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ミレード城からの帰路ももうすぐ終わりを迎える。
帰れったらまず埃だらけになっているであろう家を片付けなければと、モルトは肩をすくめた。
「そういえば、どうしてちゃんと言わなかったんですか。セシル、君のことが好きだって」
何もない地平線を、馬車を曳きながら馬を御すモルトがつぶやく。
馬車の中には入らず、御者台で隣に座っているアルバを見てみれば、その視線ははるか前方に微かに映し出された王都の城壁に向けられていた。
だがその平静はモルトの一言で突き崩され、アルバはむせ返るような咳をしながら、突拍子もないことを言い出した従者を睨んだ。
「んっ、な、何馬鹿なこと言ってるんだ⋯⋯たしかに、セシルのことは人間として好きだが、わざわざ伝えることではないだろう」
「人間的? アルバ様、セシルさんのことは騙せても、この僕は騙せませんよ。あれはどう見ても恋した人間の声と顔でしたよ」
「⋯⋯お前に何がわかるんだ。いつまでも女の一人もできないくせに」
顔をほころばせながらアルバと対していたモルトだが、むっと口をへの字にした。
「僕のことはいいんですよ⋯⋯」
「拗ねた⋯⋯ガキかお前は」
「僕はね、小さいころからアルバ様をずっと見てるから女性の容姿に対する要求が高いんですよ。その辺の子じゃ満たされないんです」
「お前⋯⋯それ自分で言ってて恥ずかしくないのか」
「そりゃ多少は⋯⋯って、だからってその目はやめてください」
アルバからの自分を蔑むような鋭い刃物のような視線を浴びせられ、モルトは目をそらした。
「でもまさか、驚きましたよ。アルバ様がまさか男性にそんな想いを抱かれるなんて」
「いや、私は何も言ってないぞ」
「だからいまさら隠せませんよ。いやあびっくり仰天です。まさか女性のふりをするうちに本当に心まで女性になってしまうとは」
「いやそれは違う。私の心が女ならお前なんて生理的に拒絶しているに違いないからな」
「⋯⋯はいはい、そうですかそうですか」
主からの皮肉の言葉を受け流すように、モルトは手綱をしならせ、笑みをこぼした。
「まあ、アルバ様がそれで満足なら僕は何も言いませんけどね」
「それでいい。これ以上求めるのは不相応というものだ」
アルバは腕を組みながら、また前方を見つめた。
「そういえば、いったいどうやってあの城で暮らすつもりなんですか」
アルバはミレード城にまた行くと言ったが、それはたやすいことではない。
子旅は療養と称してなんとか国王から許可をもらえたが、本来アルバは自由が許させる立場にない。
帰ればまた、白薔薇王として戦場に立つ日々が待っている。
「そんなの、適当な戦場へ行ったときに戦死したことにでもすればいいだろう」
前方を見つめたまま、アルバはぼんやりと答えた。
「ええ⋯⋯亡骸はどうするんですか」
「そんなもの、敵に奪われて引き裂かれたとでも言えばいい。ありがたいことに私はいくつもの国から恨まれているからな。実際死んだら亡骸を切り刻まれたりするんじゃないか」
そういってアルバは笑いかけたが、モルトは顔を引きつらせ、手綱を滑らせそうになって慌てて握りしめた。
前方から馬を走らせる三人組が向かってくる。モルトは馬をわき道にそらし、一行とすれ違った。
一行は黒い官服を着た者がひとりと、その後ろに護衛の兵士が二人いた。
「なんでしょうあれ、使者みたいですけど。ミレード城に行くんでしょうか」
モルトが後ろを振り返ると、アルバは首を傾けながら答えた。
「いや、あれはたぶんあの後しばらくしたら東に曲がってコレムルのほうに行くんじゃないか」
「はあ、また出兵でもするのでしょうか」
「だろうな。ほら見ろ、あれが証拠だ」
「あれ? わあ、なるほどこれまた物騒だ」
アルバが前方を顎で指示した。モルトは笑いながら、今度は馬車を道外れの草むらまで移動させ、停車した。
前方のミレード城から、鉄の鎧を着て、長い槍や弓を持って進んでくる一団が表れている。
前方には、軍を統率する将軍が騎馬にまたがって進んでいる。
アルバはその将軍の顔を知っていたが、向こうは自分の素顔を知らないはずだと、そのまま気にせず軍団が通り過ぎるのを待った。
部隊の人数はそれほど多くない。王都から出せる軍なんてたかが知れているから、そのせいだろうと考えた。
掲げられた軍旗には深紅の生地に金色の鷹が描かれている。旗が西から吹く風になびく姿を見ながら、きっと帰ればすぐに王は自分にも出陣を命じるだろうと、アルバは辟易としながらも、それが好機ではないかと思案した。
「しかし国王も好きですよね。戦争」
「まあ、あの男にとっては戦争ほど自分の力を誇示するにうってつけな手段はないからな」
「ほんと⋯⋯いつか痛い目見ますよ、この国」
「かもな。その前に亡命するか」
「あなたの場合洒落にならないんですよ⋯⋯亡国の王族ですし⋯⋯その気になれば各国が手を上げますよ」
北へ向かう軍勢を見送り、また馬車を走らせた。
王都に近づいてくると、アルバは胸が締め付けられるような、頭を押さえつけられるような、そんな衝動にかられた。
だがセシルと別れてからも、一度も悪夢を見ていない。
あの時自分を助けてくれたセシルの手は、今なお自分を守り続けてくれているのだと、アルバは手のひらを見ながら自分に言って聞かせた。
──────
「すまんなセシル殿。この城の住人の代表として君に謝罪しよう」
私と太守だけになった部屋で、太守は頭を下げた。
すでに将軍たちはそれぞれの任を全うすべく、駆け足で屋敷から出て行った。
頭を上げた太守の双眸には、すでに覚悟を決めた武人の矜持のようなものが滲み出ている。
私は剝き出しの梁が伸びる天井を見上げ、この胸の中に渦巻く恐怖を全て吐き出すように、大きく息を吐いた。
「謝らないでください。この城の住民として、白のために戦うのは義務だと心得てます。それに、太守のおっしゃる様に、私もあの子たちを守りたいですから」
太守の下した決断。それは十日の猶予を待たずに、シーナと戦うとのことだった。
――――
「我々はこれより、シーナに対して宣戦布告の嚆矢を放つ」
太守は動揺する我々を一括するかのように、先ほどそう宣言した。
戦いに臨む理由はふたつ。
ひとつは、シーナの陣営に厭戦感情を抱かせるため。いくら大軍を用意しようと、まともな攻城兵器を持たない軍では、力攻めを果敢すればかなりの被害が出ることは必須。序盤の敵の猛攻を防ぐことさえできれば、おそらくシーナは陣を下げこの城の攻略を諦めるとのこと。
そしてふたつめ、私にとってはこれが重要だった。それは、降伏した場合のこの城の捕虜の扱いだ。
敵の使者は降伏したら誰の命も取らないと言った。この文言に噓偽りはないだろう。下手に我々を虐殺などすれば、この国の戦意を上げることになりかねないし、なにより同盟を組んでいるであろう他国からの信頼を損ねかねない。
では降伏した住民をどうするのか。まさかこの城に10万の大軍を入城させ、捕虜とともに養うとでもいうのだろうか。
そんなことをすれば、この城に蓄えられた糧はすぐに食い尽くされ、シーナ本国からの輸送に頼ることになるのは必須。
では捕虜をどうするのか。考えられるのはひとつ。捕虜をシーナ本国へ輸送するのだ。
我々を縄で縛り、シーナに連れていく。そうすればこの城に残るのはシーナの軍勢だけになり、仮にシーナが撤退することになっても、この城に集まっている住民を奴隷として確保できる。
それだけでも大きな戦果になるだろう。なにしろ憎き国の民を奴隷としてこき使い、虐げることができるのだから。
――――
その予想を聞いて、私は子供たちや、タオやユイのことを思い浮かべた。
ぼろきれを着て、奴隷の身分に身をやつす彼らの姿を。当然、人間らしい扱いなんてされないだろう。
男は壊れるまでこき使われ、女は慰みものにされているのが容易く想像できてしまう。そして気に入らなければ、鞭で打たれ、死ねばごみ同然に捨てられるのだ。
それに、捕虜は殺さないと言っていたが、母は一体どうなるのだろうか。母はもはや起き上がることもできない体だ。彼らにとっては何の役にも立たないクズそのものだ。
きっと母は殺される。それか、だれにも世話されずただひとりで死んでいくだろう。
愚かで哀れな母だが、あの人にそんな最後を迎えてほしくはない。私はだだひとりの子として、肉親として、母の最期を見届け亡き父や先祖が眠る墓に入れてあげたい。
それが、この呪われた血を終わらせる私にできる唯一の親孝行なのだから。
子供たちも、家族も、誰ひとりとして奴らに手出しさせたりはしない。
この城を守る。皆を守り、そして私はまたアルバに出会う。彼とともに生きるのだ。
「では、私もこれで失礼します」
太守に拱手し、踵を返す。
まだ完全に覚悟が決まったわけではない。だが、戦わなければ失うだけなのだ。
大切なものを失わないために、自分の命を失いかねない戦場に赴かなければならないなんて、人の世というのはなんと非情で、混沌としているのだろうか。
外はやけに晴れていた。自分の結婚式の日がこんなに晴れていたら、さぞうれしいだろうなどと、ふだん一切考えないようなことが浮かぶ。
すでに城内は臨戦態勢に入っている。将軍たちが城の男たちを集め、武器庫にあった鎧や槍などを渡している。
きっとまだ、駆り出された男たちはこれから自分が何するのか現実を受け止められていないだろうし、城の中央に逃げていく女子供たちは、この城がどうなり、愛する男たちが血に染まるという事実を認識してはいないだろう。
「先生!」
ひとまず家に向かって走っていると、正面の人の群れから、学校の子供たちが現れた。
「みんな⋯⋯」
おそらくは私がルシュと離れてから、ずっと学校にいたのだろう。母親の姿も、学校にいたはずの先生の姿もなく、子供たちばかりで集まっている。
先生はきっと、召集を受けたのだろう。
「さあ、はやく逃げてお母さんのところに行くのですよ」
そう声をかけても、皆は目を泳がせたまま、そわそわと何もわかっていないような様子で、私を取り囲んだ。
もうこの城の城門は閉ざされているだろうし、母親と会えなくなるということもないだろうから、急ぐ必要はないのだが、私のほうは少々急ぎたいのだ。
「ねえ先生、これからどうなっちゃうの!」
今にも泣きだしそうなほど目を潤ませたカラが叫ぶ。混乱する群衆の中だから、それでちょうどいいくらいの声量だった。
「どうにもなりませんよ。ここに来た悪い人たちを追い払うだけです」
カラの頭をなでながら言うと、彼女は目をつむって大粒の涙を滴らせた。
「ねえ先生、僕のお父さんと兄ちゃんが軍のほうに行ったんだ。お父さんたち死んじゃうの!?」
そう言いながら後ろから服をつかんだのは、将来は国のために戦いたいと語っていたグレムだった。
普段は勇ましいことを熱弁していても、やはり本当にその場面がやってくると、人は怖気づき、恐怖を抱くのだ。大人だってそうなのだから、子供なんてなおさらだ。
「大丈夫、みんなの家族はきっと無事に帰ってきますよ。なにしろこの国の強い兵隊さんたちと一緒に戦うのですから。きっと守ってもらえます」
私には、それくらいのことしか言えない。
あとできることは、みんなに笑いかけてあげるくらいだ。
「さあ、だからお母さんたちのところに行きなさい。あまり心配させてはいけないよ」
強く服を握りしめるグレムを引きはがし、泣いているカラの涙を指で拭う。
そういえばルシュはどこだろうかと見まわしてみると、彼は後ろのほうで目を真っ赤にしながら、こちらを凝視している。
(まったく⋯⋯そんな顔してたら君が憧れるユミルタス将軍のようにはなれませんよ)
こんな時なのに自然に頬が緩んだ。不謹慎で悪趣味かもしれないが、普段元気なこの子達が見えない恐怖に慄いている姿というのはとても愛くるしいのだ。
この子達には、これからもこんな風に恐れたり、悲しんだり、そして笑ったりして生きていてほしい。
「さあルシュ」
ルシュは直立したまま、眉毛をぴくっと動かした。
「君がみんなをお母さんたちのところに連れて行ってあげるのです。それくらい、君みたいな怖がりさんでもできますよね」
「で、できるよ!」
怒ったように顔を赤くしながら、ルシュは声を張り上げて目を擦った。
「ほ、ほら、皆行くぞ!」
私の些細な挑発が火をつけたのか、ルシュは中央に向かって指をさしながら走り出した。
「さあ、君たちもおいていかれないように。また学校で会いましょう」
私にくっついていた子供たちの背中を押す。みんなはその目に懸念を宿したまま、ルシュの背中を追って走り始めた。
先頭を走るルシュの小さくて大きな背中が、とても誇らしく、たくましく見えた。
こんな時でも子供たちの成長がうれしくて、今の状況を忘れてしまいそうになるのは、職業病のせいなのだろうかと、走り去る民衆の渦の中で笑ってしまった。
家の前にはユイとタオがいた。
ユイは両手を胸の前で握りしめながら首を振り、こちらに気づくとその手を下した。
その隣のタオはどこから持ってきたのかわからない、小さな黒い鉄を鱗状に束ねた鎧を頭から足まで着込み、腰に剣を差していた。
剣の鞘に描かれた鳥の翼のような模様には見覚えがある気がしたが、いったいどこで見たものだろうか。
「た、タオ? その装備はいったいどこから?」
家の前につき、まずは私を探して心配していたであろうユイに声をかけるべきだと思ったが、それより先に、好奇心が出てしまった。
「主の屋敷の地下倉庫にある鎧です。有事なので拝借いたしました。お許しを」
「あ、うん⋯⋯それは構わないよ」
やけに饒舌なタオに気圧され、倉庫のカギは私がだれにも見つからないように管理していることについて問えなかった。
「主の武具もこちらに」
タオは塀の中に入ってくと、両手に武器と鎧を抱えて出てきた。鉄の塊を着ながら鉄の武器や鎧を運べるこの男は、いったいどれくらいの力の持ち主なのだろうか。なんだか突然タオが怖くなった。
タオが地面に下したのは、タオが来ているような肩まで覆った被る型の鎧ではない、薄い鉄の板で胴を守るための防具だった。
私の体力では彼のような鎧なんて来たらその場から動くこともままならなくなるので、ありがたかった。
そして武器だが、何の変哲もない樫でつくられた柄の先に鋼の刀身をつけた偃月刀だった。
この偃月刀はよく覚えている。昔は時々、母が庭で偃月刀の演武をしていたのだ。
その実力のほどは測れないが、私は演武中の母を見かけると、いつも足を止め、その一挙手一投足を息をのんで見守り、終わると同時に拍手を送った。
母はきっと、何かあった際に家を守るため、この偃月刀を振るっていたのだろう。
私は羽織を脱ぎ棄て、まず防具の紐を両肩にかけた。
重い。胴を守るだけの防具なのに、一瞬足元から崩れ落ちるかと思った。
防具の左右には、薄い木の板が張り付けられ、そこにもそれぞれ紐が通されている。その板をそれぞれ背中側にしならせながら、ひもを固く結んでまた羽織を着る。
タオが拾い上げた偃月刀を受け取る。初めて武器を手にした感想は、ただただ重いと。この重たい刃で、名前も知らない相手を殺さなければならないのかと。
しかし、どうして母は私に偃月刀の技を教えなかったのだろう。家を守るなら、私にも持たせたほうがよいはずなのに。
柄を地面に突き立てながら、今も母が眠っているであろう家に目を向ける。
「セシル様⋯⋯奥様にお会いになっては」
私の前に踏み出て、ユイが口を開く。その声は、母の容態が芳しくないことを示しているようだった。
だが今会うと、心が揺らいでしまいそうな気がした。
「いや、すぐにいかなければならないんだ。母さんにはすべてが終わってから合うよ」
「⋯⋯もう会えないかもしれないんですよ!」
珍しくユイが声を荒げた。
「それでもだ。血なまぐさいところに行く前にあそこへ行ったら怖くなってしまう」
「なにがですか⋯⋯」
「戦うこと⋯⋯そして失うことが。だからユイ、母さんのことは君に託したい。ここなら矢が飛んでくることもないから、どうか頼む」
ユイと目が合うと、その目はまるでさっきの子供たちのようだった。ユイは唇を固く結び、深くうなずいた。
「わかりました。奥様は私がお守りします。だからどうか、セシル様もご無事で」
「ああ、ありがとう。必ず帰ってくるよ。さあ行こうタオ」
無言でうなずくタオを横目に、ユイに向けて微笑んでみたが、うまく笑えなかった気がした。
ユイはまた両手を胸の前で結びながら、強張った笑顔を見せてくれた。




