃げ出せた住民なんてほとんどいないだろう。
なにしろ敵の接近に気が付いたのが二日前で、この二日間は近隣住民を避難させるための東門しか開けられなかったのだから。
きっと包囲されるまでは、番兵が守る東の城門から逃げ出そうともみ合いになったりもしただろう。刃傷沙汰にもなったかもしれない。
だが私のいるこの西門からはうかがい知れなかった。
銅鑼の音は徐々に大きくなり、ほら貝や叫び声も混ざる。
このまま数日間夜も騒がれるだけでもこの城の戦意が失われそうだが、そんな悠長な暇は敵にもないだろう。
西の城門にいる太守がこちらに向かって振り返る。
その目は少年のような情熱が宿り、同時に懺悔の哀愁が漂っている。
今どういう思いで太守はそこに立っているのだろう。
これから彼の決断により、私たちは多量の血を流し、未亡人になる女や父親を失う子供たちを産むのだ。
その境地は一介の民でしかない私では到底計り知れない。
「皆聞け!」
たったの一言で、纏わりついていた負の空気が一掃される。
太守の声はこの城の全域に届いたのか、あらゆる者が太守に注目している。
敵の騒音もかき消され、胃や実際に止まっている。それほどまでに力強い叫びで、敵は気圧されたのだきっと。
「そこから後ろを振り向いてみよ! 何が見える!」
いわれるがまま、皆に倣って振り返る。
すると見えてきたのは、敵の矢が飛んでこない中央に集まり、怯えている女子供や老人たち。
「そこにいる皆の友人、家族が、今まさに危機に陥ろうとしている! よいか! 愛する者たちを守る手立てはただひとつ! この国の⋯⋯この城の愛する者たちは、その手で戦って守り抜くのだ!!」
瞬間、四方から地響きとともに号砲がどこからと轟き、こだました。
耳が引き裂けるのではないかと思うほどの声量で、私自身胸の奥から何かが沸き立つ感覚を身に染みて体感した。
物静かで何を考えているかわからないタオも、この空気感に染められたのか、静かにこぶしを握り締め、ギンはみなと同じように槍を掲げて叫んでいる。
その間に弓兵たちが城壁の上に登っていく。士気を上げて終わりではない。太守の仕事はむしろこれからだ。
「なあセシル」
ギンが不意に肩をたたいた。
大きな音の渦の中にいたのに、その大きくもない声は妙に鮮明に聞こえた。
振り向くと、ギンはあの日演奏の後に見せたようなさわやかな笑顔を浮かべていた。
「どうしましたか」
「お前にも、守りたいものはあるのか」
「⋯⋯ありますよ。あそこにいる怯えた子供たちです。それと家族を」
「そうか⋯⋯俺も同じようなものだな。というよりみんな同じか」
何度もうなずきながら、独り言のように呟くギンは、瞼を大きく見開くと、口お開けて笑った。
「もしこの城にレナンがいたら⋯⋯守るべき友人も追加できたんだがな」
「そうですね⋯⋯じゃあせめて、この城の外にあるレナンの墓が荒らされないよう、やつらを追い払いましょう」
「ああ、そうだな。せめてあいつの眠りだけは妨げられないように俺たちで守ってやろう」
また外から銅鑼とほら貝の音が鳴り響く。
今アルバは何をしているのだろうかと、また彼のことが頭をよぎる。
きっと帰ってすぐ、防衛のためにどこかに駆り出されるのだろう。
私は、彼を守ることができないが、せめてもの想いで、彼の無事を天に願った。
城壁の上と外から、男たちの怒号が響く。ここからでは見えなくとも、何が起きているのかは想像に難くない。
指揮官の合図で、城壁の上から矢が雨のように放たれる。
きっと敵は盾で頭を守りながら、梯子を担いで突撃しているのだろう。
ひたすらに城壁から矢を打ちかけてはいるが、それだけで止めることは不可能だ。
つまり、城壁の上で刃を交える白兵戦が必須なのだ。
しばらくすると、矢を打ち尽くしたのか、風を切る矢の放物線が途切れる。
まだ日は高い。一息ついた、というわけではなさそうだ。
「兵を入れ替えよ!」
城壁の上から太守の指示が発せられ、旧兵たちは弓を持ったまま城壁から降り始めた。
その代わりに、城壁の後方で待機していた、身長より少し小さいくらいの盾を持った盾兵たちが槍を持った兵たちとともに前に出る。
兵たちが下りると、私たちを統括していた指揮官が歯をきしませながら、鬼のような形相で城壁を指さした。
「よし! 貴様ら城壁へあがれ。良いな。密集して敵を防ぐのだ」
いよいよ私もあそこに行かなければならないのかと、今まさに戦場になろうとしている城壁を見上げる。
これから、あそこの上って殺し合いをするのだ。
今まで槍も剣も握ったことすらなかったこの身で、母の偃月刀を持って。
「さあ、行くぞセシル」
ギンが私の背中をたたく。
城壁の下で待機していた民兵は、続々と城壁に上っている。
「い、いきましょう」
ギンに頷き、三歩前で私が動き出すのを待っていたタオに笑いかける。
といっても本心から笑えるわけがなく、ただ自分を奮い立たせるための虚飾に過ぎない。
先を進みだしたタオの後に続く。
城壁の階段がずっと続けばいいのにという現実逃避とともに駆け上がるが、残念ながらこの城の城壁はそれほど高くなかった。
これが首都の城壁なら、はしごもなかなか届かなかっただろうにと、城壁を創った過去の人々に恨みを抱きかけた。
だが私のそんな雑念は、目の前の光景を前にして塵のように灰燼と化した。
すでにはしごがいくつか城壁にかけられ、敵兵が城壁に顔を出して刃をふるっては、前方を死守する兵によって落とされている。
矢叫びと悲鳴があちこちから鳴り響く。我々民兵は今こそ前線の兵に守られているが、前方を守る盾兵の隙間をこじ開けられれもすれば、この城壁全体が死地となる。
そういえば、夜叉擂はどうなったのだろうか。少なくとも、この西の城壁には無い。
敵がはしごで攻めてくるのなら、まさにあの大がかりな兵器の唯一の使う機会といっても過言ではないが、完成しなかったのだろうか。
偶然目に入った、黒い重装の鎧を着た太守に駆け寄った。
「た、太守様!」
「んう!? おおそなたか、どうしたのだ」
「夜叉擂は完成しなかったのですか」
時間をかけてはいけないと、早口でまくし立てるように迫ると、太守は南と東の城壁をそれぞれ一度ずつ確認した。
「あれは東と南に配備した。おそらくだが、あの2つの城壁は敵の攻め手がここと北より緩いだろうから。あの兵器も動かしやすいと思ってな」
「なるほど、では失礼します」
「ああ、なんとか無事でいてくれ」
踵を返してギンたちのもとの戻ろうとした瞬間、太守からそのように言われ、体が硬直した。
太守の言葉に不実なところは一切ないだろう。
この壮年の軍人は、自ら戦う道を選びながら、本心からそう願っているのだ。
ひどく矛盾した、滑稽で身勝手な考え方だが、その思考が生まれたのはこの人自身の優しさと、太守という立場がぶつかった結果だろう。
そう思うと、この人に怒りをぶつけることもむなしく思える。
屋敷では言えなかった罵詈雑言のひとつでも浴びせてやりたかったが、私は口を閉ざしたまま持ち場に戻った。
持ち場に戻っても、まだ私が殺し合いを始めるまでには、少し猶予があるようだった。
というのも、相手が昇ってくる場所を死守する縦兵と槍兵が見事に敵を登らせずに凌いでいたのだ。
縦の隙間からひたすら槍を振り下ろす守備兵に、敵は何もできずただ落ちていくだけだった。
やはり、この国の軍は強い。戦っても十分勝てる。
そんな感情が、私の周りにわき始めていたのか、民兵やギンの顔から、安堵の表情がわずかに読み取れた。
だがタオだけは、顔を引き締めながら、いつでも戦えるように腰に差した剣の柄に手を添え、鋭い切っ先のような眼光を登りくる敵兵に向けていた。
雨が好きという独特な感性の持ち主だから、皆とは根本的な思考が違うのだろうか。そんなことを考えていると、この城壁の左右から同じ言葉が聞こえてきた。
「梯子がかけられた!」
やはりといえばいいだろうか。この程度の攻勢で終わるわけがなかった。
新たにかけられた梯子から登ってきた敵が、かき分けるように盾兵たちの陣形を崩し、自らを犠牲にしながらわが軍の密集をこじ開ける。
一度ひびが入ったガラスや陶器が脆いように、一度ヒビが入った密集陣形は積み上げた石が崩れ落ちるように崩壊の音を奏でた。
「左を死守しろ!」
部隊長らしき将兵が我々に向かって怒鳴った。
ああ、ついに来たのだ。私は拒否もせず、左に向かいだしたギンやタオたちを追って歩き出した。
もう覚悟が決まったのかと問われると、そんなことはきっとない。
今も逃げ出していいと許可をもらえば、すぐにこの場を放棄して逃げ出したい。
だが、そんな風に皆が逃げ出せば、この城はどうなるのか。
母は、ユイは、子供たちは無事でいられるのか。
この城が陥落すれば、今首都にいるであろうアルバの身にも危険が及ぶのではないか。
自分のために刃を振るうなんて、私には絶対に無理だ。
たとえ、使い切れぬほどの財宝や、絶世の美女を提示されたとしても、そんな危険な火中に飛び込むことなんてできるはずがない。
「っあああああ!」
この城を守る。国や顔も知らない王様のことなんてどうでもいい。
ただあの子たちに健やかに育ってもらうため、母に静かな最期を迎えてもらうため、アルバがどこかで傷つかないため、目の前に現れた名前も知らない異国の人間を殺す。
陣形が崩れ、続々と敵が上っている、このままこの場で数を増やされ、拠点を作られたりしたら、この場所からこの西の城壁は崩壊するだろう。
させない。そんなこと絶対にあってはいけないのだ。
一時的に、恐怖を忘れていた。
まるで自分が自分でないように、体が軽く、勝手に敵に向かって迫った。
味方を切り倒した敵兵と目が合う。
彼が、彼自身の意思でここにいるのかはわからない。
国に帰れば、彼にだって家族や友人がいるはずだ。いなかったとしても、平穏に暮らす中で幸せを探すことができたはずだ。
勇ましいタオたちとともに、敵に接近し、偃月刀をその敵に向かって突き出した。
彼は慌てて剣を振り上げたが、私の刃が、彼の胸を貫くのが早かった。
見た目からして、年は私より少し上くらいか。
重く締め付けるような感触が、突き刺さった白刃を通して私の手に伝わった。
なぜ剣を振り下ろそうとしたのか、私はただ直線的に動いたのだから、少し避けるか、刃を受け流すだけでも、致命傷は避けられたはずだ。
なぜ⋯⋯そんなこと、虚ろな目で自分に突き刺さった刃を見て、死を意識した彼に聞いても、決して答えられることではないだろう。
彼は右手の剣を手放し、弱弱しく震える手で、刃を抜こうと手を胸元に運んだ。
生きるためなのか、それとも自分を手にかけようとした私に一矢報いるためなのか、偃月刀に、彼の血が滴る。
彼がつかむより先に、とどめを刺すために刃を抜こうとすると、我が家の地下室に保管されてあった剣が、彼の喉を貫いた。
その刃は鮮血とともに鮮やかに引く抜かれ、彼は血しぶきを上げながら後ろへ倒れ、その拍子に私の偃月刀が抜けた。
我が家の剣を持ち出した従者に目を向けると、すぐさま彼は隣で刃を交わせている敵兵にも切りかかり、私の行く手を阻むように、腕を私の体の前に伸ばした。
その目は迫りくる敵兵に注がれ、私の姿なんて視界には含まれていなさそうだ。
「主⋯⋯前に出すぎです」
「タオ⋯⋯」
軽く彼に胸を押され、後ずさりした。
そのまま彼は、見方を援護するように、敵の死角から刃を繰り出し、二人ほど敵を倒した。
その動きは偃月刀で型を演舞していた母よりも、今この場所を死守しようとしている正規兵よりも軽やかで、美しい。
いままでずっと我が家でいた彼がなぜそんな的確に敵の急所を突くように戦えるのかは見当もつかない。
そもそもでいうと、彼の気質からして真面目に戦うことが考えられない。
そんなタオに、敵の凶刃が迫りくる。
私はまた、偃月刀を動く敵に突き出した。
動きは相変わらずぎこちないが、精神的には、一度人を刺したことによって何のためらいも生まれなかった。
人殺しが逃亡すると、その逃亡先で罪を重ねやすい心理と同じなのだろうか。
一度人を殺せば、人を人として踏みとどめている枷が外れ、獣へとなり下がる。
さっきの彼にとどめを刺したのはタオだ。だがきっと、タオがとどめを刺さなくても、私の刃で彼は死んでいただろう。
つまり私は、今この場で獣へと変わってしまったのだ。自らのためなら人の死を厭わない獣に。
だが、それで何の問題があるのか。
タオに迫った敵に突き刺した刃を抜きながら考えた。
彼らが人間らしく言語や文字を持って交渉すれば、引いてくれるとでもいうのだろうか。
必死に命乞いをすれば見逃してくれる保証はあるのか。
そんなものはない。やられる前にやる。
その単純で明快な自然の中で育まれた思想だけが、今我々を守ってくれるのだ。
隣から味方の悲鳴が上がり、その血が私の頬に触れた。生暖かい鉄のにおいが、鼻をつく。
幸い、見方を殺した敵はほかの味方によって倒された。
私は頬についた血をぬぐい、唇に微かに染み込んだものを舐めとった。
どうということはない。ただの人間の血なのだ。
月を拝めたのは、奇跡といっても過言ではないかもしれない。
夕方、日が暮れるころに敵は撤退していった。
この時可哀想だったのは、城壁の上に残されたわずかな敵兵である。
ほかの城壁ではどうなったのかわからないが、この西の城壁で取り残された敵はその場で武器を捨て投降したので、捕虜として連行された。
きっとこの戦いが終わるまで牢屋にでも入れられるのだろう。終わったら彼らはどうなるのか。
疲れ切っていた私には、そんな他人のことを思う余裕はなかった。
場内は不詳者や死者で溢れかえり、寝かされた躯の周りではその家族がむせび泣いている姿がどこかしこにあった。
「惨たらしいな」
今日を生き残ったギンが隣でつぶやいた。
その目は死傷者たちを向き、かすかに唇を震わせている。
「そうですね⋯⋯」
それ以上の言葉が出てこなかった。私は口を閉じ、彼らから目を背けた。
目を背けた先で、民家にもたれかかりながら眠るタオの姿があった。
タオは鎧を着たまま、腕を組んで静かに眠っている。寝方こそ普段とは違うが、その寝顔は今が有事であることを忘れらせそうな、平常時と変わりがなかった。
タオの奮戦はすさまじかった。持ち場の中を動き回っては、幾人も敵を切り倒し、城壁から突き落としていた。
この戦いで眠れる獅子が目覚めたのだろうか。これから彼を家に置くのが少々恐ろしくも思う。
「それにしても、お前のところのあいつ、すごかったな」
私の肩に手を置きながら、ギンもタオのほうを向いた。
「ですねえ、どこかで鍛錬してたんでしょうか」
「俺が見る限りあれは生まれ持った素質だな」
「そんな人を殺す素質なんて」
「いや、人を殺す才能じゃなくて、単純に剣の才能が抜きんでてるんだよ。ほらたまにいるだろ? はじめて絵をかいたり笛を吹いたりしてそこそこできちゃうやつ」
「確かにいますね」
「それとおんなじだよ。あいつは剣術の才能があったんだ」
「うちに仕えてなければ、タオは今頃将来有望な将軍にでもなってたのでしょうか」
兵士を率いて闊歩するタオを想像してみたが、彼の性格だといろいろ問題が起きそうな気がした。
「まあ、あんなふうにこんな状況でも平然と眠れるのは軍人として立派な才能だろうな」
ギンが褒めるように頷いたのを見て、私は空を見上げた。
もう空は墨色に染まり、星や月が光輝いている。この城内ではあちこちに篝火がたかれているが、それでも薄暗く、気持ちを陰鬱とさせる。
私も早く寝たいのだが、さっきからやけに興奮しているのか、なかなか寝付けないのだ。
初めて人を殺したんだから眠れなくて当然だと、さっきギンが言っていたが、原因はそれではないように思える。
なぜなら、人を殺したという感覚が、罪悪感が、一向に湧き上がってこないのだ。
初めて殺した相手の顔は鮮明に覚えている。その最後の姿も、精巧に思い出すことができる。
だがそのことについて胸を痛めるだとか、後悔するなどということは一切ない。
眠れないなら母の様子でも見に行こうかと思ったが、やはり、今母の顔を見る気分にはなれなかった。
このまま戦争のことだけ考えて母の死を見届けないのも、それはそれで私にとっては悪いことじゃないんじゃないかと、親不孝なことが浮かび上がる。
「まあ、とりあえず私たちも休みますか。眠れないとしても」
ギンの顔を除くと、彼は冗談めかしく白い歯を見せ、何かを飲むような仕草をした。
「俺はこれをひょうたん1個分くらいグイっと飲んだらすぐ眠れるんだけどな」
「それしたら明日動けなくなるんじゃないですか」
ギンの軽口で、つられたように頬が緩む。
私とギンはタオの隣に腰を下ろし、とにかく目を閉じて意識が遠のくのを待った。




